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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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昏の都

 私と総華は馬に乗ると、少し引き返して街道に出た。

 もう逃げているわけではないので、表通りを早足に歩いていく。山道と違って開けた視界に小さく見えた城壁が都のそれだという事を、旅人達の会話で知った。

「都……面白い物、一杯あるかな?」

 総華が私の顔を見上げて問う。

「ああ、きっとな」

 その頭を撫でてやりながら答えた私は、まだ少しぼんやりしていた。

 己の覚悟、それに己凌との突然の別れも、私の心の平静を僅かばかり揺らがせていた。

 それを自覚していなかった辺りに、危うさがあったのかも知れない。



 そんな状態のまま、私は総華を連れて昏の都、虚に入った。

 総華が早速駆け出して、様々な店を冷やかして回る。

 馬の轡を取ってその後ろ姿を見ていた私は、その中に一つ、他の露天とは違う雰囲気を持った場所を見つけた。呼び声は掛けておらず、棚に商品が並んでいる訳でもなく、ただ一人の男が卓に紙の束を置いて座っている。その横に、高札が掲げられていた。

 何となく気になって、私はその文言を読む。

「軍師、峰晋(ほうしん)様の私兵公募……?」

 そんなもの公募していいのか。

 思わず呟いた私に、男が目を上げる。おそらく受付の係なのだろう。目が合ったので、私は高札を指さして訊いてみた。

「これはどういう事だ?」

 男はちらりと私の馬を見た。

「旅人か。見ての通り、兵を公募している。峰軍師は現在まだ手勢をお持ちでないからな」

 言い回しから察するに、峰晋という人物はさほど高くない地位からのし上がったらしい。昇進が急だったために、地位の割に地盤が確保されておらず、後ろ盾としての軍事力が不足しているようだ。

「峰軍師とはどういうお人だ」

 私は首を傾げて問う。私兵を公募する程だ、生家には殆ど権力が無いに違いない。にも関わらず、軍の最上位にも等しい地位に君臨しているのだ。並大抵の出世ではない。

「知らないのか」

 男は目を見開き、呆れたように言った。

「峰軍師はまだお若いのに五年足らずの短期間で軍師にまで昇られた切れ者だ。しかも方士で、氷神とも呼ばれておられる」

「昏の、氷神……」

 男が口にした称号を復唱する。

 昏の氷神。五国方士の一人だ。尋常でないのし上がり方にも納得がいく。

 強力な方士は、国の軍事力を大きく増強することになる。

「今昏の重臣の中ではあの方が一番の実力者と言ってもいい。その手兵になれるのだから誉れだぞ……もっとも、その細腕では合格出来ないだろうがな」

 鼻で笑われて、私はむっとした。

 やはりどうしても男としては華奢に見えるせいか、戦闘能力を低く評価されることが多い。理不尽な侮りに微かな苛立ちを覚えたものの、何とか抑えた。応募するつもりならばともかく、私は今旅の途中で目的地へ向かわなければならないのだから、ここで口論する事は不毛だ。

 私は適当に会話を打ち切って、足を進めた。雑貨屋の前にしゃがみ込んでいる総華を見つけて歩み寄る。


 今はこの子を無事に送り届ける事が最優先だ。


「あ、雪」

 店を一通り見て回り、視線をめぐらした総華がはしゃいだ声を上げる。先日の雪の名残だろう、かき寄せられた雪が町中のそこここに見えていた。積み上がった雪を興味深げにつつく総華を見ながら吐いた息は真っ白になって大気に溶けた。

 寒い土地柄のせいか、都に橙や白程の喧噪は無い。だが様々な店が建ち並び商売の声が飛び交っている辺りはどこも変わらない。

「その首巻きをくれ」

 寒さに首を竦めながら私が露店で首巻きを買った時、遠くから長く尾を引くかけ声が聞こえた。

 総華が雪をつつくのをやめて駆け寄って来る。

「鴻宵、あれ何?」

「さぁ……」

 購入した首巻きに顎を埋めながら私が首を傾げると、露店の商人が呵々と笑った。

「あれは露払いだよ。これからこの道を軍が通るのさ」

「軍……?」

 私と総華は、声が聞こえる方に目を向けた。

 曇天の下、徐々に近づいてくる黒い波。街を歩いていた人々が脇に避ける。私も総華の手を引いて路地へと退いた。やがて、黒い波と見えたものが人間の隊列となって目の前を通って行く。

 まずは軽装の歩兵。

 続いて簡素な鎧甲を着けた歩兵。

 騎兵。

 ぞろぞろと行き過ぎていく軍隊を、総華は物珍しげに見ている。

 昏軍は大軍だ。隊列はまだまだ続くだろう。もう夕刻が近い。

「総華」

 見物を邪魔しないように、そっと私は言った。

「宿を確保してくる。総華は見ていていいよ。でも、絶対に此処から動くな」

 言い含めると、総華はしっかりと頷く。それを確認して、私は路地を通りとは反対側に歩き始めた。



 都に帰還した軍の中に、都洋という男がいる。この軍の将の配下であり、補佐を務める役割を担う一人だった。家柄は高くなく、軍功によってここまでのし上がってきた者だ。

 この時、彼は将軍のすぐ後ろに控えていた。隊列の中程、重装の騎馬と衛兵に囲まれた位置である。

「都洋」

 馬を進めながら周囲を見回していた将軍が、唐突に声を掛けた。応えながら、都洋は嫌な予感に内心眉を寄せる。この将軍は家柄によって最初から高位にある男で、彼がこうして突然命令してくる時は、大概碌な事ではない。

「あの路地を見よ」

 思った通り、手に持った鞭で路地を示す顔は弛みきっている。

 都洋は心中溜息を吐きつつも彼が指す方を見た。

 そこに居たのは一人の少女。

 年の頃は十二、三か。興味深げに隊列を見ている。琥珀色の髪に白く繊細な面立ちの少女である。

 都洋は溜息を吐きたくなった。

「美しいのう」

 この将軍はいつもこうだ。常軌を逸して好色なのである。しかもなまじ地位があるだけに、目に留めたものは手に入れないと気が済まない。

「欲しい」

 果たして、将軍はそう言葉にした。それは都洋に対する命令に等しい。

 一応常識を弁えている都洋は、控え目に諫言を口にした。

「しかし、庶人の娘です。拐かすような事をしては……」

「都洋」

 皆まで言わせず、肥満した体を振り返らせた男がぎろりと睨む。

「この儂に、楯突く気か?」

 都洋は沈黙した。家柄という後ろ盾を持たない彼は、この男が一声かけるだけで失脚しかねない。

 正直な話、こんな些末な出来事で自らの将来を閉ざす気は、都洋にも無かった。

「三日以内に連れて参れ」

「……御意」

 都洋は馬上で礼をすると、配下の兵を呼んで密かに少女の後をつけるように命じた。


 そんな動きが生じているとは露知らず、可憐な少女は無邪気に軍隊の行進を見物していた。



 路地を抜けた私は、通りから少し離れた宿を確保して馬を預けた。ついでに何か果物でも買おうと市に向かう。食料自体は足りているが、せっかく街に立ち寄ったのだから、総華に新鮮な果物を食べさせてやるのも悪くない。

 市に足を踏み入れた私は、目当ての果物を見つけて一つ手に取った。

 この世界で苫果(せんか)と呼ばれるそれは、掌大の丸い果実で、色は黒っぽい紫。色からするとプラムっぽいが、中身は白くて固く、寧ろ林檎に似ている。味も林檎に近いがそれより甘く、梨のように瑞々しいこの果物を、私は気に入っている。

 私が苫果を幾つか手に取って品定めしていると、後ろから伸びてきた手がひょいと棚にあった果物を取った。

「こいつを一つ。それと、果実酒を一瓶くれ」

 そう店主に注文した声に、聞き覚えがあった。

 思わず振り返ると、無精髭を生やした男と目が合う。男は素直に驚きを表情に表した。

「鴻宵じゃねぇか、奇遇だな」

「支源……」

 庵氏の荷を護衛した時の仲間だ。

 私は辺りに視線を飛ばした。しかし、どうやら支源は一人らしく、知り合いの影は見あたらない。

「庵氏が来てるのか?」

 購入する苫果を決めて銭を数えながら、私は訊いた。支源は果物と酒を受け取りつつ頷く。

「何ならお前も来るか?今回は帰りも荷がある」

「いや……今回は別に用事があるから」

 庵氏の所へ行って働くのは悪い話ではないが、生憎今の私は総華を連れている。彼女を碧まで送り届ける義務がある以上、脱線しているわけにはいかなかった。

「そうか……そういえば、今回函朔もいるんだが、何か上の空なんだよな、あいつ」

 それで元気付けようと思って、と支源は酒の入った瓶を降った。私は軽く目を伏せる。多分、彼は私の行方を気にかけているのだろう。

 何の痕跡も残さず、いきなり掻き消えたのだから。

「……まぁ、気が向いたらまた来いよ」

 私と函朔が共に旅に出た事を知っている支源は何か問いたげな顔をしていたが、口には出さずにそう言った。敢えて踏み込まない気遣いに感謝する。

 支源に会釈を返して、買い物を終えた私は来た道を戻った。



 庵氏の荷を送り届けた隊列の滞在先。

 護衛の男達が屯している一室で、青年はぼうっと窓の外を見ていた。その脳裏に去来するのは、先日まで共に旅をしていた仲間の顔である。

 白で捕らえられ、牢にいる間に突然消えた。

 以前紅から逃れた時のように精霊から何らかの助けを受けたのかも知れない。恐らく生きているのだろうが、消息不明というのは不安なものだ。

「いつまでぼさっとしてんだ」

 呆れた声音に顔を上げれば、壮年の男が彼を見下ろしていた。

「支源……」

「ほら、まぁ一杯やれよ」

 どかりと隣に座り、瓢を差し出される。甘い酒の香りがした。

「……あぁ」

 函朔はまだどこかぼうっとした様子で瓢を受け取る。眉を寄せた支源は、先程偶然出会った人物を話題に出すべきか否か、暫し考えた。しかし、結局口を開くことはせずに自分も酒を口に含む。


 二人に何があったのか、自分は知らない。

 事情も知らずに他人が口出しするのは、無粋というものだろう。


「若いねぇ……」

 せいぜい気が済むまで悩む事だ。そう結論付けて、支源は瓢を傾けていた。



 元の場所に戻ると、総華は言われた通りそこで待っていた。軍隊は既に通り過ぎたらしく、大通りは元の姿を取り戻している。

「待たせたな。日が暮れる。宿に行こう」

「うん」

 笑顔で頷く総華を連れて歩きだした私は、後をつけてくる人影に気づけなかった事を、後々後悔することになる。



 夜半。

 郊外に駐屯した昏軍の軍営の中で、都洋は部下の報告を受けていた。

「例の少女はどうやら旅人のようです。現在、保護者とおぼしき少年と共に都内の宿に宿泊しています」

 少女を尾行した部下は、そう告げた。元よりあまり晴れやかでなかった都洋の表情に陰が増す。

「旅人となると時間が無いな……あまり手荒な真似はしたくないのだが」

 好機を待つほどの余裕は無さそうだ。かといって、保護者の少年の前で少女をさらおうとすれば少年が黙って見過ごす筈は無く、最悪戦闘になる。

 上官の私欲にまみれた犯行で怪我人を出すのを厭わないほど、都洋は分別の無い男ではなかった。

「策を講じるか……」

 浮かない顔のまま、都洋は虚空に呟いた。

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