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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
57/76

袂別

 また朝が来て、食事をして発つ。

 旅といっても、大半は同じ日々の繰り返しだ。

 ……と、思っていたのだけれど。


 ひゅ、と空気を切る音に、反射的に身を伏せる。傍らの木に矢が突き立った。

「己凌!」

「駆けるぞ!」

 異変を告げる私の声に素早く応じ、己凌は馬腹を蹴った。私も総華を抱き込むようにして後に続く。

 何度も乾いた音がして、木の幹に矢が刺さったのがわかる。


 今のところ、矢を射かけてくるだけだ。追手はまだそれほど近くない。

 何とか駆け抜けられるか。


 私がそう考えた時、不意に己凌が手綱を強く引いた。馬が前足を上げて止まる。

 慌てて私も馬を止めた。飛矢が止んだ代わりに、背後に武装した男達が迫る。

 己凌が舌打ちを漏らした。

 行く先の道を塞ぐように、巨岩が鎮座している。ここで待ち伏せる為に崖上から落とされたに違いなかった。少し逡巡した己凌は、馬から降りた。

 相手は徒歩だ。普通なら馬上のまま突破するのが最良だが、この狭い道でそれをすれば転落する危険性が高い。岩に行く手を塞がれている以上、ここにいる敵を片づけて道を変える他無いのだ。

「鴻宵、総華を連れて下がっていろ」

 自分の馬と私達を岩の方に押しやりながら、己凌が言う。

 相手は五十人強。一人で戦うには厳しい人数だ。

「己凌……」

「今回は方士はいないようだな」

 案ずる私を余所に、己凌は剣を抜いた。私は総華を抱いて馬を降り、岩の側に行く。その隙間に総華を座らせると、馬を彼女を守るように立たせて繋いだ。

「鴻宵……」

「そこでじっとしてろ」

 私は安心させるように笑った。

「心配要らない」

 己凌の傍らに歩み寄り、隣に並ぶ。

「下がっていろと言っただろう」

 己凌が咎めるように言った。私は剣を鞘ごと腰から外す。

「生憎、一方的に守られるのは嫌いなんだ」

 柄紐で鞘と柄を縛り付けた私を、己凌が奇異な目で見る。

「何の真似だ」

「殺しは好きじゃない」

 そう言って、私は鞘に入ったままの剣を構えた。

「まだ……覚悟が足りないのかもな」

 私の呟きに眉を上げる己凌に、私は微笑った。

「大丈夫……進む事は躊躇わない」

 賊が喊声を上げ、雪崩をうって押し寄せてきた。



 賊の先頭が打ちかかってきた瞬間、己凌が一歩前に出る。最初の男を、無造作に斬り捨てた。ぱっと散った返り血を浴びる暇もなく次の敵と斬り結ぶ。

 生臭い鉄の臭いと初めて間近にした命のやりとりの気配にこみ上げるものをぐっと堪えて、私は深呼吸した。


 迷っている暇は、無い。


 振り上げられた大きな刀をかわし、脇腹に鞘ごとの剣を叩き込む。そのまま身を翻して、反対側にいた敵の首筋を撃った。己凌が斬った敵の返り血が頬に飛ぶ。


 横目に映る己凌の剣術は、どうやら正当な流れを汲むもののようだ。形が端正で、無駄の無い動きが滑らかに続く。私が鴻耀から習った剣は多分に実戦的な我流であり、更に私はそれに体術を織り交ぜるから正当からは程遠い。それに比べて己凌の剣は整っているが、かといって実戦的でないというわけではない。言うなれば正当な剣術を踏み台としてそれを実戦の中でこなれさせたような、そんな雰囲気を感じた。

 個人的にはお手本にしたいくらいだ。

 機会があったら教わりたい。


 己凌の様子を盗み見ながら戦っていたせいか、振り下ろされる刃に反応が遅れ、受け止めた拍子に鞘と柄を括り付けていた紐を切られた。私は小さく舌打ちをすると、躊躇わず剣を抜く。一瞬怯んだ相手の持つ槍の柄を斬り飛ばした。間をおかずにそいつの腹部に蹴りを入れる。刀を持つ敵には懐に滑り込み、剣の柄を鳩尾に埋めた。


 いつしか、私と己凌の周りには賊が累々と倒れ、立っている敵は居なくなっていた。大半は逃げ散ったようだ。

 私は何となく呆然と立ち尽くす。


 迷いは無かった。

 殺さないと言いつつ、私は賊の動きを確実に止めていった。命を奪われた者はいないにしろ、私も彼らを殺した己凌と何も変わりはしない。


「良いのは目だけじゃなかったようだな」

 掛けられた声に振り向く。剣を鞘に納めた己凌が、歩み寄って来た。

「己凌」

 静まり返っているようで交錯する思考が煩わしくて、私は答えを求める。

「俺は覚悟出来てるんだろうか」

 殺すことにだけはまだ抵抗があるけれど、この場にこうして立っていられる。血の臭いが鼻についた。


 正直なところ、覚悟出来てしまうのは怖い。

 目的の為にあらゆるものを排除し、殺したり傷つけたりする痛みを忘れてしまいそうで。


 迷いは無い。

 でも迷う。


 揺れる私を見透かしたように、己凌が苦笑する。

「お前はそれでいい」

 手が伸びてきて、私の頬に付いた返り血を拭った。

「それで十分だ……手は、汚さなくていい」

 静かに言うと、私の背に手を掛けて促す。私はそれに従って総華の所へ戻った。

「大丈夫か、総華」

 馬をどけ、総華の顔をのぞき込む。不可抗力とはいえ戦闘の場面を見せてしまったので心配していたのだが、総華は案外しっかりと頷いた。

「私は、大丈夫。二人とも、怪我は無い?」

「無いよ」

 私が言うと、安心したように笑う。

「鴻宵」

 馬の轡を取ってこちらの様子を眺めていた己凌が、口を開いた。

「総華はお前に任せる」

「は?」

 唐突な言葉に私が目を瞬くと、己凌は倒れている賊を視線で示した。

「こいつらは俺を追って来た」

 共にいればまた襲われる。

 そう言って、己凌は別離を申し出たのだ。

「でも……ここまで一緒に来たのに」

「お前にあれだけの腕があるとわかったからな」

 どうやら、非力に見える私と総華が二人で旅をする危険と追っ手がかかる可能性を秤にかけて、ここまで同行してきたらしい。

 私に総華を守る力があるなら、徒に危険を増やす必要は無い。

 だから立ち去ると、己凌は言うのだ。

「そんな……」

 眉を下げる総華に、己凌は安心させるように笑い掛ける。

「俺一人ならどうとでもなる。国境さえ越えてしまえば大丈夫だ」

 結局己凌は譲らず、私達は此処で別れることになった。

 己凌が馬に国境までの食料を積み、自らも鞍に跨る。

「じゃあな。しっかり守れよ」

 彼は私にそう言い残した。

「また会えるさ、きっと」

 片腕を上げて挨拶に代え、思い切り馬腹を蹴る。

 駆け出した馬上の影が振り返る事は無く、長身の背中は木々の向こうへ消えていった。

「……私達も行こう」

 己凌の背中が消えた方向から視線を引き剥がして、私は総華を促す。


 己凌がいなくなった事で、何となく寂寥感が漂っていた。

 名前以外何も知らない、でも確かに共に過ごした仲間。

 特に私は、己凌には随分重要な事を教わった気がする。

「また、会えるよね」

 総華が呟く。私は目を伏せた。

「会えるさ……きっと」

 己凌も口にしていた言葉。

 それは願望にも似て、私の心に澱のように沈殿していった。

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