夢魔
何事も無く、夜が明ける。
空が白み木々がゆっくりと色づき始める頃、己凌が目を開けた。
「馬鹿が……」
低い呟きに目を向けると、やけに暗い瞳が見えた。
「俺はもう迷ってはいない」
「己凌?」
よくわからない呟きに首を傾げると、己凌は私の耳に口を寄せた。
「鴻宵、近くに方士がいる」
「え……」
声を上げかけた私を目で制して、己凌は更に声を落として囁いた。
「気付かれずに探せるか」
私はとっさに近くにいた木精霊を捕まえた。不自然でない動きで予め切っておいた髪の毛の包みをこっそりと開け、一本を与える。
「近くに方士がいる。気付かれずに探してくれ」
そう囁いて放すと、精霊は私達が凭れている木に滑り込んだ。
さわりと木の葉が鳴る。それが周囲の木々に広がっていって、やがて私は一本の木の側で木精霊が跳ねるのを見た。
あそこか。
「捕らえるか」
「ああ」
小声で己凌に問えば、頷きが返ってくる。
「茂る木々、命の司。我に与し、我が敵を捕らえよ」
即席だが力を込めた言霊が、周囲の木々を震わす。木精霊達がわっと件の木に群がって、細い木の根が土から飛び出した。縄のようにうねって木の向こうで何かに絡みつくのがわかる。
「ぅわっ」
若い男の叫び声が聞こえた。己凌が素早く立ち上がって駆けていく。私も続いた。
木の向こうに潜んでいたのは、私と同じくらいの年頃の男だった。まだ少し幼さの残る顔で、私達をきっと睨み付ける。
「何しやがる!」
「それはこっちの台詞だな」
己凌が冷たく言って、剣を抜いた。
「夢を操るのか?随分質の悪い術だ」
その言葉に、私は瞠目した。
夢を、操る。
それじゃあ、私が見た悪夢は……
「……っ、効いてないわけじゃなかったのか!?なら、何で……」
男も、己凌の言葉に動揺を示した。己凌ははっと鼻で笑う。
「俺はこの餓鬼と違ってもう迷ってないからな」
……この餓鬼って私か。
相変わらずの口の悪さにむっとするが、それ以前に何の話なのか気にかかる。
「どういう事だ」
私が問うと、己凌はすいと剣を男の首筋に当てた。
「お前が見せた夢、お前は内容を知っているのか」
返答によっては切り捨てるという構え。だが男は動じずに嫌そうな顔をした。
「知らねぇよ。あんたが平気だって事はあんたには大した経験も悩みもねぇんだろ」
「つまり……」
男の負け惜しみじみた言葉には反応せず、己凌は目を細めた。
「お前は他人にとって最悪の経験や迷いを夢に見せるわけか」
なるほど、それで私はあんな夢を……
眉を寄せた私を見て、男はにやっと笑った。
「そっちの女みたいな奴には効いたみたいだな」
私は黙って己凌の手首を掴み、剣を下ろさせる。次の瞬間、男のこめかみに私の踵がめり込んでいた。
「ぐっ……」
「調子に乗るなよ雑魚が」
単純に、私は怒っていた。いきなりの行動に、己凌でさえ目を瞬いている。
「て、め……っ」
「言っとくが俺は貴様に容赦する気は無い。おとなしく質問に答えろ」
親切に前置きをする。
私は自分が悪い事はちゃんと罰を受けようとするが、相手が仕掛けてきた場合は十倍返しが基本だ。当然、あの悪夢によって味わった苦痛はきっちり熨斗を付けて返してやる。
「精霊を使った力じゃなさそうだな?どういう原理だ」
「はっ、誰が教えるかよ」
鼻で笑う男に私が手を出すより先に、脇腹に己凌の足が直撃していた。
「一応俺も被害者だ」
己凌もそれなりに怒っているという事らしい。
男は己凌は大した経験が無いから平気だったと言ったが、それは違うと思う。
目覚めた時のあの暗い瞳には、底知れぬ闇が見えたから。
「つ……っ、てめえら、慈悲ってもんはねぇのか!」
「あんな思いさせられといて相手にかける慈悲があると思うか?」
私が冷たく言い放つと、男は顔をひきつらせた。
「わ……わかった、話す!夢魔っていう妖魔の一種だ!」
「妖魔?」
私は眉を寄せた。それは橙で耳にした言葉だ。加護の無い橙にだけ存在する化け物だと、そう聞いた。
「そう。そいつと契約したんだよ、俺は」
「契約……?」
男は頷く。
「夢魔は俺の見る夢を食って、その代わり俺の敵に悪夢を見せてくれる」
男の話を聞いて、私は少し呆れた。
「……それって結構地味な攻撃だな」
「うるせぇ!昏じゃこの程度の妖魔しかいねぇんだよ!」
男が憤慨して叫ぶ。
「昏に妖魔が?橙にしか出ないんじゃないのか?」
私の問いに、男はふんと鼻を鳴らした。
「最近はいるのさ。小さくて弱い奴ばっかだけどな」
それは昏の守護である玄武の加護が弱まっている事を意味する。私は眉を寄せた。
玄武に何かあったのか……?
「で、お前は何で俺達を狙った?」
己凌が話を進める。
沃縁にでも雇われたのか。
緊張を高める私達に、男は怒鳴った。
「お前等俺の偵鳥を殺しただろ!」
あの鳥はこいつのだったのか。射落とした当人の己凌は、淡々と答えた。
「あれが俺達を見張っていたからだ」
「別に害意があったわけじゃねぇよ!」
男が主張する。
「でも凄い悪寒がしたぞ?」
私はあの感覚を思い出して首を傾げた。
確かにあれは殺気とは少し違う気はしたが…
「何故見張っていた?」
己凌が畳みかけると、男は目を泳がせた。
「か……可愛いなぁと……思って」
間。
ああ、こいつロリコンか。いや、年の差はそんなに大きくないか?
とりあえず、総華の保護者として釘は刺しとこう。
「総華はお前みたいな雑魚にはやらん」
あれ、これって何か父親っぽい?
私の発言に、男は暫しきょとんとしてから、むっとしたように叫んだ。
「違ぇ!餓鬼じゃなくてっ……」
ぐっと押し黙る男。己凌が深い深い溜息を吐いた。
「……お前が男で、しかもこんな性格悪いとは思わなかった」
その視線の先は、何度確認しても私。
とりあえず、再び男のこめかみに踵が入ったのは言うまでもない。
「とっとと失せろ」
私が拘束を解くと、男は舌を出して逃げて行った。何だったんだあの変質者。
「無駄な体力使った……」
「まったくだ」
げんなりする私に、己凌が頷く。
「しかもお前のせいで」
「なっ……あの鳥射落としたのはあんただろ!」
私が憤然と言うと、己凌はひょいと私の顎に手を掛けて上向かせた。
……身長差あるからって何て扱いだ!
「……この女顔」
「うるさいっ!」
ぎっと睨み付けて怒鳴る私に、己凌は笑った。からかうような雰囲気はあるが、珍しく意地の悪くない笑顔。
何となく、私も笑っていた。それを見た己凌がふっ、と笑みを収める。目を逸らして、軽く溜息を吐いた。
「本当、何で男かな……」
呟いた言葉は私には聞こえなくて。
聞き返そうとした時、木の陰からひょこっと総華が顔を出した。
「朝ご飯、出来てるよ?私をほったらかして何してたの?」
……すみませんでした。




