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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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悪夢

 翌朝、私達は馬を買って街を出た。

 総華は私の馬に一緒に乗っている。

 少し街道を歩いてから北に逸れ、山道に入った。

「随分山が多いんだな、この国は」

 私が言うと、己凌は頷いた。

「大陸の北方を走る山脈の大部分が昏の領土だからな」

 他の国では大抵だだっ広い平原を歩いていたから、山道が続く行程は新鮮だ。しかし馬術の初心者としてはかなり厳しいものがある。数刻も歩くと、私の神経はすっかり磨耗しきってしまった。かと言って、この程度で休憩していては先に進めない。

「鴻宵、疲れた?」

 前に座る総華が私の顔を覗き込む。私は苦笑を浮かべた。

 先を行っていた己凌が振り返る。彼は山道でも難なく馬を進めていた。それについていく為に細かい手綱さばきをしていた私は疲れ果ててしまったのだ。

「何をやってるんだ、お前」

 心底不思議そうに己凌が言う。私はむくれた。

「仕方ないだろ、慣れてないんだから」

「じゃなくて」

 呆れたような顔をすると、己凌は馬を私の隣に並べた。

「馬に歩かせればいいんだよ、こういう道は」

 こまめに手綱を操っていた私の手を視線で示す。

「そんな無駄な事しなくていい」

「無駄って……でも」

 山道を進むのは難しい。馬が道を逸れないように注意しなければならないんじゃないのか。

 困惑を見せる私に、己凌は深い溜息を吐いた。

「馬鹿かお前は」

 余計なお世話だ。

 こいつは本当にいちいち癇に障る。

「こっちが何かしなくても馬がわざわざ踏み外すわけないだろうが。行きたい方向だけ指示してやればそれでいいんだよ」

 ……言われてみればそうだ。

 私は肩の力を抜いてみた。ぽくぽくと歩いていく馬は、確かにちゃんと過たずに進む。

「そうそう。お前本当変なとこ馬鹿だな」


 二度も言った。

 二度も言ったよこの人!


 私がむっとしたところへ、頭上から風精霊のくすくすと笑う声が降ってきた。

「ばかー」

「ばかー」

「お前等……黙れこのピンポン球ども!」

 怒鳴りつけるときゃー、と言って飛んでいく。総華がいるから寄って来ないかと思えば時折ああして少し遠くから茶々を入れてくる。

「ぴん……?」

 うっかり日本語語彙を使った私を、己凌が怪訝そうな目で見た。

「精霊のあだ名みたいなものだ。気にするな」

 そう誤魔化して、私は会話を打ち切った。

 このペースなら国境まで約半月だと己凌は言った。そのくらいならまだ戦は始まらないだろうし、険しい道を抜ければもう少し速度を上げられる。とすれば、大体十日程で国境を越えられるだろうか。

 私がそう計算していた時、不意に何か嫌な感覚が背中を刺した。

 ぞくりと身を震わせた私を、総華が不思議そうに見る。


 何だ。

 何だ、この嫌な感じ。

 誰かに、見られてる……?


 私は思わず辺りを見回した。

 人影なんて無い。ただ一羽の鳥が、近くの枝から飛び立とうとして……


 何だ、あの鳥。

 妙な感じがする。


 そう思った瞬間、すぐ側で鋭く風を切る音がして、鳥が落ちた。

「な……」

「探りに来たな」

 己凌の言葉に振り返ると、彼の手の中には弓があった。彼が鳥を射落としたらしい。

「探りに……って、え?」

 混乱する私に、己凌は弓を鞍に掛けながら冷静な言葉を返す。

「あれは偵鳥。見たものを主人に報告する……方士が使役する鳥だ」

 急ぐぞ、と言って己凌は速度を速めた。私も慌てて馬に指示を出す。


 あれを飛ばしたのは沃縁だろうか。いや、でもあれを持っているなら畢で私達の罠に掛かるような事は無かったんじゃ……


 釈然としない思いを胸に、私は己凌の背中を追った。



 山中で夕暮れを迎える。当然、今夜は野宿だ。

「俺が起きて見張りをする」

 そう言う己凌に、私は眉を寄せた。

「徹夜はきついだろ。俺とあんたで交代すればいい」

 私の提案に、己凌は首を振る。

「そんなに柔じゃない」

「いざという時に寝不足じゃ困るんだよ」

 結局私がそれで押し通し、前半が己凌、後半が私という割り当てで決着が付いた。

「おやすみ」

 焚き火の側で総華が横になる。私もすぐそこの木に凭れた。

「ちゃんと起こせよ」

「わかったよ」

 目を閉じれば、すぐに眠りに引き込まれる。

 薪のはぜる音を耳にしながら、私は意識を沈ませていった。



 陽射しの中に立っている。

 辺りを見渡せば、そこが軍の中だという事が知れた。私は馬車の上に立っているのだ。遠くを望めば、同じように軍隊が進んでくる。

 白い旗が翻る。白軍だ。

「さぁ、朱宿」

 促す声に傍らを見れば、紅い髪をした男の姿。

「爾焔……」


 そうか、これは夢だ。


 わかっているのに、抜け出し方がわからない。

 そして私は、自分が片手を前に翳していることに気づいた。

「やめろ!」

 叫び声は声にならない。

 一瞬にして白軍は炎に包まれた。

 それを呆然と見ていた私は、次の瞬間、自分が白軍の中にいる事に気づいた。

 炎が地を舐めるように迫ってくる。兵士が悲鳴を上げて逃げ惑い……


 燃えた。


「え……?」

 目の前の光景が信じられない。

 炎が兵士達を飲み込み、燃やしていく。次々に断末魔の悲鳴を上げ、踊るように暴れ狂いながら燃え尽き、倒れていく。

「嘘……だ」

 呆然と呟いて口元を押さえる私の目の前に、炎が迫る。体中から火を噴いた兵士が、私の肩を掴んだ。

「お前……がっ……」

 ぼろぼろと、燃えた体が消し炭のように崩れ落ちる。


 こんなの、知らない。

 何だこれは。


「お前が……」

「お前が……っ」

 呪うように声を上げながら、兵士達が崩れていく。

 いつしか情景は街に変わり、家も店も人も、老人も女も子どもも……みんな燃えていた。

「お前、が……」

 小さな赤ん坊までが私を指さして……燃えていく。

「お前がやったんだ……」


 私は悲鳴を上げた。



「鴻宵!」

 肩を揺さぶられて、私ははっと目を開けた。目の前に己凌の顔がある。

「大丈夫か、随分魘されて……鴻宵?」

「違、う……」

 私は自分の体を抱き締めた。歯の根が合わない。さっき見た情景が、脳裏に焼き付いていた。


 誰もが燃えて。

 人が消し炭のように崩れていく。


「違う……殺してない……」

 精霊は言ったじゃないか。誰も死んでないって。

 でも。

「俺は……俺は殺してな……っ」

「鴻宵?鴻宵、落ち着け、しっかりしろ!」

 己凌が何か言っているけれど、頭に入らない。ただ体が馬鹿みたいに震えて、歯ががちがちと音を立てた。


 息が苦しい。

 苦しいから酸素を吸おうとするのに、吸っても吸っても苦しくなるばかりだ。


「鴻宵!ちっ……」

 己凌が舌打ちして、いきなり私の鼻と口を衣の袖で塞いだ。

 何をするんだ。殺す気か。

 暴れようとしたら抱きすくめるように動きを封じられる。呼吸を阻害されて苦しい筈なのに、段々楽になっていくのに気づいた。

 同時にすっと頭が冷めていく。


 ああ、あれだ。過換気症候群、だっけ。


 理解しておとなしくなった私の様子を見て、己凌が袖を外した。私の顔を覗き込む。

「大丈夫か?」

「ああ……悪い」

 何とか冷静になっても震えは収まらなくて、私は体を丸めた。

「己凌……」

 あの光景が頭から離れなくて、私は口を開いた。

「朱宿に殺されたのは、何人だ」

「は?」

 己凌が眉を寄せる。

「何を言っているんだ。誰も死んでない」

「……本当に?」

 今でも、人の燃える臭いが漂ってくるようだ。

「本当だ」

「嘘だ!」

 もう、信じられない。

「本当は何人も……何百人も死んだんだろ!?俺が殺し……っ」

 喚く私の口を、己凌が手で塞ぐ。厳しい目が私を見下ろしていた。

「大きな声を出すな。総華が起きるぞ」

 そう窘めてから、真剣な目で、諭すように言う。

「誰も死んでなどいない。どんな夢を見たか知らないが、お前も殺してないとさっき言っていただろう。思い出せ」


 そうだ。

 私は誰も殺してない筈だよ。


 ゆっくりと瞬きをした私の目から、涙が一粒こぼれた。

 あんな夢、見たこと無かったのに。

「落ち着いたか」

 己凌の問いかけに、私は頷いた。口を塞いでいた手が離れる。

「ごめん……」

 私は呟くように言った。

「よく見るのか、悪夢」

 己凌の問いに、私は首を振る。

「初めてだ」

 己凌は少し目を眇めた。

「……まあいい。見張りは出来そうか」

「ああ、大丈夫」

 どうやら交代の時間のようだ。

 私はもう一度謝って、己凌から離れようとした。しかし、己凌は私の隣に座って同じように木に凭れる。

「己凌?」

「肩貸せ」

 言葉少なに言って、己凌は私の肩に寄りかかると目を閉じた。いきなり何なんだと思った私だが、自分の体がまだ震えている事に気づく。

「己凌……」

 口は悪いくせに、案外気を利かせる奴だ。


 片側に己凌の体温を感じながら、私は周囲の木々を見詰めていた。


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