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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
53/76

対峙

 とりあえず当初の予定通りその日は街で過ごし、十分な物資を買い入れてから宿で休んだ。夕食は食べに行かず、宿の囲炉裏に鍋をかけて穀物を炊く。

「鴻宵、髪少し長いね」

 火の側で鍋を見ていた私に、総華がふと気づいたように言った。

 そういえばこちらに来てからまともに切っていないから、襟足が高い襟の中に入って鬱陶しい。摘み出して襟の外に放ると、そろそろ肩に届きそうだった。

「そういえば伸びたな……」

「邪魔でしょ?結んであげる!」

 総華が予備の髪紐を手に喜々として背後に回る。その行動の早さに苦笑する私をよそに、後ろ髪を纏めて首の後ろで括ってくれた。

「ありがとう」

 触ってみるとまだ少し短いのでちょこんと細い束が尻尾みたいに出ている状態だったが、邪魔にならないのはいい。

 私が礼を言うと、総華は嬉しそうに笑った。やはり女の子、といったところか。よく気がつく。

 

 ……見習うべきなのか?

 

「己凌の髪、綺麗ね」

 総華が、今度は己凌の側ににじり寄る。背中に落とされた長い髪の房を持ち上げた。己凌はひょいと片眉を上げる。

「男は髪を褒められてもあまり嬉しくないぞ」

 女は命だと言うが。

 己凌のささやかな苦情を気にした風も無く、総華は掌からさらさらと髪をこぼす。確かに、旅先で少し乱れてはいても綺麗な髪だった。

「いいじゃないか。素直に喜んでやれよ」

 鍋の蓋を開けて炊き具合を見ながら私がそう言うと、己凌は軽く眉を上げた。

「お前みたいに女顔ならともかくな……」

「……貴様」

 私は蓋を持ったままの手を震わせた。

 いっそのことこれをこのまま顔面に投げつけてやろうか。

 いや、女なんだから女顔なのは当たり前で気にする事でもないのだが、あからさまに喧嘩を売られればおもしろくないのは理の当然というもので。

「己凌、お前は飯抜きだ」

 現在鍋を管理しているのは私なのだ。

 因みに旅をする上で一食抜くのは案外きつい。さすがに慌てるかと思いきや、己凌は少し考えてから腰に提げていた小さな袋を探った。

「干し飯がある」

 

 ……こいつ、嫌いだ。

 

 

 ぱちぱちと薪のはぜる室内で、総華は既に眠っている。私は今日買った剣を鞘から抜き、手入れを始めた。

「なかなか良い剣だな」

 私が刃に拭いをかけていると、じっと見ていた己凌が言う。私はちらりと視線を返した。

「目はいいからな」

 いつぞや己凌に言われた事を皮肉に投げ返す。己凌は喉の奥で笑った。

 

 暫く無言で、手入れを続ける。

 己凌も何も言わず、背を壁に預けて座ったまま静かに炉ではぜる薪を見ていた。

 整え終えた刃を翳す。燭の火を映して一瞬きらりと光ったそれを丹念に確認すると、鞘に納めた。小さな金属音と共に輝きを隠したそれを脇に置き、何気なく総華に目を遣る。毛布を被って丸まった背中が、規則正しく上下している。

 

 危険に晒したくないな、と思った。

 

「……己凌」

 意を決して、私は気に掛かっていた事をぶつける。

「何から逃げている」

 低く言って己凌に目を向けると、彼はやけに静かな目でこちらを見ていた。

「なら、俺も訊こう」

 空気が、ぴんと張り詰める。

「お前は何故あんな場所にいた。あの方士は何者なんだ」

 お前は何者だ、とは訊かない、微妙な匙加減。

 それはきっと、己凌もその質問を受けたくないからだ。

「お互い、何も知らないままだったな」

 私は呟いて、炉に薪を放り込んだ。

 

 何も知らなかった。

 きっと互いに二人だけなら、知らないままでいただろう。たとえ相手が何者でも、危害を加えられようが加えられまいが、自分の身さえ守っていればいいのだから。

 しかし、今は違う。

 自分以外に、守るものがある。

 

「あの山賊はやけにしつこく俺を追って来た」

 己凌が先に答え始める。

「理由は知らないがな。奴らに襲われたお陰で連れともはぐれた」

 言いながら、眉を寄せた。たぶん、その連れがもう生きていないだろう事がわかっているのだろう。それだけ苛酷な追撃だったという事だ。

「あれだけ追って来たのなら、まだ追って来るかも知れない……あの性格悪そうな方士があれで引き下がるとは思えないしな」

 性格悪そうって、お前。

 苦笑しながらも、私は一応納得した事を示す為に頷いた。本当なら何故追われているかの方が重要だが、それはわからないと言っている以上、答えが返る事はないだろう。

 

 己凌の声に、言葉に、偽りは見えなかった。それで十分だ。

 

「俺があの場所にいたのは、偶然だよ」

 こればっかりは、そうとしか言いようがない。

「偶然?あんな山奥の、しかも崖の上に?」

 さすがに納得がいかないらしい己凌が眉を寄せる。私は一歩踏み込んだ事を言う事にした。そうでなければ、説明は出来ない。

 

 嘘はつけなかった。

 嘘を見抜かれた瞬間に斬られる。そういう緊張感が、この問答にはある。

 

「喚ばれたんだ」

「は?」

 唐突な言葉に疑問の声を上げる己凌を、私は真っ直ぐに見た。

「喚ばれた。何故あの場所だったのかはわからないが、俺は前にもこういう経験がある」

 別の場所で水に引き込まれて、気づいたら崖の上の泉だった、と私はざっと話した。

「信じる信じないは自由だ」

 私はそう言ってから、ふと口角を上げた。

「もっと信憑性のある作り話がお望みなら別だけどな」

 己凌は黙って、測るように私を見ていた。

「……信じよう。で、あの方士は」

「あいつとは白で会った」

 己凌の問いに答えながら、私は畢での出来事を思い出して苦々しい想いに満たされた。

「畢で盗賊騒ぎがあったのは知ってるか」

 私が問うと、己凌は頷いた。

「風の噂に聞いた」

「……その犯人が、あいつだ」

 私は畢の事件の推移を大まかに話した。但し政治的な絡みについては話さず、ただ私達が策を設けて沃縁の正体を暴いた事だけを簡潔に話す。

「逃げられてしまったのは俺の不注意だ。あんたには悪かった」

 そう私が結ぶと、己凌は暫し何かを考えるように視線を落とした。しかし、それは私に対する疑念ではなかったようで、目を上げた己凌は大きく息を吐いてそれまでの緊迫感を払った。

 

 疑問はまだ幾らでもあるが、これ以上は踏み込むべきじゃない。互いに害のある存在ではないと見極めただけで、十分だった。

 

 私は火の衰えてきた炉に目を遣り、薪を一本取って、炉の灰に埋もれてうとうとしている炎精霊をつつく。

 起きて仕事しろ。寒いんだから。

「最後に一つ……答えたくなければ答えなくてもいい」

 躊躇いがちに、己凌は口を開いた。寸時言葉を選ぶように視線を漂わせ、言葉を舌に乗せる。

 

「お前……朱宿か?」

 

 私の手から、薪が滑り落ちた。

 薪が灰の上に落ちるごく小さな音が空気を揺らす。

 

 声が、出ない。

 

「……そうか」

 固まってしまった私から、己凌は答えを読み取ったようだ。私は何も言えなかった。薪を取り落としたままの手を引き戻す事さえ、出来ない。

 

 どうしよう。

 震えが止まらない。

 目の前の炉で燃える火が、無限に広がっていくような錯覚さえ覚える。

 

「……鴻宵」

 動かない私を見かねてか、己凌が声をかける。

「責める気は無い。お前がやりたくてやったわけでない事はわかってる」

 違うよ。

 私は責められなきゃならない。私は確かにこの手で白を焼き払った。

 

 ああ、何て事だ。

 罪を背負ってでも生き抜こうと覚悟を決めた筈なのに、こんなにも怖い。

 知られる事が。

 怖い。

 責められる事も、赦される事すら。

 怖くて仕方がないんだ。

 

「鴻宵?」

 全く動こうとしない私にさすがに焦った様子で、己凌が壁から背を離す。私の側まで近づいて、肩に触れようとした。

「……な……」

「ん?」

 首を傾げて聞き返す己凌。私は渦巻く思いを吐き出した。

「赦すな……赦すなよっ」

 生きてすべき事の為に、生き抜くと決めた。

 でもそれは、赦される事とは別だ。赦されちゃいけない。この罪を赦されたら、私は沃縁のした事だって責められなくなる。同じになってしまう。

「俺は赦されちゃいけない……俺は……!」

「怖いのか」

 己凌の冷静な声が滑り込む。私は思わず顔を上げた。

「赦されるのが、怖いか」

 灰色の瞳に、見透かされるような気分になる。

「赦されてしまえば……そして自分で自分を赦してしまえば自分が良心を失うように思えて、怖い。違うか」

 違わ、ない。

 そう、だ。私は自分を赦さない事で、自分が良心ある人間だと……思いたい、だけだ。

「そういうの、何て言うか知ってるか」

 目の前の己凌の顔は無表情で、言葉は鋭く厳しいのに。

「偽善って言うんだよ」

 嫌悪や冷たさが感じられないのは何故だろう。

 目尻に溜まりかけた涙を押さえ込んで口を開こうとした私の眼前が、突然暗くなった。

「餓鬼だな」

 その声を生む振動が直に伝わった事で、抱き締められている事に気づく。背中を軽く叩く手が暖かくて、今度こそ泣きそうになった。

「もう暫く、そうして苦しめ」

 己凌は静かに言った。

「そのうちわかる」

 

 何がわかるのか、わかったらどうなるのか。

 

 己凌は何も言わず、ただ暫く私を腕に抱いていた。


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