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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
52/76

旅は道連れ

 翌朝目覚めると、己凌は既に起きて剣の手入れをしていた。なかなか綺麗な拵えの剣だ。恐らくかなり良い代物だろう。

「おはよう……」

「ああ」

 のそりと起き上がりながら挨拶した私に軽く返して、剣を鞘に納める。

 私は布団を畳み、身支度を始めた。と言っても、今の私に荷物は無い。

 街に着いたら買い物をしないと、と思いながら、私は裘を羽織った。

 

「それでは、どうか総華をよろしく」

 石氏が頭を下げ、路銀を差し出す。私はそれを受け取ると、傍らで俯いている総華の肩を叩いた。

 動きやすい旅装に大きめの裘を着て首巻をした総華が、名残惜しそうに三人を見上げる。

「元気でね」

 石氏の奥さんが、そっとお守りを渡した。

「碧に着いたら文を出します。気長に待っていて下さい」

 私はそう言うと、総華の手を握った。

「行こう」

 促して、歩き出す。繋いでいた馬を牽いてきた己凌が、私達の荷物を馬の背に乗せた。

「さすがに三人は無理だ。次の邑までは歩きだな。そこでもう一頭買おう」

 その言葉に、はたと私の足が止まる。

「……己凌」

 馬があれば確かに便利だが、大きな問題があった。

「……俺、馬乗れない」

 沈黙が落ちる。

 己凌が無言で荷物を馬から下ろした。

「己凌……?」

「乗れ」

 はい?

「乗れと言ってるんだ。次の邑までに乗れるようになれ!」

「ぇえ!?」

 いや、それって結構な無茶振りなんじゃ……

「つべこべ言うな!」

「わぁっ!?」

 いきなり己凌に担ぎ上げられ、鞍の上に放り投げる勢いで乗せられる。馬が驚いて暴れるのではないかとひやっとしたが、どうやら己凌が片手で手綱を押さえていたらしく、無事に跨る事が出来た。

「なんて無茶を……」

 抗議しようと目を向けると、驚いたような顔の己凌と目が合った。

「……鴻宵」

「何だよ」

 私が訊くと、己凌は眉をひそめた。

「お前軽すぎだ」

「放っとけ」

 仕方ないだろう、女なんだから、男みたいに筋肉がつくわけじゃないし。内心で呟いて、手綱を手に取る。何となく鬣を撫でてみたら、馬が軽く唸って首を振った。

 跨ったのはいいがどうすればいいのかと己凌に訊こうとした私は、馬の頭に木精霊が乗っかっているのに気が付いた。考えてみれば、木精霊は命を司る。動物の事も何とかしてくれるんじゃないだろうか。

 

 そう期待していた私は忘れていた。

 精霊達は私に馴染むあまり、時折質の悪いいたずらをしでかすのだ。

 

 私の視線を受けた木精霊は、興奮気味にぴょんと飛び跳ねた。

「はいよー」

「はいよー……?って、ぇええ!?」

 木精霊の掛け声に応えて、馬が猛然と走り出す。慌ててしがみつく私の耳に、己凌の怒声と総華の笑い声が届いた。

 

 

 疾走する馬の上で何とか木精霊を叱りつけて馬を止めさせた私は、追いついてきた己凌にこっぴどく叱られた。

「お前は何を考えているんだ!」

「俺がやったわけじゃないってば!」

 反発する私を見て、総華はころころと笑った。

「己凌、あまり怒らないであげて。あれは木精霊のいたずらよ」

 精霊が見える総華には、出来事の全貌が正確にわかっていたらしい。

「鴻宵、精霊にとても好かれてるのね」

 一頻り笑った総華は、ふっと表情に陰を落とした。

「……羨ましい」

 狐狼である総華の周りには、精霊が寄りつかない。

 少し離れていれば私の周りには精霊が来るが、それも総華に近づくと逃げてしまう。

「総華……」

 人間にも精霊にも否定されるなんて、どれほどの苦痛だろうか。

「……進もう」

 己凌の言葉に従って、私達は暗い空気を振り払った。

 

 

 邑に着く頃には、私はぐったりと鞍の上に伏せていた。

「疲れた……」

 己凌に手綱捌きや馬腹の締め方を教わり、かなり無茶なスピードで頭と体に叩き込んだのだ。疲れない方がおかしい。

「まあ一通りは乗れるようになったんだ、良かったじゃないか」

 対する己凌は涼しい顔だ。私はむすっとして馬を降りた。己凌が馬を牽いて城門に向かう。私も総華の手を引いて後に続き、城門を潜って街に入った。

「わぁ……!」

 街を見るのは初めてなのか、総華が目を輝かせる。私達は今日の残り半日をこの邑で過ごす事にして、馬を宿に預けた。

「まずは剣だな」

 街の活気を眺めながら、私は呟いた。やはり丸腰だと落ち着かない。いざという時にどうしようもなくなってしまう。

「子どもを武器屋に連れてく気か?」

「あら、私貴方達より年上よ?」

 渋い顔をした己凌に、総華がにこりと笑う。私は苦笑した。

「でも総華は己凌と別の所にいた方が……」

「嫌。鴻宵と一緒に行きたいの」

 そう言い切られてしまえば、私達の完敗だった。

 仕方なく三人で連れ立って武器屋に向かう。石氏が路銀をたっぷりくれたから、懐は豊かだ。

 

 武器屋に入り、掛けてある剣を手に取って品定めする。

 剣身は少し細めがいい。地金がしなやかで、切れ味が良く丈夫なもの。

 鞘から抜いて刃を改める私を、総華は興味深そうに見ていた。己凌は短剣を手に取って見ている。

「よし、これにしよう」

 私は気に入った剣を購入し、腰に提げた。久しぶりの重み。己凌を見ると、彼も細造りの短剣を買い入れていた。

「ほら」

「え?」

 己凌が買った短剣を総華に差し出す。総華は戸惑ったように短剣と己凌を交互に見た。

「持っておけ。いつも守れるとは限らないからな。自分の身は自分で護る心構えをしておけ」

 己凌が言うと、総華ははっとしたように頷き、短剣を受け取った。

 案外気の利く男だ。

「行くぞ。昼飯にしよう」

 

 手近な店に入り、昼食をとる。当然ながら総華にとっては初めての経験らしく、きょろきょろと辺りを見回している姿が微笑ましい。

「鴻宵、あれは何?」

 総華が店の隅にある樽を指さす。

 よりによってそれか。

 私は苦笑した。

「酒樽だな。総華にはまだ早いよ」

 いくら実際は百年以上生きていても見た目は十代前半だし、成長期を控えている。あながちおかしな言葉でもない筈だ。

「鴻宵にもまだ早そうだな」

 己凌がしれっと言う。暗に子ども扱いされた事に、私はむっとした。

「あんたに子ども扱いされる筋合いは無い」

 確かに己凌は私より年上のようだが、恐らく二十代前半だ。年の差は五、六歳の筈。子ども扱いされるほどには違わない。

「そう言う辺りが子どもだ」

 こいつどこまで人の神経を逆撫でするつもりだ。

 私は拳を震わせたが言い返す事も出来ず、総華の肩を軽く叩いた。

「総華、こういう大人にだけはなるなよ」

 総華は首を傾げると、ふふっと笑った。

「己凌は確かに意地悪ね。でもね」

 私と己凌の間を往復した視線が、私の目を真っ直ぐ捉える。

「鴻宵は私を子ども扱いするでしょ?鴻宵が己凌の歳になった時、私今の鴻宵より年上よ?」

 

 ……負けた。

 

 私は渋い顔をして黙り込む。正面では己凌が体を丸め肩を震わせていた。

 爆笑ですか。

 

 完全にやりこめられて脱力した私だったが、どこか新鮮なものを感じていた。これまで私はどちらかというと大人として扱われてきたから、こんな風にからかわれた事があまりない。

 ……いや、鴻耀には餓鬼扱いされたか。

 でも鴻耀は積極的に絡んでくるタイプじゃなかったしな。愛想は悪いけど己凌みたいに意地悪じゃないし。

「……いつまで笑ってるつもりだ」

 まだ肩を揺らしている己凌を軽く睨むと、彼はようやく深く息を吸って笑い止んだ。次に私は、総華に目を転じる。

「総華って案外いい性格してるよな」

 あんな育ちだから、てっきりおとなしい温室育ちかと思った。私の言葉に、己凌も頷く。

「その辺が年の功というやつか?」

「流石にお年寄り扱いはやめてね」

 総華がにっこり笑って釘を刺した。

 本当、いい性格してるよ。

 

 それから他愛もない雑談に興じながら私達が食事をしていると、いきなり大きな音を立てて扉を開けた男が中に駆け込んで来る。笑いさざめいていた客達が、一斉に静まり返って男に目を向けた。

「ありゃあ帖じゃねぇか」

「ああ、例の報せ屋の帖吟(ちょうぎん)か」

 私の背後に席を取った常連らしい客達が、小声で会話する。気になった私は少し椅子をずらして彼らに問いかけてみた。

「報せ屋って?」

「あぁ、兄さんは見るの初めてかい?」

 淵央の店で働いた時の経験から、こういう客達は気さくに話しかけると案外色々教えてくれると認識している。

 果たして、彼らは男に注目している他の客達の耳につかない程度の声で説明してくれた。

「あの帖吟って奴は飛脚屋でね。手紙を届けに方々飛び回る」

 帖吟と呼ばれた男を視界に入れながら、私は説明に耳を傾けた。帖吟は疾走してきたところらしく、店主に水を貰って飲み干している。飛脚と聞くと私などは日本の江戸時代のそれを思い浮かべてしまうが、彼は別に鉢巻もしていなければ着物の裾を絡げているわけでもなく、ただこの国にしては短めの上着を着て脚伴を着けている。

「当然、いろんな場所の情報に接するわけだ。そんな情報をああして自分の街に持ち帰って皆に報せるのが報せ屋さ」

 中規模の街の食堂にはたまに報せ屋が現れる店というのがあるらしい。偶然、私達はそれに遭遇したのだ。

 水を飲み干して一息吐いた報せ屋帖吟は、立ち上がってぐるりと店内を見渡すと声を張り上げた。

「今回の報せは大事だ。でかい戦があるかもしんねぇぞ」

 店内がざわめく。

 戦、という言葉に、誰もが固唾を飲んで彼の次の言葉を待った。

「白と同盟の約束を取り付けて帰国中だった碧の太子の一行が、紅の領内で殺された」

 ざわめきが大きくなった。

 己凌の肩が少し動く。

 

 碧の太子が殺された。

 それは確かに大事件だ。太子を殺されたとあっては、碧としても黙っているわけにはいかない。

 

「下手人は誰だい」

 帖吟の足下に銭を投げながら、誰かが問う。

「それはまだわかってねぇ。だが、白の親紅派か紅の手の者に違いねぇって噂だ」

 いずれも、碧と白の同盟が成立しては困る者達。でもそれらの存在は碧の太子だってわかっていた筈だ。

「何で明らかに危ない紅を通ったんだ」

 私が呟くと、近くの客が答えてくれた。

「そりゃ兄さん、どこだって危ねぇよ。昏とはいつも小競り合いしてるし、橙は碧が嫌いだ。通れやしねぇ」

「嫌い?」

 私が首を傾げると、客は少し声を落とした。

 やけに顔を近づけてくるが、そこまでしなくても聞こえると思うけど。

「兄さんは若いから知らないかもしれねぇがな、二十年ほど前に碧と橙は大戦をしたのさ。その戦で、橙の領土はかなり碧に取られちまった」

 戦を繰り返す、五国の歴史の爪痕。私は目を伏せた。

「その時に講和で差し出された人質ってのが……」

「鴻宵」

 客の話を遮るように私の名を呼んだのは己凌だった。

「出るぞ」

「いや、まだ話が……うわっ」

 問答無用に腕を掴んで立たされる。そのまま店の外に引きずり出された。勘定は総華に任せたようだ。

「いきなり何をするんだ」

 外へ出てからようやく解放された私が食ってかかると、己凌は半眼で私を見た。

「お前はもう少し警戒心を持て」

「はぁ?」

「下心満載だったね、あの人」

 私達の後から出てきた総華がそう言葉を添える。

「下心?」

 およそこの場にそぐわない言葉に私が眉を寄せると、己凌は盛大に溜息を吐いた。

「親切には裏がある事もあるだろう。あわよくばお前をどっかに連れ出そうとしてる顔だったぞ、あれは」

「はぁ?」

 連れ出してどうするんだ。

 あ、物取りか?仲間の所まで連れて行ってリンチにかけて財布を盗るとか。確かにそれは危ない。でも、そんなに柄が悪いようにも見えなかったんだけど……

 私がそう考えて微妙に納得しかけていた矢先、またもや己凌が溜息を吐いた。

「わかってないな、これは」

「やっぱり子どもな所があるのね」

 総華がしみじみと頷く。

 その言いようはかなり不本意なんですが。

「何なんだよ二人して」

 苛立ちを込めて言いながら思う。

 何故だろう、この二人を相手にするともの凄くペースが狂う。

「目当ては金じゃなくてお前だ」

 己凌がずけりと言って、さっさと歩き出した。私は暫時固まる。

「ちょ……どういう意味だ」

 混乱しながら慌てて追いかけた私を、己凌は呆れた目で一瞥した。

「そのままの意味だ。いくら男でもお前みたいに線が細くて小綺麗な奴は危ないんだよ」

 そのくらい認識してないのか、と言わんばかりの物言いに、顔がひきつる。

 確かにこれまでそれっぽい事は何度か言われたが、ここまではっきり言われたのは初めてな気がする。

「男でも……」

 女だったらもっと危ないだろうから男のふりをして良かったと喜ぶべきなのか、それとも男のふりをした甲斐が無かったと嘆くべきか。

「……そういうのって割と普通なのか」

 私が恐る恐る訊くと、己凌は軽く眉を寄せて暫し考えた。

「普通……というほどではないと思うが……珍しいわけでもないな。特に軍隊なんかではやはり多いようだ」

 左様で。

「何だよそれ……」

 私が軽く目眩を覚えていると、総華がくすりと笑う。

「頭固いのね、鴻宵」

 そういう問題か?

 というか頼むから総華はこういう話題に入って来ないでくれ。見た目十二、三の可憐な少女なんだから!平然とこういう事を言われると、なんか涙が出そうだ。

「この時勢、何でもありだ」

 己凌がその一言で片づけてしまった事で、私は溜息一つで話題を打ち切らざるを得なかった。

「それより、今日は一日ここに留まるが明日からは旅程を早めるぞ」

 幾分険しい雰囲気を眉宇に漂わせながら、己凌が話を切り替える。

「出来るだけ早めに国境を越えた方が良さそうだ」

 私は頷いた。

 先程の報せ屋がもたらした情報が脳裏に蘇る。

 戦が始まるとしたら、関所の通行が困難になるのは自明の理だ。手形は石氏が手配しておいてくれたが、身分も低ければ出自も定かでない私や総華が国境を越えられなくなる事態は十分にあり得た。

「明日の朝一で馬を買って発とう」

「ああ」

 私が返した言葉に同意すると、己凌は懐の路銀を確かめながら周囲の店に視線を走らせた。

「暫く邑に寄らずに裏道を駆けたい。食料を買い込んでおいた方がいいな」

「裏道?」

 総華が首を傾げる。己凌は頷きを返した。

「街道を飛ばせば目立つ」

 そう簡潔に説明して口を噤んだ己凌を、私は妙に思った。

 

 確かに街道で馬を疾走させれば目立つ。しかし、私達にそこまで急ぐ必要があるのか。馬に乗って早足で行くだけでも、かなり早く着ける筈だ。第一私は馬術に習熟していない。未熟な腕で馬を疾走させるという無謀さが必要なほどには、事態は急とは思えない。邑に寄らないと言ったのも気に掛かった。

 

 どうしてそんな逃避行みたいな行動をとらなくちゃならない?

 

 私は己凌の背中をじっと見据えた。

 嫌な話だが、畢での一件以来、私は人を疑う事を覚えてしまった。

 

 たとえ、相手が仲間でも。

 

「いくらなんでも俺にはそんなに速く走らせられない」

 馬術の問題を指摘した私に、己凌は振り返りもせずに言った。

「当然お前の腕の範囲内でいくさ」

 

 だったら、街道でいいだろう?

 

 胸中に湧いた問いを吐き出す事はせず、私は唇を引き結んだ。

 問いをぶつければ、この束の間の安穏を自ら壊してしまう気がして。

 

 何を考えているんだ、己凌。

 

 疑問を提示する理性と、もう裏切られたくないと叫ぶ感情の狭間で、私はただ拳を握り締めていた。


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