一夜の宿
民家の前に着いた私達は馬を降り、己凌が近くの木に馬を繋ぐ。それから、民家の戸を叩いた。
民家と言ってもそこそこ裕福らしく、結構大きな家だ。
「ごめんください」
「……はい」
扉を開けて顔を覗かせたのは、五十くらいのおばさんだった。己凌が手を組んで軽く礼をする。
「夜分に失礼。旅の者ですが、この辺りで日が暮れてしまったので、一晩泊めて頂きたい」
型通りに頼むと、おばさんは慣れているのかすぐに私達を中に入れてくれた。
「次の街まではまだ半日ほどかかりますからね。どうぞ休んで行って下さい」
「有り難うございます」
通された先は居間のような部屋で、そこにはおばさんの旦那と思われるおじさんと、たぶん息子だろう三十ほどの男がいた。
「おぉ、旅の人かね。ささ、座りなされ」
おじさんが手招きし、私達を席に着かせる。
この家の姓は、石というらしい。己凌がおじさんを石氏と呼んだので、私もそれに倣うことにする。
「粗末なものしかありませんが、どうぞ」
やがておばさん――やはり石氏の奥さんらしい――が食事を持ってきてくれた。
そこでふと気づく。家の大きさに対して、人が少ない。普通このくらいの家なら使用人が何人かいる筈なのに。
「己凌さんと鴻宵さんはどこへ向かっておられるのですか?」
人の良さそうな顔に笑みを乗せて、石氏の息子が訊いてくる。
「碧に」
己凌が簡潔に答えた。
私も初耳だ。碧と聞いて浮かぶのは、あの凛とした方士、春覇。あんな形で別れてしまったけれど、彼女は健勝だろうか。
「碧ですか……」
石氏が眉を下げた。
「あそこは良い国じゃと聞いております。人も素晴らしい。じゃが……」
溜息を吐いて、首を振る。
「覇姫様が狐狼をお側に置いておられるのは頂けませんな」
「え?」
私は目を瞬いた。
春覇の傍らにいた章軌の姿が脳裏に浮かぶ。
「罪人の狐狼を赦し、あまつさえ重要な地位を与えるなど……」
石氏が頭を振ると、息子も頷いた。
「全くです。天が与えた罪ですよ。生きているだけで感謝すべきです」
何で。
何でそんな風に言うんだ。
「そうですよねぇ。精霊も狐狼には寄りつかないと言うじゃないですか」
奥さんも会話に加わった。
私は食事に手を付ける気を無くし、手を膝の上で握り締めたまま座っている。隣の己凌も箸には手を伸ばさず、黙って三人を見ていた。
「大体が人殺しの罪で罰を受けているのでしょう。それを……」
もう、我慢ならなかった。
私はばっと立ち上がる。目を見開いて見上げてくる三人に向かって、震える唇を開いた。
「失礼します」
それだけ言って、踵を返す。
こんな家に泊まる気は、もう無かった。
「ま、待って下さい。どうなさったんですか!?」
石氏の息子が慌てて引き止める。腕を掴もうとした手を、私は鋭く払った。
「触れるな。あんたらみたいな人間と一緒にいたくない」
胸が、酷く痛む。
章軌の顔、橙の老人の顔、そして私が精霊を責めた時の春覇の顔がちらついて離れない。
「俺は狐狼について詳しいわけじゃない。でもあんたらだって何も知らないだろう」
言葉にしてしまえば、もう止まらなかった。
「何も知らずに勝手な事を言うな……!」
五百年も経って、本人達は関わっていない罪をその身に課せられ、蔑まれて……苦しくない筈がない。
「少なくとも俺が会った狐狼はそこらの人間よりずっと優しかった」
言葉の出ない石氏一家に背を向ける。
歩きだそうとした時、背後で己凌が立ち上がる気配がした。
「俺も失礼するよ」
飽くまでも静かに、己凌は言った。その声音には、静かだからこそ余計に冷え冷えとしたものが感じられた。
「野宿の方が余程ましなようだ」
足音が私に近づき隣に並んだ、己凌の手が私の背中を押す。足を進めようとした時、慌てて私達を呼び止めた石氏の息子が前に回り込んだ。
「退け」
「お待ち下さい!」
石氏と妻も走ってきた。
三人は顔を見合わせて大きく頷き合うと、いきなり私達の前に平伏する。
「申し訳ございません!ご無礼をお赦し下さい」
退く気配の無い三人を見て、己凌が半歩前に出る。剣の柄に手を掛けたのを見て、私はさすがに焦った。
それはまずいだろう。
「先程の暴言、皆心にも無い事でございます」
「え?」
石氏が言った言葉に、私は困惑する。
己凌も剣を抜こうとしていた手を止めた。
「失礼ながら、貴方方を試したのです」
「……試した?」
己凌が低く言う。どうやらこの男は、見た目以上に三人の暴言に怒っていたようだ。
「我が家に旅人が訪れる度、こうして試し……ようやく、狐狼を蔑まず思いやって下さる方に会えました」
しみじみと言う石氏の言葉に嘘は無さそうだ。己凌が剣の柄から手を離す。
「何故そんな事を……?」
私の問いに、石氏は顔を上げた。
「実は……克、お二人を総華の所へ」
答える代わりに息子に指示を出す。息子……石克は、立ち上がって私達を促し、廊下に出た。困惑しながらも、私と己凌は彼に続いて行く。
「狐狼を思いやって下さる方は本当に少ないのです」
先を歩きながら、石克は悲しげに言った。
「私達の暴言に同調してくる者、反論せずに聞き流す者……胸が張り裂けそうでした」
そう言って、目的地らしい奥まった部屋の前に立つ。
「総華、開けるよ」
「はぁい」
暗い廊下の奥に見合わない明るい声が返事をし、石克が扉を開けた。
「何、石克……あら、お客さん?」
「これは……」
中にいた人物を見て、私は目を瞠った。
そこに居たのは琥珀色の髪と瞳をした十二、三歳の少女。
その首と手首、それに足首にも、あの革の枷がはまっていた。
着物のようだが丈の短い服を着て、下にはスカートを穿いている彼女は、長い髪をふわりと揺らして首を傾げた。
「総華、やっとお前を預けられそうな方を見つけたよ」
石克が優しく言って、彼女の頭を撫でる。
「どういう事だ?」
己凌が説明を求めた。石克は総華の枷に触れる。
「この子は、我々一家が長らく保護してきた狐狼です。迫害に遭って家族は散り散りになったと聞きました」
石克の説明によれば、狐狼は人間の十倍の寿命を持つが、成長速度は独特なのだという。
最初の十年前後が第一次成長期で、人間で言うと十歳くらいの段階まで成長する。そこで成長が止まり、百歳辺りから第二次成長期が始まるのだという。
「総華は生まれて百三年。既に第二次成長期に入っています」
この見た目で百三歳。
私は思わず総華をまじまじと見つめてしまった。
第二次成長期はやはり十年ほどで、成人の姿になる。それからは人間よりずっと遅い速度で、緩やかに老いていくのだという。
「大人になる総華を、ここにこのまま閉じこめておくには忍びません」
しかし外に出せば人々の蔑みを受け、酷い目に遭う事はわかりきっている。だから、石氏一家は彼女を、差別が比較的少ない碧に行かせようとした。
「しかし私達は先祖代々のこの地を離れるわけにはいきません。父一人では畑も立ちゆきませんし……」
そこで彼らは、旅人に彼女を託し、守りながら碧まで送り届けてもらう事を考えた。
しかし、滅多な者には預けられない。狐狼を本当に思いやれる者を見極めなければ、何をされるかわからないのだ。
「それで、あんな……」
「ええ。お二人には大変失礼な事を致しました」
私は総華を見た。彼女は困ったように笑っている。
「石克、私はいいの」
そっと石克の手を握る。
「私はこの部屋から出られなくたって構わない。此処で十分幸せよ」
「総華……私達はお前をこの部屋で朽ちさせたくない。広い世界を見て欲しいんだよ」
石克が総華を説得する。
私の横で、己凌が溜息を吐いた。
「事情はわかった。だが碧だって桃源郷ではない」
やはり差別はあるのだと、己凌は念を押す。石克は頷いた。
「わかっています。でもせめて、日の下で暮らせるように」
総華が悲しそうな顔をした。離れたくないのだろう。
私はそんな総華と石克を見比べて、口を開く。
「後はその子の意思次第だな。無理に連れ出すのはごめんだ」
私が言うと、己凌は私を横目で見た。
「引き受けるつもりか」
「個人的に、狐狼には恩があるんだ」
橙の老人には、何も返せないままここまで来てしまった。直接の恩返しにはならないが、同族に少しでも手を差し伸べたい。
総華が私を見た。
澄んだ目だった。
「行きなさい、総華」
石克が促す。
「私達とはまた会えるよ。どうか私の願いを酌んでおくれ」
総華はもう反論せず、黙って俯いていた。
「あれを守りながら旅するのは楽な事ではないだろう。出来るのか」
あの後食事を頂き、湯浴みもさせて貰ってから案内された部屋で、己凌はそう言った。因みに私は石氏から貰った服に着替えている。己凌も新しい裘を貰っていた。
「やってみせるさ」
そう言って、私は炉に火を熾した。
やはりかなり冷え込んでいる。息が白い。
路銀は石氏が十分な額をくれると言っていたし、幸い寒い土地だから防寒具で総華の枷も隠せる。
「……随分自信があるんだな」
「覚悟と言ってくれ」
熾った火に手をかざして暖まりながら、私は壁に寄りかかって座る己凌を見た。馬上では距離が近すぎてあまり顔を見なかったが、こうしてよく見てみると己凌はなかなか端正な顔立ちをしていた。青みがかった長い黒髪を首の後ろで束ね、切れ長の目は灰色の瞳を有している。
「変な奴だ」
己凌が呟く。私は苦笑して、彼の前に手を伸ばした。
「何だ」
「小刀を貸してくれ」
私が言うと、怪訝そうな顔をしながらも渡してくれる。礼を言った私は、前髪の伸びすぎた部分を少し切り落として一摘みずつ纏め、幾つかの包みにする。何しろ、いちいち髪を抜いていると痛い。備えあれば憂い無しって言うし。
手元に来てつまみ食いしようとした精霊を指で弾く。食い逃げは禁止だ。
そんな作業をする私を見つめていた己凌は、ふと思い出したように口を開いた。
「お前が使役するのは水と風だったな」
今日の事を思い出してか、そう問いかけてくる。私は首を傾げた。
「まあ、水と風だけってわけじゃないけど。あと木は風と表裏一体なんだろう?この三つは相性が良いからよく使うかな。他も使えるけど」
何気なく言った言葉に、己凌が目を見開く。
「……それ、本気で言ってるのか」
「え?」
私が目を瞬かせると、己凌は目を眇めて私をじっと見た。
「媒体は持っていないな……何故だ?」
「は?」
意図が掴めない私に、己凌は鋭い目を向ける。
「媒体無しに使役出来る精霊は通常一種類。余程の天才で二種類だというのが常識だが」
私は愕然とした。
嘘だろ?
だって大抵の精霊は私の言うことを聞いてくれる。
そうか、だから畢の一件の時、沃縁は排除する精霊を水と木に絞ったのか。
「……媒体って?」
試しに聞いてみると、己凌は自分の剣から佩玉を外した。
緑色の、綺麗な珠だ。
「こういうものだ。方士が特定の精霊を強く宿らせたものだな」
私はその珠に触れてみた。指先から濃い木精霊の気配が伝わる。
よく似たものを、私は知っている。別れ際に鴻耀がくれた、あの佩玉だ。あれは土精霊の媒体だったわけだ。
あれも白で剣と一緒に取り上げられてしまったけれど。
「……これを持ってるって事は、あんたも木精霊を使役出来るのか」
私が問うと、己凌は首を横に振った。
「俺は方士ではないからな。護りとして身につけてるだけだ」
なるほど。
私が頷いて納得していると、己凌は呆れた顔をした。
「随分無知だな。どこの田舎から出てきたんだ、お前」
「うるさい」
相変わらず口の悪い奴だ。
むっとした私は、部屋の隅に寄ってさっさと布団を被った。背後で微かに笑う声がする。
「お前面白いな」
ぱち、と炭のはぜる音がその言葉に混じる。
「あの狐狼を連れて行くんだろう。……途中まで同行してやるよ」
やっぱり、私の腕を信用していない。
私は返事をせず、頭まで布団をひっかぶった。




