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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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一夜の宿

 民家の前に着いた私達は馬を降り、己凌が近くの木に馬を繋ぐ。それから、民家の戸を叩いた。

 民家と言ってもそこそこ裕福らしく、結構大きな家だ。

「ごめんください」

「……はい」

 扉を開けて顔を覗かせたのは、五十くらいのおばさんだった。己凌が手を組んで軽く礼をする。

「夜分に失礼。旅の者ですが、この辺りで日が暮れてしまったので、一晩泊めて頂きたい」

 型通りに頼むと、おばさんは慣れているのかすぐに私達を中に入れてくれた。

「次の街まではまだ半日ほどかかりますからね。どうぞ休んで行って下さい」

「有り難うございます」

 通された先は居間のような部屋で、そこにはおばさんの旦那と思われるおじさんと、たぶん息子だろう三十ほどの男がいた。

「おぉ、旅の人かね。ささ、座りなされ」

 おじさんが手招きし、私達を席に着かせる。

 この家の姓は、石というらしい。己凌がおじさんを石氏と呼んだので、私もそれに倣うことにする。

「粗末なものしかありませんが、どうぞ」

 やがておばさん――やはり石氏の奥さんらしい――が食事を持ってきてくれた。

 そこでふと気づく。家の大きさに対して、人が少ない。普通このくらいの家なら使用人が何人かいる筈なのに。

「己凌さんと鴻宵さんはどこへ向かっておられるのですか?」

 人の良さそうな顔に笑みを乗せて、石氏の息子が訊いてくる。

「碧に」

 己凌が簡潔に答えた。

 私も初耳だ。碧と聞いて浮かぶのは、あの凛とした方士、春覇。あんな形で別れてしまったけれど、彼女は健勝だろうか。

「碧ですか……」

 石氏が眉を下げた。

「あそこは良い国じゃと聞いております。人も素晴らしい。じゃが……」

 溜息を吐いて、首を振る。

「覇姫様が狐狼をお側に置いておられるのは頂けませんな」

「え?」

 私は目を瞬いた。

 春覇の傍らにいた章軌の姿が脳裏に浮かぶ。

「罪人の狐狼を赦し、あまつさえ重要な地位を与えるなど……」

 石氏が頭を振ると、息子も頷いた。

「全くです。天が与えた罪ですよ。生きているだけで感謝すべきです」

 

 何で。

 何でそんな風に言うんだ。

 

「そうですよねぇ。精霊も狐狼には寄りつかないと言うじゃないですか」

 奥さんも会話に加わった。

 私は食事に手を付ける気を無くし、手を膝の上で握り締めたまま座っている。隣の己凌も箸には手を伸ばさず、黙って三人を見ていた。

「大体が人殺しの罪で罰を受けているのでしょう。それを……」

 もう、我慢ならなかった。

 私はばっと立ち上がる。目を見開いて見上げてくる三人に向かって、震える唇を開いた。

「失礼します」

 それだけ言って、踵を返す。

 こんな家に泊まる気は、もう無かった。

「ま、待って下さい。どうなさったんですか!?」

 石氏の息子が慌てて引き止める。腕を掴もうとした手を、私は鋭く払った。

「触れるな。あんたらみたいな人間と一緒にいたくない」

 胸が、酷く痛む。

 章軌の顔、橙の老人の顔、そして私が精霊を責めた時の春覇の顔がちらついて離れない。

「俺は狐狼について詳しいわけじゃない。でもあんたらだって何も知らないだろう」

 言葉にしてしまえば、もう止まらなかった。

「何も知らずに勝手な事を言うな……!」

 五百年も経って、本人達は関わっていない罪をその身に課せられ、蔑まれて……苦しくない筈がない。

「少なくとも俺が会った狐狼はそこらの人間よりずっと優しかった」

 言葉の出ない石氏一家に背を向ける。

 歩きだそうとした時、背後で己凌が立ち上がる気配がした。

「俺も失礼するよ」

 飽くまでも静かに、己凌は言った。その声音には、静かだからこそ余計に冷え冷えとしたものが感じられた。

「野宿の方が余程ましなようだ」

 足音が私に近づき隣に並んだ、己凌の手が私の背中を押す。足を進めようとした時、慌てて私達を呼び止めた石氏の息子が前に回り込んだ。

「退け」

「お待ち下さい!」

 石氏と妻も走ってきた。

 三人は顔を見合わせて大きく頷き合うと、いきなり私達の前に平伏する。

「申し訳ございません!ご無礼をお赦し下さい」

 退く気配の無い三人を見て、己凌が半歩前に出る。剣の柄に手を掛けたのを見て、私はさすがに焦った。

 それはまずいだろう。

「先程の暴言、皆心にも無い事でございます」

「え?」

 石氏が言った言葉に、私は困惑する。

 己凌も剣を抜こうとしていた手を止めた。

「失礼ながら、貴方方を試したのです」

「……試した?」

 己凌が低く言う。どうやらこの男は、見た目以上に三人の暴言に怒っていたようだ。

「我が家に旅人が訪れる度、こうして試し……ようやく、狐狼を蔑まず思いやって下さる方に会えました」

 しみじみと言う石氏の言葉に嘘は無さそうだ。己凌が剣の柄から手を離す。

「何故そんな事を……?」

 私の問いに、石氏は顔を上げた。

「実は……克、お二人を総華の所へ」

 答える代わりに息子に指示を出す。息子……石克(せきこく)は、立ち上がって私達を促し、廊下に出た。困惑しながらも、私と己凌は彼に続いて行く。

「狐狼を思いやって下さる方は本当に少ないのです」

 先を歩きながら、石克は悲しげに言った。

「私達の暴言に同調してくる者、反論せずに聞き流す者……胸が張り裂けそうでした」

 そう言って、目的地らしい奥まった部屋の前に立つ。

総華(そうか)、開けるよ」

「はぁい」

 暗い廊下の奥に見合わない明るい声が返事をし、石克が扉を開けた。

「何、石克……あら、お客さん?」

「これは……」

 中にいた人物を見て、私は目を瞠った。

 

 そこに居たのは琥珀色の髪と瞳をした十二、三歳の少女。

 その首と手首、それに足首にも、あの革の枷がはまっていた。

 

 着物のようだが丈の短い服を着て、下にはスカートを穿いている彼女は、長い髪をふわりと揺らして首を傾げた。

「総華、やっとお前を預けられそうな方を見つけたよ」

 石克が優しく言って、彼女の頭を撫でる。

「どういう事だ?」

 己凌が説明を求めた。石克は総華の枷に触れる。

「この子は、我々一家が長らく保護してきた狐狼です。迫害に遭って家族は散り散りになったと聞きました」

 石克の説明によれば、狐狼は人間の十倍の寿命を持つが、成長速度は独特なのだという。

 最初の十年前後が第一次成長期で、人間で言うと十歳くらいの段階まで成長する。そこで成長が止まり、百歳辺りから第二次成長期が始まるのだという。

「総華は生まれて百三年。既に第二次成長期に入っています」

 

 この見た目で百三歳。

 

 私は思わず総華をまじまじと見つめてしまった。

 第二次成長期はやはり十年ほどで、成人の姿になる。それからは人間よりずっと遅い速度で、緩やかに老いていくのだという。

「大人になる総華を、ここにこのまま閉じこめておくには忍びません」

 しかし外に出せば人々の蔑みを受け、酷い目に遭う事はわかりきっている。だから、石氏一家は彼女を、差別が比較的少ない碧に行かせようとした。

「しかし私達は先祖代々のこの地を離れるわけにはいきません。父一人では畑も立ちゆきませんし……」

 そこで彼らは、旅人に彼女を託し、守りながら碧まで送り届けてもらう事を考えた。

 しかし、滅多な者には預けられない。狐狼を本当に思いやれる者を見極めなければ、何をされるかわからないのだ。

「それで、あんな……」

「ええ。お二人には大変失礼な事を致しました」

 私は総華を見た。彼女は困ったように笑っている。

「石克、私はいいの」

 そっと石克の手を握る。

「私はこの部屋から出られなくたって構わない。此処で十分幸せよ」

「総華……私達はお前をこの部屋で朽ちさせたくない。広い世界を見て欲しいんだよ」

 石克が総華を説得する。

 私の横で、己凌が溜息を吐いた。

「事情はわかった。だが碧だって桃源郷ではない」

 やはり差別はあるのだと、己凌は念を押す。石克は頷いた。

「わかっています。でもせめて、日の下で暮らせるように」

 総華が悲しそうな顔をした。離れたくないのだろう。

 私はそんな総華と石克を見比べて、口を開く。

「後はその子の意思次第だな。無理に連れ出すのはごめんだ」

 私が言うと、己凌は私を横目で見た。

「引き受けるつもりか」

「個人的に、狐狼には恩があるんだ」

 橙の老人には、何も返せないままここまで来てしまった。直接の恩返しにはならないが、同族に少しでも手を差し伸べたい。

 

 総華が私を見た。

 澄んだ目だった。

 

「行きなさい、総華」

 石克が促す。

「私達とはまた会えるよ。どうか私の願いを酌んでおくれ」

 総華はもう反論せず、黙って俯いていた。

 

 

「あれを守りながら旅するのは楽な事ではないだろう。出来るのか」

 あの後食事を頂き、湯浴みもさせて貰ってから案内された部屋で、己凌はそう言った。因みに私は石氏から貰った服に着替えている。己凌も新しい裘を貰っていた。

「やってみせるさ」

 そう言って、私は炉に火を熾した。

 やはりかなり冷え込んでいる。息が白い。

 路銀は石氏が十分な額をくれると言っていたし、幸い寒い土地だから防寒具で総華の枷も隠せる。

「……随分自信があるんだな」

「覚悟と言ってくれ」

 熾った火に手をかざして暖まりながら、私は壁に寄りかかって座る己凌を見た。馬上では距離が近すぎてあまり顔を見なかったが、こうしてよく見てみると己凌はなかなか端正な顔立ちをしていた。青みがかった長い黒髪を首の後ろで束ね、切れ長の目は灰色の瞳を有している。

「変な奴だ」

 己凌が呟く。私は苦笑して、彼の前に手を伸ばした。

「何だ」

「小刀を貸してくれ」

 私が言うと、怪訝そうな顔をしながらも渡してくれる。礼を言った私は、前髪の伸びすぎた部分を少し切り落として一摘みずつ纏め、幾つかの包みにする。何しろ、いちいち髪を抜いていると痛い。備えあれば憂い無しって言うし。

 手元に来てつまみ食いしようとした精霊を指で弾く。食い逃げは禁止だ。

 そんな作業をする私を見つめていた己凌は、ふと思い出したように口を開いた。

「お前が使役するのは水と風だったな」

 今日の事を思い出してか、そう問いかけてくる。私は首を傾げた。

「まあ、水と風だけってわけじゃないけど。あと木は風と表裏一体なんだろう?この三つは相性が良いからよく使うかな。他も使えるけど」

 何気なく言った言葉に、己凌が目を見開く。

「……それ、本気で言ってるのか」

「え?」

 私が目を瞬かせると、己凌は目を眇めて私をじっと見た。

「媒体は持っていないな……何故だ?」

「は?」

 意図が掴めない私に、己凌は鋭い目を向ける。

「媒体無しに使役出来る精霊は通常一種類。余程の天才で二種類だというのが常識だが」

 私は愕然とした。

 

 嘘だろ?

 だって大抵の精霊は私の言うことを聞いてくれる。

 

 そうか、だから畢の一件の時、沃縁は排除する精霊を水と木に絞ったのか。

 

「……媒体って?」

 試しに聞いてみると、己凌は自分の剣から佩玉を外した。

 緑色の、綺麗な珠だ。

「こういうものだ。方士が特定の精霊を強く宿らせたものだな」

 私はその珠に触れてみた。指先から濃い木精霊の気配が伝わる。

 よく似たものを、私は知っている。別れ際に鴻耀がくれた、あの佩玉だ。あれは土精霊の媒体だったわけだ。

 あれも白で剣と一緒に取り上げられてしまったけれど。

「……これを持ってるって事は、あんたも木精霊を使役出来るのか」

 私が問うと、己凌は首を横に振った。

「俺は方士ではないからな。護りとして身につけてるだけだ」

 なるほど。

 私が頷いて納得していると、己凌は呆れた顔をした。

「随分無知だな。どこの田舎から出てきたんだ、お前」

「うるさい」

 相変わらず口の悪い奴だ。

 むっとした私は、部屋の隅に寄ってさっさと布団を被った。背後で微かに笑う声がする。

「お前面白いな」

 ぱち、と炭のはぜる音がその言葉に混じる。

「あの狐狼を連れて行くんだろう。……途中まで同行してやるよ」

 

 やっぱり、私の腕を信用していない。

 

 私は返事をせず、頭まで布団をひっかぶった。


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