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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之陸 氷雪の国
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出逢い、逃走

「ぷ、はっ」

 水から這い出し、周囲を見渡す。どうやら此処は木々に囲まれた泉のようだ。中津の姿が無い事を確認して、安堵する。

 

 良かった。

 巻き込まれてあいつまで来てしまってたらどうしようかと思った。

 

 それにしても。

 

「寒っ」

 ぶるりと震える肩をさする。

 向こうが夏だった為に夏物の着物を着ている事と、水から出てきた事を差し引いても有り余るくらい寒かった。

 この世界ではあんまり季節感が無かったけど、これだけ寒いってことはひょっとして北に来たのだろうか。

 その辺にふよふよしている炎精霊を捕まえてちょっと暖を取りながら、私は今後の事を考えた。

 

 前回捕らえられた時に全部取られてしまった為に金が無いから、まずは誰かに衣服を恵んで貰うしかないな。

 良い人に出会えますように。

 柄にもなく祈りながら立ち上がる。

 やっぱり炎精霊一匹ではあまり大した暖房にはならない。寒すぎて歯の根が合わなくなってきた。

 とりあえず人里へ、と一歩踏み出した足が、沈んだ。

「え?」

 次の瞬間、木立を突き抜けて宙に浮く体。

 木々の向こうは崖だったのだと気づいた時には遅かった。

「うわぁっ!」

 真っ逆様に落ちていく。どうやら此処は山の中みたいで、崖の下は林になっていた。木の枝を折りながら落下した私は、目を瞑って衝撃に備えた。

 

 しかし、数瞬後に襲ったのは予想よりもずっと軽い感覚と温もり。

 恐る恐る目を開けた私の目の前に、眉を寄せた男の顔があった。

「何だお前」

 

 ですよね。

 

 どうやら私はたまたま下を通りかかったこの男の目の前に落ちたらしい。とっさに受け止めてくれた反射神経に感謝だ。

 とりあえず下ろして貰おうと思ったところで、そこが馬上である事に気づいた。

 

 生まれて初めて馬に乗った経験がこんなんでいいのか、自分。

 

「えと、ありがとう。助かっ……」

 礼を言い掛けた所で、後方から怒号が響く。男が舌打ちをして、思い切り馬腹を蹴った。

「わ!?」

 走り出した馬に驚いて身を捩ろうとするが、男の手がそれを阻む。

「悪いが下ろしてやる暇は無い」

 言っている側から、すぐ横を矢が飛んでいく。

「あんた追われてるのか!?」

「見ればわかるだろうが」

 いやそれはわかるよ。

 嫌でもわかるけど!

「何で追われてるんだ」

「山賊は旅人を見ると追いかけるものなんじゃないか?」

 ……山賊ですか。

「寧ろお前の方が意味不明だ。いきなり降って来やがって」

「……ちょっと道に迷ってうっかり」

 私にもわけわかんないよ。喚ぶにしてももうちょい場所を考えろと言いたい。

「驚いただろ?ごめん」

「ああ。間抜けな叫び声が聞こえなかったら斬るところだった」

 ……やめてくれてありがとう。

 男の腰にある剣に目をやって、私は顔をひきつらせた。

「それにしても変わった格好だな」

 逃走中だというのに妙に余裕のある男は、私を見下ろして言った。それは、まぁ洋服よりはこの世界の服に近いけれど、日本の着物だし。

「そういえばここ……っくしゅ」

 どこだ、と問おうとしてくしゃみに遮られた私はぶるりと身を震わせた。寒いのを忘れていた。よく見ると、男は毛皮の上着を着ている。

 寒い筈だよ。

 言葉を発しようとした私は、背後から飛んでくる短剣を見た。それに宿った金精霊の気配に、ぞくりと悪寒が走る。

「危ない!」

 私が叫ぶと同時に男は振り向いて、左手で逆手に抜いた剣で短剣を叩き落とす。

 逸れて落ちていく短剣が、弾けた。

「なっ……」

 無数に砕けた刃が男に向かって一斉に飛ぶ。私はとっさに水精霊に命じた。

「防げ!」

 対価の髪を切る暇も無く叫んだだけだったが、元より相性の良い水精霊は聴いてくれた。ざっと集まった水精霊が氷の壁を作り、刃と相殺する形で砕ける。

「……お前、方士か」

 男が呟いた。

 しかし私はそれよりも後方に現れた騎馬に意識がいく。

 

 この攻撃に使われた術を、私は知っていた。

 

「おや?いつの間にか一人増えてますね」

 そう言ったのは、やはり見知った顔。

「沃縁……」

「おや」

 呟いた私に視線を向けて、沃縁が微笑む。

「鴻宵さん……随分と奇遇ですね」

 暢気に言う沃縁に馬首を向け、私を抱えた男は右手に剣を持ち直した。その動作で、前に乗っている私の体が彼が剣を抜くのを妨げていた事に気づく。

「知り合いか?」

 私に向けた目は、冷静に観察するもの。

 敵か味方か、測っている。

「化かし合いをした仲ですよ」

 ね?と沃縁が笑う。私はその笑貌を睨みつけた。

「お前また盗賊を……」

「すみませんが鴻宵さん、私は今仕事中でして」

 笑顔のまま、沃縁は剣を抜いた。その背後に、山賊達が続々と追いついてくる。

 相手にするのは得策じゃないな。

「おい」

 私は小声で男に話しかけた。

「助けてやるからその上着くれないか」

 このままでは凍えそうだ。震えながら私が言うと、男は呆れた顔をした。

(かわごろも)くらいただでもやる。その格好では凍え死ぬぞ」

 そうは言ったが、男も状況に危機感は覚えているようだ。油断無く逃げ道を探っているのがわかる。

「……じゃあ交渉成立という事で」

 私は髪の毛を一本抜くと、風に乗せた。

 ……この方法は便利だけど、あまりやりすぎると禿げそうだ。

「足止めを」

 風精霊を呼び、命じる。

 途端に突風が起こり、竜巻と化して私達と山賊を隔てた。

「今だ、逃げるぞ」

「……ああ」

 男は頷いて馬首を返し、馬腹を蹴る。山賊達の目の届かない距離まで、一気に駆けた。山道だが、男の手綱さばきが上手いのか馬が優秀なのか、危なげなく疾走していく。

 暫く走って追手が来ないことを見て取ると、男は手綱を片手に持ったまま器用に剣を納め、馬の速度を緩めた。山道がやや平坦になったところで、放胆にも手綱を手離して裘を脱ぐ。

 下に着ているのは、襟の高い黒い衣服。私がこちらに飛ばされて最初に着たものと同じタイプだった。

「無茶するな」

 裘を私に被せながら再び手綱を握る男に、ひやりとした私は思わず苦言した。

 馬を走らせたまま手綱を離すなんて。

「無茶でも何でもない」

 さらっと言って、男は馬腹を蹴ると山中を駆け抜けた。

 

 

 山を越えて平地に出る頃には、すっかり暗くなっていた。男は馬の足を緩めさせる。

「さて、危地は脱したようだ。馬を降りてどこへでも行けと言いたいところだが……」

 男はそう言うと、私をじっと見た。

「……一度ならず二度までも命を救われた報いを裘一枚で済ませるわけにもいかないな」

 口が悪い割に案外義理堅いらしい。

 私は苦笑した。

「別にいい。俺も助けられたし」

 この男が受け止めてくれなかったら、死にはしなかっただろうが酷い怪我を負っていたかも知れない。

「……少なくとも服は一揃い購ってやる。昏でその服装は自殺行為だ」

「昏……」

 男の口から出た地名に目を瞬く。本当に北に来てしまったらしい。

 男は服装を口にしたが、私に何も問わなかった。この世界であまり見かけない服装が怪しくない筈は無いのに。

 

 ……まぁ怪しすぎて逆に安全と判断されてるのかも知れないけど。

 

「……じゃあ言葉に甘えて服と……それから剣も欲しい」

 やはり護身用に剣は必要だ。それだけあればどこかで働いて路銀を稼げる。路銀が貯まったら橙へ行って庵氏に雇って貰えば纏まった金が手に入る筈だ。そしたらまた旅に出ればいい。

 それに庵氏の所には函朔がいるかも知れない。助けようとしてくれた礼を、まだ言っていなかった。

 そんな思考を巡らせる私を、男は胡乱げに見やる。

「剣?使えるのか、そんな細腕で」

 失礼な奴だな!

「使えるさ。見くびるな」

「ふぅん……」

 あ、絶対信じてない。

 私はむっとしながらも、反論は喉の奥に留めた。男の剣に目を落とす。山中で短剣を払った身のこなしから見て、この男も相当剣が使える。

「悪いがこれはやれないぞ」

 私の視線に気づいた男が、剣の柄を叩く。

「別に欲しがってるわけじゃない。ただ、あんた腕が立ちそうだなと思って」

 私が言うと、男は目を瞬いた。それから軽く口角を上げる。

「へぇ……目は良いみたいだな」

『目は』って。

 あんたやっぱり私が剣を扱えると思ってないな。

「鴻宵……といったか?とりあえず、今夜はあの民家に泊めて貰うしかなさそうだな」

 沃縁が口にした私の名を覚えていたらしい男がそう言って、灯りの見える方に馬を進める。確かに、周りは疎らに木が生えているだけの平原で、その家の他には家も宿屋も無さそうだった。

「そういえばあんた、名前は?」

 名を呼ばれたことで、相手の名前を知らないことに気づく。まぁ出会い方が出会い方だったから、訊く余裕が無かったんだけど。

 

 男は一拍の間を置いて、答えた。

「……凌。己凌(きりょう)だ」


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