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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之伍 帰郷
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再び

 綺麗に敷かれている布団に寝転がり、ぼうっと天井を眺める。

 

 昨日今日と、色々な事があって、想像もしなかったような話を聞いた。

 あちらの世界に行った時には、これ以上常識外れの事なんて起こりようがないと思っていたのに、こちらに帰ってきたら帰って来たで、十分に不思議な目に遭っている。

 

 人に化ける樹木や動物もいるし。

 

 そういえば中津、この家の住人達を見ても動じてなかったな。

 相変わらず図太いというか何と言うか。

 

 そんな事を取りとめもなく考えていた私は、不意に室内に気配を感じて身を起こした。

 壁際の空気が揺らいだように見えて、人影が現れる。

「鋭いな」

 現れた人影は、身構えていた私を目にすると感心したように言った。とはいえ、その目つきは厳しいままだ。

「ええと……玄玲、さん?」

「別に呼び捨てて構わない。お前は朔夜の客人だ」

 そうですか。それにしても、ここの住人には壁なんてあって無いようなものなのか。

「私に何か?」

 玄玲がわざわざここへ来た理由が分からず首を傾げると、玄玲はじっと私を見つめてから口を開いた。

「……お前は、朔夜に少し似ている。これが、『向こう』の者の気配か」

 私などにはさっぱりだが、玄玲には神代や私がこちらの普通の人間と少し違うのがわかるらしい。因みにどの辺りが、と訊いてみたら、こちらとの縁が薄い、と言われた。

 余計にわからない。

「お前に、訊きたい」

 立っていた玄玲は、布団の上に座る私に合わせるように床に片膝をついた。近づいたことでふわりと漂った冷たい気配に、私は何となく水を連想する。間近に顔を寄せた玄玲は、誰かに聞かれるのを恐れるかのように声を潜めた。

「朔夜を救う手立てはないか」

 私は目を丸くして玄玲の顔を凝視した。その真剣な目を見て、唐突に理解する。

 

 冷徹に見えるけれども、少なくとも神代に対しては、玄玲の感情は決して凍てついてなどいない。こうして神代に気づかれないように相談に来るくらいには、神代の立場に心を痛めているということなんだろう。

 その情に気付かせない辺りが、このひとは春覇に似ているかもしれない。

 

 真剣な目を私に向けたまま、玄玲は小声で続けた。

「我々には何もしてやれない。わが父竜王を始め、どんなに高位の神であってもこちらの存在があちらに干渉することは不可能だ」

 今ちょっと聞き捨てならない事を聞いた気がするけれど、敢えて聞き捨てよう。

「だが私は朔夜に与えられた罰に承服できない。お前なら、あちらの存在であるお前なら、朔夜に何かしてやれるのではないか」

 切々と訴えられて、私は考え込んだ。

 私も、神代の受けている罰は重すぎると思う。私に、何か出来ることがあるのだろうか。あちらで生き抜くのが精いっぱいで、まだ女神を呼び戻すどころか戦乱を止める術も、妖魔に苦しむ橙の人々を救う術一つ持たない私に。

 

 まだ、何もできない。

 でも、いつか。

 

 そう決意して私が口を開こうとした時。

「よしなよ、玄玲」

 静かに窘める声と共に、部屋の障子が開いた。

 開けたのは、神代だ。

「朔夜……」

「こそこそしたって君の気配はすぐにわかるよ、玄玲。余計な事はよしてくれ」

 玄玲が俯く。

 神代は私に目を向けると、騒がせて悪かった、玄玲の言った事は忘れて欲しい、と淡々と言った。

「神代」

「これは俺の罪だ。俺が負うべきものに君達が手出しすることはない」

「神代!」

 無性に苛立ちを覚えて、私は神代を睨みつけるようにして言った。

「私は女神を連れ戻す。そして、お前が今どうなっているか彼女に伝える」

 神代が微かに目を見開いた。私の舌は止まらない。

「お前は自分の負うべき罪だと言うけど、本当にそうなのか。今あの世界の神である圭裳は、そんな罰望んでいないんじゃないのか」

 圭裳に会ったことなんてないし、彼女が何を考えているのかも分らない。

 でも、神代は言っていたじゃないか。

「燦葉は、悲しんでいたんだろう」

 神代の死を悲しんだ燦葉が、死よりも長く辛い罰を神代に与えたがるわけがない。

 たぶんそれは、圭裳も同じだ。

「誰も望まない罰に、何の意味がある」

 神代が息を飲むのが分かった。私は拳を固める。

「見ていろ、神代。お前の罰も、狐狼の枷も、そのままにはするもんか」

 高らかに宣言して、私は大きく息を吐いた。神代は暫くそのままの姿勢で固まっていたが、やがてくしゃりと笑った。

 

 眉の下がったその表情は泣き笑いにも似ていたけれど、多分、神代が心の底から浮かべた笑顔だったのだと思う。

 

 

 

 そして翌日、私と神代と中津は、約束通り縁日に来ていた。

 中津がはしゃいで金魚すくいをしたのはいいが、うっかり袂を水に浸してしまっていた。

 馬鹿だ。

「うわぁ、魚臭い……」

「金魚の水槽に浸かったんだから当たり前。それ神代の着物だろうが。ちゃんと洗って返せよ」

 濡れた袂を気にする中津をどつきながら私が言うと、神代はいいよ、と笑った。

「着物ならいくらでも縫ってくれるから」

 誰が、というのはもはや愚問な気がする。

 神代家の住人は一体何人……何体?居るんだ。

 そんな風に騒いだり笑ったりしながら練り歩いているうち、ふと目にした光景に、私は思わず足を止めた。

「あ……」

 雑踏の先。

 笑いさざめく人々の中に、見覚えのある人物が、居た。

「みき、と……」

 かわいらしい浴衣を着て、水風船を手に笑っているみき。その隣には、やはり楽しそうに笑う結城が居た。

 私の様子に気づいた神代が足を止める。数歩先を行っていた中津も引き返してきて私の視線の先を見た。

「ああ、あの二人……」

 そう呟いて、少しだけ言いにくそうにしながら、小さく言う。

「付き合いだしたんだよ。神凪が、居なくなってから」

「そう……」

 その幸せそうな光景から、私は視線を引きはがす。

 

 奇しくもみきの言った通り、私さえいなければうまくいっていたんだ。

 

 気まずそうな顔をしていた中津が、ぱっと表情を切り替えて私の肩を抱いた。

「わっ!?」

「よぅし、神凪、綿あめ食べよう、綿あめ!」

 屋台を目指して歩き出す中津に、神代も明るく言う。

「綿あめなら、そっちの屋台のが美味しいってさ」

「……誰が言ってたのかは、敢えて訊かないよ」

 冗談を交わしながら歩く。

 二人が敢えて雰囲気を明るくしてくれたのだと、嫌でもわかった。

「……うん」

 自嘲交じりの苦笑は押し込めて、私は彼らに合わせるように笑った。

 

 

 それから屋台で買い食いしたり遊んだりはしゃぐうちに気分は浮上して、私は久しぶりの、恐らく最後の縁日を、余すところなく楽しんだ。

「ありがとう、神代」

 喧噪に紛れるように呟いた言葉が、届いたかどうかはわからない。

 神代はただ、穏やかに笑っていた。

 

 

 

 満月が夜空に高く上る頃、私達は神代家に戻った。

「楽しかったぁ!」

「本当に目いっぱい楽しんでたな、中津は」

 子どものように笑って大きく伸びをする中津に、苦笑を向ける。中津の手に提げられたビニール袋の中では、金魚すくいで獲得した金魚が泳いでいる。

「そうだ、神代、これ池に放していい?」

 中津がそんな事を言い出し、神代が頷くのを見て嬉々として庭へ走ってゆく。

 

 人の家の池に遠慮のない。

 

 後を追うようにして庭へ向かうと、中津は既に池の縁でビニール袋を傾けていた。

「甲玄さん、食べちゃ駄目だよ」

「亀は金魚食べないと思うけど…」

 池を覗き込むようにして言う中津に突っ込みながら、私も中津の後ろから池を覗き込んだ。

 

 シャン。

 

 途端、耳に届いた音に、はっとする。

 この、音は。

 

 シャン。

 

 水面に映っていた私達の影が形を崩し、鬱蒼と茂った木々を象る。

 はっとして反射的に後ずさろうとした私の耳元で、神代の声がした。

「この池を使うとは、天帝も遠慮のない……神凪さん、一つだけ、聴いて」

 ぐっと水に引き込まれる感覚の中で、その声だけがやけに鮮明に聞こえた。

「俺の真名は(ぼう)……望月の望だよ」

 それを最後に、強く水面に引き寄せられる。

「神凪!」

 水に呑まれる直前、中津の慌てた声がして、腕を掴まれるのを感じた。

 

 馬鹿。来るな!

 

 ざばっ、と一瞬にして水が全身を包む。手の感触は消え、見回した水中に中津の姿は無い。

 ――おかえり。

 どこからか声が響き、急速に水面が近づいた。

 

 

 

 

 

 静まり返った庭で池のほとりに立ち、神代朔夜はさざ波一つ立てない水面を見下ろした。

「彼女が何か変えるのか、否か……俺は待つのみか」

 小さく独りごちて、月を見上げる。

「望、満月……俺には似つかわしくない名だ」

「だから、朔夜と名付けたのか」

 背後から聞こえた声に、朔夜は驚いた様子も無く頷いた。

「月の無い闇夜。その方が俺には似合いだろう?」

 振り向いた朔夜は、そこに立っていた玄玲ににこりと笑いかけた。玄玲は眉を顰め、小さく呟く。

「月は欠ければ満ちるものだ」

「どうかな。その答えは彼女が持っている」

 もう一度だけ池に視線を向けた朔夜は、冷えるから入ろう、と玄玲を促して屋内へ向かった。

「朔夜」

 縁側へ向かう昨夜の背中に、玄玲が声を掛ける。

「もう一人は、どうした」

 満月に照らされた庭には、朔夜と玄玲、二つの影しか無い。

 神凪灯宵が別の世界へ旅立ったというのなら、もう一人、中津誠一はどこへ行ったのか。

 その問いに、朔夜は小さく笑んだ。

「気付かなかったのかい?あれは――」


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