騒々しい屋敷
結論から言うと、神代の家は全く退屈しなかった。
「お嬢!暇ならわしとでーとせんか!」
「見た目坊主のくせに腥い発言すんじゃないわよ!」
懲りずに私の傍に寄ってきたあの僧形の男――本体は亀らしいけど――を、見た目は妙齢の美女だが狐の耳と尻尾を生やした女性が扇で張り倒す。
「わしは中身まで坊主になったつもりはない!」
「なら格好を換えるのね。そもそも亀の分際で主の客に手を触れないで頂戴。甲羅にカビ植え付けるわよ」
「この鬼女あぁ!」
あ、蹴られた。
「すみませんね、騒がしくて」
そう言って私を先導してくれるのは、見た目は普通の人間と変わらない青年だ。服装は随分昔風の……水干、っていうんだったかな?だけど。
「朔夜は今、がっこうとやらに行っています。貴方の事はきちんと仰せつかっておりますので」
「どうも、お世話になります……」
背後では、狐耳の女性と僧形の亀の喧嘩に、更に先日の狛犬達が加わって亀をいじめ倒している。
……ここには浦島太郎はいないようだから、頑張れ、亀。
といっても、あれは海亀か。ここにいるのは池の亀だし。
「どうかなさいました?」
「いえ、何でも」
くだらないことを考えていたとは言えず、さらりと誤魔化す。
「灯宵さんにはここの部屋をお使いいただくようにとの事です。何かご用があれば、私どもに……それから、これ、綾音」
青年が誰も居ない部屋に呼びかけると、どこからかふっと女の子が現れた。七五三みたいな赤い着物を着た、かわいらしい女の子だ。
「この邸に棲みついている座敷童子です。この子に言えば、屋敷内の者は誰でも呼べますので」
座敷童子は、紹介されるとちょこんとお辞儀をした。私も慌てて頭を下げ返す。もういいよ、と青年が言うと、毬を片手にどこかへ走って行くようにふっと消えた。
もはやこの邸で何が起こっても不思議に思わないでいられる気がする。
「申し遅れましたが、私は松影と申します。御用の際は何なりと」
すっと私の手を取って、青年――松影が顔を近づけてくる。
……あれ、物凄い好青年っぽい爽やかな様子だから気付かなかったけど、距離、近くない?
「ちょっと松影!あんたまで何やってんのよ!」
この手を振り払うべきかと地味に悩んでいた私の代わりに、駆けつけてきたさっきの狐耳の女性が松影の眼前に扇を突き付けてくれた。
「邪魔しないで下さいよ、玉藤さん。無粋だなあ」
「無粋も何もこの子には手出し無用よ!大体あんたやたら若づくりだけど爺でしょ!」
爺なんですか。
どう見ても二十代にしか見えないその顔をぽかんと見上げていた私に、松影がにこりと笑いかける。
「樹齢七百年です」
「今すぐ切り株にされたくなかったらその子の手を離しなさい!」
……木、なんですね。
そういえば、この邸の庭に立派な松の木があるのを見た覚えがあるような……
「乱暴ですね」
「お黙り!薪にして炉にくべるわよ!」
美人なその見た目に似合わぬ剣幕で松影を追い払った後、その女性はぐるりと私の方を振り向いた。さっきから怒っているところしか見ていないので、咄嗟に身構えてしまう。
「悪かったわね、五月蝿くして。一つ教えておくわ。この邸の男連中は大概碌でもない奴だから気をつけなさい。ああ、主は別だけど」
ふっと切れ長の目で私を見て、女性は開いていた扇をぱちりと閉じた。
「あたしは玉藤。あいつらに何かされたら言いなさい。あたしが制裁を下してやるから」
「は、はい……」
なんだろう、この人に逆らってはいけない気がする。
「若しくは容赦なく殴り飛ばしていいわよ。連中頑丈だから。ちょっとやそっとじゃ死にやしないわ」
そうですか……。
私は何となく、昨日来た時に狛犬に容赦なく蹴り飛ばされていた亀の姿を思い出した。
「それよりあんた」
「はい?」
顔を上げた私を、玉藤は値踏みするように眺めた。
「悪くないわね。ちょっとあたしの着物着てみない?」
「は?」
「おお、お嬢!!なんと麗しい!年増の玉藤が着るよりずっと可憐じゃ!!」
「黙んなさいこの亀坊主!」
玉藤さん、その呼び方なんか海坊主みたいで微妙。
と心中突っ込みを入れながら、私はひたすらに現実から逃避していた。
あの後玉藤に捕まった私は、玉藤のものらしき派手な着物を着せられ、薄くだが化粧までされる羽目になったのだ。しかも現在、居間でお披露目されている。
「あのう、玉藤さん。これ、襟抜きすぎじゃ……」
「いいのよそれで。あんた普段の色気が足りないんだから。うん、可愛いわよ。よくやったわあたし」
今さらっと酷い事を言われたような……!
「確かによくお似合いですよ。ところで、これから私とどこか二人きりになれる所に……」
「松影!!口説くんじゃない!」
さりげなく私の肩を抱こうとする松影に、玉藤の扇が飛ぶ。
「玉藤さん、悪い虫をつけたくないならこれは失敗だったのでは……」
相変わらず二人並んで立っていた狛犬のうち、女の子の方が口を開く。玉藤はふんと鼻を鳴らした。
「わかってるわよ。でも着せてみたかったのよ!黒坊!あんたその子の傍について番してなさい!」
玉藤が言うと、狛犬の男の子の方が一度ゆっくり目を瞬かせ、それから素直に私の隣に来てしゃがみこんだ。それを見て、狛犬の女の子、白は軽く首を傾げた。
「……黒も気に入ったようですけど」
「黒坊は無害でしょ。暫く虫よけに貸しときなさい」
酷い言い草だ、玉藤さん。
しかし慣れているのか、白はちらりと黒を見ただけで、一つ頷くと踵を返す。
「あれ、白どこに行くの」
「神社に戻ります。あまり長い間二人とも居ないのは、やはり気になるので」
丁寧に説明して一礼すると、白は犬の姿に戻って去って行った。
「……なんか、悪いね。黒も帰っていいんだよ?」
私が言うと、黒は小さく首を振った。相変わらず無言だが、とりあえずは自分の意志で傍にいてくれるらしい。
「ただいま」
そうこうしているうちに、玄関の方から声がした。
私はげっ、と声を漏らして玉藤の袖を掴む。
「玉藤さん!神代!神代帰ってきた!」
「呼び捨てでいいわよ。いいじゃない。主にも見せてやりなさいよ。あたしの力作なんだから」
嫌です!
「今すぐ着替える!私の服は?」
「竜胆が洗うってもってっちゃったわよ?」
えぇ!?
慌てふためく私をよそに、障子に人影が差した。
「おや、居間にいた……」
障子を開けた神代が、言いかけた言葉を不自然に止める。私はあぁっと顔を覆った。
「……玉藤だね?」
「そうよ。可愛いでしょ」
悪びれもせず、玉藤が肯定する。神代が苦笑する気配があった。
「いいけどさ。その状態でこの邸に置いとくのはちょっとばかり……」
「あかんわなあ」
その声は、私のすぐ後ろでした。
はっと振り返るより前に、腰に手を回されて抱えあげられる。
「うわっ!?」
「攫ってしまいたくなるやん」
跳ねあがった心臓を押さえながら首を回すと、そこに見えたのはつややかな長い黒髪だった。その向こうに、青年のものらしい整った横顔が見える。玉藤が息を飲む気配がした。
「蛟!あんた来てたの!?」
「来てたで。今さっきやけど」
訛った言葉づかいをするその男は、肩に担ぎあげた私をよいしょとばかりにずり上げた。
私は米俵か。
「今日来て良かったなあ。ええもん拾うたわぁ。ほな行こか、お嬢さん」
「って何処に!?」
ようやく私の口から言葉が出る。蛟と呼ばれた男は笑ったようだった。
「何処って、ええとこに決まってるやん?」
滅茶苦茶胡散臭い!!
私は逃れようともがいたが、びくともしない。見ると、さっきから黒が飛びつこうとしては片手であしらわれているし、あの玉藤が若干青ざめている。
どうやら、この蛟は結構強い「もの」らしい。これはまた厄介な。
「ほな、またなあ」
「ちょっ、待てこらっ!」
呑気に手なんか振りながら蛟が立ち去ろうとする。私は慌ててその背中を叩いた。蛟がすれ違おうとした神代が溜息を吐くのが視界に入る。
「――玄玲」
微かに、神代が呟くと同時。
蛟の鼻先に、幅広の刃を持つ青龍刀がつきつけられていた。
「この場で首と決別したいか、蛟?」
濡れたような黒髪を顔の横で束ねた女性が、冷徹な表情のまま蛟に問いかける。蛟が冷や汗をかくのがわかった。
「嫌やなあ、玄玲公主。ちょっとした冗談やん」
空笑いをしながら、大人しく私を床に下ろす。私は溜息を吐いて、乱れた裾を整えた。
「……何か、物騒なとこだね」
呆れたように零された聞き覚えのある声に、私はばっと顔を上げた。
「中津!?何でここに」
「神凪の様子見に来るかって神代が言うから……っていうか本当、随分可愛い格好だね」
へらりと笑う中津を殴り飛ばしたい衝動を必死にこらえる。
八つ当たりはよくない、うん。
「それで、蛟は何の用で来たんだ?」
神代が、まだ青龍刀を突き付けられたままだらだらと冷や汗を流している蛟に問いかける。
「と……特に用事は……遊びに?」
「そう。普段なら歓迎なんだが」
ちらりと背後の私を目で示して、神代は言った。
「今は客人が居てね。悪いが、また後日にしてくれないか」
「勿論です、朔夜さん!」
そのやり取りを確認して、女性が青龍刀を下ろす。蛟はよほどその女性が恐ろしいのか、すぐさま姿を消した。
「悪かったね神凪さん。どうもここに集まる連中は一癖あって……」
「……そのようで」
私は乾いた笑みを零した。
「玉藤、とりあえず松影と甲玄が落ち着かないようだから神凪さんを着替えさせて。俺の着物を貸してあげるから」
「はあい」
僅かに不満そうにしながらも、先程の騒ぎで懲りたのか、玉藤は私を促してその場を立ち去った。
二十分後。
居間のちゃぶ台を囲んで、私と神代、それに中津は座っていた。少し離れた所に、壁にもたれるようにしてさっきの女性が立っている。何だか私をじっと見ているようで、居心地が悪い。
「玄玲、あまり見つめると神凪さんが困ってる」
苦笑した神代が助け船を出してくれる。玄玲と呼ばれたその女性は、ちらりと神代を一瞥してまた私に視線を戻した。
「その娘は?お前が家に人間をあげるなど珍しい」
「彼女は神凪灯宵さん。俺のクラスメイト。こっちは同じくクラスメイトの中津誠一君」
制服から黒の着流しに着替えた神代が、扇子で私と中津を示す。
「詳しい説明は今は省かせてくれ。俺のお客さんだと思っておいてくれればいい」
神代がそう言うと、玄玲は黙った。
こちらとしては、玄玲の傍にずっと置いてあるその大ぶりの青龍刀が気になって仕方ないんですが。
明らかに本物でしょう、それ!
「紹介が遅れてすまなかったね。彼女は玄玲。今は俺の式神に近い役割をしてくれていると思っていいよ」
色々と引っかかる紹介だが、そちらの事情もそれなりにややこしそうな気配がしたので、とりあえず問わずにおく。少なくとも、玄玲が人間ではなく、それもこの邸に居る他の者達よりどうやら位が高そうだということはわかった。
「それにしてもいいとこに住んでるね」
沈黙が降りそうになった時、中津が話題をぶった切った。
さすがは空気を読まない男だ。その能天気さが時々羨ましい。
「今時こういう家ってなかなかないよね。買ったら高そう」
「別に金はかけていないよ。昔からここに住んでるから」
昔って何百年前なんだろうな。
「ふぅん……神代って、いつも着物なの?」
中津が、興味深げに神代の格好と私の姿を見比べる。私も神代の着物を借りているので、濃紺の気流し姿だ。
「まあ、大体は。この方が楽だからね」
「へぇ」
着物が物珍しいのか、中津が隣に座る私の袂を引っ張って眺める。
子どもか、こいつは。
「そうだ」
不意に、神代が手を打った。
「明日の晩は、確かすぐそこの神社で祭りがあるんじゃなかったかな。せっかくだから、三人で行ってみないか」
話題転換のきっかけと何がせっかくなのか全く分からない発言だが、私は敢えて突っ込まなかった。
神代が、私のこちらの世界での想い出を作ろうとしてくれているような気がしたからだ。
「……そういえば、小さい頃はよく行ったな、縁日」
昔を思い出し、私は小さく呟いた。
まだ両親が健在で、世の中の汚さも世知辛さも、何も知らなかった頃だ。ピンポン玉ほどの大きさの林檎飴が大好きで、祭りの縁日に行くたびに強請って買ってもらっていたのを覚えている。
「いいね。じゃあ、俺にも着物貸してよ。一人だけ洋服ってなんかはぶられたみたいでやだし」
中津がちゃぶ台に身を乗り出しながら言った。
そのはしゃぎ方はやっぱり、まるっきり子どもだ。
「構わないよ。着付けは松影にでもやってもらうといい」
「え、さっきの狐のお姉さんじゃないの」
「玉藤は神凪さんの係だから」
そこから、話題は他愛も無い方向に流れていき、日が暮れきった頃に中津は帰って行った。
「それじゃ、ゆっくり休みなよ」
玉藤達に世話を焼かれながら夕食と風呂を済ませて与えられた部屋に向かおうとする私に、神代はそう言って手を振った。その表情は、相変わらず優しげな微笑みのまま。
「……ありがとう」
他に言うべきことを思いつけず、私は礼だけ言って部屋へと向かった。




