永劫の罰
冷たいうちにどうぞ、と勧められた水ようかんに手をつけながら、私は神代の話を聞いた。
「俺は、天帝の罰を受けた人間なんだ」
その言葉に、私の脳裏には狐狼の枷が思い浮かんだ。
あれも、天帝の罰だ。しかし、神代は見た所何も変わった所の無い普通の人間に見えた。彼が受けた罰とは、一体何なんだろう。
「君は、生けとし生けるものに唯一等しく与えられた権利とは何だと思う?」
唯一平等な権利?
命あるものの……
「……死、とか?」
「……すぐにその答えが出てくるって女子高生としてどうなのさ」
どこか呆れたように溜息をつきながらも、神代は正解、と言った。
「命ある者必ず死ぬ。どんな苦しみも終わりがあるから耐えられる」
神にだって死はあるんだよ、と言って、神代は頬杖をついた。
「俺が受けた罰は、その唯一平等な権利を取り上げることだった」
「……え?」
目を瞬く私に、神代は薄く笑って見せた。
「どんな苦痛に苛まれようと、どれだけの悲しみに打ちひしがれようと……俺に終わりは訪れない。全ての絶望を背負っても永劫に生き続けろと、そういうことさ」
何でもないことのように、神代は言う。それが却って私の背筋を寒くした。
「ただ死ねないだけじゃない」
最初に会った時と何ら変わらない微笑を浮かべたまま、神代は恐ろしい言葉を紡いだ。
「何を食べても味がしない。夜になっても眠れない。痛みは感じるけれど、どんなに体が傷ついてもいずれ治る。特に苦しみを与えられるわけではないけれど、これが未来永劫続くんだ。狂うことすら許されない……真綿の拷問とでも言うべきかな」
「それ、は……」
私は言葉を失った。
きっとそれは、最も重い刑罰だ。神代が何を理由にそんな罰を受けるのかは知らない。けれど、それはあまりにも……
「まあ、俺がしたことはその罰に値するほどのことだったということなんだろうな」
何かを思い出すように、神代の目が遠くを見つめた。
「俺が甘かったんだ……あの時、俺は、自分が死んで、それで終われると思ってたんだから」
「神代……」
私はかける言葉を見つけられず、小さく名を呼んだ。
一体、何をしたのだろう?
何が、神代にここまで重い罰を背負わせた?
「あの時の俺は、多分まだ幼くて……結局、独り善がりだった。特に燦葉には悪い事をしたと思っているよ」
「え?」
どこかで聞いたような名を耳にして、私は目を丸くした。その様子を見た神代が、私の顔を覗き込む。
「『向こう』で、創世神話は聞いた?」
「少し、読んだ……」
答えながら、私は言葉が喉に張り付くような緊張感を覚えていた。
なんで、神代がその名前を?
それも、そんなに懐かしげに口にするということは……。
「どんな話になってるのか、聴かせてくれるかな」
私は一度喉を潤してから、記憶を手繰って口を開いた。
春覇に拾われた陣中で読んだ、あの歴史書にあった話だ。
「世界の始めは、混沌で……人はまだ理を……神を、知らなかった」
「うん」
静かに聞いている神代に採点されているような心地になってくる。
「邪な者が、自ら神になろうとして……それを、圭裳と燦葉の兄弟が討って、それで、圭裳は神に、燦葉は王になったって……」
「だいぶ端折ってないか?」
はは、と笑う神代に、私は、簡単な歴史書だったから、と小さく言った。
「もう少し詳しく教えてあげるよ」
神代はそう言うと、癖なのか、扇子をくるりと回した。
「ある人間が、世界に理が無いことに気づいて、自らその理をつくろうとした……要は、神になろうとした。その人間は、あの世界の半分くらいまでは支配しかけたんだ」
けれど、と、遠い眼をしたまま神代は語る。
「自分に従わない精霊達に遭遇して、神になる力を持っているのが自分だけではないことを知った……そこで、踏み誤ったんだ、その人間は」
神代の目に、悔恨がにじんだ気がした。
「生れてこの方幸せなど知らずに、ほんの少し感じられた幸せの中で暮らす機会も投げ出してまでここまできたのに、世界は裏切るのか。……そう、思ってしまったんだな。子どもだったから」
私は何も口を挟めなかった。
神代、その子どもは……
「その人間は、従わない精霊を消した。……そして、圭裳も消そうとした」
神代の口元に、笑みが浮かんだ。
「些細な幸せを教えてくれたのは、他ならぬあの姉弟だったのにな」
結果、と続けて、神代は扇子を袂に仕舞うような仕草をし、自分が着物を着ていないことに気づいて苦笑交じりにそれをちゃぶ台に置いた。
「そいつは燦葉と戦い……負けた。そして死んだ……筈だった」
当時を思い出してか、神代の掌が置かれたのは、胸の中心部だった。そこに傷を受けたのなら、明らかに致命傷だ。その人生は間違いなく、そこで終わったに違いない。
天帝の罰を受けさえしなければ。
「最後の瞬間……燦葉の方が、余程泣きそうな顔をしていたよ」
小さく呟いて、神代は口を閉じた。
暫時、沈黙が降りる。
「……それで」
破ったのは、私だった。
「それから、何百……いや、何千年も、或いはもっと……そうして、生きてきたのか」
「うん」
神代はもうぼかした言い方はせず、己の事として返事をした。
「……あんまりだ」
そんな言葉が零れた。
「あんまりだ……その罰は、重すぎる」
「俺は、そうは思わないよ」
神代は静かに言う。しかしその態度こそが、罰が重すぎる証拠に他ならないんじゃないかと、私は思う。
だって、神代は悔いている。
さっき話している最中に見せた表情は、紛れも無い後悔と罪悪感を映していた。
もう、十分じゃないか。
「狐狼のことだって、そう……なんで、天帝の罰はあんなにも重いんだ……」
「狐狼?」
私の呟きに、神代が反応する。
「あいつ……じゃないだろうね、あいつの子孫か。何かやったのかい」
私はぽつりぽつりと、五百年前にあったらしい事件の事を話した。それ以来圭裳が霊山に籠ってしまっていることも、現在の大陸の状況も、問われるままに話して聞かせる。神代はそれらの情報を聴いて、何やら考え込んでいるようだった。
「そう、か……君も色々、大変な思いをしたようだね」
「私は、何も」
神代の感想に、私は首を振った。
私は何もできていない。ただ、あの世界を掻きまわしてきただけだ。
俯く私の肩に、いつの間にか隣に来ていた神代が腕を回した。
「か……」
「しっ」
身を強張らせる私を宥めるように肩を叩いて、神代は私を抱き寄せた。扇子を手に取り、私の額に軽く当てる。
「加護よあれ、天帝の愛娘。願わくはその身に幸あらんことを」
聞き慣れない言葉……恐らくはあちらの世界の古い言葉で小さく何か呟くと、そっと私の額に息を吹きかける。そこから何か温かいものが流れ込むような感覚があって、わけも無く泣きたくなった。
「いいかい、よく聴きなさい」
寄り添ったまま、神代が静かな声で言う。
「君はあちらの世界の人間だ。だからこちらでは誰もが君を忘れた……昼間の彼は、君に特別思い入れが深かったから顔を見て思いだしたようだけど……もう、こちらでは君の存在は消えかかっている」
薄々感づいていた事実を突き付けられて、私は俯いた。思わず知らず、神代のシャツを掴む手に力が籠る。
「君はまた呼ばれるはずだ。そしてもうこちらに帰る事は無い」
覚悟を決めておきなさい、と言われて、私は思わず顔を上げた。それは、この世界で過ごした、これまでの私の十五年間との訣別を意味している。
同時に、神代をこちらに残していくことも。
「心配ないよ」
ふっと笑って、神代は私の頭を撫でた。
「今、軽い呪いを掛けておいたから。君はそう簡単に死なないし、きっとうまくいく」
そうじゃない。
そういうことじゃないんだ。
私は、複雑にざわめく内心を押さえこむように神代のシャツを握った。
「神代は……」
「うん?」
「神代は、どうなる?ずっと、このまま、この世界で、罰を受け続けるの?」
私の問いに、神代は穏やかに笑った。
「そうだよ。それが俺の罪だ」
「でも……!」
言い募ろうとした私の顔の前に、神代が閉じた扇子を立てた。
「君は自分の事だけ心配していればいい。何なら、俺があちらへ送ってあげる」
だけど、と、神代は表情を和らげた。
「今すぐ行けというのも酷な話だろう?多分数日はこちらに居られるだろうから……こちらでしておきたいことはしておきなさい」
私は何も言えなくなった。
小さな声で、ありがとう、と告げるのが精いっぱいだった。
気がつくと、庭に西日が差していた。結構長い間話しこんでいたらしい。
「今、中津君の家にいるんだろう?何日も泊まるのがあれなら、ここに泊まってもいいよ」
そろそろ帰ると申し出た私に、神代がさらりと言う。
本当にこいつ、何で何もかもお見通しなんだ。
「見ての通り空き部屋はいくらでもあるし、世話してくれるものもたくさんいるからね」
世話してくれる「人」ではないところが重要なポイントだと思いますが。
とはいえ、家族の居る中津の家に何日も泊まるのが気まずいのは間違いないところで。
「……それじゃあ、明日からこっちにお世話になるよ」
私がそう言うと、神代はにこりと笑った。
神代はずっと穏やかな表情をしているけれど、それはひょっとしたら長い年月のうちに感情が麻痺してしまったからかも知れないな、と、恐ろしいようなことを思った。
いや、でも、あの亀とは普通に言い合いしてたし。
ああいう仲間達がいる間は、大丈夫だと思いたい。
中津の家に帰りつくと、ちょうど夕飯の時間だった。中津のお母さんお手製の料理をごちそうになり、昨日今日とお世話になったことのお礼を言うと、いいのよ、と豪快に笑い飛ばされた。
さすがは放任一家。
「明日からはよそに行くから。世話になった」
夕食後、部屋に戻ってから中津にそう言うと、中津は驚いたようにこちらを見た。
「よそって、どこに?」
「神代の所」
服は洗って返すよ、と言う私に、中津は何だか渋い顔をしていた。
「神代って、神代朔夜?あいつに会ったの?」
「うん」
色々と話をしたが、その内容は中津には言えないことなので適当に流す。どういう経緯で知り合ったのか突っ込まれるかと思ったが、中津は特に追及はせずに何か考え込んでいた。
そう言えば、神代は以前からうちのクラスにいたことになっていたんだっけ。
神代に訊き忘れていたけど、何で中津だけが私を覚えていたんだろう?宗也の様子からみて、単に親しかったからというだけなら忘れてしまいそうに思えるけど……
「で、何であいつの所に泊まるって話になるわけ?」
「だって神代の家広いし」
何かよくわからない住人がたくさんいるようだけれども。
「中津の家族に何日も迷惑かけられないから」
「……気にしなくていいのに」
そうぼやきながらも、中津は無理に止めようとはしなかった。
中津なりに神代の事は信用しているのかもしれない。
そうして翌日から、私は神代の邸で寝起きすることになった。




