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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之伍 帰郷
46/76

邂逅

 その晩は中津の部屋に泊めて貰い、翌日中津の服を借りて外出してみた。

 強い陽射しが照りつける中、蝉の声を聞きながらあてもなく歩く。

 

 向こうから戻ってきた私は当然無一文で、出かけると言ったら中津が幾ばくかの金を貸してくれた。しかし人工的な冷気に溢れている店に入る気にもなれず、私の足は自然に人の少ない方へと向かっていた。

 比較的古いのだろう、民家の塀が立ち並ぶ小道に入る。時折塀からはみ出した木々の葉が私の体を撫でた。

 

 木の葉に触れる。でも、木精霊がいない。

 地面を見下ろしても、土精霊もいない。

 風精霊が漂ってこない。

 

 寂しい、世界だ。

 

 何となくそう思ってしまった。

 そんな自分に苦笑して、足を進める。

 この世界が本来の居場所の筈なのに、溶け込めない。自分だけが異質という感じが、拭えない。

 

 静かに足を止めて、空を仰いだ。

 

 空の色は、こんなにくすんでいただろうか。

 

 

 

 大学の友人と話しながら家路を歩いていた宗也は、ふと目に入った人影に足を止めた。古い雰囲気の漂う路地に佇み、ぼうっと空を仰いでいる人物。

「どうした?兼谷」

「あ、いや……あの子、どこかで……」

 宗也は首をひねり、記憶を探る。

 佇む人影は、服装は少年のようだが、少女かも知れないと思えるくらいに華奢で、綺麗な顔立ちをしていた。その横顔を遠目に見詰めていた宗也は、不意に記憶の底から浮かび上がった人物に、息を止める。

 

 何で、今まで忘れていた?

 

 不思議に思う暇も無く、宗也は駈け出していた。

「あ、おい、兼谷!?」

「悪い、先帰って!」

 振り返らずに背中越しに言葉を投げて、一心にその少女を目指す。

 そう、少女だ。

 今年の春まで一つ屋根の下で暮らしていた。

 

「灯宵!」

 

 ついさっきまで何故か忘れていた、従妹の名前を呼んで、宗也はその少女の腕を掴んだ。

 

 

 

 不意に名前を呼ばれたと思ったら、強い力で腕を掴まれる。突然のことに驚いて目を瞠る私の前に、見慣れた顔があった。

「宗、也……」

「灯宵、お前……」

 走ってきたのか、肩で息をしている。私は頭の整理がつかずに、目を瞬くばかりだった。

 宗也は、私の事を覚えてる?

「灯宵、今までどこ行ってたんだ!」

 いきなり怒鳴られて、びくりと肩を揺らす。思わず手を振りほどこうとすると、はっとしたように握り直された。

「悪い……逃げないでくれ。怒鳴って悪かった」

 慌てて謝るその様子に、私は肩の力を抜いた。

 宗也だ。間違いなく、あの宗也だ。

「でも、本当に一体どこに……っていうか俺は何で今まで忘れて……あ、いや」

 宗也も宗也で、混乱しているらしい。その独り言ともつかない呟きから、宗也も私の事を忘れていたことがわかる。

 私の姿を見て思い出した、という事なんだろうか。

「とにかく、その……戻って、来いよ」

 縋るように、私の腕を両手で掴んで、宗也は言った。

「何処に行ってたのか知らないけど……訊かれたくないなら、俺は訊かないから」

 真っすぐに、見つめられる。

「俺、下宿始めたんだ。だから家に戻りたくないなら……あ、その、この前は……ちょっとからかうつもりがやりすぎて……ごめん。別に、そんな、何も……大丈夫だから」

 私が家を飛び出した時の事を思い出してしどろもどろになりながらも、宗也はそう言ってくれた。

 私も、タイミングがタイミングだったから、過剰に反応してしまったのかも知れない。

 

 宗也のところに帰って、皆に会えば、皆私を思い出してくれるんだろうか?居場所ができるんだろうか?

 

 微かな希望が、私を誘う。

 思わず頷きかけた、その時。

 

「そこまで」

 

 いきなり割り込んできた人影が、私の手をとっていた宗也の手を掴んだ。宗也が驚いて手を離し、私も身を引く。

 見知らぬ男だった。私の通っていた高校の制服を着ている。

「なん――」

「いけないよ。世の(ことわり)の中に戻りなさい」

 こちらの抗議も聞かずに突然そんな事を言うと、宗也の額に指を当てた。

「ちょっと――?」

 私がそいつの肩を掴んだ時。

「……あれ?」

 宗也が首を傾げた。

「俺、何…を…」

「大丈夫ですか?何だかふらふらしてらっしゃいましたよ。熱中症ですかね?」

 何食わぬ顔で、そいつは宗也に言う。宗也は首をひねって額に手を当てた。

「そんなに暑かった覚えは無いんだけどな……ごめん、ありがとう、もう大丈夫だよ」

「気を付けてくださいね」

 何、これ?

 まるでさっきのことが何もなかったかのように交わされる会話。私のことも忘れたように、宗也が立ち去ろうとする。

「ちょっ……」

 声をかけようとした私を、その男子生徒が止めた。宗也が振り返る。

「何?」

「いえ、何でもありませんよ」

 如才なくそいつが言うと、宗也は、そう、と言って私を見た。

「彼女?可愛いね」

 ……え?

「いや、そんなのじゃないですよ」

 にこやかに言葉を返しながら、そいつは私の手を離さない。

 まるで、今は大人しく話を合わせていろとでも言うように。

「じゃあ、迷惑かけたね」

「いえ、お大事に」

 何事も無かったかのように、宗也は去って行った。そこでようやく、そいつは私の手を離す。私は不信感満載の目でそいつを見た。

「今の、何?あんたは誰?」

 問いかけると、そいつはゆるやかに目を細めた。

「あれ?酷いな、神凪さん。神代だよ。神代朔夜(かみしろさくや)。クラスに居ただろう?」

 私はじっとそいつの顔を見つめる。線の細い感じの、どちらかと言えば綺麗な感じの顔立ち。微かに微笑んだまま、私の答えを待っている。

「……いなかった」

 すこしだけ考えてから、私は確答した。

 男女混合の出席番号順で並んだ時、私の前は片桐だった。「かたきり」と「かんなぎ」の間に、「かみしろ」の入る余地は無かったはずだ。

 そこで、ふっと思い出す。

 そういえば、向こうの世界に行く直前、クラスで見慣れない生徒を見た。そう、確かこいつだ。

 じっと訝しげに見据える私に、その男――神代は少しだけ目を見開いた。

「おや?……ああ、そうか」

 ぐっと顔を近づけられて、思わずのけぞる。神代は相変わらず如才ない微笑みを浮かべて、小声で言った。

「君はこの世界の理には縛られないから、俺の術も効かないんだね」

 何それ、どういう意味?

 説明しろとばかりに睨む私を意に介さず、神代は時計を見た。

「今、時間あるかな?もし良かったら少し家で話をしないか?俺も今『向こう』がどうなってるのか聞きたいし」

 ……え?

「『向こう』って……」

「行ってきたんだろう?」

 にこやかに笑うその穏やかさが、却って得体の知れない感じがした。

 

「圭裳が神になった、あの世界にさ」

 

 

 

 近くの路端に停めていた自転車を押しながら歩く神代についていくと、辿りついたのは山道の途中にある、古びた日本家屋だった。神代は玄関前に自転車を停めると、どうやら鍵はかかっていないらしい玄関の引き戸を開けた。

「入って」

 促されて、立派な玄関を潜る。家の中は少しうす暗く、がらんとしていた。

「凄い家……お祖父さんお祖母さんと住んでるとか?」

「いや、俺一人」

 はい?

「一人って……一人暮らし?この家に!?」

「うん」

 ええ~……庭の池で鯉でも泳いでそうな立派な日本家屋に一人暮らしする高校生がどこにいるっていうんだ。

「どんな金持ち……?」

「金は無いよ。まあ、昔からここに住んでるからね」

 奥まった部屋に通され、神代が慣れた様子で障子を開ける。広くはないが居心地の良さそうな庭に、池が見えた。

「やっぱ鯉とかいそう……」

「鯉はいないかな。亀が棲んでるけど」

 左様で。

 私をそこにあったちゃぶ台の前に座らせると、神代は、あ、と声を上げた。

「ああ、うち、飲み物とかお菓子とかおいてないんだよね、俺が必要ないから。ちょっと待っててくれるかな。誰かに買いに行かせるから」

「いや、お構いなく……っていうか、一人暮らしって言ってなかった!?」

 買いに行かせるって誰にだ。

「ああ、俺一人だよ。――人間はね」

 はい!?

 神代は何食わぬ顔をして縁側に出ると手を叩く。どこからか、犬が二匹走ってきた。一匹は真っ白い犬で、もう一匹は黒っぽい毛色をしている。

「白、黒、悪いけどお茶と、何かお菓子でも買ってきてくれるかい。ドッグフードじゃないぞ」

 そう言って神代が無造作に財布を放ると、白い犬が器用にキャッチして走って行った。それに黒い犬も続く。

「って、犬が買って来るの?」

「お使いくらいできるよ。狛犬だから」

 

 駄目だ。

 神代の言っていることがさっぱりわからない。

 

 何なんだ、と問い詰めようとしたとき、いきなり傍の襖がすさまじい勢いで開いた。

「朔夜ぁぁ!貴様、玄玲(げんれい)様のお留守をいいことにおなごを連れ込むとはどういう了見じゃい!!」

 と、色々と突っ込みどころの多い台詞を吐きながら踏み込んできたのは、その台詞が何とも似合わない筈の、墨染の衣を纏った僧侶体の男だった。剃髪はしておらず、二十代と思しき若い顔に黒い短髪がかかっている。

「人聞きの悪いこと言うなよ。お前はすぐそんな方向に考えるんだから……その中身で何で僧衣着てんだよ」

 確かに。

 神代の台詞に、思わず内心深く頷いてしまう。

「わしにはこれが似合うんじゃ!……お嬢!」

 僧侶体の男は、何を思ったか私の傍に来て膝をつき、私の手を取った。

「朔夜なんぞやめてわしとでーとせんか」

「はいぃ!?」

 何だこの似非坊主!?

 私が呆気にとられていると、私の手を取っている男の頭に飛んできた扇子が直撃した。

「池に帰れこの色惚けミドリガメ!」

「みど……!?あんな連中と一緒にするな!わしはもう三百年は生きて……」

「三百年程度で朔夜に偉そうな口をきくのが間違っているんですよ」

 言い合いに発展するかと思われた会話に、唐突に平静な声が割り込む。

 見ると、いつの間にか庭に二人の子供が立っていた。一人は黒いTシャツに短パンの男の子、もう一人は白いワンピースを着た女の子だ。男の子の方が、徐に持っていたビニール袋を女の子に渡し、縁側から座敷に上がって来る。女の子がそれに続き、二人して脱いだ靴をきちんと揃えた。それから二人揃って神代と私に一礼すると、男の子が僧侶風の男の襟首を掴んで庭に放る。

 

 ……その小さな体のどこに、成人男性一人片手で投げ飛ばせる力があるんですか?

 

「駄亀が失礼いたしました。どうぞ」

 女の子が何事も無かったかのように平静な口調で私に声をかけ、ビニール袋からペットボトルのお茶と水ようかんを出して私の前に置く。

 え?これって……

「ご苦労だったね、白、黒……黒、そのくらいにしといてやりなよ」

 女の子から財布を受け取ってねぎらいの言葉をかけた神代が、苦笑を浮かべる。

 見ると、庭に放られたさっきの男を、男の子がボールのように足蹴にしていた。おいおい……

 神代の言葉にちらりとこちらを見た男の子は、最後に一際強く男を蹴りあげた。ごろごろと庭を転がった男が、池に落下する。

 ぽちゃん、と案外小さかった水音にあれ、と思っていると、やがて一匹の黒っぽい亀がのそのそと岩に這い上がってきて恨めしげにこちらを見ていた。

 

 ……まさか、ねえ?

 

 男を池に蹴り落として満足したのか、男の子は女の子の隣に戻ってきて揃って一礼した。

 次の瞬間、そこには二人の子供はおらず、二匹の犬が仲良く走り去って行く。

「……神代、あれ……」

「裏の神社の狛犬だよ。暇そうにしてたから連れてきたんだ」

 ああ、そう。

 じゃなくて。

「人間は一人、ってこういうこと?あんた何者」

 私が言うと、神代はさっき投げた扇子を手に苦笑していた。

「俺が何者か、ねえ……話すと長いんだよ。というか」

 ふと思い当ったように、神代は扇子をくるりと回した。

 

「俺は果たして、まだ人と言えるのかな?」


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