表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之肆 白秋の国
43/76

刃仙

 白の都からやや西南に行った場所に、一際高く聳える山がある。

 その山の中腹に、小さな小屋があった。

「やれやれ、何とも難儀な事よのう」

 卓の上で餌を啄んでいる小鳥がもたらした文を読み、真っ白な長い髭をしごきながら老人が嘆息する。それは都に住まう友人がもたらした文で、水面下で国に迫っている危機が切々と訴えられていた。

「彌信の奴め、儂が政争に関わりたがらないのを知っておるくせに」

 彌信は老人と共に酒を酌み交わして語り合う仲であり、老人にとって弟とも息子とも感じられる男だった。彼は文吏であった父の後を継いで政治に携わるようになり、老人は逆に政界のごたごたを嫌って山に引っ込んだ。それでも昔の癖が抜けないのか、何かあると彌信はすぐに老人に泣きついてくるのだ。

「いい加減自立せいと言いたい所じゃが……」

 文面に目を落とし、溜息を吐く。

「これはどうやら儂の領分に引っかかるようじゃからのう」

 ゆっくりと立ち上がった老人は、背後にうずくまっている大きな背中に声を掛けた。

「そなたも関わらんわけにはいくまい。久々に山を下りるかね」

 声に反応して、それがのそりと起き上がる。

 小屋に入るにはぎりぎりの大きさの、巨大で真っ白な虎だった。猛獣らしい精悍な風貌に見合わず、金色の瞳は静けさを湛えている。

「まったく」

 虎の毛皮を撫でながら、老人はもう一度呟いた。

「面倒な事に巻き込んでくれたものじゃ」

 小屋の戸を開くと、澄んだ朝霧が一斉に流れ込んだ。

 

 

 そろそろ昼近いのではないかと思う。

 牢は半地下になっているので時間が把握しにくいが、壁の上部に開けられた空気取りの穴から射す光が僅かに時間を教えてくれる。

 早朝に函猛が訪れてから、牢には誰も来ていない。番兵は相変わらず私と目を合わせようとせず、そろそろ空腹もピークを過ぎて気にならなくなってくる。本当、餓死させるつもりか。

 

 函猛に生きろと言われてからも、私に前向きな気持ちが戻る事は無かった。手紙を出すまでもなく函朔に私の言葉が伝わったなら、それ以上拘る事は特に無いとすら感じる。函猛との会話で得たのは、私の存在が白の政争に巻き込まれつつあるという情報だけだ。

 

 正直、もう疲れた。

 振り回されるのはもうたくさんだ。

 

 この世界に来てから、色々な事がありすぎた。

 世界の復興なんて、土台無理な話だったのだろう。たった一国の乱れにこうも振り回されているのだから。

 

 軽く息を吐く私は、牢の中に座っているだけで気力を奪われていく心地がしていた。

 

 死ぬならそれでいい。

 もう、どうでもいいよ。

 

 生きたいと思ってしまえば苦しいから、私は全ての気力を自ら投げ出そうとする。函猛に気づかされた内心から目を背け、ただぐったりと壁に身を預けていた。

 

「酷い有様だのう」

 不意に響いた声に顔を上げる。

 人が来たのにすら気づかなかった。

 虚ろな目に映ったのは、白髪白髭の老人。後ろにはやはり白い髪の、しかしこれは若い、日本で言えば中学生くらいと思われる少年を連れていた。

「おやおや、まさに死んだ魚の目をしとるな」

 ふぉっふぉっと笑う老人の目は、しかし笑ってはいない。穏やかそうな風貌に反し、その眼光は鋭く私を射抜いていた。

「あんたらは……?」

 老人の言葉の無礼に反応するよりも、私は後ろの少年に目を奪われていた。

 

 この雰囲気は何だろう。とても清浄で、高潔な空気。静かに私を見返す金色の瞳は、感情を宿さず冷たいのに、どこか優しく感じられる。

 

 私がただただ少年に釘付けになっていると、周囲の精霊、特に金精霊が、興奮したように震え始めた。

「すてき!」

「幸せ!」

 きゃあきゃあと騒ぎ出し、牢の中を飛び回る。

「嬉しい、幸せ!」

「白虎様ぁ!」

 耳に入った言葉に目を見開く。

 

 白虎……?

 

「おやおや、凄い騒ぎじゃな。この辺りの精霊は滅多に白虎に接する機会が無いからのう」

 老人がまた笑う。

 金精霊が興奮しすぎて鉄格子ががたがた言ってますけど。

「どれ、少し静まりなさい。話が出来ぬ」

 老人が言って手を翳すと、金精霊達は沈静化しておとなしくなった。呆気に取られている私に視線を合わせるように、老人がしゃがむ。

「名乗るのが遅れたの。儂は謡弦(ようげん)刃仙じんせん、と言った方が通りは良いかの」

 この老人が、白の刃仙。五国方士の一人か。

「後ろにおるのが白虎じゃ」

 刃仙に紹介された少年は、何も言わずにただ私を見ている。確かに、この清浄な雰囲気は、纏う性質こそ違えど紅の神殿のものとよく似ている。

「そなたが朱宿と呼ばれておる者じゃな」

 刃仙の問いに、私は頷いた。刃仙は何か確かめるように私を眺めていたが、いきなりとんでもない事を言う。

「何故逃げぬ」

「は?」

 いや、それって言っていいの?

 番兵に聞かれたら即刻逮捕されるだろうが。

 唖然とする私に、刃仙は更に言葉を重ねる。

「そなたの力ならばその枷も、この格子も、破るのはたやすかろう。何故逃げぬ」

 私は眉を寄せた。確かに、金精霊か炎精霊の助けを借りれば鉄の枷や格子を破壊することなど造作もない。

 しかし。

「……だって、俺は……」

 罪を犯して、そのために捕らえられた。

 償わなければならないのに、精霊の力を借りて逃げるのは最もしてはならない事だ。

 という建前は勿論あるが、正直私は逃げきれるとは思っていなかった。いくら腕に自信があっても、ここは王城の中。兵士を殺しても生き残るという覚悟の無い私に、逃げきれる筈が無い。

「己の罪を償うというのか?」

 鋭い目で私を見た刃仙は、呆れたように息を吐いた。

「無意味じゃのう」

 私ははっと肩を揺らす。

 同じ言葉を、前にも投げかけられた。

『罪悪感かい?無意味だね』

 あれは、橙で庵覚に初めて会った時だったか。

「そなたは逃げておるだけじゃ」

 否定の言葉が、出ない。

「死はたやすい。罪を隠れ蓑にして、生きてすべき事から逃げる事がそなたの償いじゃと言うのか?」

 刃仙の言葉が、胸に刺さる。

 耳が痛いのはきっと、その言葉が正しいから。

「目を背けるな。道は開けておる筈じゃ」

 刃仙はそう言うと立ち上がった。

「やれやれ、これじゃから若い者は……」

 首を振りながら一人ごちで、私を見下ろす。

「儂が言いたいのはこれだけじゃ。あとはそなたが決めて好きにするがよい」

 突き放すような物言い。苦言に胸の内をかき乱され、私は唇を噛んで俯いた。

(ぬし)は死なぬ」

 不意に、刃仙とは違う声が響く。凛然として涼やかな、少年の声。

 私ははっと顔を上げた。じっと私を見下ろしていた白虎と目が合う。刃仙は既に背を向けていた。

 金色の瞳を呆然と見つめる私に、白虎は表情を変えずに再び口を開く。

「天帝が主を生かそうとなさる」

 それだけ言うと、あっさりと踵を返し、去っていく刃仙に続いた。

 

 天帝……?

 どうして、私に天帝が関わってくるんだ?

 

 戸惑いと混乱は、容易に収拾がつきそうもなかった。

 だが、これだけは言える。

 

 私は、生きたい。

 

 枷に繋がれた両手を握りしめ、私は強くそう願った。

 

 

 

 とある屋敷の中庭。

 舞い降りてきた小鳥を手に止まらせた男は、小さな籠に小鳥を入れてから室内に戻った。

「文は届いたようだぞ」

「ありがとう。世話をかけたな」

 室内にいた男が、持っていた湯呑みを置いて軽く礼をする。礼を受けた男は苦笑した。

「まったく、昨日来たばかりなのにまた早朝に現れたから驚いたぞ」

 そう言って笑ったのは、四十に届くか届かないかという年齢だ。

 対する男は、彼よりだいぶ若い。函朔である。

「喫緊の用だったんだ。勘弁しろ」

「まったく、人使いの荒い男に育ったものだ」

 函朔の言葉に肩を竦めると、男は席に座って湯呑みを手に取った。

「いいだろう、畢にある屋敷を守った礼だと思え」

 しれっと言う函朔に、男が声を上げて笑う。

「自分で言っていたんじゃ世話が無いな」

 呆れたような口調とは裏腹に柔らかい笑みを浮かべるこの男は、名を彌信と言う。現在は白の有力者として名を連ねているが、ごく若い頃は函猛の下にいて右腕と呼ばれる存在だった。自然幼少時の函朔と触れ合う機会が多く、この二人は不思議と気が合った為、年齢を越えた友となった。函朔の能力に最初に気づいたのも、実はこの男である。

「だが、本当に感謝しているよ」

 茶を啜りながら、彌信はふと真剣な表情を見せた。

「畢には妻子がいる。お前に命を救われたようなものだ」

 三十代後半の彌信は既に妻帯していた。子どもはまだ幼い。盗賊騒ぎを避けて都に呼び寄せるつもりだったが、函朔達の働きが無ければ間に合わなかったかも知れない。

「その言葉は俺じゃなく、鴻宵に言ってやってくれ」

 お前は命を救ったのだと、そう教えてやりたい。

 目を伏せて湯呑みを口に運ぶ函朔に、彌信は視線を屋外に投げた。

「朱宿、か……本当のところ、どんな人間なんだ」

 国内で耳にする朱宿像と、函朔の言う鴻宵の人格はあまりにもかけ離れている。当然の問いに、函朔は口元を緩めた。

「そうだな……」

 その優しい笑みに彌信が驚きを見せている事に、函朔は気づかない。

「不思議な奴……強いけどその分脆い奴だよ」

 静かな言葉は、ゆっくりと大気に溶けていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ