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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之肆 白秋の国
42/76

国情

 日没から大分時間を経てから、屋敷の主は帰宅した。

 出迎えた家人に客の存在を告げられ、怪訝な顔で客間に急ぐ。

「朔……」

「お久しぶりです、父上」

 立ち上がって手を組み、礼をした息子に席に着くよう促し、自身も座る。

「二年ぶりか……急にどうした」

「たまたま都に立ち寄ったところ、父上が朱宿を捕らえられたと聞き及びまして……大慶至極に存じます」

 祝いの言葉を述べ、緩やかに再び礼をする息子に、屋敷の主、函猛は目元に戸惑いを表した。

 久しぶりに会った息子が、まるで別人のように感じたのだ。以前の彼はもっと直情的で、礼儀を弁えてはいてもこんな静けさは持っていなかった。

 

 よく言えば落ち着いた。悪く言えば得体が知れない。

 

「……変わったな、朔」

「色々ありましたので」

 函朔は苦笑した。

 本当に、今日だけでこれまでの人生に悩み考えた事を超えてしまった気がする。

「……朱宿とは、どのような人間でしたか」

 笑みを収めた函朔が問う。意図が読めないながらも、函猛は口を開いた。

 彼自身、戸惑いと迷いを吐き出したかったのかも知れない。

「……わからん奴だ」

「わからん、というと?」

 曖昧な答えに、函朔が説明を促す。

「まず、秋公子がごねておられる」

 幼い公子の様子を思い浮かべて、函猛は溜息を吐いた。

 きかん気が強く、良くも悪くも好悪のはっきりとしている公子が、あれは悪人ではないと主張し続けているのだ。聞けば、朱宿は公子とは知らずに彼の窮地を救い、それも甘やかすのではなく叱りつけたという。そんな人間が冷酷な筈はないと言って聞かないのだ。

「それで様子を見に行ってみたのだ」

 牢に座っていた少年を脳裏に思い浮かべ、函猛は渋面を作った。

「そうしたらあの男、命乞いをするでもなく早く殺せと開き直るでもなく、ただ手紙を出したいと言いおった」

「手紙?」

 首を傾げる函朔に、函猛は頷く。

「共に旅をした者に、己が朱宿だということ……欺いた詫びと、これまでの礼を、とな」

 それを聞いた函朔の顔色が、はっきりと変わった。

 暫時何かに耐えるように俯き、意を決したように顔を上げる。

「朱宿は……鴻宵、と名乗りませんでしたか」

 息子の口から出た名前に、函猛は目を見開く。

「確かに、そう……朔、お前まさか」

「父上」

 父の言葉を遮って、函朔は強い目で問いを発した。

「朱宿に焼かれた軍、邑……死者は何人出ましたか」

 気圧されるように少し身を引いた函猛は、無性に喉の渇きを覚えた。白軍きっての武将を威圧するほどの迫力を、息子は一体どこで身につけたのか。

「……零だ」

 声が掠れないように細心の注意を保ちながら、函猛は答えた。調査報告を受けた時、耳を疑ったからよく覚えている。

 あの地獄のような業火を操りながら、朱宿は誰も殺していない。

「だが多数の怪我人が出た。物的被害も甚大だ」

「復興の様子はどうですか」

 函猛の反論を意に介さず、函朔は次の問に移る。函猛は報告の内容を思い浮かべた。

「ここのところ作業が捗っている。農地の状態も良い」

 それを聞いた函朔は、言葉を被せるように言った。

「私と鴻宵は鍼からここまで北上してきました」

 今ならあの時の鴻宵が何を考えていたのかわかる。函朔は知らず拳を握り締めた。

「邑の宿に泊まるごとに、鴻宵は夜中に宿を抜け出していました……城壁の修復と田畑の維持を、精霊に命じていた筈です」

 函猛の目が見開かれた。更に函朔は言葉を接ぐ。

「畢の盗賊騒ぎはご存じですね」

「あ、ああ……」

「あれは鴻宵の協力無しには収束しませんでした。役所の屯兵の晨葎という男が証言してくれるでしょう」

 一息に言い切って、函朔は息を吐いた。函猛は与えられた情報に戸惑っているのか、何も言わない。

「最後に」

 まだあるのか、と言いたげな函猛に、函朔は最も重大な事実を突きつけた。

「彼を殺せば、我が国は最悪、精霊の加護を失うかも知れません」

 函朔には精霊の声が聞こえている。

 朱宿が捕らえられた時から、精霊達は泣き通しだ。精霊のこんな行動など、函朔は見たことも聞いたことも無かった。

「馬鹿な、たかが一人の人間ではないか」

 函猛の反応は、至極常識的なものだった。

 精霊は霊力の結晶に過ぎない。それが一人の人間の死によって一国の加護を放棄するなど、あり得べき事ではない。函朔もそう思う。しかし、その常識の範囲に当てはまらない事を、函朔は目の当たりにしていた。

「たかが一人の人間……それが、そう言い切れないかも知れないのです」

 函朔は目を据えた。鴻宵の為にも、白の為にも、これは伝えておかなければならない。

「私は畢で、鴻宵が水精霊と木精霊、更に炎精霊を操るのを見ました」

 函猛が絶句する。

 一人の人間が、媒体無しに三種類以上の精霊を操るなど有り得ない。

 当代一の方士と言われる碧の覇姫ですら、使役出来るのは二種類、僅かに木精霊を通して風を呼ぶことができるくらいで、三種以上の精霊を個別に操る事は不可能なのだ。女神の加護が失われる以前の王家時代にはごく稀に数種の精霊を操る人間が存在したらしいが、五百年前の異変以降は絶無である。

「何者だ、あれは」

「わかりません。だからこそ、こうしてご忠告申し上げているのです」

 思わず呟かれた函猛の言葉に素っ気なく返し、函朔はゆっくりと息を吐いた。

「朱宿の処分は、どのようになりそうですか」

 これが本題である。函猛は苦い顔をした。

「極刑だろうな。死罪は勿論として……楽には死ねまい」

 白人の朱宿への怨みは深い。人ならざる力で国土を焼き払われた恐怖がそのまま、朱宿に対する憎悪へと転化されるのだ。相当に過酷な刑が予想された。

「やはり――どうやら、朱宿に悪人になって貰わなければ困る方々が君側におられるようで」

 さらりと零された言葉に、函猛はぎょっと目を剥いた。

 函猛自身、薄々感じ取っていた事ではあるが、まさかそれを長く国を離れていた息子に看破されているとは思わなかったのである。

「庵氏の情報網を甘く見ない方が良いですよ」

 函猛の探るような視線に、函朔はそう返した。

 商人にとって情報は命。国を股にかける大商人、庵氏の元には、自然と各国の情報が集まってくるのだ。

「畢の一件も同じ方々の仕業ですね。方士を使って派手な破壊をしてみせたのも、恐怖を助長する為でしょう」

 函猛は溜息を吐いた。この息子に、隠し事は無意味だと悟る。

「その通り。反太子派の連中だ」

 函朔がすっと目を細める。

「彼らは紅と結びたいのですね」

 函猛は頷いた。

 朱宿を悪人に仕立て上げるのは、憎しみの対象を朱宿に集中させることで民の紅への怨みを忘れさせ、紅と結ぶ礎を築く為なのだ。

「太子や我々は碧と結ぶのが良策と考える。だが奴らは紅の軍事力を利用したいのだ」

 反太子派の面々からすれば、いずれは邪魔な太子を排除しなければならない。そのためには、国内の反太子派の軍事力だけでは不足である。当然、国外に後ろ盾が欲しい。内乱に介入して貰うには、国境を接する紅の方が都合が良い。しかも碧の太子は白の太子と仲が良く、碧と結ぶ事になれば逆に自分達が潰される可能性もあった。

「愚かな……そうなれば白はいずれ紅に食い潰されてしまう」

 函朔は呟いた。

 紅は気性が激しく軍事に積極的な国だ。加えて、宰相を罷免されたとはいえ大きな影響力を持つ依爾焔は抜け目の無い男である。内乱に介入した後、おとなしく国を出ていく筈が無い。

「とにかく、このまま朱宿を死なせるわけにはいきません。父上のお力をお借りしたいのです」

 立ち上がって礼をする息子に、函猛は難しい顔を見せた。

「私の力だけではどうにもならん。太子も今は難しいお立場だ。下手には動けぬ」

「せめて時間を稼いで下さい。何とか策を講じます」

 函猛は目を瞬かせた。元が直情型のこの息子から、策という言葉が出たのが少し意外だったのである。しかしすぐに頭を切り替え、国を守る為に息子の思考に同調しようと努めた。

「暫くは秋公子が駄々をこねて下さるだろう」

「ええ。その間に太子と……それから碧の太子に事情をお話しになるのがよろしいかと」

 碧の太子は、現在同盟締結の交渉の為に都に滞在している。彼は賢明の誉れが高く太子とも仲が良いし、事は同盟の成否に関わる。積極的に協力してくれる筈だった。

「朔よ」

 今後の予定を組み立てた函猛は、辞去しようとした函朔を呼び止めた。

「お前が守りたいのはこの国か……それとも、あの者か」

 函朔は暫し沈黙した。それから振り返り、微笑する。

「両方、と申し上げておきます」

 

 どちらかを選ぶ時がいつか来るかも知れないが、今は欲張りでいたい。

 

 そう内心呟いた函朔は、ふともう一つ父に尋ねたい事があったのを思い出した。

「父上、鴻宵は抵抗せずに捕らえられたのですか?」

「うむ。少し逃げはしたが……」

 剣を抜かなかったと聞いて、函朔は苦笑した。

 やはり鴻宵は優しすぎる。罪の意識に負けて簡単に自分を捨ててしまう所は、今度会ったら叱ってやらなければ。

「しかし城門の目の前だ。抵抗は意味を為すまい」

 何故そんな事を問うのかと言いたげな父の言葉に、函朔はにこりと笑った。

「良い事をお教えしましょう」

 

 その笑顔を、函猛はいたずらが成功した子どものようだと感じた。

 

「鴻宵はあの庵氏の私兵達を片端から薙ぎ倒した程の剣の達者ですよ」

 

 

 

 早朝、まだ日も昇っていない時分。

 

 私は座ったまま一睡も出来ずにぼうっとしていた。今朝の朝廷で私の処分が決まる。どんな刑罰になるのだろう。どうせなら苦しまずに死なせて欲しいな。

 手紙、許可して貰えるだろうか。

 手首や足首、それに首も、枷に擦れて痛い。水も食べ物も口にしていないから喉もからからだ。精霊達の大半は啜り泣きながら私にくっついているが、首枷の上の水精霊だけはまだ咽び泣いていた。よく涙が尽きないな。水精霊だからか?っていうか精霊にも涙腺ってあったんだな。

「泣くなよ……」

 呟いた声はやたら掠れていて、自分でも苦笑が漏れる。乾いた咳が数回出た。

 それにしても結局、何一つわからずじまいだったな。この世界の事もわからないし、第一何で私がここへ来てしまったのかもわからない。

 しかしこっちへ来てからの日々が何て言うか濃かったものだから、元居た世界が酷く遠く感じる。

 

 中津はどうしてるかな。

 もう私の事なんて忘れただろうか。

 

 とりとめのない事を考えていた私の耳に、靴音が響いた。誰かが、牢に向かって来る。

 敬礼した番兵に何やら言葉を掛けたその人物は、鉄格子の前にやって来て中を覗き込んだ。番兵が離れていく。

「函猛……」

 私が掠れた声で名を呟くと、彼は眉を寄せた。

「随分弱っているようだな」

「仕方ないだろ。この枷重いし。水も飲めない」

 厳重に拘束しすぎだ。普通に餓死するだろう、これは。

「方士相手では当然の警戒だ」

 そう言いながらも、函猛は流石に哀れに思ったのか、鉄格子を開けて入って来た。手には一碗の水を持っている。

「飲め」

「……毒入りか?」

 差し出された碗を見遣り、皮肉げに私は言った。函猛は渋い顔をして、否定を口にする。

 

 まあいいか。

 いずれにせよ、私はもう死ぬんだから。

 

 傾けられた碗から流れ込む水を、ゆっくり嚥下する。渇いた喉に冷たさが沁みた。

「……っは」

 飲み干して一息吐く私を見て、函猛が口を開く。

「済まぬな。水と食事は与えるよう言ってある筈なのだが」

「……怖いんだろうさ、俺が」

 牢の番をしている兵士は、誰一人として私を見ようとはしない。目が合えば燃やされるとでも思っているのか、あからさまに避けられていた。

「一つ、訊きたい」

 函猛が口を開く。

「お前は何故我が国を燃やし、にも関わらず殺さなかった?」

 私は暫時言葉に詰まった。言い訳は通用しないだろう。

「朱雀が欲したから、燃やした」

 正確には火を操ったのは朱雀だった筈だが、私が朱雀に意志を委ねた時点で私が燃やしたことになるのだろう。

「殺したくなかったから、殺さなかった」

 あまりにも単純な話だ。

 自嘲気味に笑う私に、函猛は怪訝そうな顔をした。

「殺したくないのに何故紅軍に従った」

「そんなの……」

 そうするしかなかったからに決まってるじゃないか。

 言い掛けて、私はふっと言葉を止めた。

 

 確かに、始めに白軍を焼いた時は私の体は朱雀に支配されていて、私の意志では止まらなかった。しかし軍に従ったのは違う。私が軍に従ったのは、何もわからないこの世界で、虚勢を張ってでも……

「……生きたかった、からだ」

 

 そうだ。私は生きたかった。

 違う。

 生きたいよ。

 死にたくなんて、ないよ……!

 

「くそっ……」

 嫌な事に気づかされてしまった。あのまま、何もかも諦めたまま死ねたらきっと楽だっただろうに。

 唇を噛み締める私を黙って見下ろしていた函猛は、静かに唇を開いた。

「昨夜、息子が私に会いに来た」

 急な話の転換に、私は首を傾げる。しかしそれには構わずに、函猛は続けた。

「随分成長したようだった。国の事を、私よりもよく見ている」

 独白じみた語り。要領を得ないながらも、私は静かに耳を傾けていた。

「息子は言った。国の為に、そして情理の上でも、朱宿を殺してはならないと」

「……え?」

 私は思わず声を上げた。

 白の為なら、私を殺すのが道理だろう。何故、そんな。

「国の政治には色々ある」

 そう言って、函猛は一瞬険しい顔をした。たぶん、かなり深刻な問題を抱えているのだろう。

 私が何も言えずに眺めていると、ふっと息を吐いて表情を切り替えた函猛が私と目を合わせた。

「それにしてもあやつ……救いたいのは国か朱宿かと訊いたら、両方と答えおった」

「は?」

 両方って……国も私も救いたいって事?何で……意味が、よくわからない。

 きょとんとする私に、函猛も目を瞬いた。

「……ひょっとして知らんのか」

「……何を?」

 微妙な空気が流れる。函猛が深く息を吐いた。

「お前、私の名は知っているな」

「ああ。函猛だろ?」

 ん?函……

「お前が手紙を出したいと言っていた相手は朔ではないのか」

 あ。

「……函朔ってあんたの息子だったのか」

「……案外鈍い男だな」

 いやいや、だってまさか、白の大将軍の息子とは。

 そういえば函朔は白のそこそこの家の生まれだって言ってたけど。

「函朔が……」

 手紙、出すまでもなかったな。でも、怒ってないんだろうか。私は白を、函朔の故国を深く傷つけたのに。

「朔もどうやら動いておるようだ。こちらの事情もある。お前を死なせるわけにはいかなくなった」

 しゃがんでいた膝を伸ばして立ち上がりながら、函猛は言った。

「私も力を尽くす。とにかく生きることだ」

 そう言い残すと、鉄格子の向こうへ去っていく。

 その背中を見送って、私はぐっと拳に力を込めた。

 

 生きろ、と言われたって。

 政治的な問題が云々と言われたって。

 この枷は……私の罪は消えないじゃないか。

 

 夜明けを告げる鶏鳴を聞きながら、私はじっとうなだれていた。


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