牢獄
「ぅ……」
目を開けると、見えたのは石造りの床と壁。視線を動かせば、頑丈そうな鉄格子が視界に入った。
「牢……」
身じろぎすると、がしゃりと金属の擦れる音がする。
後ろに回された手首と足首、それに首にも、重い鉄の枷が付けられているようだ。これでは身を起こすのも一苦労だ。私は仕方なく、一度うつ伏せになってから膝を折り、頭を持ち上げて何とか起き上がった。壁に背を預けて座る。暗い牢に、石と枷の擦れる音が響いた。
そうか、函猛に捕らえられたんだ、私は。
鈍く痛む頭を振って、鉄格子の外を見る。見張りの兵士の背中が見えた。
牢は静まり返っている……のに、何か耳元がうるさいと思ったら首枷の上で水精霊が号泣していた。よく見ると、そこここで色んな精霊が泣いている。
「そんなに泣くなよ……」
私は苦笑した。
投獄されただけでこんなに泣くなんて、こいつら大丈夫だろうか。
それにしても、思いがけない事だったな。
でも、罪は罪。捕らえられて、かえって良かったのかも知れない。
そういえば、もう約束の時間を過ぎている。
函朔はどうしただろうか。まだ待っているか、それとも諦めて宿を取ったか。
「せめて伝えて……謝りたいな」
そう思うが、ここにはろくに窓も無いし、風精霊も泣いていて使い物にならない。
「目覚めたか」
堅い足音がして、鉄格子の向こうに函猛が現れた。
「俺をどうするんだ?」
厳密には私はもう朱宿じゃない。紅にとっても裏切り者だから、人質としての利用価値も無し。
となれば、憎しみに任せて処刑するだけか。
「刑は明日の朝廷で決まる。短い余生をせいぜい楽しめ」
函猛は冷たく言った。水精霊が憤慨して動こうとするのを目で制して、私は函猛を見上げる。
「手紙を出したいんだが」
「方士というものは何をするかわからんからな。枷は外せん」
にべもなく言われて、私は眉を下げた。
「代筆でいいよ」
「……誰に何を書き送るつもりだ」
誰に、か。
私は少し考えた。最期に言葉を遺したい人間は何人かいる。でも、何通も手紙を出す事は許されないだろう。
「……ここまで共に旅をしてきた奴に」
函朔に手紙を出せば、その内容はきっと函朔から庵覚に、庵覚から鴻耀に伝わる筈で、ひょっとしたら鴻耀からあの狐狼の老人にも伝えてくれるかも知れない。
「俺が実は朱宿で、欺いてて悪かったと……そして、これまで有り難う、と」
何も出来なかったのは心残りだけど、こうなってしまった以上は仕方が無い。
私の言葉を聞いた函猛は、腕を組んで私を見下ろした。
「今更しおらしくしても遅い。貴様、その手で秋公子をたぶらかしたか」
「秋伊を……?」
「気安く呼ぶな!」
怒鳴られて、この世界で目上の人の名前を呼ぶ事が無礼である事を思い出した。しかもうっかり呼び捨てだ。
「悪い……公子をどうしたって?」
何か身に覚えのない言葉が聞こえた気がするぞ。
私の問いに、函猛は苛立たしげに目を眇めた。
「公子はお前が悪人である筈がないと駄々をこねておいでだ」
秋伊らしい。
仕方がないなぁ、全く。聞き分けの無い餓鬼だ。
「あれはあれで真っ直ぐだからな……」
私は呟いて苦笑した。
公子だと知ってたら関わらなかったのに。悪いことをしたかも知れない。
「とにかく、我々はお前に焼き払われた恨みを忘れておらん。楽に死ねると思わんことだな」
そう言って、函猛は去っていった。
「楽に死ねると思うな、か……」
いや、せめて楽に死にたかったよ。一体どんな刑罰に処すつもりなんだか。
「まったく、ついてないなぁ……」
笑ったつもりなのに、頬を滴が伝った。
訳もわからずにやってきた世界で、このまま死ぬのだろうか。女神復活どころの話じゃない。
元居た生ぬるい世界が酷く懐かしく思えて、私は暫く静かに涙を流していた。
夕闇が帳を下ろす頃、ある屋敷の門前に一つの影が立った。
函朔である。
彼は門番に近づくと、用件を告げた。
「当主にお会いしたい」
門番は胡乱げな目でこの青年を一瞥し、口を開く。
「身分もわからぬ者を取り次ぐわけにはいかぬ。どなたかの紹介状はあるか」
にべもない門番の言葉に、函朔は声を上げて笑った。怪訝な顔をする門番に、ずいと顔を近づける。
「親父に会うのに紹介状が必要かい?」
屋敷の中に通されて客間に座っていると、外で若い男の声がした。
「客間に誰かいるのか」
「はい。主に客人が」
「客人?こんな時間に約束も無しに訪れる非常識な客を何故通す」
癇気の強い声に、函朔は苦笑した。相変わらず短気だ、と懐かしさが湧く。
「いえ、それが……」
「何だ」
「実は、兄上様で……」
家人が答えた瞬間、荒い足音が響き、客間の戸が乱暴に開け放たれた。その無礼に怒る事も無く、函朔は朗らかに手を挙げて挨拶する。
「久しぶりだな、逸」
「兄上……」
呟いた青年、函逸は露骨に嫌そうな顔をした。
彼は兄の函朔が大嫌いなのである。
「今更何しに来た」
「父上に少し話があるんだ」
あからさまな警戒を向けられても、函朔は動じない。
函逸は、この兄に跡継ぎの座を奪われるのではないかと警戒している。元々長男は函朔なのだから、その可能性は十分にあるというのが函逸の考えだ。一方で函朔は家を継ぐ気などさらさら無い。庵氏兵団という居場所もある今、気楽に流れ者でいる方が余程自分には合っていると自覚していた。
「こんな時間に?」
「急用でね」
家人に出された茶を飲みながら言う函朔に、函逸は面白くないといった様子で鼻を鳴らした。
「父上はお忙しい。長居するな」
そう言い捨てて、ぴしゃりと扉を閉める。
函朔はやれやれと息を吐いた。
「逸にももうちょっと余裕があればな……」
どんなに嫌われていても、函朔は弟を嫌いにはなれなかった。
今は未熟な弟に、晨葎のような成長の転機が来る事を、心から祈っている。




