都城にて
それから、以前と同様の長閑な旅が始まった。
もう朱宿に焼かれた邑は無く、都に近づくに連れて人通りも活気も増してくる。
「都に着いたらどうするんだ?」
函朔に訊かれ、私は首を傾げる。
「うぅん……とりあえず何日かうろうろ見て回って……あとは少し働こうかな」
畢に長居した為、路銀も大分目減りしている。今すぐ稼がないとならないという訳でもないが、少し蓄えておくのも悪くないだろう。
「働く?庵氏のとこの方が割はいいぞ」
「少し街に留まってみたいんだ」
私がそう言うと、函朔はふぅん、と声を上げた。
「俺はどうするかなぁ……鴻宵と一緒にいたい、けど」
小さく呟いて、頭を掻く。
「都にはあまり長居できないからな……」
おそらく、生家が都にあるせいだろう。
若干名残惜しげにしながらも、函朔は数日私と一緒に都を見て回ってから別れる事に決めた。
「白の都に飽きたらまた庵氏のとこに顔出せよ。俺、大抵あそこにいるから」
「ああ」
私は頷く。白に永住する気は無いし、ある程度白の事がわかったらまた旅に出るつもりだ。その時に、庵氏のところで効率よく路銀を稼げれば願ってもない事だ。
そんな会話を交わすうち、私達は都の城門を前にしていた。
白の都、昴。
門を潜ると、活気に溢れた街の向こうに壮麗な城が見えた。
「そうだ、鴻宵」
早速その辺りの屋台に出ていた菓子を食べながら、函朔が思い出したように言った。
「俺ちょっと会いに行きたいダチがいるんだ。暫く別行動していいか」
「ああ、構わない」
やはり故郷だからか、函朔も少し生き生きしている。
私が了承すると、函朔は城の方を指し示した。
「王城の東門の近くに酒店があるんだ。見ればわかる店だし、申酉の経にそこで落ち合おう」
「わかった」
待ち合わせの場所と時間を決めて、函朔と別れる。そういえば、街を目的も無くうろつくのは初めてだ。
「今は昼前で、待ち合わせは午後六時頃か……結構時間あるな」
呟いた私は、色々な出店を冷やかしながら王城に向かって歩いた。昼ご飯は麺みたいなのを買って食べ、ちょくちょく菓子や飲み物を摘みながら歩く。
これが案外楽しい。
幼い頃に両親と訪れた縁日を思い出した。
「おや、お兄さんいい男だね。団子要らないかい、安くしとくよ」
「おい、そこの兄ちゃん、一杯飲んでいきなよ」
街の活気と人々の笑顔に、自然表情が緩む。
そういえば函朔にも言われたけど、最近あまり笑ってなかったな。両親が生きてた頃は、多分人並みに笑ってたのに。
そんな事を考えながら歩いていたら、不意に怒号が聞こえ道端から何か飛び出してきた。
「わっ!?」
腰くらいまでの小さなその塊の直撃を受け、私は勢いを殺しきれずに後ろへ倒れた。辛うじて頭を打つのは免れ、腹の上に乗った塊を見る。
それは幼い子どもだった。
紅にいた錫雛よりはいくらか年下か。私のベルトにぶつけたらしく、赤くなった鼻を擦っている。
「待ちやがれこのクソガキ!」
続けて現れたのは、どうも穏やかでない雰囲気の男だった。子どもの肩がびくっと跳ねる。逃げようとした首根っこを、男が掴んだ。
「てめぇ食い逃げたぁどういう了見だ!」
男が子どもを怒鳴りつける。
私が立ち上がって服の埃を払いながら見ていると、子どもは逃れようと身を捩りながら反論した。
「食い逃げではない!後日払うと言っておろう!」
何だこいつ。
子どもの態度に業を煮やしたのか、男が更に怒鳴る。
「そんなの信用出来るか!第一名前訊いたら逃げやがって。食い逃げ以外の何だってんだよ!」
もう放っといていいだろうか。
私が踵を返そうとした時、子どもは涙目になりながら言った。
「役所に突き出す気満々だったではないか!払うと言うておるのにいきなり罪人扱いするその方も悪い!」
「何だと!?」
「まぁまぁちょっと待てよ」
かっとなった男が拳を振り上げるのを見て、私は仕方なく割って入った。
流石に子どもを殴るのはまずい。がたいのいい男に殴られたらこの子どもはただの怪我では済まないかも知れない。
「何だよ兄さん、邪魔しないでくれ」
「まあ落ち着けよ。殴るのはまずい」
私はそう言って男を宥めると、目に涙を溜めながらも強気さを崩さない子どもと視線を合わせた。
「払うって言ってるって事は、金を払わなきゃならない事はわかってるんだな?」
私の問いかけに、子どもは頷く。
「なら何で金を持たずに店に入ったんだ?」
重ねて訊くと、子どもは重い口を開いた。
「……持ち歩いた事がないから、忘れていた」
いつもは親が払うからだろうか。
その言葉に嘘が無さそうな事を見極めると、私は溜息を吐いた。
「家はどこだ?今から親に来て貰って金を払おう」
私がそう言うと、勢い良く首を振る。
「そのっ……親、には内緒なのだ。だから後日自分で……」
「来るって保証はどこにあるんだよ」
割り込んできた男を制し、私は子どもをじっと見る。払いに来るというのは嘘ではないだろう。これ以上騒ぎを大きくするのは良くない。
「この兄さんに一緒に家まで行って貰って払うというのは?」
「それは……」
「おいおい、俺にも店があるんだぜ。餓鬼の為にわざわざ行けねぇよ」
この提案は双方不都合らしい。私は再度溜息を吐くと、ひとまずこの騒ぎを収める事を優先させることにした。
「幾らだ?」
私が訊くと、子どもは指を広げた。五分。まあ子どものおやつとしては妥当な線か。私は懐から五分取り出すと、男に差し出した。
「俺が払うよ。ちゃんとこいつに返して貰うから、この場はこれで収めてくれ」
私が言うと、男は驚いたような顔をしてから素直に受け取った。
「もうすんなよ、餓鬼」
そう言い残して帰って行く。それを見送っていると、子どもが私に言った。
「ご苦労」
偉そうな餓鬼の頭に拳骨を落とした私は正しいと思う。
「いっ……何をするのだ!」
「あのな、お前は悪い事をしたんだろうが。それで俺に迷惑を掛けた。言う言葉が違うだろう」
私がそう言うと不満そうな顔をしたので、頬を引っ張ってやる。
「無礼者!」
「それも違う」
今度は両頬を摘んで引っ張る。涙目になった子どもは、小さな声でありがとう、と呟いた。
「正解。ちゃんと言えるじゃないか」
私は頬を放し、頭を撫でてやった。
「じゃあな。もうするなよ」
元来子どもは苦手だ。
さっさと立ち去ろうとした私を、子どもが呼び止めた。
「そなた、金を受け取らなくていいのか」
「ん?あぁいいよ。お前がちゃんと反省すればな」
本当ならちゃんと返させるのが教育上良いんだろうけど、子どもに長々と関わる気も無い。
しかし、子どもは私の裾を掴んで放さなかった。
「そうはいかぬ。そなた名は?住まいは?」
そう訊いてくる子どもに、私は呆れた目を向けた。
「人に名前を訊くときは?」
「……秋伊。そなたは?」
「……この常識は知ってるのか」
今一よくわからない子ども、秋伊に溜息を吐きながら、私は答えた。
「俺は鴻宵。旅人だから住まいは無い」
「鴻宵か……そなた気に入った。今日一日供をせよ」
再び拳骨が落ちたのは言うまでもない。
「鴻宵、あれは何だ?」
「武器屋だな。こら、餓鬼の行く所じゃない」
結局私が秋伊と一緒に歩く事になったのは、偏にこいつを一人で歩かせるとどんなトラブルを巻き起こして回るかわかったものじゃないからだ。
家まで送ると言うと、家はこっちだと言いながらすぐに寄り道する。終始首根っこを掴んでいなければならないような有様だ。
錫雛、今ならお前の偉さがわかるぞ。よくあれだけ分別のある子どもに育ったな。
「あれが欲しい!買え!」
「人に物を頼む時は?」
「……買って下さい……」
「よし。でも駄目だ」
ばっさり言って歩き出すと、秋伊が不満の声を漏らす。
「あのな、これは俺の金なんだよ。お前のじゃないの」
そう言い聞かせながら先に進む。
それにしても家が遠いな。もうじき王城にぶつかってしまう。
「おい、秋伊。本当に家こっちなんだろうな」
「本当だ。もうすぐ着く」
何が嬉しいのか、秋伊は私の手を掴んで振り始めた。
端から見たら仲の良い兄弟に見えるかも知れない。こんな生意気な弟は御免だが。
「おい秋伊」
「何だ?」
何だ?じゃない。城に突き当たってしまった。
「正直に家の場所を言え」
「嘘など吐いておらんぞ」
きょとんとした顔で秋伊が指さした先に、軽く目眩を覚える。
まさか、お前……
「秋公子!?」
ちょうど城門から出てきた男が声を上げる。
ああ、また厄介なものに関わってしまった。
「秋公子、お探ししましたぞ」
そう言いながら、配下らしき兵士達を置いて近づいて来た男に見覚えがある。私は思わず一歩下がった。
この男、私が紅軍にいた時に戦った白軍の将だ。確か名前は……
「函猛!良いところに来た」
秋伊がにっこりと笑う。
うっかりした。馬鹿だ、私は。秋伊がフルネームだと信じて疑わなかった。
違う。二字名なんだ。
公子、と函猛は言った。つまり秋伊はこの国の王子。
「その者は……?」
函猛が私に視線を向ける。
「街で助けてくれた者だ。金を……」
秋伊の説明を聞きながら探るように私を見ていた函猛の目が、不意に見開かれた。
まずい……!
「朱宿……!」
その言葉を聞いた瞬間、私は反射的に逃げ出していた。まさか顔を覚えられていたとは。直接相対したわけではない筈なのに。
「捕らえよ!」
函猛の一言で兵士が動く。剣を抜こうという気は起きなかった。ただただ己の罪から逃げるように走った。
「函猛!?何故……」
「秋公子、お体は何ともありませんか」
「何も無い!何だと言うのだ!」
秋伊と函猛の会話が兵士の足音にかき消される。
前方からも現れた兵士に囲まれ、足を止めた私の首を、四本の槍が囲って肩を押さえつけた。逆らわずに地に膝をつけた私の耳に、函猛の声が響く。
「あれは朱宿……先の戦で我が国の南方を火の海にした化け物です!」
兵士達は取り押さえた私を後ろ手に拘束し、槍を突きつけて立たせた。
「馬鹿な……!そんな筈ない!」
叫んだ秋伊が私に駆け寄ろうとして、函猛に止められる。
「何かの間違いだ!そうであろう、鴻宵!」
縋るような秋伊の声に、私は静かに首を振った。
「間違い無いよ。俺は白軍を焼いた朱宿だ」
そう言った瞬間、後頭部に衝撃を感じ、私は意識を手放した。
それより暫く後。
王城の東門に程近い酒店の前で、函朔は苛々と通りに目を配っていた。待ち合わせの時刻を大分過ぎ日が暮れかけているのに、一向に鴻宵が現れないのである。
何かあったのかとやきもきする函朔の耳に、通行人の会話が届いた。
「しかし凄かったなぁ、さっきの捕り物騒動」
「ああ、何せ朱宿が現れたってんだからな」
下らない噂話かと思ったが、朱宿という単語に引っかかる。それにさっきから、やけに精霊の啜り泣く声が聞こえるのだ。
函朔は暫しの逡巡の後、話をしている通行人に歩み寄った。
「朱宿が現れたってのは本当かい?」
気さくな調子で会話に割り込む。通行人は一瞬目を瞬いたが、すぐに大きく頷いた。
「本当さ。兵隊に追っかけられて捕まる所をこの目で見たんだ」
「へぇ……しかし何で朱宿ってわかったんだ?」
聞いたところによれば、朱宿は既に朱雀を宿してはおらず、緋色の瞳という特徴も消えているのではないかという。外見は普通の人間と変わらない筈だ。
ただ、霊力が高いだけで。
霊力が高い、と思い浮かべた自分の言葉に、畢で感じた疑問が合わさって心臓が揺れる。
「それが函将軍が顔を覚えてらしたらしいんだよ」
「……どんな奴だった?」
そんな筈ない、と心が叫ぶ。
函朔は知っていた。方士は普通、どんなに力が強くても媒体無しで操れる精霊は二種類が限度。
水精霊と木精霊を操り、更に炎精霊まで操ってみせた仲間の顔が脳裏にちらつく。
「案外華奢な奴だったなぁ。背も兄さんの肩くらいじゃないか?」
心臓が、跳ねる。
「ひょっとして、さ」
息が、苦しい。
「年の頃なら十五、六の、ちょっと女みたいな綺麗な顔した奴じゃなかったか?」
否定してくれ、頼むから。
「ああ、そうそう。そいつだよ」
函朔の願いは、夕暮れの風にさらわれて行った。




