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 帰宅してリビングの前を通りかかった私は、聞こえてきた声に思わず足を止めた。

「だいたい何で灯宵ちゃんなんか引き取ったのよ!」

「みき……」

「うちじゃなくても良かったでしょ!?誰も引き取りたがらないなら施設にでも入れればよかったじゃない!どうしてあの子はうちにいるのよ!」

 母親に向かって喚き散らすみき。聞かない方がよさそうだ、と私は足を進めようとした。

「仕方なかったのよ。未成年なんだから誰かが引き取れって、世間様はうるさいし……」

 すっと、胸の奥が冷えた。

 わかってはいたんだ。ここに私が居候しているのは、迷惑でしかないんだって。

 でも、実際に耳にすると、やっぱり、少し、重い。

「仕方ない!?じゃあ結城君があの子を好きなのも仕方ないの!?あの子は中津君とべたべたしてるような子なのに!」

 聞きたくない。なのに、足が動かない。

「灯宵?そんな所で何して……」

 階段を下りてきた宗也が、怪訝そうに呟く。私はぎこちなく顔を上げた。

「本当に、灯宵ちゃんなんて、死んじゃえばいいのに!!」

 ちょうどその瞬間に響き渡る声。宗也の顔色がはっきりと変わる。私は、笑った。

「何でもないよ、宗也。階段、通して」

「灯宵」

「何でもない」

 何とも言えない顔でこちらを見る宗也を押しのけるようにして、私は二階へ上がった。妙に冷静な頭で、貯金箱の中身と、両親が残してくれたお金の額を考える。

 当面何とかなるくらいの金額はあるはずだ。

 それから、ラフな格好に着替えて一番大きな鞄を持ち出し、そう多くはない私物を詰める。写真立ても、大事に鞄に仕舞った。

 窓の外が翳り始める。

 今夜は雨が降るらしかった。


 その時、ドアをノックする音が聞こえて、私は顔を上げた。

「灯宵、俺。入るぞ」

 宗也だった。

 私の返事を待たずにドアを開けた宗也は、部屋の中の状況を見て顔色を変える。

「何のつもりだ、灯宵」

「やっぱり、高校辞めて独り立ちしようと思って」

 淡々と答えて、私は荷づくりの終わったバッグを肩にかけた。

「みきに謝っといて。あと、私は結城のことはちゃんと振ったから」

「馬鹿なことはやめろ」

 部屋に入ってきた宗也が、私の肩を掴む。

「みきは今ちょっと取り乱してるだけだ。本気じゃない。そのうち落ち着く」

「関係無いよ。もう迷惑かけるのが嫌なだけだから。伯父さんによろしく」

 出ていこうとする私を、宗也は押しとどめた。

「どこへ行くつもりだ!」

「当面どこかに泊まって安いアパートでも捜すよ」

 中津は事あるごとに「うちって放任だから」と言っていたし、一晩くらいは泊めてもらえるかもしれない。煙草まで放任の一言で済ませるのはどうかと思うけど。

 宗也の手を振り払い、ドアノブに手を掛ける。

「待て、待ってくれ」

 宗也が私の腕を掴み、懇願するような語気になる。私は思わず一瞬躊躇った。宗也はここの家族で唯一、私に親愛の情こそ見せないものの迷惑そうな顔もしたことのない人間だ。その宗也にこんな風に引きとめられれば、話くらい聞こうかという気にもなる。

「今から急に自活なんて無理だ。高校くらい出ないと」

「何とかなる」

 切り捨てる私に、宗也は溜息を吐いた。

「どうしても家を出たいと言うならそれは止めないから……話を聞いてくれ」

 下手に出られて、私はぐっと言葉に詰まった。ドアノブから手を離す私を見て、宗也がほっと息を吐く。

「家を出たいなら俺から父さんに言うよ……でもお前一人で暮らすのは無理だ」

「それじゃ」

 どうしろと、と反論しようとした私に、宗也は言った。

「俺も家を出る」

「……は?」

「大学まで片道一時間半は遠いと思ってたんだ。高校の向こう側に部屋を借りれば、俺の大学も灯宵の高校も近くなる」

 一歩、宗也が私との距離を詰めた。

「一緒に暮らそう。二人で」

 私は茫然と宗也を見上げた。宗也の意図を掴みそこねて、混乱する。

 気付いた時には、ドアに押しつけるようにして追い詰められていた。

「宗也……?」

「灯宵」

 距離が、近づく。

 私は咄嗟に宗也を突き飛ばした。

 これ以上、聞いてはいけない。本能が警鐘を鳴らした。私はドアノブを押し下げ、宗也との間に開いた僅かな距離を擦り抜けるようにして隙間から滑り出た。荷物を宗也に掴まれたので、潔く手放す。捕まるよりましだ。

「私は一人でいい!」

 理由なんてわからない。とにかく、怖かった。誰も信用できない。信用なんてするもんか。

 階段を駆け下り、手近な靴をつっかけて外へ走り出る。追いかけてくる宗也をまくために、小道を選んでぐるぐると走った。

 何だっていうんだ。

 結城も、宗也も。

 そんな目で見られるのは、嫌いだ。

 がむしゃらに走って、どこかの公園のベンチに座って一息吐く。もう追いかけてくる者は居なかった。

 無性に中津に会いたくなった。

 弟みたいなあの雰囲気が心地良かったのかもしれない。

 今なら中津の言っていた感覚が分かる気がする。絶対恋愛じゃないけど、大切。

 ぽつり、と、空から雫が落ちてきた。

 程無く雨は勢いを増し、私の全身を叩く。

 私はふらりと立ち上がり、歩き出した。あてなど無い。どうにでもなれ、と思った。

 まさかこれがこの住み慣れた世界との別れになるなんて、想像もしていなかった。


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