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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之肆 白秋の国
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遭遇

 晨葎の傷が癒え、動けるようになるまで私達は宿に留まっていた。宿の主人は役所の性質を承知しているらしく、晨葎が目覚めた事は口外せずにいてくれる。犠牲になった兵士達への同情もあって、暗黙に私達に協力してくれているようだ。

 件の盗賊には今の所目立った動きは無い。表面上安息に似た、不気味な沈黙が続いていた。

「賊は私達の事など眼中に無いのではありませんか」

 もうあまり痛まないらしい上体を起こして薬湯を啜りながら、晨葎が言う。何事も無く過ぎていく日々は、私達に考えすぎではないかという疑問を生ませていた。

「あれからもう半月……何も無いですからね」

 沃縁も晨葎に同意しながら果物を切っている。栄養豊富で傷の回復にもってこいだ、と函朔が買ってきたものだ。

「実際私達は賊を見たわけでもありませんし」

 頻りに頷き合っている二人を見るともなしに眺めていると、函朔がつと隣に来た。

「気を緩めるな、鴻宵」

 潜めた声で、注意を促す。

「こういう時期が一番危ない」

 さすがに、庵氏兵団の一員として場数を踏んできただけの事はある。賊が動きを見せない理由を、函朔は冷静に観測していた。

「わかっている」

 同じように小声で頷き返した時、沃縁が声を上げた。

「そういえば干し肉が切れたんでしたね。果物もこれが最後です」

 確かに、食料の蓄えが尽きかけている。そろそろ買い出しに行く時期だった。

「なら、俺が……」

「いえ、あのっ」

 私が言いかけた言葉を遮ったのは晨葎だ。そのやけにきらきらした目を見て、函朔が肩を竦める。果たして、晨葎は言った。

「私、市に行きたいです!もう傷も治ってきてますし」

 そろそろ部屋に籠もっている事に飽きたのだろう。まるっきり子どものような反応に、私と函朔は顔を見合わせて小さく嘆息した。

「わかった。俺も行くよ」

 函朔がやれやれといった調子で言う。晨葎は嬉しそうに笑った。まだ二十歳前だろうその面貌は、あどけない雰囲気を残している。

 でも私よりは年上だろうが、おい。そんな子どもみたいな反応でいいのか。

「お前はどうする」

 函朔が私に視線を転じる。

 私は寸時考えた。晨葎や沃縁が外出するなら私も同行するのが最も安全だが、函朔がいれば多少の事は問題ないだろうし、少し休みたい気分もある。

 

 何より賊が何も仕掛けてこない事で、私もどこか油断していたのかも知れない。

 

「俺はここに残る。三人で行ってこい」

 そう答えた私の中に、楽観があったのは紛れもない事実だった。

「だったらこれ食べた後にしましょう。お茶淹れますね」

 沃縁が朗らかな笑みを見せ、部屋を出て行く。水瓶の水が残り少ないようだから、汲みに行ったのだろう。

「くれぐれも気をつけろ」

「わかってる」

 私は函朔に注意を促し、函朔は軽く応じて果物を口に運んだ。

 沃縁が淹れてくれた茶を飲み、果物を平らげると、私を除く三人は市へと出かけた。彼らを見送った私は、軽く息を吐いて横になる。

 ここのところ、夜も函朔と交代で警戒している為に纏まった睡眠をとっていない。

 自然、私は時を置かずに深い眠りへと誘い込まれていった。

 

 

 一方、函朔以下の三人は。

 市に入ると、物珍しいのか晨葎が目を輝かせて様々な店を覗き始める。函朔が呆れたようにそれを眺め、沃縁はくすくすと笑っていた。

「餓鬼かあいつは……で、要るのは干し肉と果物か?」

「はい。出来れば野菜も少し」

 うろうろした挙げ句に雑貨屋に釘付けになっている晨葎を余所に、二人は必要な物を買い揃えていく。

 沃縁はマメな質らしく、こういった一種家庭的な用事を任せるには最適な男だった。函朔も鴻宵も、どちらかというと食物や金銭感覚には無頓着だったので、沃縁に感心する事は多い。

「干し肉はあっちの店の方が安いです。晨葎さん、行きますよ」

 しかもうろつく晨葎をうまくあしらって買い物を進めてくれる。何かと便利な男だ。

 函朔が沃縁の才覚に感心しながら歩いていると、不意に沃縁があっと声を上げた。

「お金が……」

 どうやら、硬貨を数枚落としてしまったらしい。そのうちの一枚は、器用に地面を転がって寂れた路地へと入ってしまった。

「わ、どうしましょう」

 沃縁が慌てて手近に落ちたものから拾い始める。函朔も足下に散った硬貨を拾う。顔を上げると、晨葎が路地の方へ転がった数枚を追っていくところだった。沃縁と函朔も、拾い残した硬貨が無いか足下に注意しながら後に続く。

「ありましたよ」

 路地に幾分深く入った場所で晨葎が声を上げる。追いついて礼を言いながら受け取る沃縁の後ろで、函朔は周りを見回した。人気の無い、寂れた裏路地だ。

「なんか……」

 函朔が呟いた時、路地の奥から歩いてくる十数人の集団が見えた。

「走れ!」

 ほぼ反射的に、函朔は叫んだ。同時に晨葎の腕を掴み、沃縁に押しつけるようにして二人纏めて街道の方へ押しやる。

 現れたのは武器を携えた男ばかり十数人。

 決して柄の良くない彼らの様子に、函朔の本能が警鐘を鳴らしていた。

 函朔のただならぬ様子に事態を察した二人は街道に向けて走り出す。が、その足は数歩地を蹴っただけで止まった。

「函朔さん……」

 沃縁の口から、絶望を帯びた呟きが落ちる。

 街道への道は、やはり十人ほどの男に塞がれていた。

「囲まれたか……」

 棒を構えて後方の男達を牽制していた函朔が舌打ちする。

 相手は二十人超。こちらは三人。しかも晨葎は傷が完治していないし、沃縁は丸腰だ。満足に闘えるのは函朔一人と言ってよかった。

「お前等か?この辺で好き放題やってる盗賊ってのは」

 じりじりと寄ってくる男達に油断無く目を配りながら、函朔は問う。臨戦態勢は崩さないまま、沃縁と晨葎を壁際に寄らせて庇うように立った。鴻宵がいれば手分け出来たんだが、とよぎった考えに苦笑する。戦闘を前にして希望を思い浮かべるなど、およそ戦慣れした者のする事ではなかった。

 ゆっくりと息を吐いて余計な思考を追い出すと、三方を囲むように迫ってくる男達に意識を集中させる。この中に方士がいるのかいないのかわからないのが気がかりだが、わかっていたところでどうしようもない。何しろ相手がどんな術を使うのかすらわからないのだ。

「か、函朔さん……」

 晨葎が剣の柄に手をかけながら、小声で函朔の名を呼んだ。相手の人数の多さに、明らかに動揺している。

「下手に動くなよ」

 釘を刺して、函朔は口角を上げた。

「盗賊だか何だか知らないが、群れなけりゃ何も出来ない連中なんて大したことないさ」

 敢えて相手に聞こえるように言うと、果たして男達は殺気立った。

「そういう事は勝ってから言え!」

 誰かが叫んで、数人が一斉にかかってくる。函朔は膝を沈めて腰を落とし、棒を舞わせた。

 

 

 床に転がったまま眠っていた私は、ふと目を覚まして身を起こした。

 三人はまだ戻って来ていない。

 一つ大きく伸びをして、私は固くなった首や肩を解した。窓から射す陽光を見ると、眠りに就いてから三経が経とうとしていた。

「遅いな、あいつら……」

 大方晨葎がはしゃいで帰ろうとしないんだろう。

 夕食の準備でもしておいてやるか、と立ち上がった私は、まだ何も知らなかった。

 

 

 函朔の棒を鳩尾に受けて、盗賊がまた一人膝を折る。残りは既に数人になっていた。

「な、何だこいつ」

 まだ立っている男達が、畏怖と戸惑いを込めた目を函朔に向ける。函朔はくるりと棒を回すと、再び二人を護るように立った。

「大したことあったのは人数だけか」

 函朔が嘲笑を浮かべる。挑発に乗って切りかかった男は脳天に棒の一撃を受けて地に伏せた。側面に向いた体勢をすぐに戻そうとした函朔の耳が、異質なざわめきを捉える。

 精霊を視認することはできないが、その分聞こえる声から状況を判断する事に神経を注いできた函朔の耳は、ざわめきの出所を半ば本能で察知した。とっさに正面を向こうとしていた足を踏み変え、晨葎の腰の剣を鞘ごと引き抜く。

「函朔さん!?」

 驚く晨葎には目もくれず、函朔は抜き取った剣を敵に向かって高く放った。

「走れ!」

 何が起こるのかはわからない。

 だが、これから起こる事が自分達に危害を加えるというのは容易に想像出来る。

 戦慣れした人間としての勘が、函朔に迅速な逃走を選ばせた。晨葎と沃縁の肩を押し、街道に向けて走りだす。

 

 上空で、何かが割れるような硬質な音が響いた。

 

 走りながら振り向いた函朔は、晨葎の剣の刃が弾けるように割れ飛ぶのを見た。砕けた刃は周囲の物を切り裂き、獲物を追うように飛んで来る。

「急げ!」

 晨葎と沃縁を急かし、自身も足を速める。街道に出てしまえば追っては来ないだろう。それに、街なら盾にする物もたくさんある。

 晨葎と沃縁を先に立てて走っていた函朔は、晨葎の背中を刃が貫こうとするのを見た。とっさに晨葎の背中に飛びついて地面に倒し、そのままの勢いで街道に転がり出る。頬にぴりっとした痛みが走った。

 

 突然路地から転び出た三人に、道行く人々が驚いて足を止める。即座に起き上がった函朔は、刃が追って来ないのを確かめ晨葎と沃縁の無事な姿を見ると、叫んだ。

「賊だ!例の盗賊が出たぞ!」

 人々は立ち騒ぎ、逃げる者、役所に走る者で一時騒然となった。その中に紛れるようにして、三人は宿へと急ぐ。

「函朔さん、血が……」

「ん?あぁ、大したことないよ」

 頬に触れると、ぬるりとした感触と鋭い痛みがあった。布で血を拭いながら、函朔は二人を顧みる。

「あんたらは?怪我無いか」

「はい、お陰様で」

 沃縁がそう言い、晨葎も頷く。二人とも、僅かに衣服を切り裂かれた程度だった。

「それにしても凄いです。あの人数を一人で……」

 函朔と棒を交互に見ながら、晨葎が感嘆する。函朔は苦笑した。

「雑魚ばっかだったし。伊達に庵氏の中央馬車を預かってたわけじゃない」

 庵氏兵団を後にしてまだ一月余りだというのに、少し懐かしさを感じる。鴻宵に付いて旅に出る前は、大半の時を庵氏の下で過ごしていたのだ。

「庵氏の……え、函朔さん、あの大商人庵氏の私兵団にいたんですか!?」

 晨葎が驚愕の声を上げる。沃縁も目を見開いていた。

 庵氏の私兵団といえば、精鋭揃いであまりにも有名である。当主の次男庵覚に認められた者でなければ入れないというのも、よく知られた話だった。

「庵氏の中央馬車を……それでは強い筈ですよね」

 沃縁が呟く。

 庵氏兵団の中でも、中央馬車に付けられるのは腕が立ち、しかも庵覚に信頼される者だけだった。

 驚きつつも納得する二人を見ながら、函朔は宿で待つ連れの事を思い出していた。

 ある日突然庵氏邸に現れて、名にし負う庵氏兵団の私兵達を片端からなぎ倒した華奢な少年。初めての護衛でいきなり中央馬車に付けられたのは、恐らく前代未聞の待遇だろう。

 しかしその事は二人には話さずに、函朔は夕暮れ迫る街を足早に歩いていった。

 

 

 夕闇が街を包む時間になってようやく宿に戻った三人の姿を見た私は絶句した。衣服は所々鋭利に切り裂かれ、函朔に至っては頬に傷を負っている。どう見ても、何かがあった事は明白だった。

「どうしたんだ、一体!?」

 慌てて三人を座らせながら、私は内心臍を噛んでいた。

 油断したんだ、私は。やはり賊は私達の弛みを待っていた。

 それでも、無事帰ってきてくれた事に安堵する。布をぬるま湯で湿らせ、函朔の頬の傷を拭った。

「心配無い。かすり傷にもならないよ」

 函朔はそう言って笑う。実際傷は深いものではなく既に血も止まっていたが、その傷口の鋭さと三人の衣服の切れ方から見て、尋常でない事があったのが想像出来た。

「賊に、襲われたんです。函朔さんが闘って下さって……」

 俯きながらそう説明する晨葎の腰には剣が無い。問うような目をした私に、函朔が声をかけた。

「鴻宵、賊の方士の能力がわかったよ」

 私ははっと函朔を見た。函朔が晨葎の左腰を示す。

「多分、金精霊を使うんだろうな。晨葎の剣が砕けて刃が飛び回った」

 その言葉に、宿屋で起こった事件の痕を思い出す。兵士達の武器が無惨に砕け散っていたのは、単に破壊されたわけではなかったんだ。

「その方士は……」

「姿は見てない」

 首を振る函朔に、私は眉を寄せた。実像のわからない敵を相手にするのは骨が折れる。

「どこから狙われるかわからない……早々に調べをつけないとまずいな」

 私の言葉に、全員が頷いた。


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