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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之肆 白秋の国
35/76

盗賊

 その夜、宿をとって眠りに就いた私は、夜半にこっそりと起きあがった。暗闇の中に座ったまま、函朔の気配を探る。寝息が聞こえるのを確認して、そっと立った。音を立てないように上着を身につけ、剣だけを手にゆっくりと歩き出す。足音と気配を極力殺して戸口へ向かった。

 他の邑でやったのと同じように精霊を集めて、今度は情報を得るつもりだ。

 私よりも出口に近い床に眠っている函朔の枕元を、静かに通り抜けようとする。

 

 刹那。

 

「わ、っ!?」

 いきなり足首を何かに捕らわれて、私はバランスを崩した。そのまま引き倒される。床に背を打ちつけて反射的に閉じていた目を開くと、目の前に函朔の顔があった。

「函朔……」

「どこに行くんだ?」

 闇の中で私を見下ろす目は、どこまでも鋭い。私は動けなかった。

「他の邑でも時々抜け出してただろ?何してたんだ?」

 バレてたのか。

「何を企んでる?」

 こんなに厳しい顔をした函朔を、初めて見た。

 普段が普段だから忘れがちだったが、こいつは棒術の達者、一端の武人だ。確実に私を射抜く殺気に、私は息を呑んだ。

「俺、は……ただ……」

 絞り出した声が掠れる。

「ただ……精霊達と、話を」

 間近にある函朔の瞳が、すっと細められる。平静を保とうと努めながらも、私は手の震えを止められなかった。

 怖い。

「何の話?」

 偽りは許さないと、鋭利な瞳が煌めく。

「城壁の修理とか……農地の回復とか……放って、おけなかったから……」

 私が正直に言うと、暫しの沈黙があってからふっと殺気が和らいだ。

「そういえば気にしてたな……そっか、それでか」

 瞬き一つでいつもの雰囲気に戻った函朔は、しかしもう一度厳しい表情を見せた。

「ならいいけど……もし白に害を為すような事をしたら……」

 言いかけた時、にわかに宿が騒がしくなった。

「賊がこちらに逃げ込んだと報せがあった!宿を改める!」

 賊……例の盗賊か?

 函朔も騒ぎに気づいたようだ。はっと瞬いた瞳から殺気が消える。

 次の瞬間、部屋の扉が勢いよく開かれた。私も函朔もぱっと顔だけをそちらに向ける。

「あ……」

 賊を探す為の宿改めだ。

 戸を開けたのは若い兵士だった。彼は数秒そのまま硬直した後、顔を赤くして目を逸らした。

「し、失礼しました……どうぞごゆっくり……」

 

 ぱたん。

 

 扉が閉まると、室内には沈黙が降りた。

 

 現在の私達の体勢。床に仰向けになった私に函朔が覆い被さっている。

 つまり、そういうシーンに見えなくもない、というか思い切り見えるわけで……

「だぁあっ!変な勘違いしてんじゃねぇえっ!」

 さっきまでの緊迫した雰囲気はどこへやら、函朔は私の上から飛び退いて頭を抱えた。私も顔をひきつらせながら起き上がる。

 間が悪すぎるぞ、兵士A。そして早とちりもいいとこだ。知らず、溜息が漏れる。

「俺はそっちの気は無いからなっ!」

 お前も何を必死に主張してるんだ。

 すっかりいつもの調子の函朔に、私は脱力してしまった。緊迫していた空気が一気に弛む。

「……疑って悪かった」

 顔に手を当てて深く息を吐きながら、函朔がぽつりと言った。見ると、精霊が一匹、函朔の肩で跳ねている。どうやら、私が夜中に宿を抜け出してしてきたことを説明しているらしい。それで疑いが晴れたわけだ。

「いや……紛らわしい行動をした俺も悪い」

 先程までの函朔の表情を思い出す。あれは本物の殺気だった。そして最後に言おうとした事。

「函朔……お前、白の生まれか」

 白という国の為に、函朔は私を警戒していた。庵氏兵団にいるような流れ者が国への愛着を見せた事が、少し意外だ。

 私の言葉を受けて、函朔は深く息を吐きながら頭を掻いた。

「そうだよ」

 幾分投げやりに、答えが返される。

「俺は白でもそこそこの家に生まれたんだ……けど、精霊の声が聴けるってわかると家を出された」

 函朔が語る過去を、私は黙って聴いている。

「不満は無いよ。親父は俺がその力のせいで厄介に巻き込まれる事を避けたんだ。寧ろ感謝してる」

 でも、と言って言葉を切った函朔は、決まり悪げに頬を掻いた。

「この国を捨てる事は、出来なかったんだよなぁ……」

 諸国を放浪していても、自分の故国は白だという思いは常に函朔の中にあったらしい。私はそんな函朔の独白を聞きながら、ずきりと胸が痛むのを感じた。

 

 私が白の軍や邑を焼き払った張本人だと知ったら、こいつはどんな顔をするだろうか。

 

 しかしそんな思いは胸の奥に押さえ込んで、私は話題を転じた。

「それで、盗賊も放っておけないのか」

 函朔は大きく頷く。

「そう。それに、妙だ。ただの盗賊とは思えない」

「というと?」

 首を傾げた私に、函朔は片手を広げて見せた。

「洋耶、軒氾、楠桔、庚炉……それに均査」

 一本ずつ指を折りながら、名前を数える。聞き覚えのあるその名前は、確か盗賊の被害に遭った屋敷の主達だ。

「全員、太子派の有力者だ」

「太子派?」

 白の国内事情など全くわからない私は、函朔の言葉を鸚鵡返しする。函朔は難しげな顔をした。

「お家騒動ってのはどこにでもあるもんでな。白の王位は普通なら当然太子に受け継がれる筈だけど……」

 それを良しとしない輩がいる、と言った函朔の表情は、普段の屈託の無さからは考えられない程苦々しい。

「今の王は自分の末弟をやたらと可愛がってるんだ。それが問題になった」

 函朔の話に依れば、王の末弟と太子とは歳があまり変わらないらしい。その為か、王に可愛がられている末弟は次第に太子を見下すようになった。王の後を継ぐのは、太子ではなく、王の意志を最もよく理解している自分であるべきだと考え始めたのだ。

「勿論、まともな臣下は取り合わない。どう考えたって太子が継ぐのが順当だし、人望もある」

 しかし、権力におもねる者というのは必ず居るものだ。

 狡猾に利害を計算して末弟側についた彼らは、巧みに王に太子の悪口を吹き込み、末弟を持ち上げた。その結果、元々末弟を猫可愛がりしているきらいのあった王は太子を疎むようになり、今では廃嫡の噂まで立つ有様だという。

「まともな臣下が必死に止めてるってのが現状だ。そのまともな奴らを太子派と呼んでるのさ」

 函朔はそう説明を締めくくると、溜息を吐いて仰向けに寝転がった。

 本質は呆れるほど単純な身内の依怙贔屓なのに、王家ともなればそれが国全体を巻き込む大事に発展する。

「その太子派ばっかり被害に遭ってるって事は……」

 頭に浮かんだ嫌な推測に、私は眉をしかめた。函朔が再び溜息を吐く。

「何かきな臭いだろ?」

 そう言って寝返りを打とうとした時、建物全体が揺れるような轟音が響いた。

 

「何だ!?」

 私はとっさに立ち上がる。函朔も飛び起きて棒を掴んだ。そういえば、さっきの兵士は宿改めに来たのだ。賊がこちらに逃げ込んだと、そう言っていた。

 私が状況を掴もうと思考を動かしている間にも、二度三度と轟音が響き、何かが崩れる音が聞こえる。

「奥だ」

 耳を澄ませていた函朔は音の出所を感知したらしく、部屋の扉を跳ね開けて走っていく。私も後に続いた。

 ざわざわと空気が騒ぐ。相手は方士に間違い無かった。

 狭い廊下を走りきって一番奥の部屋を前にした時、私は強い血臭を感じた。

「うっ……」

 吐き気を堪えて一瞬躊躇った私を余所に、函朔が迷わず扉を引き開ける。

 

 吐かなかった自分を褒めたい。

 

 安宿の簡素な部屋は、既に原型を留めない程に破壊されていた。中には数人の兵士が倒れている。武器ではなく術でやられたのだろう、部屋中に赤が飛び散っていた。何をしたのかわからないが、兵士達の持っていた矛の刃が砕けたように飛び散っている。

 動いている人影は無い。犯人は壁の穴から逃げたのか。

 函朔が瓦礫を飛び越えて壁の残骸ごしに外を窺う。しかしもう、誰の気配も感じられなかった。

「ぅ……」

 耳に届いた呻き声にはっとする。凄惨な光景に固まっていた体を、私は強引に動かした。

 生存者がいるのだ。ぼうっとしている暇は無い。剣の柄から小刀を抜き、髪を一房切って宙に投げた。

「命あるものを司る木、生み育てる水よ」

 見よう見まねで浮かんだ言葉を紡いだいい加減な詠唱だが、私の声に反応した木精霊と水精霊が放られた髪の毛を器用に受け取る。

「救え!生存者を探して、止血を」

 言いながら、すぐ近くに倒れていた兵士を抱き起こす。若い顔立ちに見覚えがあった。先程私達の部屋に来た、あの間の悪い兵士Aだ。肩や足に浅い傷があり、脇腹が深めに裂かれていた。鎧を着けていなければ助からなかっただろう。鎧と上衣を脱がせ、衣を裂いて傷口をきつく巻く。

「こいつも生きてる」

 逃げた犯人の捜索は不可能と判断したらしい函朔が、壁際で一人瓦礫から引きずり出す。こっちは腕や肩にかすり傷と、額から血が流れている他は、崩れた瓦礫で打撲を負っただけのようだ。函朔が傷の程度を確かめながら布を巻いていく。鎧は着けていないから、この部屋に泊まっていて巻き込まれた旅人だろう。

 

「ひっ……こ、これは……」

 後ろで聞こえた小さな悲鳴に振り向くと、宿の主人が腰を抜かしていた。どうやら今まで隠れていたらしい。無理もないが。

「医者を呼んでくれ。こいつはまだ助かる!」

 私が言うと、震えながらもがくがくと頷いて走って行った。

 水精霊に出血を抑えさせながら部屋を見渡した私は、暗澹とした気分になる。私の指示を受けた精霊達が、しょんぼりとした様子で私の元へ集まって来た。

 

 結局、生存者はその二人だけだったのだ。


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