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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之肆 白秋の国
33/76

 翌日、私と函朔は鍼を出て北へ向かった。

 あの時紅軍が侵攻した道のりを、私は辿るつもりでいる。

「俺さ、よくわからないんだけど」

 特に急ぐでもなく平原を歩きながら、函朔は言った。

「朱宿って奴は、実際のところどういう奴なんだろうな」

 私は首を回して函朔を見た。いきなりの疑問に、説明を求めるように首を傾げる。

 函朔は視線を遠くに投げ、戸惑うように眉を寄せながら言葉を加えた。

「いや、白人の噂とか聞いてると、朱雀の力を利用して紅の侵攻に加担した無情な奴、って感じだろ?」

 私は敢えて何も言わず、ただ首肯する事で先を促した。

「でもさ、精霊達の声聞いてると、朱宿を悪く言う奴って全くいないんだよ」

 確かに、精霊達は驚くほど私の味方だ。あんな事をした私に、未だに力を貸してくれる。

「……何でだろうな」

 私も心底そう思う。

「鴻宵はどう思う」

「え?」

 急に意見を求められて、私は目を瞬いた。函朔は何か考えるようにしながら棒をくるくる回して遊んでいる。

「朱宿について。俺は精霊の言い分を聞くかぎり、朱宿ってのは朱雀に操られてただけの普通の人間だったんじゃないかと思うんだ」

「え?」

 私は瞠目した。

 こいつは今、何と言った……?

「普通の……人間……?」

「そう。あ、勿論霊力的な意味じゃないけどな」

 函朔はそう付け加えると、再び視線を遊ばせた。

「何ていうか……別に言われてるほど残虐な奴じゃないと思うんだよ」

 私利の為に朱雀の力を利用するような奴に精霊が同情的なわけないし、と彼は続ける。私の胸中に複雑な思いが渦巻く。

「……確かにそうかも知れない。でも」

 精霊は自我を持たない霊力の結晶だ。函朔が思うのとは違い、純粋に力に従うのかも知れないじゃないか。

 それに、朱宿は。

「朱雀の行いを拒まなかった朱宿は、やはり罪人だ」

 多分、本気で抵抗すれば防げた。最後には私は朱雀を引き剥がしたのだから。でも、私は途中で諦めてしまったのだ。こうするしかないのだと、仕方がないじゃないかと、逃げてしまった。

 その罪科は決して小さくない。

「厳しいな」

 苦笑しながらも函朔も否定はしなかった。本人が残虐でなかったとしても、犯した罪は罪だと、彼も理解しているのだろう。

 

 それきり朱宿の話題は避けて、私達は次の邑に入った。ここも、野外に布陣した軍を焼いた炎の余波を受けて城壁が一部焼け落ちている。郊外の畑の有様は前の邑より酷かった。

 諦めてしまったんだ、私は、ここで。

 どうでもいいと心を塞いで、朱雀の求めるままに炎を放った。

「何でも焼いちまうんだな、朱雀の炎ってのは」

 石造りにも関わらず燃えた痕の生々しい城壁を見て、函朔が嘆息する。私は頷いて、その傷跡にも似た情景を見上げた。

 

 全てを焼き払っても、何も手に入れられはしないんだよ。

 

 内心で朱雀に向けて呟くと、私は函朔を促して城門を潜った。

 夜になると、私はまた宿を抜け出して精霊達を喚んだ。あの紅の侵攻で炎を浴びた全ての邑で、同じ事をするつもりだ。

「願わくは」

 精霊達が散った後、私は静かに呟いた。

「平穏な日々がこの国に訪れるよう」

 その声は、さやかに吹いた風にさらわれていった。

 

 

 

 被害を受けた邑に入っては精霊に指示を出して復興を手伝わせる。

 そんな事をしながら旅を続けていた私と函朔は、ついにあの時紅軍が引き返した平原、すなわち私が朱雀を拒絶した場所までたどり着いた。そこから少し先に見える邑は、これまでとは違い無傷だ。

「ここが……」

 位置で言えば、白の中南部。中央より少し北寄りに位置する都とこの邑を結ぶ線を延ばせば、都からの距離の約二倍の距離を進んで国境にぶつかる。つまり、国境から都までの道のりを三分の二こなした地点に、この邑はある。

「ここが(ひつ)だ」

 地理に暗い私にそう説明すると、函朔は足を進めた。私は寸時留まって、野原を眺める。

 朱雀は今、どうしているだろう。

 あの時私を助けてくれた水精霊は、何故私を橙に飛ばしたのだろう。

「鴻宵?置いてくぞ」

 振り返った函朔が言う。

「ああ、今行く」

 答えの出ない問いを置いて、私は足早に歩きだした。

 

 邑の中は、これまでの邑とは少し違った。何より朱宿に焼かれていないから、城壁の修築に駆り出されている者がいない。しかしそれにも関わらず、邑内の空気は明るいとは到底言えなかった。

「なんか……」

 思わず呟いて辺りを見渡す。

 空気がぴりぴりしている。人通りはそこそこあるが、女子供が殆ど出歩いていない。男が皆帯剣しているのは他の邑でも同じだったが、ここでは大通りにも関わらず弓矢や槍さえ見える。

「調べた方が良さそうだな」

 函朔も険しい顔をして、手近な茶店に入った。ごく小さな店で、一人で経営しているらしい老人が応対に出る。

「茶を」

 私は席に座りながら簡潔に注文を済ませた。

「あ、俺酒ね」

 同様に注文する函朔に眉が寄る。

「お前、昼間から……」

「気にしない気にしない」

 やがて老人は碗に入った茶と酒、それに私には茶菓子、函朔には肴として肉の塩漬けを持ってきてくれた。

「なぁじいさん、何でこの邑はこんなにぴりぴりしてんだい」

 函朔が酒を喉に流し込みながら訊く。老人は白くなった眉をぴくりと動かした。

「旦那方は旅の人ですかな」

「ああ」

 頷く私達に、老人は少しだけ往来を気にしながら答えた。

「ここ最近、盗賊が横行しておるのです」

「盗賊?」

 なるほど、それで物騒だから警戒が強まっているわけか。でも、だからといって昼間からこんなに厳戒態勢であるものだろうか。

「それにしても随分物々しいんじゃないか?」

 函朔も同じ事を感じたらしく、問いを重ねる。老人は心持ち声を低くした。

「それが、どうもただの盗賊とは違いましてな」

 気になる言い方に、私も函朔も耳を傾ける。

「狙われるのは大抵偉いお方の屋敷ですが……奴らに襲われたお屋敷の有様といったら……」

 老人は言葉を切り、首を振りながら嘆息した。

「……酷いのか」

 私が低く呟くと、老人は痛ましげに眉を寄せる。

「家人は皆殺しと聞いております」

 ぐっ、と喉の奥にこみ上げる不快感を何とか堪える。

 邑の人々が警戒するわけだ。どうしてそんな犯罪が横行しているのか。役人はそいつらを捕まえられないのか。

「それに、どうやら方士がいるようでして」

 その言葉に、私は思わず顔を上げた。函朔も眉をひそめる。

「方士?」

「左様で」

 空になっていた函朔の碗に酒を注ぎながら、老人は頷いた。

「どんな術を使うのかわかりませんが、襲われた家屋敷は人間業とは思えない壊され方をしておるそうです」

「術を……」

 私は橙で妖魔と戦った時の事を思い出した。鴻耀が傷を負ったのを見た時、激情に駆られて風精霊に攻撃を命じた。妖魔を粉々に引き裂いた鋭い風。精霊を使役して戦うというのはああいうことだ。

 あんな事ができる人間が、盗賊をして人を殺している。

「なんて事を……」

 呟きがこぼれた。周囲を漂う精霊達は、特に会話を聞いてはいないのか、いつも通りふわふわと浮かび、時にいたずらをしたり己の母体たる水や風や木に働きかけたりしているだけだ。今すぐにでもそいつらを捕まえて盗賊について問いただしたい気持ちをぐっと抑えて、私は茶を大きく一口飲み込んだ。

「しかしお偉いさん宅がそんな被害に遭ってたんじゃ、大変なんじゃないか」

 不意に思い当たった事実を、私は口に出してみた。

 そうだ。地位の高い人間が一家皆殺しになんかされてみろ。この邑の為政は愚か、下手すると国の政治にも影響が出かねない。というのも、函朔の話によればこの畢という邑は白の国内で都に次いで大きく、交通の要衝でもあり朝廷の直轄領という事もあって、重臣達の別宅が多く立ち並んでいるらしいのだ。この邑に別宅を持っていると自分の領地と都の行き来にもかなり便利になるのだという。

「はい……ですが不思議とご本人はいらっしゃらない時に盗賊が入るようで」

 高位の者が殺されるという事態には今の所至っていないらしい。しかし、この邑の屋敷、財産や家臣、場合によっては妻子まで根こそぎ奪われては痛手だろう。

「これまで被害に遭ったのは?」

 いつになく真剣な面もちで、函朔が老人に尋ねた。これだけ騒ぎになっている上、犯行は屋敷を破壊する派手なものだ。街の庶民でも、どこが襲われたか正確にわかるだろう。

「洋耶様、軒氾様、楠桔様、庚炉様……あとは均査様なども」

 老人が挙げた名前は当然の如くどれも私の知らないものだったが、函朔には心当たりがあるらしく眉根が難しげに寄せられる。

「そうか……や、教えてくれて助かった。俺達も気をつけるよ」

 思考を振り切るように一度頭を振った函朔は、いつもの懐こい笑みを浮かべて老人に礼を言った。私もそれに倣い、茶代を少し多めに置いて立ち上がる。

「いえいえ。どうぞお気をつけて」

 頭を下げる老人に背を向け、殺伐とした街を歩き出す。函朔も私も喋ろうとせず、自然に思考は内側へと向いていった。

 

 盗賊の中に方士がいる。

 

 それが、私にとって最も気になる事実だった。紅で過ちを犯した私は、精霊を扱う力を持つ方士が、それを持たない人間に対して術を使う事を嫌忌するようになっていた。そのせいか、この盗賊が気になって仕方がない。

「なぁ」

 不意に、函朔が声を上げた。視線を向けた私に、斜め下を見つめたまま提案する。

「少し、この邑に留まってもいいかな。……どうも気になって……」

 もとより、先を急ぐ旅でもない。それに、気になるのは私も同じだ。

 私は頷くと、中空に視線を飛ばした。

 

 この邑では精霊に頼みごとをする必要は無いと思っていたが、どうもそうは問屋がおろしてくれなさそうだ。いつものように広場を探しながら、今夜風精霊を集めてみよう、と画策した。

 どこでもふわふわと流れていく彼らなら、何か知っているかも知れない。


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