鍼
それから一夜野宿をして、太陽が中天に上る頃。
私と函朔は鍼に辿り着いた。
城壁に近づく前から、修復作業が行われている様子が見て取れる。所々焼け焦げた跡の認められる城壁に、胸が痛んだ。
「被害、大きかったのかな」
私が呟くと、それを聞きつけた函朔が首を捻った。
「どうだろうな。死傷者はそんなに多くなかったって話だけど」
「――死んでないよ」
ぽつり、と私の耳にだけ届いた小さな声があった。
「死んでない」
目を転じると、肩に乗った炎精霊が存在を誇示するようにぽんと跳ねた。
「灯宵、殺したくなかったでしょ。だから、死んでないよ」
じわり、と精霊の言葉が胸に滲みる。ずっと、何人もの人を死なせたと思っていた。でも、精霊達は私の思いを酌んで加減をしてくれていたのだ。朱雀は容赦なく焼き払えと命じたに違いないのに。
しかし、本当に精霊の言う通り誰も死ななかったのだろうか。安堵を裏切られるのが怖くて、疑問を抱いてしまう。
たかだか炎から生まれる霊力の結晶に過ぎない精霊の意志が、土地神朱雀の起こした炎を操れるのか。
私の疑念を見透かしたかのように、炎精霊は続けた。
「朱雀様もね、殺したかった、違うの」
飽くまで函朔に聞こえないように囁き声で、しかしはっきりと精霊は言った。
「悲しい、どうしたらいいかわからない。だから、助けて」
朱雀をこの身に宿していた時に感じた悲しみと怒りを思い出す。狂気を帯び始めてはいたものの、本来そこに邪な思いなど微塵も無かった。
「朱雀様を、助けて」
炎精霊の声は、私の耳に泣き声のように響いた。
鍼の城門を入ると、労役に駆り出された人々が方々に見えた。もっこを担いでいる者、土嚢を積み上げている者、皆疲れきった表情で黙々と働いている。
「酷い有様だな」
私は眉をしかめた。どう見ても、適切な労働をしているようには見えない。よろけそうになりながら作業を続ける人々の周りを、土精霊がおろおろと飛び回っていた。
「確かに厳しすぎる。邑主は焦ってるみたいだな」
函朔の表情も険しい。ここは国境に近い。いつまた紅の侵攻があるかわからないと考えれば、焦るのも無理はないんだろう。でも、そうして人々を酷使して直した城壁が、果たして邑を護ってくれるだろうか。
「やめて、やめて」
土精霊が体を震わせて訴えてくる。
「随分優しいんだな、ここの土精霊は」
「それは違うよ、鴻宵」
土精霊が労役の過酷さに心を痛めているんだと思った私の一言は、ばっさりと否定された。
「精霊ってのは霊力が高くて相性の良い者には従順で好意的だけど、その他の人間がどうなろうと気にしやしない。基本的に自分本位なものなんだ」
函朔の言葉に、私は首を傾げた。
「なら、どうして……」
「つまり、不都合が有るのさ」
函朔は修復中の城壁を指さした。土を突き固め、石を積み重ねて造られたそれには土精霊が多く宿る。
「怨みつらみを籠めて固められた土にはその念が染み着くって聞いた事がある。つまり、精霊にとっちゃ自分の住処を汚されるようなもんさ」
私は飛び交う土精霊達を見、作業に駆り出されている人々を見た。確かに、人々は不平や不満をその手元に籠めるかのように一心に作業を続けている。サボろうものならたちまち見回り役人の鞭が飛んでくるような状況では、怨みが募るのも無理は無いだろう。
これも、私が引き起こした事だ。
「何とか……出来ないだろうか」
「俺達にはどうしようもないさ」
眉を寄せて言い放った函朔は、それ以上そこに留まるのを嫌うかのように私の腕を掴んで足早に歩き出した。
私の脳裏には、労役に駆り出された人々の暗い表情が焼き付いていた。
町中に入っても、鍼はどことなく活気が無かった。働き手がいないせいだろうか、閉まっている店も多く、代わりに内職の手工業とおぼしき小物を路端に広げている女性や子供が相当数いる。多分、やはり働き手を取られた農家だろう。
私は函朔と共に町を彷徨きながら、密かに土精霊を集めやすそうな広場を探しておいた。
「今夜はここで宿を取ろう。次の邑に行くにしても一日かかる」
そう言った函朔の言葉に同意して、鍼の中にある宿に泊まる事にする。
炉に掛けた鍋に穀物を入れながら、函朔はちらりと私を見た。
「……大丈夫か?」
「え?」
唐突な言葉に、私は目を瞬く。函朔は案外真剣な目をしていた。
「何か、思い悩んでるように見えたから」
図星だった。態度に出てしまっていた事に内心舌打ちしながら、私は膝を抱える。
「別に、心配無い」
月並みな言葉しか出ない自分が歯がゆい。鍋の下ではぜる火に戯れている炎精霊を見ながら、物言いたげな函朔の視線を敢えて無視した。
言えないよ。
私があの無惨な状況を作り出したなんて。
言えない。
夜中、闇の中で函朔の呼吸を探りながら、私はそっと宿を抜け出した。腰には剣を帯びて、昼間探しておいた広場に向かう。
誰もいない事を確認して中央に立つと、私は剣の佩玉を外した。鴻耀がつけてくれた、あの佩玉だ。それを両手に挟むようにして握り込み、私は目を閉じた。
「土よ」
言霊なんてわからないから、ただ意識を集中して呼びかける。ふわりと空気が動き、土の気配が濃くなった。
「この邑の土、周りの農地の土に宿る者達、力を貸してくれ」
呟くように言って、目を開く。正直、驚いた。だって、小さな校庭ほどの広場に溢れんばかりの土精霊が集まっていたのだ。皆黙って続く言葉を待っている。
「ありがとう」
集まってくれてありがとう。そんな言葉が、自然に出た。応えるように、何匹かの土精霊が飛び跳ねて私の肩に乗る。
「お前達に頼みがあるんだ。でもその前に、俺はお前達に何を返せばいいんだろう」
本来、方士は言霊を通して自らの霊力を注ぐ事で精霊の協力を得るらしい。でも私は言霊も霊力の注ぎ方も知らない。それでもこれまで精霊達は頼みを聞いてくれたが、やはり対価も無しに従わせるのは気が引ける。しかも今度の事は、いわば私の過ちの尻拭いだ。
私の問いを受けて、何匹かの精霊が輪になって何やら相談を始めた。輪になる際に弾かれた一匹が憤懣やるかたないといった様子で跳ね回っている。しかし大して実のある話し合いではなかったのか、輪はすぐに散った。
「くれる?」
代表してふわりと漂ってきた精霊が、そう言って私の髪を一本、つんと引っ張った。
「髪?髪でいいのか?」
私が聞き返すと、精霊は頷いた。
「少し、大きな霊力」
つまり髪は少しでも大きな霊力を含むので精霊達にとって十分対価になるという事だろうか。
私はそう理解すると、前髪を一房摘んだ。剣の柄に付いている小刀を抜き、先端数センチをすぱりと切り取る。
「これでいいか?」
短い束を差し出すと、わっと精霊達が群がって取って行った。数が全然足りないんじゃないかとひやりとしたが、一本を数匹で分けたらしく約半数に行き渡る。貰った髪をどうするのかと見ていると、くるんと丸めてぱくっと食べた。
……食べた。
口、あったんだ。
閉じてると見えないだけらしく、髪を口に入れる時に、顔らしき場所にかぱっと小さな楕円形の穴が開く。そこに私の髪の毛を放り込んだ精霊達は、心なしか元気になったようだ。
「よし、じゃあまず受け取った奴ら」
はぁいと寄ってくる土精霊達を、私はくるりと見回した。
「お前達は邑の修復作業を手助けしてやってくれ。さりげなくでいい。きつい労働が少しでも無くなるように。お前達だって、土を汚されたくないんだろ?」
私が言うと、精霊達は一斉に頷いた。私はよし、と呟いて、とりあえずそいつらを城壁に向かわせる。散っていく精霊達を見ながら、また一房髪を切った。最近伸びた前髪が鬱陶しかったから、何ていうか一石二鳥だ。
「お前達は外だ」
切った髪を分けさせて、指示を伝える。
「働き手を駆り出された畑を荒らさないように保ってやってくれ。出来れば作物も元気にしてやってくれると助かる」
働き手を奪われ、世話が行き届かずに作物が枯れかかっている畑を、郊外でいくつも見た。それを何とかしておかなければ、労働が終わって家に戻れても民の生活は悲惨なままになってしまう。私が頼みを口にすると、精霊達は少し戸惑ったように体を揺らした。
「作物……」
「植物」
精霊達の呟きに、私は眉を寄せた。
「何かまずいのか?」
事情が把握出来ないのでとりあえず手近な精霊に訊いてみる。精霊はふわふわと漂いながら答えた。
「作物ね、出来ない」
「土、出来るよ?」
「豊かになるよ?」
「僕たち、それだけ」
口々に発せられる情報を頭の中で総合してみる。
「つまり畑の土を豊かに保つことは出来るけど、作物については守備範囲外って事?」
言いながら、私はどこかで納得していた。土精霊は土の霊力の結晶だ。土を豊かにし、作物に心地よい土壌を作る事は出来ても、それで作物がちゃんと育つかどうかは作物次第。手入れをする人間のいない畑では、どんなに土精霊が頑張っても作物の管理は難しいのだ。
「わかった」
私は頷いた。
「作物については木精霊に頼んでみる。お前達は土を頼む」
木精霊は植物を司る。木精霊に作物の管理を頼み、養分を吸われる土の手入れを土精霊にして貰えばうまくいく筈だ。
私の意を受けて、土精霊達は城外の畑に散って行った。静かになった広場で、私はもう一房髪を切る。
「頼みがあるんだ」
切った髪の毛を掌に乗せて宙に差し上げながら、私は呟いた。
「草木の基たる木精霊……願いを聞いてくれないか」
ざわりと気配が動く。すっと湿気を帯びた風が吹いて、緑色の精霊達がわらわらと集まってきた。私が差し出した髪の毛を、順番に取って行く。
「この邑の郊外の畑は、働き手を取られて荒れている」
髪の毛を受け取って吸収した精霊達に、私は言った。
「勝手な言い分だけど、俺はこれ以上ここの民を苦しめたくない。だから、畑の作物をちゃんと育ててやってくれないか」
ただの押しつけがましい自己満足だとはわかっている。私はこれ以上自分の罪を目の当たりにしたくないだけだ。それでも、木精霊達は力強く頷いて我先にと畑に向かってくれた。
「これでここは大丈夫か……」
ふぅ、と息が漏れる。精霊を呼び寄せるのに霊力を集中したせいか、疲労感が手足を重くしていた。
私はだるい体を叱咤しながら宿に戻り、こっそりと寝床に入って泥のように眠った。




