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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之参 后土の国
29/76

私兵団

 やがて辿り着いた場所は、大きな屋敷の裏手だった。板塀が二重に張り巡らされ、出入り口には門番らしき屈強な男が立っている。

「白への荷が出るのは明後日だ。あんたには今日からここへ詰めて貰うよ」

 そう私に言った庵覚が、鴻耀に目を転じた。

「お前さんはどうするつもりだい?その様子じゃ、またお上に追われてるんだろ?」

 薄茶の瞳が揶揄するように細められる。鴻耀はふいと目を逸らした。

「俺はここで。こいつだけ頼む」

 とん、と肩を押されて、私は眉を上げた。

 こんな傷を負ったまま、一人でどうするつもりなのか。

 抗議の声を上げようとした私より一足早く、庵覚が鴻耀の襟首を掴んでいた。鴻耀の方が多少背が高いので引っ張られる形になり、少しよろける。しかし庵覚は気にも止めずにそのまま鴻耀の体を前に押した。

「その怪我でよく言うよ。暫く養生していきな。親父も歓迎するだろうさ」

 背中を押すようにして強引に門の中へ押し込む。手真似で私について来るように合図すると、自身も中へと踏み込んで行った。私も後に続く。門番にじろりと見られたが、庵覚が許した為だろう、何も言わずに通してくれた。

 

 門の内側には、広い庭とこれまた大きな邸宅があった。豪商と聞いて贅沢な暮らしを連想していたが、思ったほどごてごてした飾りは無い。特に庭などは何も無い、殺風景とさえ言えるような造りだった。

「おや、覚。客人かい」

 その庭の向こうにある渡り廊下を歩いていた人物が、立ち止まって庵覚に声を掛けた。穏やかな声だ。見てみると、濃い黄色の衣服を身につけた三十程の恰幅の良い男だ。庵覚と違って如何にも商人という風体だが、庵覚の父親にしては若すぎる。

「兄者」

 答えは庵覚があっさり口にした。ようやく鴻耀の襟首から手を離し、私と鴻耀を促して兄に歩み寄っていく。庵覚の兄は近づいてくる私たちをじっと見つめていたが、急にぱっと目を輝かせた。

「これはこれは、轟狼殿。よもや貴方とは思いがけずご無礼を。その傷は一体……?」

 慌てたように手を組んで礼をしながら、伺うような視線を向ける。

「妖魔にやられたんだ。大した事は無い」

 鴻耀は事も無げに言ったが、庵覚の兄は顔色を変えた。

「なんと……これ、覚、何をしている。早く部屋にお連れして手当しなければ」

「へいへい」

 肩を竦めた庵覚が家の中に呼びかけると、女の人が一人出てきて鴻耀を案内して行った。どうやら彼女はこの家の召使いらしい。何となく錫雛を思い出した。

「して、そちらは……?」

 鴻耀を見送ってから、庵覚の兄は訝しげな目を私に向けた。私は見よう見まねで、この世界で何度か見かけた礼をする。

「こいつは鴻宵。今度の白行きの荷の護衛に雇ったんだよ」

 庵覚が簡潔に説明する。兄は鷹揚に頷いた。

「そうか。兵の事はお前に任せているからね。好きにやりなさい」

 そう言って、彼は当初目指していた方向へと歩いて行った。

「護衛の詰め所はこっちだ」

 顎をしゃくって歩を進める庵覚に続きながら、私は、似てない兄弟だなぁと内心呟いていた。道々、庵覚が説明をしてくれる。

「俺はこの通り商売には向いてないんだけどね、兄者は立派な商人だよ。いずれ親父の後を継ぐんでここじゃ若旦那と呼ばれてる」

「若旦那……」

 私もそう呼べという事だろうか。そう言えば鴻耀にちらりと聞いた事があるが、目上の人の名を呼びつけにするのはかなり無礼な事らしい。

「あんたは?」

「あ?」

「あんたは何て呼べば良い?」

 その理屈からいくと、庵覚の事も名を呼ぶわけにはいかない。何しろ雇い主で、護衛を束ねる立場なのだ。

 庵覚は少し目を瞬き、頬を掻いた。

「庵覚でいいよ」

 心なしか眉を寄せながら言う。

「俺は堅苦しいのが嫌いでね」

「小旦那様」

 言った端から、家人の声がかかる。今度ははっきりと苦い顔をして、庵覚が振り向いた。

「何だい」

「旦那様がお呼びです。その者の案内は私が」

 白髪混じりだが動きに隙の無い初老の男が頭を下げた。何か私の扱いがぞんざいな気がするが、私の立場が一護衛兵である事を考えれば案内して貰えるだけ良い方か。さっき庵覚の兄……若旦那が丁重だったのは、鴻耀と一緒にいたからだったのだ。

「……わかった。頼むよ」

 庵覚は寸時渋る様子を見せながらも、私を初老の男に託して去っていった。

「新しい護衛か」

 私をじろじろと眺めながら、男は言った。その態度にむっとするのを押し隠して、私は礼をする。

「鴻宵と申します」

 男はなおも暫時私を見ていたが、やがて言った。

「私はこの家の家宰だ。一つ警告しておこう」

 家宰は明らかに見下した目で横柄に言い放つ。

「小旦那はあの通り気さくなお方だから誰にでも名をお許しになるが、主の御一族を呼びつけにするなどもってのほかである。そなたは護衛の一員なのだから、以後は衛長様とお呼びせよ」

 勝手な言い分に、私はむっとすると同時に庵覚の日常を思って暗澹とした。

 彼自身は多分立場に縛られたくないさばけた性格なんだろうに、周囲がこうして動くせいで望む人間関係が得られない事が多いに違いない。庵覚の態度を見る限り、そう思える。ひょっとしたら鴻耀のように忌憚無く口をきいてくれる友人は少ないのかも知れなかった。

 

 案内された場所は、屋敷から少し離れた庭の隅にある広いが簡素な建物だった。どうやら護衛にあたる雇われ兵達はここで寝起きしているらしい。

 家宰ががらりと戸を開けると、広い板張りの座敷に思い思いに散らばっている男達が一斉にこちらを見た。いずれも屈強そうな男ばかりで、少し気が引ける。

「庭の木柵までは自由に出歩いていいが、それ以外は許可が必要だ。用があればここの番をしている家人に言え」

 それだけ言うと、家宰はさっさと立ち去ってしまった。

 あの野郎、最後まで横柄だった。

 思わず溜息が漏れる。

 

 何気なく広間の一角に腰を下ろすと、近くにいた男がまじまじと私を見た。

「こりゃまた随分細っこい奴が来たな」

 余計なお世話だ。

 無視を決め込むが、男は気にした風もなく言葉を続ける。

「衛長の試しは受けたんだろ?よく合格したもんだ」

 確かにここにいるのは概ね体格の良い奴らだし、腕もそこそこ立ちそうだ。それは庵覚の選抜の厳しさを意味する。私はふっと息を吐いた。

「試しは受けてない。紹介人が保証してくれたからな」

 試しを受けなかった後ろめたさが無いわけじゃない。正直に言うと、男は目を剥いた。

「試しを受けてないだと!?」

 男の大声に、全員の視線が集まる。居心地悪く思っていると、別の男が口を開いた。

「おいおい、冗談だろ?試しも受けてない奴を護衛に加えられるかよ。第一ガキじゃねぇか」

 それを皮切りに、男達が口々に非難し始めた。それらの言い分をよく聞いてみると、どうやら庵覚の試しを受けていない、しかも若く体格も頼りない私を仲間に加える事に抵抗があるらしい。彼ら自身、かなり厳しい試しを経てここに雇われているようだ。

「わかった、わかったよ」

 いつ尽きるとも知れない非難の中でついに一人に胸ぐらを掴まれかけた私は、たまりかねて声を張り上げた。

「要は俺の腕が信用出来ないって言うんだろう」

 私は立ち上がり、壁に掛けてある木刀を手に取った。どうやら護衛達の訓練用に備え付けてあるものらしい。至れり尽くせりだ。

「だったら確かめてみればいいだろうが。ほら、表に出ろ」

 男達を促して庭に出る。

 腕にはそれなりに自信がある。元々反射神経は悪くないし、素手とはいえ喧嘩の場数は踏んでいるし、鴻耀からあれだけ剣の手ほどきを受けたのだ。

「誰からでもいい。来いよ」

 無造作に右手に木刀を垂らしたまま、私は言った。男達が顔を見合わせ、その内一人が歩み出てくる。手には長い棒を持っていた。

「だったら俺からいくぜ」

 その言葉も終わらないうちに、棒が伸びた。男が私の喉めがけて突きを仕掛けて来たのだ。

 庵覚の試しに通っただけあって、速く正確な攻撃。

 しかしそれよりも一歩速く横に避けた私は、一跳びで懐に飛び込むと木刀で棒を弾き飛ばし、ついでに男の鳩尾に肘を叩き込んだ。

「他には?」

 崩れ落ちる男に目もくれずに言うと、男達は呆気に取られたように私を凝視していたが、すぐに二人目が進み出た。得物は木刀。

 今度は切り込んで来た刃先を木刀で受け流し、腹に蹴りを入れる。

「次」

 躍起になっているのか、彼らが引く様子はない。

 続けているうちに、私が確実に相手を気絶させるという手法を取っているせいで背後に気絶者の山が出来ていくという異常事態に陥った。それでも男達は挑戦心を掻き立てられるのか、我も我もと向かってくる。

 

 ていうか、何やってんだろ私。

 

 段々虚しく思えてきて遠い目をする私の耳に、手を叩く音が響いた。

「そこまで」

 続いて声が飛んでくる。そちらに目を転じると、興味深げな顔をした庵覚が叩いた手を下ろすところだった。隣には呆れ顔の鴻耀がいる。

「大したもんだ。敵無しかい。想像以上だね」

 庵覚が目を細めた。その横で鴻耀が深い溜息を吐く。

「宵……何をやってるんだお前は」

 そんな今にも頭を抱えそうな顔しないで下さい。

 いや、私だって好きでやってたわけじゃないし。不可抗力だから、これ!

「衛長、こいつ何者ですか」

 まだ私と立ち会わずに残っていた男が庵覚に問う。

 そこ、人を指ささない!

「こいつの従兄弟だとさ。で、何でこんな状況になってんだい?」

 庵覚が鴻耀を示しながら答えにならない答えを言って、質問を返す。庵覚に話しかけた男は鴻耀の顔を知らないらしく、首を傾げながらも大まかな経緯を説明した。

「成る程、それで返り討ちに遭ったってわけかい」

 失神から覚めてのそのそと起き上がり始めた男達を見下ろす庵覚の目は、どこか愉しそうだ。

「これは鴻宵の腕に感心すべきところか?それとも連中のふがいなさを嘆くべきかな」

 鴻耀の方へ振り返り、庵覚が問う。鴻耀は目を眇めた。

「お前はどう思う」

 切り返された庵覚は苦笑混じりに肩を竦める。

「こいつらは一応俺の試しに合格した連中なんだがね」

 それが答えだった。

 後から聞いたところによると、庵覚の試しは厳しいので有名で、合格すればどこの軍に行っても一目置かれると言う。

「大した腕だ。お前さんの訓練の賜かい」

 庵覚が鴻耀に言う。鴻耀は小さく頷いた。実際、私の剣術は鴻耀の特訓から身につけたものだ。鴻耀が一瞬私を見て、すぐに目を逸らした。

「衛長さん、その人は……?」

 訓練と聞いて気になったのか、さっき庵覚に説明をした男が遠慮がちに尋ねる。庵覚は口角を上げた。

「俺の古い友人だよ」

 そう言っただけで、轟狼だということは口にしなかった。男は不得要領ながらも引き下がり、気のついた連中を促して屋内に入っていく。

 

 やがて庭には私と庵覚、鴻耀しか居なくなった。誰も口を開かず、奇妙な沈黙が数秒場を占める。

 不意に鴻耀が動いた。私の側まで歩いて来ると、無言でいきなり私の腰から剣を取り上げた。

「おい……!?」

 当然私は非難の声を上げたが、いきなり文字通り目の前に土精霊が迫ってきた事で口を噤む。

「邪魔、だめ!」

 基本的にはおとなしい土精霊がきっぱりと言ったその迫力に押される形で、私は黙って鴻耀の行動を見ている事にした。鴻耀は何やら剣の柄に取り付けると、すぐに返してくれた。

「これは……?」

 見ると、柄に琥珀色の佩玉が下がっている。触れてみると、指先に濃い土の気配が伝わった。

「土の霊力を強く宿した珠だ」

 目を瞬く私に、鴻耀は素っ気なく言う。

「俺の見る限り、お前の霊力は全ての精霊に及んでるみたいだが木と水が比較的強いせいで土との相性が若干悪い。持っとけ」

 ひらひらと手を振ると、呆気に取られている私に背を向ける。

「治療も受けたし俺は帰る。うまくやれよ」

「……っ、鴻耀!」

 そのまま遠ざかろうとする背中に、私はやっとの事で声を掛けた。驚きにぼうっとしすぎて、危うく何も言えずに見送ってしまうところだ。

「ありがとう」

 本当に、世話になった。

 私の礼を背中で受けて、鴻耀は軽く鼻を鳴らした。

「じゃあな、世間知らず」

 憎まれ口を叩いて、でも背中越しに小さく手を挙げて、鴻耀は去っていった。

 

 私に兄弟はいないけれど、例えるなら兄みたいな男だったと思う。

 

 鴻耀の背中が角を曲がって見えなくなるまで、私は剣を手に黙って見送っていた。

 

「さて、白の件だ」

 鴻耀が去ってから、庵覚がおもむろに口を開く。私は目を戻して庵覚を見た。

「明後日の荷は白の領内南部に位置する街に届けるもんでね。都に行きたいなら次の五日後の荷になるけどどうする?」

 父親と荷運びの打ち合わせをしてきたのか、庵覚は淀み無く言った。

「南部へ」

 私の答えにもまた、迷いは無い。

「元々南部へ行きたかったんだ。丁度いい」

 私が破壊したのは南部の街であり、紅と戦いに南へ進軍してきた軍隊だ。その南の土地の様子を見て、ゆっくりと都まで旅してみたいと思っている。

「そうかい」

 庵覚は頷くと、何か考えるように視線を宙に飛ばした。

「護衛の編成は明日知らせるよ。今日はまぁゆっくりするんだね」

 随分暴れたみたいだから、と笑われて、少しばつが悪い。頬を掻きながら、私は頭を下げると宿舎に入っていった。

 戸を開けると、一斉に宿舎内の視線が集まる。しかし私が眉を寄せるとすぐに散った。

 どうやら腕は認められたらしい。若干怖がられてしまったようではあるが、まぁいいだろう。

 

 私は宿舎の一角を陣取ると、壁に寄りかかってこれからの事を思案していたが、やはり疲れていたのか程なく眠りに落ちた。


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