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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之参 后土の国
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庵氏

「妹だけは間違いなく家族だった」

 たとえ血が繋がっていなくても、もっと重要な絆があったんだ、と鴻耀は言った。

「ああは言ったけど、多分母も、それに父も、俺をちゃんと愛してくれたと思う」

 ただ余りの悲しみがはけ口を鴻耀に求めてしまっただけなのだ。

 私は無意識に、鴻耀の背中に手を回していた。ゆっくりと撫で、母親が幼子にするように一定のリズムで優しく叩く。そうすることしか、できなかった。どんな慰めの言葉も、意味をなすとは思えなくて。ただその悲哀を少しでも和らげたくて、精一杯抱き締めた。

「まぁとにかくそれ以来俺は一人で気楽にやってるわけだが」

 わざとのように明るく言うと、鴻耀は私の体から腕を外し、身を起こさせた。

「お前見てると、何となく、妹を思い出して……悪いな。よく考えなくてもお前、男なのに」

 実際は女なんですけどね。

 無論そんな事は言わず、私は黙って立ち上がった。

「あんたがどういう事情で動いてようと、間違いなく俺は助けられてるよ」

 そう言って、鴻耀の手を取る。亡くなった妹と私を重ねて見ていたが故の手助けだと鴻耀は言うが、そんな内心は私の預かり知るところじゃない。たくさん助けられた。それが私にとっての事実であり、真実だ。

「行こう。立てるか」

 私は敢えて話題を断ち切った。これ以上私に言える事は無いし、鴻耀もまたそれを望んではいない。

 鴻耀を立ち上がらせ、肩を軽く支えながら歩き出す。目を上げると、行く先に聳え立つ高い山が見えた。

「あれが中霊山だ」

「中霊山?」

 聞き慣れない言葉を私が復唱すると、鴻耀は山を見据えたまま頷いた。

「この大陸の中心……女神の居ます場所だ」

 

 

 そこは不思議な気に覆われた場所だった。

 私と鴻耀は、中霊山の麓に立っている。少し休んだ方がいいと私は止めたのだが、鴻耀は悠長にしている暇は無いと言い張り、怪我を押してここまで来た。

「……妙な場所だな」

 私は思わず呟く。女神の居場所だからか、神聖な気を感じる。しかしそれ以上に、邪気のようなものが濃く渦巻いているのもわかるのだ。

「これが現状だ」

 ぽつりと、鴻耀が言った。神聖な場所でありながら、加護を失った為に妖魔の巣窟となり果てた土地。それが橙の国であり、この中霊山だ。

 私はふと手を伸ばしてみた。目の前の空間に何かを見た気がしたからだ。透明な、膜のようなもの。果たして指先がその何かに触れ、ばちっと音を立てて弾かれた。静電気をたっぷりと帯びたドアノブに触れたような衝撃だ。

「それが中霊山の結界……女神と下界を隔てる壁だ」

 鴻耀が説明を加える。私は暫くその壁と中霊山の頂を眺めていたが、やがて踵を返した。今は何も出来ない。結界がある以上ここから先へは進めないし、もし結界を破れたとしても、女神を連れ出す事は今の私には土台無理な話だ。

「いいのか」

 あっさり諦めを示した私に、鴻耀が目を瞬く。私は苦笑を浮かべた。

「まだ時じゃないよ」

 

 いずれ、必ず。

 

 私の決意に気づいたのか、鴻耀はそれ以上は何も言わなかった。

 中霊山はどこまでも厳かに、険しい峰を聳えさせていた。

 

 

 

 中霊山を後にして、鴻耀が向かったのは中規模の街だった。城門を入ると、都ほど栄えてはいないがそれなりに活気のある町並みが広がっている。その街路を進む事はせず、鴻耀は城壁に沿って歩いた。商店や民家の裏を通る道を抜けると、やがて目の前に小さな広場が現れた。と言っても、どうやら民家の間に出来た空き地らしく、家一軒分程度の広さだ。

 そこに立つと、鴻耀は太陽を見上げて時刻を確認した。

「もうじき来る筈だ」

 そう言って、古井戸らしき積み石に腰を下ろす。どうやら井戸はとうに枯れてしまっているようだ。鴻耀は深く息を吐くと、額の傷を軽く押さえた。

「痛むか?」

 私が慌てて覗き込むと、心配無いと首を振る。しかし失血のせいか顔色はどうも良くなかった。

 私がそれを指摘しようとした時、背後から砂利を踏む音がした。

「ほう、こりゃ珍しいな」

 この言葉を発したのは、勿論私でも鴻耀でもない。反射的に身構えながら振り向いた私の目に、がっしりとした中背の男が映った。

庵覚(あんかく)……何に感心してるんだ」

 多少の呆れを含んだ声色で、鴻耀が言う。男は口角を上げた。見たところ鴻耀とほぼ同年のようだ。肌は浅黒く灼けていて、屋外での労働を思わせる。髪は対照的に白かった。年齢から見て、老化による白髪ではなく地なんだろう。

「いや、だってさ」

 庵覚と呼ばれたその男は、興味深げに私と鴻耀を眺めながら言った。

「お前さんが怪我してるなんざ珍しい事だし、連れが居るなんて初めてじゃないか」

 鴻耀が少し眉を寄せる。放っといてくれとでも言いたげな顔だ。

「で、俺に連絡してきたのはそいつ絡みかい?」

 目を細めて私を見る庵覚の肩に、大きめの鳥が止まる。鋭い爪や嘴から見て、猛禽類のようだ。足に紐がついている。この鳥が連絡手段となったのかも知れない、と私は漠然と思った。

「ああ。白へ入りたいそうだ」

 鴻耀が答えると、庵覚は益々目を細めた。何がおかしいのかと考えかけて、はっと気付く。

 この男、一見にやにやと笑っているようだが、細めた目の奥で冷静にこちらを観察しているのだ。そこには警戒と、冷たさすらあった。

「白へ、ねぇ……何しに行くんだい?」

 この問いは私に向けられたものだ。私は寸時躊躇した。本当の理由を、この男に話してしまって良いものかどうか。しかし誤魔化そうとしたところでこいつには通用しないだろう事も何となく予測出来た。

「こいつは鴻宵。俺の従兄弟って事にしてある」

 かったるそうに、鴻耀が言った。見極めのつかない私に代わって説明をしてくれるらしい。

「してある……ってことは事実じゃないんだな。何者だい?」

「朱宿」

 事も無げに、鴻耀は言い切った。私は内心ぎくりとした。朱宿の行いはもう、この国にも十分に知られている筈だ。

 無言で視線を落とす私を目を瞬きながら眺めた庵覚は、やがて悟ったように笑った。

「罪悪感かい?無意味だね」

 さらりと酷い事を言い、私の剣に目を転じる。

「腕のほどは?」

 この質問は再度鴻耀に向けて発された。

「使えると思う。俺と同等に出来ると思ってくれていい」

 迷わずそう言った鴻耀に、庵覚がまた面白そうに微笑った。

「そりゃ凄い」

 一つ頷くと、ようやく体ごと私に向き合った。目つきは相変わらずきついが、一応は認めてくれたらしい。

「轟狼のお墨付きなら試しは必要無いだろうね。出発は三日後だ」

 そう言って、くるりと背を向けた。

「着いて来な」

 短く指示してさっさと歩き出す。慌てて私も鴻耀に肩を貸し、庵覚の後を追った。

「ところで、どうやって俺を白に行かせるつもりだ」

 何も言わずともわかっているような二人の雰囲気に多少疎外感を感じつつ、私は単刀直入に訊いた。

「庵覚の父親は国を股に掛ける大商人だ」

 鴻耀が簡潔に答える。私は首を傾げた。商人に何が出来るんだろうか。まさか荷に人を隠して運ぶとでもいうのか?

「俺は親父の荷の護衛隊を指揮してるんだ」

 先を歩く庵覚が顔だけ振り向いてにやりと笑った。

「腕は立つんだろ?白まで雇うくらい訳ないことさ」

 なるほど、と私は思わず頷いた。

 護衛隊に雇えば、怪しまれずに同行する事が出来る。しかし果たして国境の関所がそんなに簡単に破れるものなんだろうか。

 私の疑問を見透かしたように、庵覚が続けた。

「庵氏の一行にケチ付けようなんて命知らずはまず居ないからねえ」

 それきり、言うべき事は言ったとでもいうように前を向いてしまう。

 この男、鴻耀以上にマイペースだ。

 私は鴻耀に視線を向け、説明を乞うた。鴻耀が面倒そうに溜息を吐く。

「庵氏は大商人だ。敵に回せばどの国も食料や武器の輸入に事欠く事になる」

 豊かな国から安く買い入れた物資を乏しい国で売る。そんな商人には当然の動きが、戦続きで困窮する諸国にとっては重要な役割を果たすという事だ。

「それに庵氏の形成する私兵団も有名だ。誰だって周りの敵国と対している時にそんなもの相手にしたくないのさ」

 続いた鴻耀の言葉に、私は妙に納得した。

 この乱世を渡っていく上で物を言うのは、結局武力だ。庵氏の私兵団は、元々荷の護衛の為に作られたものなのだろうが、実際には庵氏の影響力の要を成しているに違いない。


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