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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之参 后土の国
26/76

再来

 それから暫く、私はおばさんの所で療養させて貰った。

 おばさんは親切に面倒を見てくれて何も不自由は無かったし、鴻耀も日に何度か顔を見せる。そうそう、淵央と奥さんもお見舞いに来てくれた。奥さんを庇った礼を言われ、少しむず痒くなる。やっぱり、妖魔に怯えなくて済むような世の中にしたい。方法は見当もつかないけど……やはり圭裳を呼び戻すのが正当だろう。その為には、まずこの戦乱を何とかしないと。

 新たな決意を暖める私の元に、鴻耀が一つの報せを持ってきた。

「例の白に入る件、アテになる奴が今日戻ってくるそうだ」

 怪我もだいぶ良くなり、リハビリ代わりに剣の稽古をしていた私に、鴻耀がそう声を掛ける。

「あ……そっか」

 私は曖昧な返事をしてしまった。

 実は、橙を出る事に迷いが生じていたのだ。女神圭裳を呼び戻すなら、この大陸の中央部に留まる方が良いのかも知れないという思いと、手段を知らないままここで過ごすよりもまずは当初の予定通り白に行って、旅をしながら方法を探すべきだという考えの板挟みになっている。

 そんな私を見透かしたように、鴻耀はすっと目を細めた。

「……都の東に、霊山がある」

「霊山?」

 唐突な話題に、私は首を傾げて鴻耀と目を合わせる。彼の表情は一見いつものだるそうなものだが、目が真剣な光を帯びている事に、私は気づいた。

「その頂に女神が隠れてるって話だ」

 

 え、女神の居場所ってわかってたの?

 

 目を丸くする私に、鴻耀は淡々と続ける。

「但し、山の途中に結界が張られていて通れない」

 昔は女神に拝謁する程の力有る術者なら通れたが、五百年前の異変からは通れた者を聞いた事が無いという。最後に通った人間は、例の宵藍、誠藍姉弟という事になる。

「行く」

 私は即答した。たとえ通れなくても、女神の住まう場所に行ってみたい。何か出来るかも知れないし、出来なくても、いずれ最後には越えなければならない関門を見ておくのも悪くない。

 私の答えを予測していたらしい鴻耀は、すぐに出立すると言った。そこから都に戻らず、直接別の街に行って例の白まで連れて行ってくれる人物と会うという。

 急な出発に、私は大慌てで荷物を纏めるとおばさんにこれまでのお礼を述べ、淵央の店に走っていって挨拶を済ませた。

「またいつでも来な!」

「店が寂しくなるねぇ。また来てくれるのを待ってるよ」

 淵央と奥さんはそう言って、餞別代わりの退職金だと多めの銭をくれた。叩かれた肩が痛かったけれど、胸が暖まる。

 

 橙で出会った人々は、皆暖かかった。

 思えばこの世界に来て、色々なことがあった。

 昏の軍に捕らえられ、碧軍に拾われた頃はとにかくこの世界で生きる事に必死で。紅に拉致されてからは利用されながら虚勢を張って足掻いて。

 橙で初めて、緊張を解いた生活をしたせいだろうか。随分馴染んだ気がする。

 

 そんな感慨を抱いて鴻耀のいる店に戻った私が見たのは、店を取り囲む軍隊だった。

「え……?」

 予想外の光景に、一瞬思考が停止する。軍隊は黄色っぽい石や革の鎧を着た歩兵達と数騎の騎兵で形成され、掲げた旗には橙と大書されている。

 橙軍だ。

 どうしてこの国の軍隊が店を囲んでいるのか。

 

 囲まれた店の前には、おばさんが腕を組んで立っている。

「何ですか、この物々しい軍隊は」

 おばさんの問いに答えたのは、騎兵の中心にいた男だった。

「ここに轟狼がいると聞いた。そこを通せ」

 はっと、この都に来た時に鴻耀に聞いた話を思い出す。鴻耀が定住せず、宿も毎晩変える理由。

 この軍隊は、鴻耀を連れに来たのだ。彼の力を軍事利用する為に。

「居やしませんよ。商売の妨害はやめて下さいな」

 おばさんは頑として軍人を店に入れようとしない。私は奥歯を噛みしめた。

 私が招いた事態だ。

 私がおばさんの店で療養していたから、鴻耀もここに留まる事になって居場所が漏れたんだ。

「嘘を言え。おとなしく轟狼を出さんと為にならんぞ」

 軍隊に不穏な空気が漂う。私が歩み寄ろうとした時、店の戸が内側から開いた。

「鴻耀さん!」

 咎めるようにおばさんが名を呼ぶ。その肩に、鴻耀は宥めるように手を置いた。

「いいよ、登蘭。迷惑かけて悪かったな」

 そう言うと、軍隊に向き直る。いつにも増して冷めた目をしていた。

「また来たのか……」

「轟狼。今日こそは我らと来て貰うぞ」

 多分この一隊を率いているのだろう騎兵の男が偉そうに言い放つ。鴻耀が溜息を吐くのが見えた。

「何度来ようと同じだ。俺は軍には入らない」

「そうはいかん」

 騎兵の男は威嚇するように馬の鞍を叩いた。

「事態は喫緊である。紅など炎狂のみならず朱宿まで使ったではないか。この度ばかりは力ずくでも来て貰うぞ」

 いきなり出た自分の話題に、思わず肩が強ばる。私の存在が脅威を与えたせいで、鴻耀に対する圧力が増しているようだ。内心狼狽える私とは対照的に、鴻耀は静かに言った。

「朱宿はもう紅にはいない」

「だがまたいつ現れるか……!」

 反論する軍人に面倒そうな目を向けた鴻耀が何か言おうとした時。

 

「逃げてっ」

 

 私の耳元で、精霊が叫んだ。一拍遅れて、足下の地面が隆起する。

 とっさに跳び退った私の目の前に、土煙が上がった。覚えのある気配にぞくりとする。

「妖魔だ!」

 誰かが叫ぶ。目を上げた私の視界に入ったのは、鱗に覆われた長い胴。それを辿った上には、赤い舌と、爛々と私を睨む隻眼。

 その憎しみを籠めたような眼光に、まさか、という思いが過る。

 

 まさか、片目の報復に、私を狙って来た?

 

 考える暇もなく襲いかかってきた頭部を何とかかわし、剣を抜く。

 でも、どうすればいい?こいつは剣では斬れない。

「宵!」

 鴻耀の声が聞こえた。

「構え!突撃せよ!」

 ほぼ同時に、軍隊の隊長の掛け声。わっと駆け出した歩兵に、妖魔が反応して振り返る。

「馬鹿、駄目だ!」

 私は思わず叫んだ。妖魔が紅い口を開けて歩兵達に襲いかかる。

「ちっ……土よ!」

 間一髪で、鴻耀が隆起させた土塊が兵士を護った。ほっとした私の眼前に隻眼が迫る。

「うわっ」

 飽くまで標的は私のようだ。辛うじて体を横に逸らし、牙を避ける。更に迫った鼻先を剣で食い止めた。睨み合う視界の隅で土精霊が動いた事で、鴻耀が行動を起こしたのがわかる。

「押し潰せ!」

 土が動く。しかしそれが妖魔に届くよりも早く、私の剣と押し合っていた妖魔がさっと身を引いた。背後から忍び寄っていた兵士に、一瞬で赤い舌が巻き付く。

「うわぁあ!」

「この……っ」

 私はとっさに地を蹴って跳び、妖魔の体を足がかりに一気に頭の上に駆け上がった。今まさに兵士を呑み込もうとしている妖魔の舌に向けて剣を一閃させる。しかし、刹那の差で妖魔が舌を解いた。私の剣は空を切り、兵士が虚空に投げ出される。伸びあがった大蛇の体は長く、地面からは結構な高さがある。落ちればただでは済まない。

「ちっ」

 舌打ちをした鴻耀が、とっさに妖魔を攻撃するのではなく兵士を救う方に土の動きを切り替える。無事受け止められた兵士を見て安堵した私は、次の瞬間、初めて妖魔の狙いを知る事になる。

 

 鼓膜に、鋭い音が響いた。

 何が起こったのか、一瞬誰にもわからなかったに違いない。

 

「鴻耀さん!」

 おばさんの叫びを聞いて私が目を向けた時には、土から伸びた大蛇の尾が壁に叩きつけられていた。

 その尾と壁の間に鴻耀がいる事に気づいた瞬間、冷水を浴びせられた心地がした。

 

 あの妖魔、敢えて兵士を投げ出して、鴻耀に隙を作った……?

 

 尾が離れると、壁に沿って鴻耀の体がずり落ちる。ぼたり、と額から血が滴るのが見えた。

「あ……」

 呆然としていた私を、妖魔が頭を振って振り落とす。咄嗟にさっき兵士を受け止めた土塊に跳び移って距離を取ったものの、私はまだ冷静になれずにいた。

 

 あんな勢いで叩きつけられたんだ。きっと酷い怪我をしている。

 頭を擡げた妖魔を、私は見上げた。

 こいつは、私を狙って来たのに。

 

「――っ!」

 

 言葉にし難い感情が胸の中で荒れ狂う。歯を食い縛った私は、半ば本能の命ずるままに片手を妖魔に向けて翳していた。

「――風よ」

 低く呟く。とにかく、この妖魔を排除して鴻耀の安否を確かめる事だけを考えていた。

「裂け」

 長い詠唱も、具体的な説明も要らない。私はただ、脳裏に浮かんだ命令を口にして腕を振りきった。

 途端に、風精霊を巻き込んだ周囲の空気が風の刃と化して飛ぶ。無数のかまいたちは、妖魔を一瞬で粉々に切り裂いた。

「鴻耀!」

 結果を確認する余裕も無く、私は土塊から滑り降り、力無く壁に凭れた鴻耀に駆け寄った。私を迎える鴻耀は額から血を流しながらも目を見開いていて、意識を保っている事がわかる。

「鴻耀、大丈夫か!?骨とか……」

 膝をついて体に触れようとした私の手を、鴻耀が掴む。動けるらしい事に、私はほっと肩の力を抜く。

「……お前」

 少し掠れた声が、私を呼んだ。

「今……」

「おい、お前!」

 鴻耀の言葉を遮るように、軍人の声が響く。高圧的でありながらどこか畏怖を含んだ声音に違和感を覚えて振り向くと、その声の雰囲気そのままの表情をした軍人がいた。

「お前、今何をした!?」

 何って……

 そこでようやく、私は自分に向けられる多数の視線に気がついた。戸惑い、疑惑、そして怯え。

 この感覚を、私は知っている。

「ぁ……」

 理由を探した私の目に、残骸と化した妖魔が映った。それを目の前にした彼らの反応は、無理も無いのかもしれない。

 

 その視線は、朱宿の力を目の当たりにした白の兵士達のそれと酷似していた。

 

「あれだけの風精霊を詠唱も無しに……」

 呟いたのは鴻耀だった。私ははっと彼に向き直る。私は怯えていた。鴻耀にまであの視線を向けられるのではないかと、無意識のうちに身構えていた。

 しかし、鴻耀はそんな私と数秒目を合わせた後、黙って頭を撫で始めた。

「こ……鴻耀?」

「大丈夫だ」

 繋がりのよくわからない言葉。でもそれが私の内心を見透かしているように思えて、私は力を抜いた。

「よく頑張ったな」

 ぽん、と最後に私の頭を軽く叩くと、鴻耀は立ち上がった。

「って、怪我!」

「あ?このくらいどうって事ねぇよ」

 タフだ。

 事実、立ち上がった瞬間を除いて鴻耀は全くふらついていない。私は若干呆れながらもほっとして、鴻耀の隣に立った。大丈夫とは言われても、不安なのは変わらない。いつでも支えられるように、すぐ傍らに身を置いた。

「運が良かったと思うべきだな。厄介な妖魔を倒せたんだから」

 遠巻きに見ている兵士達にそう言いながら、鴻耀は袖で額の血を拭った。

「ってわけで今回はこれまでだ」

 いきなり口調から重厚さを払った鴻耀に、誰もが一瞬その意を図りかねる。その隙に、鴻耀はがしっと私の腕を掴んだ。

「世話かけたな、登蘭!」

 捨て台詞のような言葉が耳に届いた時には、私は腕を引かれて走り出していた。唖然としている兵士達の合間を縫って、鴻耀は逃げる。

「轟狼!」

 真っ先に我に返った軍の指揮官が叫ぶが、鴻耀は走りながら背中越しにひらひらと手を振っただけだった。


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