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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之参 后土の国
24/76

働いて返せ

 翌朝。

「おい、起きろ」

 そう言う鴻耀の声で、私は目を覚ました。小さな窓から光が射している。朝だ。

 私はまだ少しぼんやりとした頭を引きずるようにして上体を起こした。別に朝は弱くないが、目覚めた瞬間活動出来るほどタフでもない。

「おは、よ……」

 挨拶に混じって欠伸が漏れる。肌着は着たまま寝たので、襟元や裾を整えてその上から上着を着た。鴻耀は既に着替えを終えて髪を束ねている。

 服装を整えた私は、髪を手櫛で梳いた。

 何だかんだでこっちに来てからもう結構な日にちが経っている。少し髪がのびたみたいだ。前髪が目にかかり始めた。鬱陶しいそれを払っていると、火を起こしていた鴻耀がふと言った。

「そういえばお前、武器は持ち歩いてねぇのか」

「武器?」

 そういえば、と視線を流す。鴻耀が寝ていた横の壁の端には、簡素な剣が立てかけられていた。

「……普通持ってるものなのか」

「このご時世だ。当然護身が必要だろうが」

 

 ごもっとも。

 

 私は頬を掻いた。その様子を見た鴻耀が溜息を吐く。

「わかった。剣も買っとく」

「……ごめん」

 謝る私に向けて、干し肉の袋が飛んできた。反射的に受け止めた私に見向きもせず、鴻耀は鍋を火にかける。

「謝ることじゃねぇ。金は返して貰うしな」

「あ、あぁ……」

 どうも鴻耀は優しいのか本気で興味が無いのか判りづらい。私は袋を開けて割いた干し肉を口にしながら、鴻耀の横顔を眺めていた。

 

 

 

 朝食を済ませて宿を出ると、鴻耀は私に、ついて来い、とだけ言って歩き出した。その横柄さに閉口しながらもおとなしく従う。何しろ世話になっている立場なのだ。

 通りに出ると、道沿いの店はまだ開いていなかった。そこここで荷物を抱えた人々が出入りしていて、開店準備中らしいことがわかる。その中の一軒に足早に歩み寄った鴻耀は、勝手口らしき側面の扉をノックも無しに開けた。

 

 ……こいつの性格からすれば蹴り開けなかっただけマシと思うべきだろうか。

 

淵央(えんおう)!」

 中に向かって鴻耀が声を掛けると、訝しげに顔を上げた壮年の男が目を輝かせた。

「鴻耀さんじゃありませんか。お久しぶりで」

 いそいそと立ち上がって歩いてくる様子に、どうやら商人……それも接客に慣れた人間らしいという印象を受ける。腰が低い。しかし、同時に意にそまぬものには決して頷かないような剛腹さも芯にあるような気がした。その証拠に、鴻耀が首根っこを掴んで突き出した私に向けた目に探るような鋭さがある。

 っていうか首根っこを掴むな。私は猫か。

「おい、鴻よ……」

「お前良い男の従業員が欲しいって言ってただろ。暫くこれを雇ってくれ」

 

 って、はい?

 色々つっこみたい所は多々あるけれど、まずはこれ、就活だったんですか?

 

 淵央と呼ばれていた男は、私をまじまじと見つめた。何だか居心地が悪くて冷や汗が流れる。

 働いて返せって本気だったんですね、鴻耀さん。

 いや、別にいいんだけど。寧ろ偽善者ぶって施しとかされても困るけど!でもさ、何ていうかこう、もう少し私に対する敬意っていうか気遣いっていうか、そういったものはあっても良いんじゃないかな?少なくとも人間って襟首掴んで突き出すもんじゃないよね?

 

 私が内心の忸怩たる思いと戦っているうちに、淵央は結論を出したようだ。私から視線をはずし、鴻耀に頷いて見せる。

「喜んで。さすが鴻耀さん、これなら客の入りも上々でしょう」

「ちょいと世間知らずなのと愛想が無いのが問題だと思うが」

「それは手前どもが教育致します」

 本人の預かり知らぬ所で話が進んでるし。大体人の顔見て客の入りも上々って……何させる気!?しかも教育って……。

「じゃあ頼む」

「承りました」

「ちょっ、鴻耀!?」

 何が何だかわからない私に何の説明もせず、無情にも鴻耀はあっさり立ち去ってしまった。

 何かこんなのばっかり。

「さて、私はここの店主の淵央だ。あんた、名前は?」

「……鴻宵です」

 第一私はこの店が何屋なのかも知らない。顔をまじまじと見られたのが何となく不安だ。

「鴻……鴻耀さんの血縁者かい?」

「はぁ……従兄弟です」

 それにしても、普段都に寄りつかない割に、鴻耀は顔が広いようだ。人当たりも決して良くないのに。謎だ。

「へぇ、あの人に従兄弟がいたとはねぇ」

 その淵央の言葉に、そういえば、と思う。鴻耀には、血縁者の影が見あたらない。単に彼が定住していないせいかも知れないが、それにしたってそういった気配すら無いのだ。普通に考えれば、親も兄弟も、祖父母さえ健在な筈の年齢なのに。

「長く離れていましたから……」

 当たり障りなく言って、私は話題を仕事の事へと移した。淵央も特に話を引きずる気は無いらしく、すぐに説明を始める。

「私は飯屋を営んでいるんだ。旅人や商売人相手の軽いものだがね」

 更に夜は酒場になる、と淵央は続けた。なるほど、日本で言うところのいわゆるカフェ&バーみたいな店らしい。そこで接客スタッフを雇うのに、客からの人気が出そうな見目の良い男を探していたのだという。

「……だったら男より女の方がいいんじゃないんですか?」

 私は若干引き気味になりながら言った。客商売の為の見目の良い男、という条件で自分が採用された事に複雑な気分になる。

 私は一応女だった筈なんだけど……最近自信が無くなりかけている気がする。それに、客商売なら良い男よりは普通美人な女を捜すだろう。

 当然の私の疑問に、淵央は首を振った。

「夜遅くなるし、何より客の旅人は荒くれ者が多い。危なくて女の子なんて雇えやしないよ」

 

 確かに。

 というかそれって私の身の安全は保証されるんでしょうか。

 まぁ、鴻耀が紹介した職場だし、危険という事はないか。

 

 そう割り切った私は、淵央から仕事の説明をざっと聞き、いくつかの手順を覚えてから開店準備を手伝った。テーブルを拭いたり皿を並べたりといった作業をしながら、壁に貼られたメニューを頭に入れていく。まあ、旅人相手の安い飯屋だから、大したものは無いけれど。

 

 そして往来に人通りが増え始めた頃、淵央が店を開けた。私は渡された白い腰巻きをして、ホールに待機する。あまり大きな店ではないので、これまでは淵央が厨房、彼の奥さんが接客という形で切り盛りしていたらしい。因みに奥さんはなかなか豪快なおばさんで、挨拶をした私の背中をばしばし叩いて「頑張りな」と笑い、今は仕入れた食材を整理している。

 開店して程なく、店の戸が開いた。近所の者なのか、慣れた様子で席に座る。

「いらっしゃい」

 私が声を掛けると、弾かれたように顔を上げた。多分、ホールにいるのは奥さんだと思いこんでいたんだろう。目をぱちくりさせる様子に、私は苦笑した。

「俺、今日から雇われたんです。旦那は常連さんで?」

 気軽な店の雰囲気に合う言葉遣いを指導されていた私は、とりあえず淵央の喋り方に似せて言った。よくわからないけれど、無礼でない程度にざっくばらんな感じで。

「あ、あぁ……よく来るんだよ。へぇ、若い子が入ったんだなぁ」

 何となくやに下がった顔を見せながら、常連さんは粥とおかずを注文した。私はそれを淵央に通す。ちょうど料理が出来上がった頃、店に来る客が増え始めた。

 

 さて、とにかく頑張って稼ぎますか。

 

 

 

 飯屋はこの近辺に少ないのか、小さな店なのに意外と客足は途絶えず、私が息を吐いたのは夕刻だった。

 しかも奥さん、殆ど接客を私に任せてたし。まぁ厨房の淵央は目が回るような忙しさだから、接客の手があるなら奥さんもそっちを手伝いに行くのは当然なんだけどさ。

 疲れた。昼ご飯もまだだし。

「はい、お疲れさん。よく頑張ったじゃないか」

 そう言う奥さんの声と共に、目の前にどんっと皿が置かれた。香ばしい湯気を立てる米が山盛りになっている。炒飯みたいなものか。

「……食べていいんですか?」

「当然だよ。あんたの昼飯」

 まぁ晩飯に近いような時間だけどさ、と笑った奥さんは、夜の酒場としての営業に向けて碗や杯を並べている。

 タフだな。まぁこういうのは慣れか。

 目の前に置かれたご飯を匙で掬って口に運ぶ。ふわりと卵の香りがして、噛むと甘みとうま味が広がった。

「おいしい……」

「当たり前だろ。ほれ、これも食べな」

 いつの間に厨房から出てきたのか、淵央が野菜のスープを差し出してくれる。温かい味に、ほっとした。やっぱり慣れない事をすると疲れる。

「さ、もうじき夜が始まるよ。食べたらもう一働きだ」

 奥さんの言葉に頷いて、私は匙を進めた。

 

 

「つっ……かれたぁ……」

 鴻耀に予め知らされていた宿に辿り着くと、私は即行で寝台にダイブした。昼も大変だったけど、夜はもっと滅茶苦茶だった。何あのセクハラの嵐。「兄さん美人だねぇ~」って、酔っ払いどもが!うっかり「俺は男だ!」とか何回も叫ぶ羽目になったし。淵央と奥さんは爆笑してるし。何度となく手を払う振りして思い切りひっぱたいたり捻り上げたりしたのに、酔っ払いってのは何であんなにしぶといんだ。

 枕に顔を埋めた私は、全身の空気を吐き出す勢いで溜息を吐いた。

「なんか死んでんな。そんなに大変だったか?」

 飄々と言って相変わらず面倒そうに首を傾げる鴻耀がいっそ憎らしい。私はばっと顔を上げて睨みつけた。

「大変も大変!……っていうか何だあのノリ!どんだけ見境無いんだここの酔っ払いは!」

 頭を抱える私に、鴻耀が何か納得したように頷く。

「……やっぱそうなるか」

「って、予想してたのか!?」

 思わず食ってかかってしまった。あのカオスを予想した上で私をあの店に放り込んだと!?

「いや、まぁ……何つーかお前、小綺麗な顔してるからな」

 一応顔が整ってると評価されてる筈なのに全くもって嬉しくない。しかも私がこれだけ精神的に磨耗してるのにこの男、相変わらずダルそうな顔のまんまだし。

「ま、そのうち慣れんだろ」

「一言で済ますな!」

 何だろう、ちょっと悲しくなってきた。

「あぁ、そういや、これ」

 私の叫びをさらっとスルーした鴻耀が何かを放って寄越す。反射的に掴むと、思いの外にずしりとした重みが腕にかかった。

「剣……」

「ああ。一応持っとけ」

 仕事中は外せよ、とだけ言って、鴻耀は自分の髪を束ねている髪紐に手を伸ばした。解こうとして、ふっと手を止める。

「ところでお前、剣使えんのか?」

「……」

 勿論、使った事なんてありません。

 目を泳がせた私を眺めた鴻耀は、自分の剣を掴んで立ち上がった。

「ちょっと来い」

「え?」

 急な行動に戸惑いながら、私も剣を手に鴻耀の後を追う。

 

 すたすたと歩いて部屋を出た鴻耀が向かったのは、中庭だった。あまり広くはないがそこそこのスペースがあるそこの中心あたりで、鴻耀は足を止める。

「鴻耀?何だよ、こんな……」

 皆まで言う暇は無かった。鴻耀がいきなり振り返ったと思ったら、次の瞬間には右脇に風を感じる。私はとっさに抜き払った剣を体の右側に逆さまに立てた。金属のぶつかり合う高い音が響く。

「なん……」

「ふぅん……型は滅茶苦茶だが反応は悪くねぇな」

 冷静に呟きながらも、鴻耀の剣は容赦なく私の防御を押し切ろうと力を込める。試されている、と私は気づいた。同時に、ささやかな苛立ちを感じる。

 何でいきなり、しかもこんな乱暴な方法で剣の腕を試されなければならないのか。大体、私は剣なんか握った事も無いというのに。

 舌打ちをした私は、とっさの事で防ぐだけになっていた剣に力を籠めた。

 そっちがそのつもりなら、こっちもやってやろう。元々女だとか何だとか関係無しに中津の喧嘩に巻き込まれたり自分に売られた喧嘩を高値で買ったりしていた私だ。腕にはそれなりの自信がある。

 ぐっと剣身に力を入れて体を逸らし、鴻耀の剣を受け流す。その隙を狙った撃ち込みは当然後退して回避されたけど、更に踏み込んで、横なぎの鴻耀の一閃を体を低くしてかわし、足払いをかける。

「……っと」

「ちっ」

 寸前で避けられたせいで体勢を崩すには至らなかったが、大きく下がった鴻耀は感心したように目を瞬かせている。

「大したもんだな。体術は得意か」

「まぁね」

 戦意を消した鴻耀を見て、不本意ながらも構えを解く。剣を鞘に仕舞いながら私を見て何やら思案していた鴻耀は、やがて息を吐いて言った。

「だが剣の基本くらいは覚えといた方がいいぞ。体術だけじゃ限界がある」

「ああ……」

 そりゃまぁ、相手が武装してるなら素手ってわけにはいかないだろうし。

「よし」

 黙考する私に、鴻耀が唐突に言った。

「お前の仕事が終わった後、毎日半経ほど稽古をつけてやる」

 って、何で上から目線!?

「要らないよ。大体何でそんなに偉そうなんだ」

 私は顔をしかめて言い放ったが、そもそも鴻耀が私の言葉を聴くような性格ならこんな事態にもなっていないわけで。

「決定だ。明日から始める」

「人の話を聴け!」

 そんな叫びが届く筈もなく、鴻耀は欠伸をしながらすたすたと部屋に戻っていった。


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