表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之参 后土の国
21/76

変事

 私はひとまず老人の小屋に連れて行って貰った。小さな小屋は粗末な作りで、入り口を入ると右手に竈、左手に水瓶が置いてあり、その奥に椅子とテーブル、壁際には竹で編んだ行李がいくつか積んである。いずれも狭い空間の中にこぢんまりと存在していた。その行李の中から衣服を一揃い出した老人は、奥にある小さな扉を指さした。

「ここでは狭かろう。あちらの部屋で着替えて来るといい」

 いずれにせよ老人の前で着替えるわけにはいかない私は、有り難くその言葉に従った。扉の向こうはまた小さな部屋で、竹製の質素な寝台があるのみだ。渡された服は老人の纏っていたのと同様ゆったりとした作りで、数枚の衣を重ねて着物のように前を合わせ、帯で締める。体格が誤魔化されるのは有り難いが、少し動きにくい。

 私が着替えて居間に出ると、丁度老人が湯気の立つ碗をテーブルに置いた所だった。

「大した物は無いが、まぁ暖まりなさい」

「ありがとう」

 それは野草のスープで、粗末なものではあったが美味しかった。ほかほかと暖まった体に安堵の息を吐く。向かいに座って微笑ましげに見ていた老人に、私はまだ名乗っていない事に気づいた。世話になったのだから名前くらい言わなければならないだろうと考えてから少し躊躇う。私の名前はここではどうしても異色だ。

「そういえば、ここってどの辺りなんだ?」

 迷った末に私の口から出たのは別の問いだった。老人は私を見て紅人と言った。どうやらここは紅ではないようだが、ではどこなんだろうか。

「ここは橙の国に属する。大陸の中心部に近い場所じゃよ」

 中心部、と呟いた私に、老人はゆっくりと頷いた。

「かつては女神の膝元にあった……清らかなる土地じゃ」

 しかし加護が失われた今は、却って守護神を持たない無力な土地になった、と老人は言う。そのどこか悲しげな様子を黙って見つめていた私を、不意に老人がまじまじと見た。

「そなた、精霊に運ばれたと言ったな」

 私が頷くと、老人は髭を撫でながら軽く思案する。

「紅でそれほどの方士と言えば炎狂くらいしか思い当たらぬのじゃが……」

 私ははっとした。同時に奥歯を噛みしめる。紅で自分がした事が、脳裏に鮮明に思い浮かんだ。

 私があんな惨劇をこの手で引き起こしたと知ったら、この優しい老人は私を蔑むだろうか。そう考えると怖い。でも、この老人を誤魔化す事など出来ないと思った。誤魔化しは、更に罪を重ねる。

「俺は……」

 意を決して、私は話し始める。

「俺は、紅では朱宿と呼ばれてた」

 老人が目を見開く。朱宿の名は知られているという事だ。私は目を伏せ、奥歯を噛みしめた。

「そうか、そなたが……」

 老人が呟く。その表情を見る勇気が、私には無かった。

「さぞかし辛かったじゃろう」

「え?」

 思いもしなかった言葉に、思わず顔を上げる。老人は慈悲深い笑みを浮かべていた。その手がすっと伸ばされて、暖かい掌が私の頭に乗る。

「五百年前の事があってから、朱雀は狂ってしまった」

 私の頭を撫でながら、老人は少し悲しげに言った。

 

 五百年前。

 何があったのだろう。

 

 私はふと範蔵の言葉を思い出した。

『狐狼の年寄りなら、まだ当時を知ってるが』

「おじいさん」

 呼びかけてから、初対面でこんな踏み込んだ事を訊いていいのかという考えが頭をよぎる。でも、気にしている余裕は無かった。とにかく、知りたいんだ。

「五百年前、何があったか知ってるのか?」

 老人は私の勢いに驚いたように目を瞬かせると、その目を少し伏せた。

「詳しくはないが……大体の事は」

「教えてくれ」

 私はきっぱりと言った。

「俺は女神の加護を取り戻してこの混乱を終わらせたい。そのために、知ってる事を教えてくれ」

 老人は目を見開いた。それから、ゆっくりと視線を和らげて私を見る。

「似ているな、そなた」

「え?」

 小さな呟きを拾い損ねた私に再び言う事はなく、老人は話し始めた。

 

 

 五百年前。

 まだ大陸は王家の治める平和な時代で、女神圭裳も人との関わりを絶っていなかった。老人は当時はまだ若く、女神の守護者の末席に連なっていた。普段は普通に生活していて、時折狐狼の首領に言いつけられた役割をこなす。そんな毎日だった。

 

 その頃、しばしば女神に会いに来る人間がいた。

 勿論、人間は誰でも女神に会いに来られる訳ではない。相当の霊力を持ち、精霊に愛され強い加護を受けている者だけが女神に辿り着く事が出来た。

 その当時、圭裳に会いに来ていたのは若い男女だった。二人とも王族である。というのも、大陸王家は元々圭裳の弟の血を引いているので、しばしば女神の力を強く受け継いだ方士を輩出するらしい。

 女の方は宵藍といって、当時の王の姪に当たり、どの精霊も操れる卓抜した霊力を持っていた。特に木と水の加護を強く受けていて、霊山の獣達からも愛されるほどだったという。

 男の方は誠藍。宵藍の双子の弟である。彼は炎と土の加護を強く受けていた。姉弟揃って高い霊力を持っていたわけだ。二人は東方の守護神である青龍とも懇意にしていたらしい。

 その二人と圭裳は女神と人間という立場を越えて親しくなり、狐狼達も二人を受け入れていた。

 

「思えばそれが、歯車を狂わせてしまったのかも知れんな」

 呟いた老人は、当時は滅多に圭裳の側にはいなかった為、二人の事も遠目に見かけるくらいだったという。しかしたまたま圭裳と誠藍が話しているのを見かけた時、たったそれだけで、普段二人を知らない彼でも気づいてしまった。

 

 圭裳は、誠藍に恋をしてしまったのだ。

 

「女神が、人間に……?」

 私は呟いた。それはきっと、とても悲しい事だ。ちくりと痛んだ胸には気づかない振りをして、私は話の続きに耳を澄ませた。

 女神と人間との、危ういながらも穏やかな時間。

 それは唐突に終わりを迎えた。

 何が起こったのか、詳しい事は老人にもわからないという。しかし、結果はそこに厳然として在った。

 

 誠藍が死んだのだ。

 

 その報せを聞いた圭裳は、悲しみのあまり半狂乱になった。天は曇り、地が震え、あちこちで天変地異が起こったという。

 宥めても止まらない圭裳の悲しみを、為す術もなく見ているしか無い狐狼達の元に、王家の使者から知らせが届いた。

 誠藍を殺したのは、宵藍であるという報せだ。

 

「わしらの首領は、それを信じてしまったのじゃ」

 後悔の滲む老人の言葉に、私は息を飲んだ。

「それじゃ……」

 言葉を続けられない私の意を汲んで、老人が頷く。

「首領は宵藍を殺した」

 女神の嘆きを引き起こした人間を赦す事は出来ないと考えたのだ。

「じゃが、後になって王家のもたらした知らせは嘘で、知らせてきた王家こそが誠藍を殺したのだとわかった」

「そんな……」

 王家にどんな内訌があったのか、そんな事は知らない。ただ、人の欲が平穏を奪った事だけは痛い程に理解出来た。

「その上、宵藍が女神を宥めようと手を尽くしていた事もわかった。わしら狐狼は悲しみ、嘆き……平和を打ち壊した王家を、憎んだ」

 その結果が、今革の枷と化して狐狼を戒めているのだ。私は唇を噛んだ。

「でも、それなら悪いのは王家だろ?何故狐狼はそこまでの罰を……」

 そう疑問をぶつけると、老人は頷いた。

「そうじゃ。じゃが皆殺しという手段は到底褒められたものではない。それに厳密に言うと、わしらの負う罪の主たる物は王家に対するものではないのではないかと、わしは思うんじゃ」

 それを聞いて、閃くものがあった。

「宵藍……」

「うむ」

 頷いた老人は、どこか遠くを見るような目をした。

「彼女は天に愛されておった。それに濡れ衣を着せて殺してしまった事に、天帝は酷く哀しまれたのではないかのう……もっとも、これはわしの憶測にすぎんが」

 私は何も言えなかった。

 悲しい誤解で命を奪われた彼女は、最期に何を考えたのだろう?

「わしに話せるのはこのくらいじゃ。どれ、茶でも淹れよう」

 立ち上がる老人を前に、私は暫し呆然としていた。王家の欲望に踊らされて、誰もが酷く傷ついてしまったのだ。

 その傷は、今も癒えない。

 

 

「して、そなたはこれからどうするんじゃ?」

 唐突な問いに、私は顔を上げた。乾燥させた茶葉を急須に入れながら、老人は続ける。

「朱雀や炎狂から逃げてきたのじゃろう?行く当てはあるのか?」

 私は押し黙った。

 行く当てなんて、無い。敢えて言うなら春覇達の所へ戻りたいが、そうして庇護を求めていくのも何かが違う気がした。

 守られたいわけじゃない。私は終わらせたいのだ。この争いを。そして正したい。食い違ってしまったこの大地と女神の関係を。

 何をすればいいのかは、まだわからない。ただ、守られているだけでは何も出来ないという事だけは、わかる。

「知りたい。この大陸のことを」

 私が言うと、老人は湯を注いだ急須をテーブルに置きながら耳を傾けてくれた。

「どうすべきかはまだわからないけど……まずは白に行きたい」

 白の土地を、朱雀を連れた私は深く傷つけた。その結果を、私は見る義務があるのではないかと思う。手を貸せる事があれば貸したい。それに、新しい土地を巡る事で新たに知る事もあるかも知れない。

「白、か」

 十分に出た茶を湯呑みに注ぎながら、老人が呟く。ふわりと、甘くてほろ苦い茶の香りが立ちこめた。

「国境を越える手だては持っておるかね?」

「あ……」

 老人の指摘で、初めて気がついた。私は関所を越える手形も、身分を証明するものも一切持ってはいない。加えて一文無しだ。

 黙ってしまった私を見て、事情を察したらしい老人は軽く息を吐いた。

「暫くここにいなさい」

 甘い芳香を放つ茶を勧めながら、言う。

「数日のうちに、役立つ人間が来る筈じゃ」

 誰だろう。

 私は首を傾げたが、老人はそれ以上言う気は無いようだ。いずれにせよ、白へ行く段取りをつけてくれる人物に違いない。

 そう割り切って、私は暖かい茶を啜った。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ