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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之弐 炎熱の国
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覇姫の決断

「……春覇」

 掛ける言葉を探るような、そんな力無い声が章軌の口から出る。早馬の報告を聞いてからじっと眉を寄せて考え込んでいる春覇は、返事をしない。章軌はその傍らに佇みながらそっと表情に苦みを加えた。

 紅軍が白の領地を深く抉っている。

 しかもその戦闘に兵力は関与していない。朱宿が抵抗する者全てを焼き払うという、およそ人の世にあってはならない一方的な侵攻だ。それは今尚続いている。すなわち、朱宿――灯宵はその力を以て敵軍を焼き払う事を肯定した事になる。

「……紅を攻める」

 長い沈黙の後、春覇は言った。

「兵を二手に割く事になる」

 一応、章軌は忠告した。昏と小競り合いが続いている今、それに背を向けて紅と戦う事には少なからぬ困難が伴う。春覇がそれを忘れているわけでも軽視しているわけでもない事はわかっていたが、何も言わずに済まされる問題ではない。

「わかっている」

 答えた春覇の瞳は揺らがなかった。

「だが白が滅べば次は我が国だ」

 章軌はもう何も言わず、部屋を出る春覇の後に続いた。

 

 

 

 火が、草原に満ちる。

 もう何度目だろう。こうして全てを焼き払うのは。

 私が望まなくても、朱雀は惜しげもなく力を解放する。私に出来るのは、出来るだけ殺さないように軌道や力加減に気を付ける事だけだった。燃え盛る炎から逃げまどう白軍を後目に、紅軍は前進していく。その様子を見ていた私は、炎精霊の勢いに気圧されつつも傍に留まっていてくれた水精霊に声をかけた。

「……消してくれ」

 勝敗が決したのなら、これ以上火を弄んで死傷者を増やす事はしたくない。水精霊はぴょんと一跳ねすると、仲間を集めに飛んでいった。やがて大気が水気を帯びて霧を呼び、炎を鎮めていく。

 私は馬車の中で席に座り、ゆっくりと目を閉じた。

 ――いつまで続けるつもりだ、朱雀。

 力を使った直後の朱雀が目覚めている時、心の中に意識を向ければ朱雀と会話出来る事に、私は気づいていた。そして、朱雀の想いが狂気を帯び始めてしまっている事にも。

 ――いつまで?決まっている。この大陸を制するまでだ。

 大地を守護する聖なる存在が妄執の中に沈んでしまったのは、一体何故なのだろう。

 ――大陸を手に入れて、どうする。

 私は一歩踏み込んだ問いを発した。じわりと朱雀の怒りが呼び覚まされる。

 ――傷ついて隠れてしまった圭裳を連れ戻す。あやつが守れなかったばかりに、圭裳は……!

 圭裳は大陸の女神だった筈。その身に何が起こったのか。私は問いを重ねる。

 ――あやつって、誰だ。何があった?

 ――人間になど肩入れしおって……何故罰を受けぬ!

 朱雀の怒りが膨れ上がる。私の問いは届いていないようだ。内心眉を寄せて、私は朱雀を眠らせる事に専念した。質問の続きは、また次の機会だ。

 話題がこの事になると、朱雀はいとも簡単に我を忘れてしまう。どうやら相当に誰かを恨んでいるらしい。

「一体、誰を……」

 朱雀が眠ったのを感じ取った私は、密かに溜息を吐いた。朱雀が拘っている事、恨んでいる相手がわかれば、朱雀の怒りを宥める事が或いは出来るかも知れないと考えているだけに、ここから一向に進まない話題に苛立ちが募る。朱雀の怒りさえ静まれば、私だってもうこんな事はしなくて済むんだろうに。

「うまくいかないな……」

 小さく呟いて、私は目を開けた。もう火の海は通り過ぎ、軍は荒野地帯に踏み込んでいる。

 暫く風を感じながら景色を眺めていると、軍の後方がざわめいた。

「申し上げます!」

 兵団が割れ、馬を走らせてきた兵士が飛び降りた勢いのまま錫将軍の前に膝をつく。早馬だ。本国から何か急報があるということ。視線が一度に兵士に集まる。息を整える間もなく、兵士は言った。

「碧軍が侵攻して来ました」

 私ははっと息を飲んだ。爾焔が考えるように顎に手を当てる。

「覇姫が動いたか……」

 言葉の割に、爾焔の表情に暗さは無かった。逆にどこか楽しげに口角が上がる。

「碧軍の将は?」

「総将に叙寧、その下に騰藍がついていると思われます」

 報告に頷いた爾焔に、錫将軍が近づく。

「どうする」

「覇姫はこちらに来ていません。恐らくは昏を押さえるのに手一杯なのでしょう」

 そう言い切ると、爾焔は私に視線を流して目を細めた。

「碧が出てきた事は想定内……このまま進みます」

 

 時をかけず、一気に白を制圧してしまえ。

 

 その目は私にそう言っていた。白を完膚無きまでに叩き潰し、それから碧を相手にするつもりだ。

 確かに、その方が良いだろう。爾焔の表情から見て、碧の侵攻に対する備えは為されているようだ。白を攻めていても国を守れるなら、ここで引き返す理由は無い。今紅軍が引き返せば白が息を吹き返しかねないし、そうなれば返って紅は碧と白の挟み撃ちに遭う事になる。私は爾焔に軽く頷きを返した。

 しかし私にはどうも、春覇が爾焔の読み通りに動くとは思えなかった。

 

 その予感は、間もなく的中する事になる。


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