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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之弐 炎熱の国
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渇水

 馬車に乗り、騎兵に囲まれて進むこと数日。

 目的地は、今白軍の攻撃に曝されている国境の町らしい。その町では城壁を閉じ、突破しようとする白軍を防ぎながら援軍を待っているという。当然ながら進軍は慌ただしく、歩兵と騎兵の間に距離が開く。その分歩兵は夜も歩いて遅れを取り戻すのだと聞いて、私は眉を寄せた。

「それって大丈夫なのか」

 尋ねると、爾焔は苦笑を浮かべた。

「正直、芳しくないね。倒れる者が出始めている」

 当然だ。この暑い中を僅かな休憩で歩き続けるなど、体調を崩すに決まっている。

 だが一方で、援軍を心待ちにしている城兵の事を考えれば急がないわけにはいかないのだ。

「携帯させる水と塩の量を増やそう」

 馬を寄せてきた錫将軍が言う。爾焔は眉を上げた。

「確かにそれがよいのでしょうが……そうすると泉に着く前に水が尽きてしまいますよ」

「何とかそれまでに補給出来ぬだろうか」

 錫将軍は煮詰まった様子で天を見上げた。困窮をあざ笑うかのように、空は晴れ渡っている。

「泉までに水源はありません……道中の村で略奪をなさるなら別ですが」

 揶揄するように爾焔が言うと、錫将軍は嫌そうな顔をした。私も爾焔に顔を向ける。略奪なんて、いいわけない。

「馬鹿な」

 将軍は吐き捨てるように言って、馬を離した。私は聞いた話を頭の中で整理する。

 水を増やさなければ、もっと多くの兵士が倒れる。しかしこの軍は水不足だ。途中に水場は無いし、雨はどう見ても降りそうにない。

「……何とかならないか?」

 近くに漂う精霊の中に、水精霊を見つけて言ってみた。相談を受けた精霊は少し首を傾げ、それからぽんと跳ねてどこかへ消える。方法を探してくれるのか単に逃げたのかわからない。

 私はあまり気にしない事にした。精霊の行動を予測するには、経験が足りなさすぎる。

 

 

 夕刻。

 軍が野営の為に停まり、私は馬車を降りてその辺の岩に腰掛けた。兵士が簡易な幕舎を張るのをぼうっと眺める。皆が忙しく動き回っているのに手伝わないのも居心地が悪いが、一度手を貸そうとしたらもの凄い勢いで恐縮され、あまつさえ拝まれかけたので余計な事はしないようにしている。紅の兵士にとって、朱雀を宿す私は崇拝の対象らしい。どうも落ち着かない話だが。

 私がそうしていると、不意に水精霊が目の前に現れた。申し訳程度の手足をぴこぴこ動かして存在をアピールしてくる。

「何だ?」

 思わず訊いた私に、精霊が見えていない錫雛が怪訝な顔をする。こっちの事だ、と誤魔化して、私は精霊に目を戻した。注意が向いたと知った精霊は、私の帯の端を掴んで引っ張る。

 ついて来いということか。

 立ち上がった私を、精霊はふわふわ浮かびながら先導し始めた。

「朱宿様!?」

 突然の私の行動に、錫雛が慌てて追ってくる。それに一瞬だけ視線を投げて、私は言った。

「黙ってついて来い」

 私自身、どこへ向かうのかわからない。ただ精霊を見失わないように歩くだけだ。

 作業中の兵士達の間を抜け、宿営地の端まで来てしまう。精霊が止まった場所には、井戸らしき物があった。深く掘られた穴の周りに石を積み上げ、四方に柱を立てて中心に滑車を取り付けた歴とした井戸だが、どうやら枯れているらしく水気は無い。元は有ったと思われる釣瓶も跡形もなくなり、ただ錆びた滑車が風に揺られているだけだ。

「この井戸は?」

 精霊に訊いても仕方がないと思われるので、錫雛に尋ねる。錫雛は井戸をのぞき込んだ。

「昔使われていた井戸です。しかし女神の加護を失ってから大陸南部は徐々に乾燥してしまって……地下水が枯れて、もう随分になるようですね」

 水の無い井戸に、錫雛が難しい顔をする。私はそこでふよふよしている水精霊に目を戻した。私と目が合う(多分)と、頻りに井戸の中を指し示す。のぞいてみた私は、思わずげっ、と声を上げた。

 何かうぞうぞいる。

 何がって、水精霊が。

「……ここまで集まると軽く気持ち悪い……」

「朱宿様?」

 怪訝そうな錫雛をとりあえず放置して、代表の水精霊を見る。

「で、どうしろと?」

 私が言うと、水精霊は私の手にまとわりつくように飛び始めた。

「水、呼ぶ。呼ぶ、来る」

 喋ったと思ったら、片言でそれだけ告げられる。

 それはつまり、水を呼べば水が得られるって事か?

 多分水不足を解消したいと言った私の為にこれだけの水精霊を集めたんだろう。しかし最終的には私が水を呼ぶ必要があるようで、私は呼び方を知らない。

 意味無くない?

 私が眉をしかめると、水精霊は私の手をぺしぺしと叩いた。

「呼ぶ、来る!呼んで!」

「って言われても……」

 戸惑いながらも、私はダメもとで適当にやってみようと腹を括った。掌に水精霊を乗せ、もう一方の手を井戸の縁に当てて目を閉じる。瞼の裏に水をイメージして、一声呟いた。

「――来い」

 私の声が、奇妙に硬質な音を帯びて響く。次の瞬間、井戸の水精霊達が大きくざわめいて、軽い地響きが起こった。掌にいた精霊がどこか嬉しげにきゃーとか言って飛び降りる。

 え、何。

 そう思った刹那。

 釣瓶の滑車を吹き飛ばす勢いで、水柱が吹き上がった。

「ぅわ!?」

「なっ……」

 驚いて下がった私と錫雛の上に、飛沫が降り注ぐ。私は三メートル近く吹き上がった水の中で、水精霊がきゃいきゃいはしゃいでいるのを見た。

「って、吹き上げ過ぎだし!加減を考えろ、加減を!」

 我に返った私が叫ぶと、精霊達がきゃっと縮こまる。それにつれて水の勢いが弱まり、水面がゆるやかに下がっていく。最終的に井戸の中に収まったのを見て、私は掌を浸してみた。綺麗な水だ。

「飲めるんだろうな、これ」

 呟く私に、精霊達が勢いよく頷く。私は漸く微笑んだ。

「よくやった。ありがとう」

 その言葉に、精霊達がまた大はしゃぎして水が溢れかけた。

「錫雛、爾焔と将軍に報せてこい」

 あまりにも突然の出来事に未だ呆然としている錫雛に苦笑を向けて、私は命じた。

「飲み水の補給が出来るぞ」

 錫雛ははっと目を瞬かせ、本陣へと走っていく。私は満々と湛えられた水を見るともなく眺めていた。

「……これも朱雀の力か?」

 そう考えるのが最も自然だと思う。しかし私の呟きを拾ったらしい精霊は勢いよく首を振った。

「朱雀、違う。灯宵」

「俺?」

 何で名前を知っているのかとかはあえて放置だ。まぁ精霊だし。

 そんなやり取りをしていたら、急に水精霊が体を震わせてどこかへ飛んでいった。代わりに火の精霊が増えた事で、爾焔が近くに来た事がわかる。

「朱宿、これは……」

 井戸を見た爾焔は目を見開いた。一緒に来た錫将軍も感嘆の声を上げて水を掬う。

「浄水だ。すぐに兵士に汲みに来させよ」

 将軍は水を一舐めするとそう言って、従者を走らせた。じっと井戸を眺めていた爾焔が、私に向き直る。

「君が湧かせたのかい?」

「や、その……水精霊が」

 私自身よくわかっていないので、とりあえずそう答えた。爾焔が軽く目を細め、顎に手を当てる。

「朱雀は本来火の精。水精霊とは相性が良くない……それがこんな……」

 何やらぶつぶつと呟きながら考え込む爾焔に、私は首を傾げた。

「爾焔?」

 疑問に思う余り、つい爾焔の顔を覗き込む。普段なら絶対しないのに。

 はっと瞳孔を収縮させた爾焔は、すぐに笑みを溜めて私の頬に手を当てた。

 しまった、こいつがやたらこうして触れてくることを忘れていた。

 身を引こうとした所を、腰に手を回されて抱き寄せられる。

「ちょ……」

「素晴らしいね。君は私の役に立ちたいと思ってくれたんだろう?」

 お前の役に立ちたかったわけじゃないから!

「勘違いすんな。ただ兵士が辛そうだから……」

「あぁ、照れなくていい」

 照れてないし!

 お前面白がってるだろう、確実に!

「依氏、お取り込み中申し訳ないが……」

 従者に色々指示をして水を補給する手配をしていた錫将軍が、遠慮がちに声をかける。さすがに将軍を無視は出来ないのか、少し残念そうにしながら爾焔の手が離れた。

 ナイス将軍!

 後で錫雛に夕食の果物を分けてやろう。

 というか爾焔の奴、いちいち距離が近い。私が男だって事忘れてるんじゃないだろうな。

 ……待てよ。

 不本意ながら、私はこっちに来てから兵士に押し倒されたり妾かと問われたり、紅王に至っては妾にならないかと直球で言われたわけで。

 まさか、こっちでは男同士もありうることで、私みたいな女顔(女だから当然だけど)はその対象になる……なんて事は……

 今更に気付いた衝撃の可能性を、私はいやいやそんな筈はと首を振って否定した。何ていうか、認めたら終わりな気がする。男に化けた意味無くなるし。

 私は慌ただしく動く兵士達を横目に宿営地に戻った。

 

 

「凄いです!枯れ井戸に水を呼ぶなんて……しかもあんなに沢山!」

 設えられた幕舎の中で一息吐いていると、錫雛がやたら興奮した面持ちで言う。私は眉を寄せた。

「水精霊のやった事だ。俺じゃない」

「その精霊を動かしたのは朱宿様です。余程有能な方士でもあんな事は難しいですよ」

 錫雛は目をきらきらさせながら、私の鎧を解き始めた。私は溜息を吐いて、それ以上の反論を諦める。

 事実、私も何で水精霊があそこまでしてくれたのかわからなかった。爾焔の言う通り、朱雀の力は火の力の筈だ。霊力自体が高いから水を操る事も出来るのかも知れないが、水精霊が朱雀の力ではないと言い切ったのが気にかかる。

「考えても仕方ない、か……」

 答えの出ない思考を早々に放棄して、私は錫雛が差し出した水を飲んだ。


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