出陣
数日後、私の部屋に現われた爾焔は後ろに何人か従者を従えていた。そのうちの数人は何やら大きな箱を持っている。
「急で済まないけれど、戦が起こってしまってね」
爾焔がそう言いながら当然みたいな顔をして手を握ってきたのでとりあえず振り払っておく。爾焔はわざとらしく残念そうな顔をしたが、特に気分を害した様子は無く従者に視線で指示をした。
「君の初陣だ」
従者の一人が、持っていた箱を私の側に持ってきて床に置き、蓋を開ける。中に入っているのは、金属と革で拵えた、繊細な装飾の入った鎧だった。
「王から君に鎧が下賜された。着なさい」
「ちょ……ちょっと待て」
私は手を挙げて、続こうとした爾焔の言葉を遮った。私は戦争に加わるつもりはない。こんな世界に来てしまった以上、平和に暮らすなんて望むべくもない事かも知れないが、私はこの世界の国々の事をまだ知らない。どこの国がどんな信念で戦ってるのかもわからないのに参戦なんて出来ないし、下手に戦場になんか出たら死ぬ気がする。命をかけた戦闘の経験なんて無いんだ。
「俺は戦は……」
「ああ、怖がることはない」
私の言葉を遮った爾焔がにこりと笑う。
「君を危険に晒したりはしないし、我が軍が敗れる事も無い」
自信たっぷりにそう言って、私の頬に触れた。
「我々には朱雀がついているのだから」
ざわり、と身の内がざわめく。瞳を揺らした私に気づいたのか、爾焔は宥めるように私の頭に手を乗せた。
「心配しなくていいよ。君の中の朱雀に任せておけばいい」
従者が鎧を箱から出す。赤い鎧が鈍く光った。
「さぁ、朱宿」
促された私が立ち上がると、錫雛がさっと進み出る。爾焔が軽く頷くと、錫雛は一礼し、私の手を取って鎧の籠手を着け始める。それを見るとはなしに眺めながら、私はふと浮かんだ問いを爾焔にぶつけた。
「相手はどこなんだ?」
碧であって欲しくないと、心のどこかで思う。朱雀の力というのが戦場でどう威力を発揮するのかはわからないが、春覇や章軌を相手にしたくはない。
「白だ」
それを聞いた私は、密かに安堵した。
「ほっとしたかい?」
爾焔は余計な所で鋭い。
「私としては早いところ覇姫を潰してしまいたいのだがね」
思わず顔を上げた私に目を細め、顎に指を掛けて軽く持ち上げる。
「君が何故そう気にかけているのかも気にかかる……しかし物事には順序というものがあるからね」
爾焔が手を離すと、錫雛が私の体に鎧を合わせて固定する。それを眺めた爾焔は唇の端を持ち上げた。
「よく似合うよ」
嬉しくない。私はむっと眉を寄せて籠手に守られた腕を上げた。
「重い」
「仕方がないさ。私も君に怪我をして欲しくはないしね」
そう言った爾焔に、従者の一人が何事か耳打ちする。それに軽く頷くと、爾焔は居住まいを正した。
「では朱宿。出発は一経後だ。二刻後には翼庭に……いいな、錫雛」
「はい」
ひざまずいて深々と礼をした錫雛を一瞥してから、爾焔は私に含むような笑みを向けて部屋を出ていった。
うん、最後の笑みさえ無ければ普通の有能な権力者に見えたな。
残念ながら私に向けた目が含んでいた笑みは得体が知れなくて、恫喝された時の薄ら寒い感覚を忘れさせてくれなかったが。
従者達も爾焔の後に従って部屋を出ていく。部屋の中には私と錫雛の二人だけが残った。
「重いな、本当に」
全身を覆っているわけではないし、随分軽量化された上質な鎧だという事はわかるが、何しろ慣れていないのでこの重量感は正直きつい。
「暑いし」
袖無しの衣服が当たり前の国だ。二の腕は露出しているとはいえ、鎧なんか着けていれば当然暑いわけで。
「しかたありません。お怪我をなさるよりはずっといいですよ。冷たい物を召し上がりますか?」
「いや、いい。ありがとう」
気を使う錫雛に軽く手を振って見せ、私は少し体を動かしてみた。やはり慣れないと動きにくい。もっとも、恐らく私は動き回る事なんて求められないだろうけど。
「武器はくれないだろうな……」
あわよくば脱走しようと思っても、さすがに武器無しでは無謀だ。
「大丈夫ですよ。朱雀様がついておられるんですから」
私の呟きを不安ととった錫雛がそう言って微笑む。私は曖昧に頷いて誤魔化すと、窓の外を見た。
相変わらず、日差しの強い国だ。
「そろそろ参りましょう」
促す錫雛の声に従って、私は部屋を出た。
戦が、始まるのだ。
外に出て役所の立ち並ぶ辺りに差し掛かると、以前来た時よりも慌しく人々が駆け回っていた。どの顔も緊張している。戦なのだから、当然なのだろうけれど。
「この先が翼庭です」
周りの人間を眺めながら歩いていた私に、錫雛が声を掛ける。
前に向き直ると、開け放たれた大きな朱塗りの門が有った。その向こうの広大な広場に、沢山の人間が犇めき合っている。
……正直、あの中に入っていきたくないんですけど。
いや、みんな兵士でちゃんと並んでるから別にぶつかったりはしないだろうけど、何ていうか暑苦しい。ただでさえ暑い国なのに、男ばっかり何万と集まられてみなよ。絶望的な暑苦しさだ。
「こちらです」
しかし私の心配は無用のものだったらしく、錫雛は門の側面から広場を囲うように延びている回廊を指し示した。その廊下をてくてくと歩いて、広場の向こう側へと向かう。
……遠い。
広場の前の、舞台みたいになっている建物までたどり着くまでに、私はすっかりだるくなってしまった。
どうせ現代っ子だよ、私は。
「来たね」
そんな私を、当然の如く爾焔が迎える。何か疲れが三割くらい増したような気がする。
堂の上には、重臣らしい男達がずらりと並んでいた。鎧を着けていない奴は今回従軍しないのだろうか。爾焔はやや簡略なものながらちゃんと鎧を着けている。爾焔が私を堂上へ導くと、錫雛は丁寧に一礼して退出した。
「閲兵式か?」
「その通り」
私が堂上へ出て爾焔に導かれるままに端に立つと、広場を埋めた兵士達からどよめきと歓声が上がる。私が守護神の宿主だという事は、既に広まっているようだ。
「まぁ今回は君がいるから兵士なんて必要無い気もするけれど」
「え?」
爾焔の呟きに私が顔を上げた時、王の到着を告げる側近の声が私達の会話を中断した。
それから執り行われた閲兵式で、爾焔はこの軍の佐将に任命された。大将には別の武官が任じられる。爾焔は元々武官ではないらしい。というか、宰相という言葉を以前聞いた気がするのだが、信じたくない。だってこんな変人が国の政治を預かるトップだなんて……それに若すぎるんじゃないだろうか。どう見ても三十はいっていなさそうだ。
「依氏」
閲兵式が終わり、各部隊の将になった武官達と共に移動していると、背後から重みのある声が掛かった。爾焔につられて振り向くと、大将に任命されていた武官が立っていた。年は四十くらいだろうか。いかにも武将という貫禄のある男だ。
「これは錫将軍」
爾焔が柔らかく応対する。こういう姿を見ているとまともっぽいのに。
爾焔に会釈を返した将軍は、ちらりと私に目を向けた。
「この度の戦、彼を伴うおつもりか」
「ええ、勿論」
頷いた爾焔は、目元に仄かな笑いを見せた。
「事によると、兵は不要かもしれません」
それを聞いた私は疑問符を顔に浮かべて爾焔を見たが、将軍も同じように不思議そうな顔をする。
「不要?彼の存在が戦を左右すると仰るのか」
「それは彼と朱雀の御心次第、と申し上げておきましょう」
爾焔の言葉を受けて、将軍は再び私を見た。その目には、探るような色が見える。
多分、錫雛と同じように私に関する噂を色々聞いているのだろう。しかし錫雛と違って大人な分、その真偽を自ら見極めようという態度が見受けられた。
「……ならばこの戦、依氏のご意見に従って兵を動かすのがよろしいでしょうな」
「私の意見など……ただ、朱雀が動くようでしたら逐一将軍にご報告申し上げるまで」
朱雀が、動く?
私は胸に手を当てた。
朱雀は私の体を使って何かするのだろうか?
「承知した。ところで、私事で恐縮だが、愚息は役目をこなしておりますか」
「ええ、よく働いてくれています」
ん?愚息?
……そういえばさっき錫将軍って……
「今回はあれも従軍する事になりますな。至らぬ愚息だが、ご容赦を賜りたい」
「とんでもない。彼は優秀ですよ」
この人、錫雛の父親か。言われてみれば、目元の感じとか似ていない事もない。
「朱宿殿」
「え?」
ぼうっとしていたせいでうっかり聞き返してしまった私に気分を害する様子も無く、錫将軍は手を組み合わせて礼をした。
「この戦に火の加護と勝利あれ」
願いを向けられて、朱雀がざわりと騒ぐ。
「……その願い、確かに」
口からでた言葉が、自分の言葉なのか、或いは朱雀に言わされた事なのか。見分ける術は無い。
承諾に感謝の礼をしてから、錫将軍は個人的な話に話題を移した。
「愚息が世話になり申す」
「あ、いえ、こちらこそ」
慌てて礼を返す。世話になるのはこっちだし。素直な子どもが側にいるっていうのは、案外ほっとするものなのだ。
「行きましょう。そろそろ刻限です」
会話の区切りで丁度爾焔に促され、私は再び歩を進めた。
軍の出発点となるらしい街道には、沢山の兵馬が立ち並んでいた。爾焔についていった先はその中軍に位置する集団の中で、一歩先を歩いていた錫将軍は一頭の立派な馬にさっと跨る。それに従うのであろう二十騎ほどの騎兵の後ろに、馬車が一乗あった。西洋の馬車みたいに部屋の形にはなっておらず、横長の箱みたいな車体の中に席が二つ左右に並び、上には大きな傘が付いている。車体の中心から前に棒が伸び、その左右に馬が繋がれていた。いつか博物館で見た中国の昔の馬車によく似ている。そのすぐ側に、簡単な革の鎧を着て剣を腰に提げた錫雛がいた。私に気づくと、さっと駆け寄ってくる。
「どうぞ、馬車へお乗り下さい」
「……お前も従軍するのか」
私は軽く眉を寄せた。こんな子どもを、殺し合いの場になど連れていっていいのか。
「私は朱宿様の従者ですから。何処へでもお供致します」
錫雛はそう言って、私を車体の左側の席に乗せた。隣には当然のように爾焔が乗る。錫雛は御者台に立った。
……御が出来るのか。
やっぱり仮にも国の守護である私に付けられるくらいだし、相当の訓練は受けているんだろう。程なく号砲が響き、軍は動き出した。街道の両側には見送りの群衆がざわざわと声を立てている。
何だか、妙な気分だ。
すっきりしない私の心中とは裏腹に、空は真っ青に晴れ渡っていた。