もめごと
広い敷地を進むにつれて、様々な人間が慌ただしく動いているのを目にするようになる。鎧を着けた兵士、何か相談しながら足早に歩く地位の高そうな男達、恐らく文官なのだろう、紙の束を抱えた男。余談だが、この大陸の紙は私が普段使っていたようなのとは質が違う。和紙みたいに厚みがあるけど和紙より堅くて、丸めたり畳んだりするのにはあまり向いていない感じだ。私が以前読んだ歴史書は普通に束ねて糸で綴じてあったが、時には竹簡などのように細長いのを連ねて糸で繋ぎ、巻物にして使う事もあるようだ。
「あちらの建物が朝廷のあるところです。向かって右側に主に文官の執務所が並んでいて、左側は主に軍の関係になります」
一際大きな屋根を示しながら、錫雛が説明する。建物ごとに色々な機関があるようだが、聴いてもわからないだろうと判断して、大まかなことだけ聴いた。
「朝廷の奥が王の居られる所です。ご存知かとは思いますが、その更に奥が神殿になっています」
先日爾焔に抱えられて行ったのはそこらしい。あの時の苦い思いを思い出して、私は振り切るように目を転じた。今も朱雀は私の中で眠っている。
「町に出るのはどっちだ?」
私が訊くと、錫雛は私達の後ろ、南の方を手で示した。
「都の大通りに通じるのはあちらの南門です。ここからは詰所があるので見えませんが」
錫雛がそう言う通り、そこには役所らしき建物が左右対称に幾つも並んでいる。その間の道を辿って行けば町に出られるようだ。
「町か……」
出てみたい。
この世界に来てから、私はまだ軍隊の中と宮廷しか見ていないのだ。人々が暮らす町も見ておきたい。
しかし、私の呟きを聞いた錫雛は難しげな顔をした。
「私が依宰相から頂いた許可は、王城の中までです。町へはお連れできません」
申し訳なさそうに、しかしきっぱりと言い切る錫雛に、私は駄駄をこねるわけにもいかず嘆息した。
「仕方ないな……都は広いのか?」
「はい。外郭の城壁まで、王城の門からは半日かかります」
ん?城壁?
「町に城壁があるのか?」
「え?」
ふと漏れた私の疑問に、錫雛が目を見開く。
しまった。この世界の人間ならば常識なのかもしれない。
「いや、なんでもない」
内心の焦りを隠しながら誤魔化す私を、錫雛は暫し怪訝そうに見ていたが、気を取り直したように視線を宮城に向けた。
「……どこの町も、外郭の城壁の中に町があり、その中に更に統治を担う城があります。もっとも、中の城がこのように広大なのはよほど大きな町か都くらいのものですが」
「……そうか」
不審に思っただろうに、律儀に説明してくれる錫雛に心の中で感謝する。
戦が頻発するせいか、この世界の町は所謂城郭都市というやつらしい。
「さて、これからどう致しましょう。各役所をご案内しましょうか、それとも城門の方へ歩いてみられますか」
話を切り替えてくれた錫雛は、本当に聡い子どもだ。とても十二やそこらの子どもとは思えない。この精神年齢の高さは時世と環境のせいなのだろうか。
「そうだな、門の方へ行ってみたい」
ついでに町の様子が窺えればしめたものだ。そんな考えを持って、私は南へ足を進めた。整然と並ぶ建物群の間を歩くと、仕事中の役人を何人も見かけた。この城で働く人々がこの国を動かす中枢なのだと実感できて何となく萎縮してしまう。
どこからか、掛け声のようなものが聞こえてきた。兵士たちが訓練をしているのだろう。彼らにとっては、戦いも日常のうちなのだから。
なんて、他人事みたいに考えてる場合じゃない。
私も、この世界で生きていくのなら、身を守る術くらいは身につけなければならない。精霊に頼るという手もあるけれど、結局最後に物をいうのは、きっと自身の力に違いない。ある程度運動神経には自信があるし、戦いとはまた別物にしろ喧嘩なら不本意ながら慣れているが、何か武器の扱いを学ぶ必要があるだろう。
そんな事を漠然と考えながら歩みを進めていると、王城を囲む城壁が視界に入ってきた。石造りのそれは遠目に見ても頑丈なのがわかるような重厚な造りで、所々に望楼が設けられている。
「あれが王城の南門です。朝は夜明けとともに開いて、原則夕暮れには閉まりますが、仕事や所用で遅くなった役人は側門から出入りできるようになっています」
錫雛の言葉通り、赤い屋根を頂いた城門が見えてきた。側門というのは、門の柱の横についている小さな扉の事だろう。当然ながら、今は閉まっている。門の両側には戈を持った役人が数人いて、出入りする者を審査していた。門扉は跳ね板になっていて、開いている間は堀を渡る橋の役割を果たすようだ。ちらりと垣間見えた門の向うは、広い大通りになっているようだった。
「大きいなぁ……」
子どもみたいだが、そう呟かずにはいられないような壮大な光景に、私は眼を細めて見入っていた。
日本ではまずあり得ない建造物だし。
どちらかというと冷めているとよく言われる私でも、まだ高校生だ。素直に感心することだってある。
そうして門に意識を集中していた私は気付かなかった。馬車に乗ったまま門を潜ってきた男がいたことにも、それを見た錫雛が僅かに身をこわばらせたことにも。
「おい、そこのお前」
私がその男の存在を認識したのは、横柄な態度で声をかけられた時だった。
門の方を見ていた目の焦点を近くに合わせてみれば、車の上に立ったままこちらを見下ろす男が映る。
「然氏様」
「従者は黙っていろ」
口を挟もうとした錫雛に、男の傍に控えている男が言い放つ。高圧的な物言いに、少々むっとした。
「お前、見ない顔だな」
従者のやり取りを意に介さず、然氏と呼ばれた男は私を見下ろしたまま言った。
さっきも思ったが、随分偉そうな態度だ。多分実際偉いのだろう。衣服や車馬の装飾が派手だし、何より錫雛が口を噤んでいる。
「……この国には、来たばかりだから」
相手の扱いを測りかねて、私は当たり障りなく言った。立場上、よほどの高官でも私が気を使う必要は多分無いのだが、摩擦は起こさないに越したことは無い。
「ふぅん、他国の者か?使者ではなさそうだが」
値踏みするような視線が、若干気持悪い。無遠慮に私を眺めまわした視線が、私の眼を見て止まった。
「あぁ、何か違和感があると思ったら、お前、珍しい眼の色をしているな」
「然氏様!」
堪りかねたのか、錫雛が再び口を開く。また然氏の側近に何か言われそうになったが、それより早く言葉を継いだ。
「このお方は朱宿様です」
それまで錫雛に目もくれなかった然氏が、ぴくりと反応する。
「ほう……」
いやな笑みだ、と思った。何となく爬虫類を思わせる。
「なるほど、それで紅い眼か」
納得したように頷いた然氏は、何やら側近に目配せした。意図を汲んだらしい側近がすたすたと私の傍にやってくる。
「うわ!?」
と思ったらいきなり腕を引かれて、私は慌てた。踏みとどまろうとするも、大の男に力では勝てずにたたらを踏む。錫雛が焦ったような声を上げた。
「朱宿がこんな美少年とは知らなかったな。我が屋敷に招待しよう」
「然氏様!」
錫雛が険しい声で呼びかける。招待っていうか、これは明らかに誘拐だろうが。っていうかそもそもこいつはいったい何者なわけ。
「離せ!」
「然郎中のご招待なのだ。大人しくついてこい」
普通に嫌です。誰が誘拐犯に大人しくついていくか。
「離せ!第一俺はあんたを知らない」
側近の男に引きずられながら然氏を睨み上げると、然氏は鼻で笑った。
「わしは郎中令の然利だ。王の信任が厚い。仲良くしておいて損は無いぞ」
会話するだけで何か損をしている気分になるのは私だけだろうか。それに言い方がなんていうか厭らしい。こいつについて行ったら確実に良くない事態に陥りそうだ。
「断る!離せ!」
車の傍まで引きずられた辺りで、私は思い切って側近の手を振り払った。再び捕まえようと伸びてくる手を避けて、数歩後ずさる。すぐに錫雛が駆け寄ってきた。
「然氏様、いくら貴方様でも朱宿様への狼藉は……」
「小童は黙れ」
横柄に錫雛の言葉を両断した然利とやら――然氏が名前なのかと思ったら敬称だったようだ――は、私に向かって目を細めた。
「何故嫌がる?」
「初対面でいきなり強制連行されそうになったら嫌がりもする」
至極当然の事を述べた私に、しかし然利は不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「面倒なことだ。……おい」
不穏な言葉とともに然利が顎をしゃくると、控えていた従者たちが一斉に動いた。
側近や供回り、総勢二十人ほど。
私を背後に庇った錫雛が青ざめているのがわかった。
「……何の真似だ」
「お前が大人しくついてこないからだ」
私の低い問いに然利が答えるのと同時に、従者達が私を取り囲む。危険を感じた錫雛が然利を咎める声をあげたが、聞き入れられることは無い。
私に伸ばされた手を打ち払った錫雛が、別の男に殴られた。まだ幼い体がよろめく。
「……いい加減にしろ」
もう、我慢の限界だ。元々私の沸点は見た目ほど高くない。私は今まさに錫雛に追い打ちをかけようとした男の腕を掴んだ。
「子ども相手に何てことを!」
罵声とともに、掴んだ腕を引いて一歩踏み込む。体を反転させる勢いを利用した背負い投げは綺麗に決まった。密集していたせいで、何人か巻き込まれて地面に転がる。
「然利といったな。何がしたいのか知らないが、不愉快だ。俺はあんたの言うことは聞かない」
きっぱりと宣言して、懲りずに私を捕まえようとする連中を蹴り倒す。どういうわけかよく不良やらなんやらに絡まれる中津と、伊達に一緒にいたわけじゃない。数に物を言わせようとするようなやつらに負けるつもりはなかった。
「貴様……」
然利が茫然と呟くころには、差し向けられた男たちは全員地に伏せていた。
「朱宿様……」
「大丈夫か錫雛」
頬を腫らした錫雛の顔を覗き込み、傷の具合をみる。大したことはないようで、少し安心した。
「貴様、ただですむと思っているのか……!」
然利が唸るように言う。それを一瞥して、私は冷たく言った。
「ただで済まないのはあんたの方だ」
今の騒動で、朱雀が目を覚ましてしまった。
怒っている。自分を宿す存在を手荒に扱おうとしたこの男に。
今にも然利を殺しそうな朱雀を必死になだめて、何とか殺すのだけはやめるように説得する。内側での会話だから周りの人間にはわからないが、結構な押し問答の末、ようやく朱雀は譲歩した。
「安心しろ」
口を開いた私は、然利に言った。
「命は助けてくれるそうだ」
次の瞬間。然利の乗っていた馬車が一瞬で燃え上がった。慌てて飛び降りる然利と御者を後目に、私は錫雛の背を押す。
「戻ろう。手当てしないと」
「あ、いえ、私は……」
「いいから」
手当てなど、と遠慮する錫雛を黙らせて、ちゃんと手当てしてやったことは言うまでもない。
その日、然利が朱宿を怒らせて車を燃やされたという噂が王城内を駆け巡り、日頃から然利の行いを苦々しく思っていた者達は溜飲を下げたという。
「随分派手にやってくれたようだね」
その晩、私の部屋にやってきた爾焔は、開口一番そう言った。
私はむっとそちらを睨みながら、錫雛が淹れてくれた茶を啜る。
「怒ったのは俺じゃない。朱雀だ」
それだけ言って、私は茶菓子として置かれている干した果物を摘まんだ。
私もあの男に不快感を覚えはしたが、馬車を燃やしたのは朱雀だ。寧ろ私は朱雀を止めるのに苦労したくらいだし。
「そう。朱雀も存外短気だからね」
疑うでもなくそう言って、爾焔は私の隣に座った。何となく気に食わなくて距離を取ろうとした私の腕を掴む。
「でも、あんな小物相手に力を浪費するのはよしてくれないかな。朱雀にも伝えておくれ」
至近距離で、爾焔は目を細めた。
「昼間の件で、然利は王の怒りを買って左遷された。何かあれば私に言ってくれればそのくらいのことは造作ないんだよ」
「……離せ」
返事の代わりに、私は短く命じた。そんな風に頼ることは、こいつの庇護下に置かれることを象徴するようで不愉快だ。
頑なな私の様子に、やれやれといった体で手を離した爾焔は立ちあがった。
「まぁ、今回の事でもう君に手を出そうなんて愚かな輩はいなくなっただろうけどね」
油断はしないように、と言い置いて、部屋を出て行く。
私は不快感を拭えずに寝台に突っ伏した。そんな私を慮ってか、錫雛が茶をいれ替えてくれる。甘い香りのする茶だ。
「ありがとう」
「いえ……あまりお気に病まれませんように」
小さく笑って、錫雛は水瓶の方へ向かった。
新しい茶を口に含みながら、私は今後について考える。
いつまでこの軟禁状態が続くのだろうか。
朱雀の力を使えと言われた時、私はどうすればいい?
いくら考えても明確な答えの出ない問いを、私はぼうっと考え続けていた。