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水鏡五国志 [第一部 星雲之巻]  作者: 子志
章之弐 炎熱の国
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従者

 暫くして戻ってきた爾焔の後ろには、文官と思しき男と、小学生くらいの子どもが一人つき従っていた。

「これから君の身の回りの世話をするのに彼をつけよう。好きに使うといい」

 爾焔がそう言うと、子どもの方が前へと進み出た。私に向かって膝をついて胸の前で腕を組み、深々と礼をする。

 私は少し驚いた。こんな小さな子どもを、従者として付けるのか。こんな子どもに働かせていいものか、と一瞬考えたが、この世界では普通にある事なのかも知れない。

「お世話をさせて頂く事になりました。氏は(しゃく)、名は(すう)と申します。何なりとお申し付け下さい」

 賢そうな子どもだと思った。爾焔が軽く頷くと、錫雛は立ち上がって部屋の隅に控えた。

「ここでの暮らしに不自由があれば何でも言うといい」

 爾焔がそう言った時、後ろにいた男が数歩歩み寄って爾焔に耳打ちした。

「依宰相、廟議のお時間が……」

「わかった」

 どうやらこの後も仕事があるらしい。頷きを返した爾焔は、私に向き直った。

「退屈だろうから外出しても構わないよ。ただし、必ず錫雛を連れて行きなさい。……護衛に抜かりの無いように。いいな、錫雛」

「はい」

 跪いて深々と礼をした錫雛を一瞥してから、爾焔は私に軽く微笑みかけて部屋を出て行った。控えていた男も爾焔の後に従って部屋を出ていく。

 最後に扉が閉まった時、部屋の中には私と錫雛の二人だけが残った。錫雛は相変わらず壁際に立って控えている。

 何となく気まずくて、私は窓の外を眺めた。この国の気候の特徴なのか、今日も嫌味なくらい晴れ渡っている。


「暑いな、それにしても」

 この世界には、私がいた世界のように発達した科学技術は無いらしい。当然、冷房なんて無い。南国、紅は袖無しの衣服が当たり前の国だ。日本の夏と違って湿気が無いのがせめてもの救いだが、凄まじい日差しが生み出す気温はやはり生半可なものじゃない。

「何か冷たいお飲物でもお持ち致しましょうか」

 呟きに言葉を返されて、私は一瞬びくっとした。いや、別に存在を忘れてたわけじゃないんだけど。

「いや、別に……そんなに畏まってないで普通にしてろよ」

 碧軍で範蔵にも言った気がするが、私はこういう扱いに慣れていない。畏まって傅かれるより、普通にしてくれた方が余程気が楽だった。

「これが仕事ですから」

 丁寧だがにべもない口調で言って、錫雛は直立を続けた。その子どもらしからぬ頑固さと、どこか冷たい口調にカチンとくる。

「錫雛、だっけ。控えてなくていい。従者なんか要らないと爾焔に伝えとけ」

 多少大人げないかとは思ったが、不愉快な思いをしてまで爾焔の手配に従ってやる筋合いは無い。それに身の回りの世話を他人にして貰うような習慣も、私には無いのだ。外出時の護衛も兼ねているようだが、私だって身を守る力くらい持っている。中津を狙って来た連中との喧嘩にしばしば巻き込まれていた日々が、こんな形で役に立つとは夢想だにしなかったが。

 後で何か武器でも借りとくか。

 私は独り内心でそんな計画を立てていた。

 しかしその言葉は、はいそうですかと従えるものでは無かったらしい。無表情だった錫雛が初めて動揺を見せた。慌てて言葉を探す表情にようやく子どもらしさがかいま見えて、私は少し溜飲を下げる。ふてぶてしい子どもなんて、見ていて気分の良いものじゃない。

「そういうわけには参りません。私は……」

「お前俺のことが嫌いだろう?」

 従者としての正論を述べようとした錫雛の言葉を遮って、暴いた本音をぶつけてやる。何で嫌われているのかはわからないが、さっきの錫雛の態度をみれば嫌われているという事実だけは明らかにわかった。

「そ、そんな事は……」

「ああ、理由だけ教えて貰っとこうか」

 この世界で今後過ごしていくに当たって参考になるかも知れないし。

 私は頬杖をつき、あたふたしている錫雛を斜に見た。

 私に出来るのはせいぜい虚勢を張ることくらいだ。それだけでも疲れるのに、嫌々仕える従者を側に置いとくなんて冗談じゃない。そんな私の視線を不機嫌と取ったのか、錫雛が慌ててひれ伏した。

「申し訳ございません!決してそのような訳では……」

 往生際悪く否定しようとする錫雛に失笑が漏れる。

「無理しなくていい。別に責めてるわけじゃないし」

 しかし錫雛は引き下がらなかった。まだ幼い顔から血の気を引かせて言葉を重ねる。

「ご不満の点は必ず改善致します。どうかもう一度機会を……!」

 その余りの必死さに、私は内心首を傾げた。それから、従者に指名されたのに仕える相手に拒否されたのでは無能と見なされて処罰があるのかも知れないと思い至る。

 とりあえず子どもに足下にひれ伏されるのはあまり気分が良くないので、腕を掴んで引き起こした。

「別にお前が嫌だと言ってるわけじゃない。従者はいらないって言っているんだ」

 身を起こした錫雛と目を合わせて、諭すように言う。

「お前から言うのが不都合なら俺から爾焔に言っておく。まぁそれと、お前があからさまに俺を嫌っているみたいだったから理由が気になっただけだ」

 そう言って、私は手を離した。錫雛は呆然と私を見上げている。

「で、理由は?」

 私が話を戻すと、錫雛ははっとしたように目を瞬いて、暫く迷ってから口を開いた。

「その……噂が。依宰相に色仕掛けで迫って朱雀の力を手に入れたと……」

「はぁ!?」

 思わず叫んだ私に、錫雛が肩をびくつかせる。また謝ろうとひざまづきかけた小柄な体を引き留めて、私は顔をひきつらせて言った。

「それ誰が言ってるわけ!?よりにもよって色仕掛けとか……っ、気色悪い噂を立てるな!」

 鳥肌が立っただろうが!

 そういえば春覇に会った時も妾とか言われたし、何で私はいちいちこういう誤解のされかたをするんだ?わざわざ男の格好したのに!こういう時勢だとそういうのが普通にあったりするのか!?

 眉間に思い切り皺を寄せて驚愕に身を震わせる私を、錫雛は目を瞬かせながら見上げた。

「違うのですか?」

「違うに決まってるだろ!」

 第一こんな子どもが色仕掛けなんて言葉を……何かこう、とてつもなくしょっぱい気分になるし。しかもそれを私がやったと言って違和感を覚えてないらしい所に更に凹む。どこからどう見たらそんなことするように見えるわけ。実際女だし女顔なのは認めるけれど、男が男に色仕掛けとかありえないだろうが。

「いいか、そもそも俺は男で、色仕掛けなんてするような趣味は無い!」

 第一そんなのに引っかかるような男に国政を任せておけるのか、お前らは。宰相だぞ、あいつ。

「でも……そんなに美しければ……」

 戸惑い気味に錫雛が呟いた言葉に、何か気力を奪われて脱力する。

 こっちに来てからやたら言われている気がするが、私にその形容は何かおかしいと思う。第一、普通男に言う台詞じゃないだろう。あれか、美的センスが違ったりするのか?

「……ここの連中、纏めて眼科に連れていくべきか」

「はい?」

 首を傾げる錫雛に説明はせず、私は寝台に座って側にある椅子を指し示した。

「そこに座れ」

「え……」

「いいから座れ」

 有無を言わせずに錫雛を寝台脇の椅子に座らせた私は、深い溜息を吐いてから、私が爾焔にさらわれてきた事を話して聞かせた。

「わかったか?だから俺は被害者なわけ。別にこんな待遇も朱雀の力も欲しくないんだ」

 軽く舌打ちをして、自分の目元に触れる。緋色になってしまった瞳が、嫌でも私をこの地に縛り付けるだろう。

 私の話を聞いた錫雛は、ぽかんとした様子で私を眺めていた。

「まぁとにかく、気色悪い誤解はやめろ。それだけだ。嫌うのは勝手だけどな」

 元々人に好かれるような性格はしてないし。私は話を打ち切ると、寝台の脇の水盤をのぞき込んだ。何かの術が施されているらしいそれは、水底に光る文字を表示して時間を知らせてくれる。そろそろ昼か。出かけてみたいが、昼食後にした方がいいだろう。

「爾焔には俺からうまく言っとくから。俺の従者なんてやらなくていいぞ」

 私がもう一度そう言って話を打ち切ろうとすると、何を思ったかいきなり錫雛が目の前に平伏した。

「わ……何だ?」

 軽く身を引きながら訪ねる私に、錫雛はやたらきらきらした目を向けてくる。

「どうかお仕えさせて下さい!」

「はぁ!?」

 勢い良く言う錫雛。私は眉を寄せた。

「展開が読めないんだけど」

 正直な感想に、錫雛は目を輝かせながら答える。

「これまで貴方様を誤解しておりました事、お許し下さい。このように慈悲深き方とは……」

 慈悲?

 あれ、今の会話のどこに慈悲があった。

「突然このような事になって戸惑っておられるでしょうに、私のような者の立場までお気遣い下さる貴方様に、私は是非お仕えしたく存じます」

 感動を全面に押し出したような口調でまくし立てられて、私は戸惑う一方、軽く失笑してしまった。

 お堅い言葉遣いに似合わず、やっぱり中身は子どもだ。

「素直だなぁ」

 苦笑して、私は頬を掻く。

「お前そんなんじゃすぐ騙されるぞ。俺はそんな優しい人間じゃない」

 まぁでも、と言って、私は跪いている錫雛を立たせた。

「従者でいる方がいいならそうしろ」

「ありがとうございます!」

 なんか、こっちに来てから初めて癒されたかも知れない。ちょっと心配ではあるが、やっぱり子どもは素直な方がいい。

 ちょうどその時、昼食を持ってきた侍女が扉を叩いた。


 範蔵の時と同じように、渋る錫雛を強引に同席させて昼食を摂る。碧軍の中で食べたのは雑穀の粥だったが、ここの粥は純粋に米だけだ。さすが宮廷。

 当然といえば当然だが、私のおかずの方が錫雛より豪華だったので、幾らか錫雛に分けてやる……というよりは押し付けると、錫雛は困ったように眉を下げながら、少し顔を赤くして食べていた。

 子どもはたくさん食べないと大きくなれないぞ。

「錫雛はどうして従者に?」

 食事を口に運びながら私が何気なく問うと、錫雛は咀嚼していたものを慌てて飲み込んだ。

 いや、焦らせるつもりは無かったんだけれど。

「私は次男なので……家は兄が継ぐことになりますし、私は武芸をあまり好まないので、この方が向いているだろうと、父が」

 どうやら、錫雛の家は武官の家柄らしい。しかしそういう家でも武官に向かない気質の人間というのは生まれるもので、その一人である錫雛は高位の者に従者として仕える勉強をする道を選んだということだ。

「……確かにお前は武将には向いてないな」

 まだ子どもだという事を差し引いても、争いに向いた気質じゃないことは、付き合いの浅い私でもわかった。

「でも従者って結構何でもやらなきゃならないだろう。大変じゃないのか」

 私が言うと、錫雛は少し視線を外して考え始めた。

「そうですね。最低限の武芸はやはり必要ですし、身の回りのお世話、読み書きから馬車の御まで……確かに、学ぶことは多いです」

 真面目にそう返されて、頬が若干引きつる。

 本当に何でもこなすんだな。この歳でよくやるものだと思う。加えて主人の機嫌取りも、場合によっては必要だろう。

「俺には絶対無理……」

 しかも馬車の御って。馬すら乗った事ないよ。

「朱宿様はいいんですよ。私に何でもお申し付けください」

 にこっと笑ってそう言うと、錫雛は食べ終わった食器を片づけ始めた。盆に載せた器を持って扉を開け、侍女を呼んで手渡す。どうやら、そこらの侍女よりは錫雛の方が地位は上らしい。

「この後はどうなさいますか。依宰相の許可も出ていますし、お出かけになるならお供いたしますよ」

 食後の茶を用意しながら、錫雛が訊いてくる。私は窓の外を見た。

「そうだな……出かけてみたい。特に目的は無いけど……」

「でしたら、城内をご案内致しましょうか」

 王城ですから広いんですよ、と無邪気に言う錫雛から湯呑を受け取りながら、私も釣られて少し笑った。

「そうだな。じゃあ頼む」

 答えてから、錫雛が目を見開いて私を凝視しているのに気づく。片手に急須を持ったままの錫雛の目線は、座っている私とちょうど同じくらいだ。

「……どうした?」

 怪訝に思って私が問うと、錫雛は慌てて眼を逸らし、すみません、と謝った。

「その、朱宿様は笑われた方がいいです」

「……は?」

 顔を若干赤らめながら言う錫雛に私が眉を寄せると、錫雛も負けじとしかめっ面になった。

「ほら、またそんなお顔を。笑われた方がお綺麗ですよ」

 お前、その歳でそういう台詞はどうかと思うぞ。

 ともあれ、とりあえず。

「錫雛」

 ちょいちょい、と手招きすると、急須を台に置いた錫雛はとことこと近寄ってきた。私は徐に手を伸ばし、その頬に添える。戸惑ったように目を泳がせる錫雛に軽く溜息を洩らし、幼い柔らかさを持ったその頬を摘まんで思い切り引っ張った。

「い……!?」

「意外と伸びるもんだな」

 思わずそう呟いたら、ちょっと涙目で恨めしげに睨まれた。

「にゃ、何をなはるんでふかっ」

「喋れてないぞ」

 軽くからかってみつつ、あまり長引かせるのも可哀想なので本題を口にする。

「あのな、俺は男なの。綺麗とかいうもんじゃないだろ。眼科に行け、眼科に」

 何か言いたげな錫雛の反論を封じるように少し力を込めてから、手を離してやる。解放された錫雛は、赤くなった頬を両手で撫でた。案外痛そうだ。

「酷いです。嘘は言ってないのに……」

「次は殴るからな」

 妙な事を口走るのはどこぞの変人だけで十分だ。いや、あいつも要らないけど。

 とりあえず男だって強調しておいた方が安全には違いないだろうし。

 錫雛に釘を刺すと、私は立ち上がった。

「ほら、行くぞ。城内を案内してくれるんだろう」

「……はい」

 しぶしぶ口を噤んで案内に立つ錫雛は、ふと思い出したように私を制すると、部屋の隅にある棚から薄手の上着を出してきて私に羽織らせた。

「これは……?」

「途中外を歩きますから。日差しが強いですので、どうぞお召ください」

 なるほど、確かにあんな強烈な日差しの中で素肌を晒して歩いたら大変なことになりそうだ。

 自分も上着を羽織った錫雛の導きに従って、私は部屋を出た。私の部屋はどうやら離宮と言うべき建物にあるらしく、あまり人がいない。

「随分静かだな」

「ここは賓客の館ですから。朝廷の方にはたくさん人がいますよ」

 なるほど。

 内心で頷きながら歩いているうちに、建物の出口が見えてきた。外に出ることを少し躊躇する。この土地の強烈な陽光に瞳を灼かれた経験が頭をよぎった。

「……あれ?」

 意を決して、目元に手を翳しながら恐々外に出た私は首を傾げた。眩しくない。陽射しがかなり強い事はわかるが、その熱が寧ろ心地よかった。

「どうかなさいましたか?」

 怪訝そうにする錫雛に、何でもないと答える。

 そうか、私の中には今朱雀がいるんだ。

 この地の守り神で火の精である朱雀が、この程度の日光に負けるわけがない。その影響が私にも及んでいるわけだ。

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