記憶
目が覚めた。
「あ……」
自室だった。
布団が掛けられ、ベッドに横たわっていた。
駆が一人で住んでいる一軒家だった。
あまり物が無い、わけではない。
本棚には漫画から医学書まで多岐にわたる。
机には最新型のパソコンがある。
エアコンは温かい風を送り、部屋を暖めている。
クローゼットには制服に、どれも同じような私服がある。
何時だった宋真とライアスが壁に張っていたポスターは意識から外す。
周囲を確認し、自分の身体に意識を向けた所で、
「ぐっ……!」
背中に痛みが奔った。
顎を引いて、体に掛っている布団をどかし自分の身体を見降ろす。
駆が下半身はズボンを穿いているが、上半身は服を着てなかった。
服は着ていなかったが包帯が上半身を覆っていた。
しかも包帯の表面には治癒魔術の術式が刻印されていた。
「……!」
そこで、思い出した。
……そうだ、俺は……。
爆発を起こしたビジネスホテルからリーシャとカンナを庇いながら飛び出し、その際に背中に火傷を負い、そのうえでハイド・セルテス・ガードナと交戦した。
そして、
……ぶっ倒れたんだな。
奥歯を噛みしめる。
「無様だな……」
呟き、起き上がる。
シャツを着て、立ち上がろうとし、
「何をしている」
「リーシャか……」
扉からリーシャが来た。
「どれくらい眠っていた?」
「六時間ほどだ」
つまり、ハイアの術式発動まであと三時間。
「カンナは?」
「『ルイーナ』だ。必要なモノがあると言っていた」
「そうか……」
ジャケットを羽織ろうとして、
「なぜだ……?」
腕を掴まれた。
「……リーシャ?」
「……お前はなぜそんなにまでなって戦う?」
「それは……アイツを守るために……」
「それは! 雪村沙姫に戦う理由を押しつけているだけだろう!?」
彼女の目に涙があった。
それを見て戸惑うと同時に駆は優しいな、と思う。
この少女は自分のために泣いている。
駆たちが生きている世界は死と隣合わせだ。
刹那の油断が終わりを呼び、
かすかな運の差が死を告げる。
そんな世界で信じられるのは己と一握りの仲間のみだ。
それなのに、
それなのに彼女は出会って数週間の自分のために泣いている。
嬉しかった。
自分のために泣いてくれて。
自分と真っ向から向き合ってくれて。
嬉しくてたまらなかった。
それでも、
それでも行かなければならない。
誰でもない自分自身のために。
「……違うんだよ」
「クロサキ……?」
「押しつけなんかじゃない」
なぜなら、
「俺が戦うのは自分自身のためなんだよ」
な、とリーシャの口から声が漏れる。
「俺にはさ、あの日の約束しかないんだよ」
十年前あの日の約束。
心の支えだった。
五年前養父が死んだ時からは、全てだった。
養父は思うように生きろ、と言った。
わからなかった。
何が自分の意志なのか。
それを見つけるためにこの街に来たのだ。
「だから、それを果たしたくて、あいつに――」
雪村沙姫に会いたくて。
この街に来た。
でも。
「あいつは『特異点』だった。あいつの力を狙う奴らがいた」
偶然に。
本当に偶然に『教会』特異点捕獲チームと鉢合わせした。
そして、戦った。
沙姫を守りたい一心――では無かった。
「怖かったんだ。沙姫がいなくなってあの約束が無くなってしまうことが」
もし、あの約束が無くなってしまったら。
黒崎駆は黒崎駆ではいられない。
なぜなら、
「俺にとってあの約束が全てだからな」
自分にとっては珍しく、僅かに、笑みがこぼれた。
苦笑といえるものだが、
……ああ、俺はまだ笑っていられる。
「他者依存じゃなくて自己満足なんだよ、リーシャ」
彼女の琥珀の瞳を見つめる。
涙に濡れたその目を。
「きっと、俺は勝手に戦い続けて、勝手にどこかで死ぬんだろうな。何時叶えられるかも
わからない約束を胸に抱きながら」
だから、その時までは。
「止まれないんだよ、」
駆はリーシャを見つめ、リーシャは駆を見つめる。
「馬鹿だろう、貴様は」
「ああ」
「ナガミツよりも愚かだ」
「ああ」
「どれだけ傷つけられればいいかの分かっているのか」
「ああ」
「どれだけ傷つければいいのかわかっているのか」
「ああ」
「どれだけ苦しめばいいのか分かっているのか」
「ああ」
「もしかしたら――」
「……」
「もしかしたら、報われないかもしれないんだぞ……?」
「ああ――分かってる」
その答えに、リーシャは唇をかみしめる。
「……っ、お前はそれほどまでに雪村沙姫のことが――」
「違う」
即答に琥珀の目が一杯に開かれた。
「そんなんじゃないんだよ――そんなんじゃ、ない」
駆の拒絶するような言葉に沈黙が下りた。
そして、駆がリーシャを通り過ぎ、
「俺はもう行く、お前はここで待っていれば……」
「私も行く」
リーシャがこちらに振り返る。瞳は未だ濡れているが、涙は無く。
「そして、見届けてやる。貴様がどんな道を進むのかを」
不敵に笑った。
・・・・・・
玄関の扉を開けた。
扉の外の右手には少し広めの庭があり、左手には倉庫がある。
そして、正面。道路と家の敷地を分ける門があり、そこには。
「お、来たのか」
腕組みをしているカンナがいた。
彼女は朱色のサムライポニーを揺らしながら、
「もう少し遅かったら先に行こうと思ってたぜ」
「そんなに前からいたのか?」
「いや、今来たところだ」
「待つ気ないだろ」
「必要もないじゃん」
「……」
にしし、とカンナは笑い。
はぁ、と駆はため息をつく。
「駆なら、絶対動くと思ったからな。一回、『ルイーナ』に行っていろいろ取ってきたんだぜ。それから、ハイアの野郎がどこいにいるか分かったぜ」
「本当か……?」
「ああ。ライアスが教えてくれた。サービスだってさ」
「どこだ?」
「教会だ、学校の隣の山の上の方にあるアレだよ。ここ何年かは誰も出入りしてないらしいけどな」
「あれか……」
数年前に管理者がいなくなって、使われなくなった教会だ。
あそこならば誰も近づかないだろう。
「……悪いな、付き合わせて」
「何言ってんだよ」
カンナは少し尖った八重歯がある笑みを浮かべ、
「アタシが自分から駆に付き合ってるんだぜ?」
「――そうか」
ならば、彼女に言うべき言葉は謝罪ではなく、
「ありがとな、カンナ」
「…………」
「……? どうした、カンナ」
カンナは駆の言葉に目を丸くし、その上で頬を赤く染めながら、
「い、いや。なんか改まって言われると照れるな」
「……?」
おほん。
リーシャのわざとらしい咳。
「ほら、とっと行くぞ。夜明けまでそう時間は無いだろう」
「わかってるさ」
前を向き、もう一度リーシャとカンナを見て。
「行こう、頼むぜ。リーシャ、カンナ」
「おう」
カンナはにしし、と笑い。
「ふん」
リーシャはそっぽを向いて答えた。
それらを見届けて駆は脚を踏み出した。
が、
「おい、どこに行くつもりだ? 時間がないんだぞ」
駆は外に行かず、左の倉庫に向かった。
「時間が無いからこそ、だ」
正面のシャッターに手を掛ける。
「全速で走っても時間が掛る、だから山のふもとまではコイツで行く」
「コイツ……?」
「そう、コイツ」
音を立ててシャッターが開く。
その中にあるのは、
「ちょっとした、自慢だぜ」
大型の単車とそれの横にあるサイドカーだった。
・・・・・・