魔術
「なるほどね」
明成市の中心部。それより少し外れたところに一軒の喫茶店がある。
喫茶『ルイーナ』。
そこに駆たちと一人の青年がいた。
カウンター席の向こう、バーテンダーの服に長身を包み、艶やかな長い金髪を首あたりで結んだ青年が納得したように頷く。
「駆がまたハーレムメンバーを増やしたってことか」
青年に駆の手刀が振り下ろされた。
頭を押さえてうずくまる青年に、カウンター席に座っている駆はあきれた声をかける。
「誰のハーレムで誰がいるんだって?」
瞬く間に復活した青年は、
「カンナちゃんに、どっかの騎士団の女の子も引っかけてたよね。そしてリーシャちゃ
ん。やったね、三人目だ」
再び駆の手刀が青年に振り下ろされる。
またもやうずくまる青年に駆は隣に右に座っているリーシャに目を向ける。
「悪いな、リーシャ。これ――頭おかしいんだ」
「ふむ、それは今の会話で理解できるが、何だこれ?」
うずくまっている青年を指さして駆に尋ねる。
――いきなりコレ呼ばわりね
いきなりファーストネームを呼ばせたり、なかなかに馴れ馴れしい。
しかし気にせず大きくため息をつき、
「ライアス・デライト。しがない喫茶店のマスターだそうだ」
「ちなみに魔術もかじってるよ」
またもや高速で復活したライアスになにやら駆が半目を向けているところに駆の左に座ったカンナが割り込む。
あのさ、と前置きし、
「いまさらだけど魔術ってなんだ?」
瞬間、駆はその場の空気が軽く凍ったように感じた。
「なっ、なんだよっ」
「……俺だって魔術を使ってるだろ?」
「知ってるけど、駆のはよくわかんないんだよ」
「確かに駆の魔術は我が強いからねぇ」
よし、とライアスが頷き、
「カンナちゃんのために魔術について説明しようか。ちょうど本職もいるしね。捕捉頼む
よリーシャちゃん」
「構わないが、ちゃん付けはやめてもらおう」
「じゃあ頼むよ。リーシャちゃん」
「…………」
駆は半目でライアスをにらむリーシャの肩に手を置き、
「こういう性格だから気にするな」
……いちいち反応してたら話が進まないからな。
ぱしん、とライアスが手を鳴らした。
「さて、まずは魔術の成り立ちについて話そうか。カンナちゃん、いま最も多く使われて
いる魔術――術式が何だか知っているかい?」
「知らん」
「即答かよ……」
かなり呆れている駆を余所にカンナはあっけカランと言い放つ。
「知らないから聞いてるんだぜ」
「ごもっともだね。答えを言おう。現在この世界の九割五分を占めている術式、それはね、『祈祷式』って呼ばれるものだよ」
「祈祷式?」
「そう、祈り願うことによって力を持つ術式だよ」
ライアスはそこで一度区切り、右手の人さし指を天に向け、左手を右ひじに付ける。
……教師かよ。
駆の心のツッコミに気付いたのか、気付いてないのかライアスの講義は続く
「今から千五百年以上前、この世界にはありとあらゆる種類の術式があった。それこそ魔術師の数だけにね。新たな術式が創りだされては消えていた。そして、それに終止符を打ったのが、クリスチャン・ローゼンクロイツという男だったんだ」
まぁ、今この人は関係ないけどけどな、と駆も一応捕捉しておく。
「終止符って全部一緒にしたとか?」
「惜しいね、一緒にしたんじゃなくて、まったく新しいを創ったんだよ」
「じゃあ、それが……」
「そう、『祈祷式』だよ」
なるほどと納得したように頷くカンナだったがすぐに首をかしげた。
「でもさ、そんなにすごいのか?それ」
「すごいっていうか全然違ったんだよ、今までの術式とね」
いいかい、と楽しそうに笑い、
「それまでの魔術っていうのは、血統や才能などの先天的な長所で魔術師としての力量が
決まっていたんだ。けどね、『祈祷式』に必要なのは『願い』だけだったんだ。」
「そんなんで魔術が使えるのかよ」
「うん、『祈祷式』っていうのは『願い』という概念を魔法陣の核として固定し、それに魔力を込めて魔法陣を完成させ発動する、っていう術式なんだ。」
「それだけか?」
「うん、それだけ」
理解しきれていなくて首をひねっているカンナを楽しそうに見ているライアスにリーシャが、
「この男、教師には向いていないだろう」
駆も同じ気持ちだった。
二人を気にせずにライアスは続ける。
「つまりさ、それまでのいわゆる大魔術は発動にいろんな礼装が必要だったり、制約があ
ったんだ。そんなことをしてたらコストも時間もかかる。でも『祈祷式』なら必要ない。願えばいいんだからね。もちろん『祈祷式』でも術式が高位であればある程時間もかかるけど、お金はかなり浮くからね」
「って、金の問題かよ」
カンナのツッコミに肩をすくめるライアス。
「世の中そんなもんだよ。魔術の研究はお金がかかるしね」
「じゃあ結局金がかからないから今も使われてるってことなのか?」
「いや、最大の理由は汎用性だよ。そのあたりは駆から聞いたほうがいいんじゃない?」
と、カンナとライアスの視線がこちらに向く。
……なんで俺が。
拒否しようとするが右からも視線が来ていた。
三人が引き下がることは無く、駆は口を開く。
「今、最も数の多い役割の三つくらいは知ってるな?」
「魔術師、聖職者、騎士だろ? それくらいは知ってるぜ」
「ならその存在意義は?」
「…………」
「無知にも程があるな」
くわっ、とカンナが目を見開きリーシャをにらむが、目を反らされる。
「そう言わないでよ。カンナちゃんは陰陽寮の所属だからね。あそこは閉鎖的すぎて外の情報が回ってこないんだよ。」
ライアスのフォローに感謝しつつ言葉を続ける。
「いいか、それぞれ目的があるんだよ」
魔術師は世界の理を操ることを望み、
聖職者は神の席に座ることを望み、
騎士は主に仕え、主にすべてを捧げることを望む。
そして、
世界の理を操る魔術師を魔法使いと呼び、
神の席に座れる聖職者を聖人と呼び
主にすべてを捧げられる力を持ってしまった騎士を王と呼ぶ。
基本的に彼らはそれらに至ることを望む。
だがそれは、
「結局は同じことだったんだ」
「……?」
「世界の理を操るには、神の座へと至るしかない。神の座へと至るにはすべてを得るしかない。すべてを得るには世界の理を操るしかない。同じだろ?それらの差は己か神か、自らの主か、どれに依存するかの違いなんだよ」
望むことも同じなのだけれど。
「じゃあ、心構えの違いってことか。……あれ? 話ずれてないか?」
「ずれてない。いいか? 同じことを願うなら、願いの形は違っても種類は同じだ。」
つまり、
「魔術師であろうと聖職者だろうと騎士だろうとそれ以外の何であろうと『祈祷式』を使えば一緒だ。これが最大の理由。ライアスがいっただろ? 祈り願うだけ。統一すれば、誰かが一人でも至ることができれば同じ事が出来ると考えたんだろ。だが……」
「ダメだったのか?」
「ああ。」
ふと目を遣ればリーシャが苦い顔をしている。同じ魔術師として思うところもあるのだろう。
「同じ存在なんていない。百人いれば百通りの至り方がある。だがこれを理解したのは
『祈祷式』がすでに世界に広まったあとだった。結局使いやすさで今日まであらゆる人間が使っているってことだ。以上、終わり。」
ふー、と長い溜息をつき、姿勢を軽く崩す。
「というわけだ。判ったかい? カンナちゃん?」
ああ、というカンナが頷く。
そして、リーシャが口を開いた。
「……そろそろ本題いいか?」
「ん? ああ。どうぞどうぞ、リーシャちゃん」
あくまで軽いノリのライアスを半目で数秒にらみ、腰のポーチからスマートフォンを取り出し操作する。そして表示されたバストアップ画像を机に置く。
学者風の痩せた青年。くすんだ藍色の髪と瞳。
背広に白衣といった服装だ。
「ハイア・セルテ・ガードナ。魔術師だ」
青年の写真を駆たちに見せ。
「専攻は操影術に――」
駆を見据え、
「特異点だ」
へぇ、とライアスは顎に手を当て。
え、とカンナは声を上げ。
駆は、
「…………」
ただ、目を細め、
「面白い事になってるわね」
新たな声を聞いた。
「!!」
リーシャが席から弾かれるように立ち上がる。
ウエストポーチに手を伸ばし、
「何者だ!!」
「ここの住人よ。余所者さん」
さらりと答えたのは店の奥の扉から出てきた桃色の髪をツインテールにした少女だ。
中国の民族衣装――いわゆるアオザイを着ている。
「少苺音。シャオでいいわ」
身長百三十センチもないシャオは駆たちの後ろのテーブル席に座り、こちらに体を向けて足を組み小さな体で偉そうにふんぞり返り、
「取って食やしないわよ。座りなさい、小娘」
「こむっ……!」
小娘と呼ばれ、怒りを露わにするが、
「やめとけ、リーシャ」
溜息と共に駆に止められる。
「シャオは子供に見えても実際は俺やお前より年上なんだよ」
「な……!」
「そういうことだからとっと座りなさい。余裕が無いわね、コ・ム・ス・メ・は」
「く……」
小娘の部分を強調されて顔を顰めるが椅子に座り、ボソッと、
「……合法ロリか」
「なんですって!」
……余裕も何もないな。
「二人とも沸点低いな……」
小さな、本当に小さな声でカンナが呟いた声が聞こえた。
「はいはい」
ライアスが手をたたき、音を立て、
「いい加減真面目な話をしようよ。ほらリーシャちゃん、そのナントカの話をしてよ」
……コイツに諭されるとムカつくな。
同じ事を思ったのかリーシャも眉をひそめるが、
「ハイア・セルテス・ガードナだ」
「魔術師だな?」
「ああ、さっきも言ったが専攻は操影術に特異点。三年前に『学会』の教導院を主席で卒
業し、三か月前まではイギリスに自分の工房を持っていて、数日前にはこの街に入ったらしい」
「三か月前までは……か、なにがあった?」
「それが、今回私が駆り出される理由なんだがな……」
溜息、そして。
「この男はな、イギリスの小さな一般の村を消したんだ」
「は?」
カンナの間の抜けた声が響く。
だが駆は納得し、それはライアスやシャオも同じだった。
「なるほどね。教導院を主席ってことはエリートだ。その彼が一つの村を消したっていうのは結構なスキャンダルだね。そのもみ消しで『学会』とは仲がいいわけではないけど敵ではない『刻印の家族』のリーシャちゃんが駆り出されるわけだ」
「こっすい手ね。頭のいかれた『学会』の連中らしい手だわ」
「まったくだな。いい迷惑だ」
「なぁ、村を消したって、何かの魔術で吹き飛ばしたのか?」
カンナがどかーん、という両手を広げる。
その仕草にあきれた視線を送りつつも、
「いや、吹き飛ばしたのではなくかき消された、と言った方が正しいな」
「……?」
「村の住人も建物も跡形もなく消えていたが、土地自体には傷一つなかったらしい」
「……操影術か」
駆が納得したように呟く。
「ああ。おそらく何らかの高位の影系統の術だと思われるが詳細は『学会』もわからなか
ったそうだ」
「彼自身のオリジナル術式って事かな?『学会』の連中がわからないなんて」
「はっ。どーせわからない振りでしょうよ」
シャオが吐き捨てるように言う。
……どれだけ嫌いなんだよ。
昔、いろいろあったらしい。
「ともかく、この男に執行指定が下されたのが二か月前。その間世界中を飛び回って追っかけていたのだが、数日前にこの街に入ったらしい」
「何の為だ?」
「わからん……だが」
「だが?」
「こいつは教導院時代から『特異点』をかなり嫌っていたらしい」
「……そうか」
眼を閉じた駆は手を組み口元に当て思考する。
「それで、どうするのかしら?駆。大分面白い事になりそうだけど」
「同時にめんどうくさそうだね」
「こちらとしてはある程度の協力を願いたいのだがな」
「ある程度ってどのくらいだよ」
「最低でも無力化して捕えたいな」
周りの意見を聞き流し、眼を開く。
「リーシャ」
「なんだ?」
「協力要請は受け入れる。ただし――」
「ただし?」
「邪魔はするな」
「……ああ」
「それで? どういう方針でいくんだい?」
胡散臭い笑みを崩さないライアスの問いに、
「何時もと同じだよ」
ただ、当り前のように。
「障害は排除する、それだけだ」
・・・・・・・
明成市のとあるホテルの一室。
そこのべットで横たわるのはリーシャ・ルーンファミリアだ。
先ほどの駆たちとの会合が終わってから一時間ほど。
窓の外はすでに明るい。
その結果を、目を閉じながら反芻し、思う。
……よし。
目を空ける。
「クロサキカケルとの協力は達成できた……」
それはリーシャの『父』であり『刻印の家族』の党首である人物から最優先にすべきことだと言われてきた。
黒崎駆。
彼についてリーシャが知っていることは少ない。
『観測省』が定めた二つ名は『奇跡求める悪魔』、他多数あり。
どれくらいの強さを持つのかは知らない。
知っているのはその在り方だ。
『特異点』の守護者。
黒崎駆はとある『特異点』の少女を守り続けている。
始まりは五年前と聞いている。
五年前、明成市で『特異点』の少女の存在が確認された。
唐突に観測されたそれに対しどこよりも早く対応したのは『魔術学会』だった。
『特異点』捕獲専門の魔術師のチームが送りこまれ、その少女を捕獲しようとした。
この街に赴き、全滅された。
当時、十二歳の黒崎駆によって。
……出鱈目だ。
部屋の蛍光灯の光に目を細める。
『学会』直属のチームならば平均以上の戦闘力を誇ったはずだ。
それをたかだか十二歳の少年が撃退し、その後も撃退し続けた。
それがどれだけ困難なことか。
……私には絶対無理だな。
リーシャは魔術師としては一人前でも戦闘者としては二流の半人前だ。
その事実に自重の笑みが浮かぶ。
思い出すのは先ほどの黒崎駆の目だ。
彼はガレイシアのことを障害と言っていた。
つまりそれは、
……敵ですらないのか。
ガレイシアの事はただの障害でしかなく、似たような事をなんども経験してきたのだろう。
ただ、とある少女を守るために。
俄かには信じられない動機だ。
その動機をもって五年の月日にわたり、かの少女を守り続けている。
恐るべき強さだと思う。
あの鋭き刃のごとき瞳はその一端のはずだ。
それはリーシャには理解できない。
理解できないといえば、
「何故、あいつは五年も一人で『特異点』を守り続けている……?」
駆が男でその少女は当然女なのだから、普通に考えれば、
「愛……とかか?」
自分で言っていて胡散臭い。
……そういう男には見えなかったが。
「……むむむ」
考えてみるが、
「……よくわからんな」
思考を打ち切った。
体を起こす。
「ふむ。まぁ、とりあえずは」
シャツを脱ぎ棄て、艶やかな褐色の肌を無防備にさらし、
「シャワーでも浴びよう」