前編
イメージキーワード:シリアス/ほのぼの/西洋/中世/竜人/タヌキ/獣人
あらすじ
竜人族と獣人族は、運命の番というものを感じ取る力がある。番の対象は必ずしも同族ではなく、他の竜人/獣人、それから多くはないが、稀に、人間から選ばれる事もある。
ボルギは竜人だ。仕事で他国に滞在する事が多い。ある時家に帰ろうと空を飛んでいたボルギは、惹かれるように地面に降り立った。そこには、呆然と座り込んでいる狸族の少女アキコがいた。
竜人であるボルギが、故郷である竜国からほど遠い、人族の国の一つにやってきたのは、『仕事』でだった。
空の高い場所を、ボルギは高速で飛んでいく。
移動距離を言うならば低空飛行をしたい所だが、低い場所を飛ぶと、この国で暮らしている人間たちが慌てふためき大騒ぎになる。故に、目的地以外ではできる限り高い場所を飛ぶのが、他国に滞在する竜人族の慣例となっていた。
(ここの空は、竜国の空と比べて随分と広い……)
空は、空だ。違いはない。陸地や海と違い、全ての空は繋がっている。
それでも竜国にいた頃は、空はもっと狭いと感じていた。
竜人たちにとって空は、他の種族にとっての大地の道と同じだ。故に、空では多くの同族が飛び交っている。
空は一人になれる場所では全くない。
しかし竜国から遠く離れたこの国では、空を思うがままに飛ぶのはボルギと、鳥たちばかり。
そのせいか、今は、空がひどく広い場所のように感じられた。
(あと二山超えたら都か。――ん?)
眼下の山を見ながら残りの飛行時間を数えていたボルギはほんのわずかな違和感に目を止めた。
何かが光っている。そんな気がしたのだ。
反射的に、ボルギは下に向かって下降していった。
翼をたたむ。重力に従うように、下へ下へと落ちていく。
そうして、森の中、木々の隙間、何かから隠れるようにうずくまっている存在の前に、降り立った。
そこにいたのは、二人の人影だった。
一人は地面の上に寝かせられていて、もう一人はその横に座り込んでいる。
恰好からして恐らく、旅人二人だろう。
ボルギは、寝ている方の人をガン見しながら、座っている方に問いかけた。
「――何をしている?」
びくりと、茶色の髪が揺れた。髪のあいだから生えている縁の黒い耳が揺れる。
眠っていたのか、緩慢な動きで頭を上げた座った方は、ボルギを認識すると、元から丸い目を、さらに丸く見開いた。
「りゅ、りゅっ、竜人!?」
ピィッ、と座り込んでいた方は大げさに反応して、短い尻尾を両手でつかんで縮こまった。
ガタガタと震える姿は、よく見るものだ。
竜人族は、生き物としてあまりに強すぎる。悪意がなくとも他種族を簡単に殺してしまえる力を持っている。
力なき生物からすれば、居るだけで恐怖の対象である。
その強さ故、長い間、竜国は他国から恐れられ、戦争らしい戦争に巻き込まれる事も殆どなく過ごす事が出来ていた。
無論、一切戦争をしていない訳ではない。ただ、竜国の方から、不必要に他の国を攻め入る事はない。
歴史を振り返ると、竜国が戦争に出てくるのは、攻撃された事への反撃と、友好国からの救援要請に従った場合の二種類だけだ。
何故他所へ土地を広げようと戦争をしかけていないかといえば、興味がなかったから、という側面が強い。
そもそも、竜人たちと他種族の生息範囲はかぶっていない。
国という形態が確立される前より、竜人たちは、一般的な人々が暮らせない高い山の上などで暮らしていた。
他種族が荷物の運搬などが苦労する場所でも、羽を広げて空を飛んでしまえば簡単に解決する。
他種族ならば住めぬと離れる土地を可住地と出来るというのはかなりの強みだ。
むしろ、空が遠いような土地にわざわざ暮らす利点がない。
現在の竜国の土地のほとんども山脈地域であり、開けた平野は一部だが、国はほぼ困っていない。可住地も60%を超えているし、山には必要な物資の殆どがある。足りない物は、竜国でしか殆ど取れない希少な草花などの輸出をする事で、輸入すればいい。
長く語ったが、そういう背景もあり、竜人はあまり他国に出ない。そのせいで余計、遭遇するのが稀な存在になるのだった。
視界の隅に震える相手をとらえながら、ボルギは寝ている方を見つめたまま、2人の容姿から種族を特定する。
「お前……狸族か」
コクコクコク、と狸族は激しく首を振った。
寝転がっている方も、座っている方も、どちらも狸の獣人族の若者だった。
違いは、座っている方が女で、倒れている方が男という事ぐらいだろう。
「何故こんな所に?」
「ぅ、ア……」
「……そんな怯えるな。取って食いやしないよ」
寝ている方から視線を逸らさないままそういうと、視界の隅で狸族の女は視線を右へ左へずらすように動いていた。
もう一度、問う。
「なんでこんな所に?」
「………………その、住むところ、探して……」
「それでなんでこんな所で立ち往生を? 山の中だぞ。あと数時間で暗くなる」
「それは……」
ちらりと、狸族の女が、男を見る。ボルギもずっと、この男の事を観察していた。
「……起きなくて」
倒れている男の目は閉じている。
口は薄く開いていて、舌が見えている。
(……仮死状態って事か)
狸族の特徴を、ボルギは思い出した。
危機が迫った時、狸族は死んだふりをする事がある。
その死んだふりは見事なもので、よくよく調べないと生きているのか死んでいるのかもわからないのだという。
戦場で狸族の死んだふりに騙されて、倒しきったと勘違いし、とどめを刺さずに去ったという話は数多い。彼らなりの、生存戦略の一つだ。
「移動してた時、野盗に襲われて……私は彼に言われて、荷物を持って先に逃げたんです」
女は両腕で、傍らに置いていた荷物を抱きかかえた。
荷物を持っていないのなら、仮死状態になってしまえば、身包みはがされる事はあっても、殺されはしないという判断を男がしたのだと、女は言った。
「野盗がいなくなっただろう時間が経ってから探しに来たら、彼が、仮死状態になってて……だから、起きるまで待ってて。でも……今日は、仮死状態が長くて……」
女が俯く。
ボルギはそっと、ずっと見つめていた男の傍にしゃがみ込んだ。それから、片手を男の口元に持っていった。
「……」
そっと、もう片方の手で、男の胸元に触れる。
それだけで、事実は明らかだった。
「…………仮死状態じゃない。こいつはもう死んでいる」
そう告げてから、ボルギは初めて女の方に視線をずらした。
ボルギの言葉に、狸族の女は勢いよく顔を上げていた。丸い瞳にみるみるうちに涙がたまっていく。
彼女は、嘘だと騒ぐ事はなかった。
心のどこかで分かっていたのだろう。
それでも認められなくて、こんな時間まで、ずっと、男の傍から離れられなかったのだ。
震えながら唇をかみしめて、それから、荷物をきつく抱きしめる。
そんな狸族の姿を見て、ボルギはくんっと鼻を鳴らして、それから、目いっぱい、空気を吸い込んだ。
「住むところを探しているって事は、特定の墓とかはもっていないな?」
「……は゛い゛」
「そしたら、こいつを埋めてやろう。このままじゃ、不憫だ」
狸族は何度も首を縦に振った。
◇ ◇ ◇
竜人の力を持ってすれば、一人を埋めるための穴を掘るのは容易な事だった。道具はなかったが、ボルギは素手で墓を掘った。
その穴に男を埋め、上に石を置く。それから近くで女が摘んできたという花を、そっと墓石の傍に添えた。
「運命の番だったのか?」
「いえ。ただの彼氏です」
女はそう答えた。
「でも、家族みたいなものでした。……おとうちゃんもおかあちゃんも、みんな、死んじゃったから……」
女の声が震えている。
必死に涙を耐えながら語る女に、ボルギは酷な事を聞いた。
「……狸国からの亡命者か」
「…………」
女は答えなかったが、住むところを探している狸族なんて、今時、それしかいない。
狸国。
獣人族の国の中でも割と古くて、長い歴史を誇るその国が滅ぼされたのは、数か月前の事。
隣国の、とある人間の国が急に狸国に攻め入ったのだ。ちなみに今現在、ボルギたちがいる国とは全く別の国だ。
狸族は温和な種族だ。
対話などでは意外と狡猾さを見せる事もあるけれど、戦闘能力はそう高くない。
少し前まで友好関係を築いていた人間の国に攻められるなんて考えていなかったようで、あっという間に彼らは負け、国は侵略されてしまった。
国民たちは過半数が殺されたと言われていて、残りは奴隷にされたり、逃げ出したりと、種族自体がバラバラに逃げる憂き目に合っている。
何故、狸国が突如攻められたのか?
その理由は簡単だ。
狸国が、資源豊かな国だったからだ。
その資源から得られたものを他国に売っている輸出国。
それが狸国だったのだ。
――まっとうな商売で手に入れるより、土地そのものを手に入れた方が早い。
そう考える国が出るのはさほどおかしな事ではなかったが、今までは複数の国が牽制し合ったりしていて、実際に国が滅亡させられる事態にまでは陥った事がなかった。
ところが、今回の侵略した国の手際は酷く早かった。
他国が割り込む隙間もないほど一気に、狸国を攻め落としたのだ。
負けた狸族は、暮らしていた故郷を追い出され、さまざまな国をさまよう亡命者となるしかなかった。
これは現在、色々な国でも問題になっていて、ボルギも何度も聞き及んでいる話だった。
狸族は温和な種族とはいえ、今まで暮らしていなかったかなりの数の民を、簡単に受け入れるのは難しいのだ。
中には狸族が入ってくるのを拒絶している国もある。
この国はそこまではしておらず、入国の制限はないが事の次第を静観している、という状態であった。
「……なにも、わるいこと、してないんです。なのに、どうして、こんなめにあうの?」
ボルギに聞かせる為というより、どうしようもなく我慢出来ない本音という風の言葉だった。
ぐずぐずと泣き始めた狸族の女が泣き止むまで、ボルギは何もせずにその場にたたずんでいた。
◇ ◇ ◇
「……ずみ゛ま゛ぜん゛……」
「何もしてない。礼はいらない」
「ぐず、竜人って、もっと冷たい人たちかと思ってました……」
「本人に言うかそれ」
呆れ気味にボルギは狸族の女を見下ろした。
女は赤くなった鼻をすすりながら、目元を必死に擦っている。
その姿に、ボルギの過去の記憶が重なった。
だから、初対面の女にこんな事を言ってしまったのだろう。
「お前。うちに来るか?」
「……へ?」
狸族の女は、目を擦るのを止めて、ボルギを見上げた。
「住むところないんだろう。うちん家で雑用する使用人としてだったら雇ってやってもいい。部屋はある。家賃はいらないし三食食える。変わりに給与はそんな良くないが」
「い――いいんですか? そんな、私たち、今初めて会ったばっかで……」
「こんな所で死なれても寝覚めが悪い」
ボルギは背中の翼を広げた。
「どうする? うちで働かないなら、おいてくが」
将来的な使用人なら抱えて飛んでやるのもやぶさかではないが、そうではないのなら、わざわざ抱えて空など飛びたくない。
故に、そんな意地悪な言い方をボルギはした。
空は赤らんでいる。じきに真夜中になれば、夜に活動している獣たちが目を覚ますだろう。
獣人といえど狸の獣人でしかない女では、すぐに殺されるかもしれない。
運よく殺されなかったとしても、また、別の野盗に襲われるかもしれない。
本人もそれを重々承知しているのだろう。狸族の女は、
「働きますっ!」
と慌てた様子で叫んだ。
「なら荷物を抱えろ。それごと抱えて飛ぶから」
「え、結構重いんですけど……」
「竜人にはたいした重さじゃない」
「す、すごぉい……」
「……そういやお前、名前は?」
狸族の女は目をぱちくりとさせてから、荷物を抱え、ボルギに向かって綺麗な角度のお辞儀をした。
「〇明子です。あ、明子・〇の方が、竜人族には分かりやすいでしょうか?」
「ん。アキコね」
「お世話になります!」
(まだ覚えやすくて言いやすい名前で良かった)
狸族の家名は、複雑怪奇なので、記憶しやすい音で助かったとボルギは思った。
ボルギはアキコを抱きかかえた。そして空に舞い上がった。
◇ ◇ ◇
「ここ、うち」
「おおぉおぉ」
竜人であるボルギには手狭な部屋は、狸族のアキコには随分広く見えているようだ。
あちらこちらに視線を向けている彼女に、ボルギは言った。
「越してきてからそんな経ってないから、今は使用人が通いのしかいない。この時間だともう帰ってるな。顔合わせは明日する。今日はテキトーに家の中散策して好きなように部屋整えていい。住み込み用の部屋は準備がしてないから、今日は向こうにゲストルームがあるからそれ使って」
「げすとるぅむ」
「言葉聞きなれない? もしかしてこの国の人間の言葉喋れなかったりする?」
「いえっ、大丈夫です。ちゃんと喋れますっ」
「ならよかった。ただの人間は、獣人族の共用語とか使えない人多いから。人間の国の言葉喋れないとやってくの厳しいからね」
「はいっ、頑張ります!」
ふんすふんすと鼻を鳴らすアキコに、ボルギは軽く手を振る。
「力入れなくていい。ここは完全に住む用の場所だから、そんな大層な事しないし……。さぁてと、夕食は何にするか……。あっ、狸族って草食?」
「雑食です! 野菜、肉、昆虫、木の根、何でも食べれます!」
「悪いけど昆虫と木の根は流石にないからな」
「なんでもいけます!」
ボルギが食材を置いている厨房横の保管庫に入ると、アキコも付いてきた。
今後料理も任せる可能性もある。そうなれば物がおいてある場所は把握しておいてなんの損もないだろうと、ボルギは自由にさせた。
「肉でいいか……」
ボルギは手慣れた様子で竜人族サイズのフライパンに油を敷く。
それから、かまどの前にしゃがみ込み、ボッと口から火を吹いた。
「ピョゲェッ!?」
驚いて飛び跳ねるアキコをスルーする。
いちいち火起こしをするより、ボルギが家にいる時は自分で火を吐く方が早いし無駄がないのだ。
火が薪に移った事を確認すると、そのまま油の上に、買ってあった肉をどかりと乗せた。
(野菜はいらんが……雑食性もいるしな)
適当に、通いの使用人が買っておいてくれたらしい野菜をちぎり、フライパンの上に乗せる。
「アキコ。そっちの棚にパンがあるから、食べやすいサイズに切って。包丁は向こうの引き出し」
「はいっ!」
肉を途中で何度かひっくり返して、さまざまな面を焼く。
その間にアキコは棚から取り出したパンを、包丁で切っていた。
その姿を横目で見ながら、
(もっと小さい包丁いるか。通いの人も使いづらそうにしてたし)
と思いながら、ボルギは調理を続ける。
アキコが自分には大きい包丁でなんとか二人分のパンを切り終えた頃、ボルギも肉を焼き終え、取り出した皿に器用に切り分けた肉を乗せ始めていた。
「どれぐらい食う?」
「えぇっと、今の時点で食べきれないです……」
「は? 狸族ってそんな食えない訳?」
「ウッ、ご、ごめんなさいっ」
「謝んなくていい。……ならこれぐらいは?」
「あ、たぶん、丁度いいです……」
「よし。パン持ってきて」
「はいっ」
テーブルにシンプルな肉と野菜の炒めとパンを運んだあとで、ボルギは重大な事に気が付いた。
「椅子ねぇな」
「あ、別に、立って食べれますよ!」
「立ってても高くね? 机、竜人に合わせた大きさだけど」
「…………高い、デスネ」
「なんかあったかなぁ」
ボルギはそう言いながら軽く探し、最終的に野菜が入れてある箱を移動させてくる事になった。
「よし。この箱ならいい大きさじゃないか? 座ってみ」
んしょんしょ、と箱によじ登るアキコを見つめる。
アキコがテーブルの前に腰かけた。目算通り、丁度よい高さだったようだ。
「ちょうどいいです!」
「そりゃよかった。フォークとナイフは竜人サイズしかないのは許せ」
「全然大丈夫です!」
食事が始まった。
お互いに、食べる事に集中し、会話はない。
食べ終わった後、ボルギは風呂場にアキコを連れて行った。
「ここが風呂場」
「フロバ!?」
「お湯に浸かりたかったら事前に声かけな。沸かす」
「オユ!? ワカス!? そそそそ、そんな高級な事、ただの使用人が受けていい待遇超えてますっ!!」
あわわと頭を隠すように両手を回しているアキコにボルギは首を傾げた。
「ここでの使用人の待遇をどうするかは、このボルギに決定権がある。分かるか?」
「ひゃ、ひゃい」
「今後変わる可能性はいくらでもあるが、今日はまず、その旅で臭くなってる体洗え。狸族は耐えられるのかもしれないが、すごいぞ、匂い。耐えられない」
「ひっ」
アキコは何とも言えない悲鳴を上げた後、ボルギが吹いた火で沸かされた風呂に浸かった。
「うん。綺麗に匂いも落ちてるな」
「うぅぅ……そんな臭いって言わなくたってぇ……」
匂い匂いと言われたのは堪えたようで、アキコは目に見えて落ち込んでいた。
もう他に説明もないしと、ボルギはアキコをゲストルームに案内し、自身も自室に戻った。
――ぐず、ぐす。
その夜、一晩中ボルギの耳に届いた泣き声を、ボルギは聞かなかったふりをした。
◇ ◇ ◇
ひょんな出会いから、はや数か月。
アキコは特に心配する必要もないほど、屋敷に馴染んでいた。
当初はアキコ一人だった住み込みの使用人も、現在は数人増えている。
屋敷の主人が竜人だという事で最初は中々人が増えなかったのだが、通いで来ていた使用人たちから少しずつ話が広がっていったのと、アキコの人柄のお陰で、現在は問題ない程度に数が増えている。
ボルギはというと、毎朝アキコに起こされ、身支度を整えられ、食事をし、それから仕事に行っている。
ボルギの仕事は外交官と言われる仕事である。
竜国の代表者として、この人間の国の政治のトップや、官僚らなどと会話をするのだ。
アキコは当初、ボルギが外交官と知り、
「え゛ぇ゛!? ボルギ様、外交官なんですか!?」
と、大層驚いていた。
その際結構失礼な言動と反応もしていたが、寛大なボルギは聞かなかった事にした。
(まあ、自分には貴族らしい洗練された様子はあまりないしな)
と納得しているからだ。
一般的に、どこの国も、外交官を務めているのは貴族か、生まれは違くとも今は家族の身分になっている者だ。
実の所、しようと思えばそれらしい態度は取れる。何故ならボルギの生まれ自体は悪くなかったので。
三十五年前ぐらいまではそういう態度も取っていたが、次第に取らなくなっていった。
何故かと言えば、そんなものなくとも、威張った風な態度を取っておけばいいからだ。
――傲慢、尊大、自信にあふれている。
他の種族から見た竜人のイメージは、そんなものだ。
そしてそのイメージからかけ離れていない方が、「やはり竜人はこうだ!」と相手が納得して満足し、話が進みやすかったりするのだ。
不思議なもので、丁寧に接すれば接するほど、裏があるのではと勘繰られるのである。それが分かってからは、面倒なので、あえて粗雑な態度で過ごす事が多くなった。
「ただいま」
「お帰りなさいませ、ボルギ様っ! ……今日はなんだかお疲れですね」
「勘弁してほしいぜ全く。この国の番誘拐問題はとっくのとうに和解しているっていうのに」
ボルギはコートを脱いで、アキコに手渡した。アキコは慣れた様子でそのコートを別の使用人に渡しながら、ボルギの三歩斜め後ろをついてくる。
「また赤の他人が番の誘拐問題を引き合いに出して、自分に有利な条件を取ろうしてきたんですか?」
「ああ」
「飽きませんねぇ……」
アキコはもにょもにょと口を動かしながら、変な顔になっていた。
ボルギも多少、疲れが顔に出ている。
――過去、他種族を番といって一方的に攫っていた竜人がいた。
それは、変える事など出来ない、歴史的事実である。
竜人にとっては無理矢理でなかったとしても、連れてこられた側にとっては無理矢理だった、という話だ。
それらが起こっていたという過去。
そしてその問題が、長年、竜国内で大きな問題として取り扱われてこなかった事は、事実なのだ。
そんな事をした竜人が、例え、一万(あるいはそれ以上の人数)に一人しかいない事例だとしても。
誘拐が事実である以上、その過去を批判されて、簡単に否定する訳にもいかない。
被害者に近い他国の人からすれば、全ての竜人が誘拐犯のような心持ちなのだ。
他国・他種族に対する、一方的な番の誘拐・拉致の問題は、三十五年前、『アンジェリーヌの悲劇』と言われる事件が起きた事で大きく対処が動く事になった。
ちゃんと相手方にメリットを与えた上で嫁や婿として迎え入れていた竜人もいたが、そうではない竜人もいた訳だ。
あるいは、メリットを与えたとしても、それを上回る不遇を竜国に連れて来た後に強いていたものもいた。
……まさに、『アンジェリーヌの悲劇』の当事者である元王太子のように。
元王太子が運命の番であるアンジェリーヌを虐げた理由は、一般の竜人たちにとっても謎であった。
運命の番は最も大切なもので、大切に扱う事はあれど、率先して虐げる理由は通常ない。もちろん、大切にしている事が相手の望んでいる事と解離しており嫌がられるという事はあろうが、やり方が嫌われても言葉などで愛を伝えているのが普通だ。
元王太子はそれすら、疎かにしていたと噂に聞く。誇り故に、弱い人間であるアンジェリーヌを愛しつつも認められなかったのでは? というのが通説にはなっているが、本当かを調べる術はない。
なにせ元王太子はすでに亡くなっている。亡くなるほど弱った所を見るに、アンジェリーヌが彼の運命の番であった事自体は真実なのだろうと、ボルギは思っている。閑話休題。
話を戻すが、竜国が『非竜人族の番を迎え入れる際の決まり事』という法律を定めた時、現時点で他の種族を「番だから」と配偶者に選んでいる竜人たちには調査が入った。
運命の番の絆が断ち切られた衝撃が凄まじく、細かい内容を詰める事よりも法律をともかく制定するのが優先されてしまっていた。明確な、国の、為政者、政治家たちの落ち度だとボルギは思っている。
あの頃のボルギは幼く、実際のところどうであったかは知らないが、側から見て後付けで色々決めていく法律など、あって良いのだろうか? と思うのだ。
ボルギ個人の感情はさておき、相手が獣人族でもただの人族でも、等しく調査は入った。が、特に重要視されていたのは後者――アンジェリーヌと同じ、ただの人間だったものたちだ。
獣人はまだ体も頑強だったが、ただの人間は本当に非力だったからだ。万が一冷遇されていた場合、先に限界がくるのはただの人間だというのは、誰でもわかる事だった。
この調査は早々に終わっている。
雑に調査をしたからではなく、数が少なかったからだ。
『アンジェリーヌの悲劇』の前ですら、竜人に「運命の番だ」と見初められていたただの人間は、男女合わせて二十人ほどしかいなかった。
その内の数組は『悲劇』によって壊れていた。
残りは、十数人しかいない。
お陰で、そう時間もかからず終わったのだ。
――その時に調査されたうちの二人の人間の故郷が、今ボルギがいる国という訳である。
「親戚だというからどんな距離感の相手かと話を聞いてみたが、聞けば聞くほど『親戚と思おうと思えば親戚』ぐらいの遠い親戚だった。当事者である番とは顔を合わせた事もない間柄だ。それだってのに堂々と『わが一族の女性をいいように貪ったのですから』などとよく言えたものだ」
(せめて実際に番と縁があった人間にその手の発言はしてもらいたいものだ)
と、疲れたボルギは思ってしまう。
まあ実際にそういう人間に言われたとしても、「私ではなく実際に攫った竜人とその家に訴え下さい。万が一返答がない場合は竜人国の非竜番結婚局にご連絡していただければ仲立ちしますので」としか、言えないのだ。
法律が出来た直後は外交官が窓口兼相談を請け負ったりもしていたが、今は専門部署が出来たので、窓口として紹介するぐらいしか外交官には権限がないのだ。
歩きながらタイを解こうとして上手くいかず、苛々しながらボルギは引きちぎった。
アキコはそれに「また無駄にして! 勿体ない!」と文句を言いながら、タイをボルギから受け取った。
「……ちなみに親戚って、どれくらい離れてたんですか?」
「番の父の父の母の父の六人いた弟のうちの一人の子供の子供のそのまた子供に養子に入った人間の子供の配偶者が前夫との間に作っていた子供の子供」
「血すら繋がってない!」
「ここまで遠いと、せめて繋がっててほしいよな」
アキコの叫びにボルギは同意した。
アキコも語ったように、この国にきた当初、ボルギは「運命の番」という言葉を盾にした誘拐事案の事後処理は自分では対応できないとハッキリ伝えている。
窓口の紹介は出来るが、それを理由に条約を結ぶような、大きな外交を行ったりは出来ないのだ。
当初は誤解もあったが、今はだいぶこの事実も浸透してきている。
……だというのに、未だにそれを引き合いに出す者は、定期的に表れる。
国単位ではなくとも、自分の家だけ何か有利に契約を結べないかと、あれやこれやと屁理屈をこねてくるのだ。
(一応は被害国だから無碍には出来ないのが面倒なんだよな……)
という言葉は、アキコ以外の使用人もいる場では到底口に出来ない。
しかし、この国で竜国に嫁いでいる二人の女性の実情を知っていると、被害者という単語にも首をかしげたくもなる。
(この国の被害者って、一人は『白馬じゃなくて白竜の王子様が迎えに来た!』って意気揚々と嫁いだ人と、『三世代先まで遊んで暮らせそうな財宝積んでくれたので嫁ぎますわ』って嫁いだ人なんだが。どちらも八十超えてるし)
既に孫やひ孫に囲まれている女性たちは、
「私は特に不満はありませんわ」
「既に実家には十分すぎる財宝を積んでいただきましたから別に……」
と、早々に和解を結んで、話に決着がついている。
(アンジェリーヌ様たちのような酷い被害者もいるのは事実。そちらに気を遣うべきだ、という事で、竜人の番となったものは誘拐被害者という呼び名が広まっているが……)
ひとまとめに纏めてしまうには、あまりに、彼女たちとアンジェリーヌ様は違った。
きっとその大きな違いは、本人の心持ち以上に、相手の男やその周りの人々で――。
ボルギは、アキコを振り返った。
アキコは視線にすぐ気が付き、顔を上げる。
「どうかしましたか? ボルギ様」
「……アキコは、どう思う? 竜人の番の問題」
「えぇっ? そんな難しい国際問題、アキコには難しいですよ」
「感覚でもいいさ」
「うぅん……。……まあ、私も、狸族ですし。運命の番を大事に思う気持ちは分かりますから、出会えたらその人の傍にいたい、ってのは分かりますけど……」
アキコは短い尻尾をゆらゆら揺らしながら、視線を斜め下に落としながら答えた。
「……運命の番だっていうのなら、やっぱり、幸せにしてほしいかも、ですね。だって、竜人は幸せで、選ばれた人は幸せじゃなかったら……なんだか、不公平です」
「幸せか」
「……ボルギ様は、まだ運命の番には会われてないんですね。やはり会いたいんですか?」
ボルギはアキコから視線を逸らした。
「死んでいてほしい、と、思っていた」
「へっ?」
「顔を合わせた時には、もう、死んでいて欲しい。……ずっと、そう……三十五年前から、ずっと」
予想外の言葉だったのだろう。アキコは丸い目を右へ左へ揺らしながら、胸の前で半端に広げた手を所在なさげに出したままにしていた。
「一番いいのは、番の墓の前で、この地面の下にいるのが番だって気づく形だ」
ボルギは目を伏せる。
(――頭がどうにかなってしまいそうな。あるいは体が引き裂かれるような。そんな激情に支配されて、見るべきものも見えなくなるぐらいなら、いっそ、死んで会いたいって)
運命の番について考える時。
ボルギは、考えずにはいられない。
(もし王太子がアンジェリーヌ様に出会わなかったなら? もし誰かが、すぐに、アンジェリーヌ様がこの国に足を踏み入れた瞬間から、彼女に気を遣えていたら? そしたら……そしたら――)
――赤い。光景を、見る事は――。
「ボルギ様! ご飯を食べましょう!」
「は?」
ふんふんっと鼻息荒く主張するアキコを何も言わずに見下ろす。
アキコは先ほど弱弱しく胸の前に出していた両手を、強く握りこぶしにして、上下に振っていた。
「さっきからお疲れで、暗い雰囲気が凄いですよ! お腹いっぱいになったら幸せになれます! 間違いありません!」
胸をたたいて、アキコはそんな事を言った。
その言葉に、ボルギは、ふっと息を吐きだした。
「……食事より先に風呂に入りたいが」
「お風呂ですね。そっちもいつでも入れるように沸かしてありますよ!」
「助かる」
準備の良いアキコが沸かすよう整えていてくれていた風呂に浸かる。
アキコはとてとてと風呂に入ってくる。勿論、濡れても良いような仕事着だ。
それから、風呂に広がっているボルギの髪を拾い上げた。
「髪洗いまぁす」
「たすかる……」
アキコが慣れた手つきでボルギの頭を洗っていく。
これも、最近では定番になっているアキコの仕事だった。
これまでは面倒ですぐ切り落としていたボルギの髪は、ここ最近、アキコのお陰でやたら艶がある。あと長さも伸びた。
よく分からないが髪が長い方がアキコや使用人たちからのウケが良いので、髪型などに関してはよほどおかしくない限り、アキコたちに自由にいじらせている。
最近はアキコが三つ編みにはまっていて、しょっちゅう三つ編みにされている。
「お仕事の疲れも、お風呂でしぃーっかり流してくださいねぇ~」
「おう」
しゃかしゃかしゃかと泡立てる音と、髪の毛を他人に触られる感覚。
(悪くない……角には触られたくないが)
目を閉じて、沈まないように風呂の縁に腕をかけながら、ボルギはアキコに頭を洗われた。




