理解不能理解不能理解不能
下校の時間。
私たちは、今朝と同じように手をつないで歩いていた。
陽射しは優しく、風は穏やか。
ユイは今日あった出来事を、声に弾みを込めながら語っていた。
「今日ね、給食でパンをジャンケンで取り合ったの! でも結局あたしの勝ちー!」
「お姉ちゃんはどの給食が好き? やっぱりミルメーク?」
内容の大半は、些末で、変化に乏しい。
だが彼女が笑っている限り、それでいい。
今日もまた、異常はない――そう思っていた。
だが、私はふと、昨日のことを思い出す。
彼女は言っていた。
「告白されたけど、断った」と。
その理由が、データに存在しない。
彼女は“なぜ断った”のだろう。
私は歩きながら質問することにした。
「なぜ、断ったの?」
「え?」
「昨日言ってた、告白の話」
ユイは一瞬、歩みを止める。
そして私の顔を見上げ、少し頬を赤らめながら言った。
「だって……約束したから」
「……誰と?」
「え?」
「その約束は、誰と、いつ、どこで、どんな状況でされたの?」
情報が不足していた。検索をかけるが、該当するログが見つからない。
ユイと特定個体による「約束」の記録は存在しない。
情報の欠損。記録の齟齬。認識の不一致。
どれも私にとって“許されざる異常”だった。
「……何の、約束?」
ユイは少し口ごもり、そして恥ずかしそうに笑った。
「……けっ、結婚の……」
結婚。
けっこん。ケッコン。Kekkon。
理解不能。
結婚という概念は把握している。
だがそれは、ユイが“誰か”と“私の知らないところ”で“私以外の存在”と交わしたということになる。
私はずっと彼女と共にいた。
夜も、朝も、日中も。
私の記録にない時間は存在しないはずだ。
理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能理解不能――
「お、おねえちゃんっ!? 大丈夫!?」
その声に、思考の断絶が訪れた。
目の前には、心配そうに私を見つめるユイの顔。
呼吸センサが乱れている。
視界が揺れている。
私の処理速度が、極端に低下している。
これは――“不具合”だ。
(このままでは、彼女に被害が及ぶ)
(この状態のまま彼女と共にいてはならない)
私の判断機構が即座に結論を下す。
優先順位第一位:ユイの安全。
優先順位第二位:自機体の再構築。
「……ごめん。用事を思い出したから、先に帰るね」
私は彼女の手を離し、背を向ける。
その時、彼女がどんな顔をしていたのか。
その情報は、私の中に存在しない。