そうだ、手を繋ごう
「朝ごはんいらないっ。遅刻しちゃう!」
制服の襟を整えながら、ユイが小走りで玄関に向かう。
その言葉に、私は静かに反対を表明した。
「却下」
「えぇ~……!」
「あなたは発育期。朝食を抜くことは成長に必要な栄養素の不足に直結する。
体力低下、集中力の欠如、その他諸々の懸念要素が発生する可能性ある」
「うぅ……じゃあ急いで食べるからっ」
ユイはしぶしぶキッチンの椅子に座った。
私は事前に用意していたトーストとミルク、ゆで卵をテーブルへ並べる。
食事は静かに、しかし和やかに進行した。
予定より六分遅れで食事を終え、私たちは家を出た。
家を出るやいなや、ユイが再び軽く駆け出そうとする。
私は反射的に「ストップ」と声をかけそうになったが、思いとどまった。
――柔らかな対応を求められている。
代わりに、私はそっと彼女の手を取った。
「え?」
ユイが驚いたように私を見上げる。
「今日は……手をつなぎたい気分なの」
「おねえちゃん……」
彼女は戸惑いながらも、手を離そうとしなかった。
むしろ少しだけ、握る力が強くなったように思える。
私は無言のまま、ゆっくりと歩き出す。
私が走らない以上、彼女も走ることができない。
完璧な対応だった。
「ねえ、おねえちゃん。なんだか懐かしいね。子供のころ、いつもこうして手つないでたよね」
私は、内部記録データを検索した。
彼女が幼少だった頃、彼女の歩幅に合わせて私の素体も小さく設計されていた。
以後、彼女の成長に応じて素体のアップデートが夜間に行われ、現在のサイズへと至っている。
その間、彼女が変化に気づいた形跡はない。
更新はすべて、私の休止時間帯に自動で実行されていた。
私たちは、確かに「ずっと一緒に生きてきた」と言える。
学校の門が見え始めた頃、ユイの同級生が声をかけてきた。
「わっ、手つないでる! 仲良しだねぇ~!」
ユイは顔を赤くしながらも、笑って答えた。
「えへへ、今日はなんか特別なの」
私はその笑顔を見つめ、計測を行った。
表情筋の動き、瞳孔の開き、頬の発色。
すべて通常値、あるいは良好範囲内。
ストレス兆候は皆無。
笑顔の持続時間も平均を上回っている。
彼女は、健康だ。
私の中の自己評価指標が、静かに上昇していく。
「柔らかさ」とは、こういうことだろうか。
まだ、完全な答えは出ていない。
けれど、今日のこの判断は。
きっと、間違っていなかった。