42.泥濘洞窟
穴に落ちたからだろうか。湿っぽさは倍増し、上から降ってくる水滴も多くなっている。
首元はハンカチを巻くようにしたため、降ってきても変な声は出ない。その安心はあるが、足下が水溜まりだらけ。滑りやすいこともあり、何度イナトにしがみついてしまったことやら。
もし1人だったら今頃泥まみれだっただろう。
「だいぶ歩いたと思いますが……これと言ってありませんね」
「そうだね。魔物も小鼠程度で割と簡単に倒せるのはありがたいな……」
弱い割に経験値がいいのでちょっとお得かもしれない。だが、出口はないし、上に登れそうな坂や梯子が見当たらない。
このままでは私のせいでイナトは一生ここに住むことになってしまう。
「王子消失の責任ってどのくらいなのかな」
「何を言っているのですか。諦めるのは早いですよ」
イナトは私の手を引き、いつも通り落ち着いている。この安心感、逆に怖い。
「イ、イナト……ちょっと休憩していい?」
「もちろんです。気付かず申し訳ありません」
ぬかるみのせいか、いつもより疲れが早い。
箱からキャンプ椅子を2つ取り出して2人で座る。
体力をつけないと今後も私のせいで無駄な時間をとってしまう。
「体力って手っ取り早くつけるにはどうすればいいかな?」
「体力、ですか。ジョギングが1番かと。よければ朝一緒に走りますか?」
「そうしようかな。イナトが毎日付き合ってくれたら続けられる気がする」
「光栄です」
雑談をしてからまた洞窟探索を再開。
奥に進むにつれ水位が上がっているのだろう。足首まで水がきていた。
冷たいのは勿論だが、歩きづらさもあり思うように足が進まない。
明日は筋肉痛になるかもしれない。いや、そもそもゲームの世界で筋肉痛になるのだろうか。
滴る水が次第に増え、すでに濡れ鼠。
私はさっさと洞窟から出てお風呂に入りたいと切に願った。
だが、洞窟は長くストレスは溜まる一方。歩きも雑になってきた頃、私は足を踏み外した。
私の様子を確認するために振り向いたイナトをそのまま押し倒してしまう。
「ご、ごめんイナト! すぐ退くから――!」
イナトの上から退こうとしたところで頭に何かが乗り掛かりイナトの胸に顔面をぶつけた。
胸といっても鎧なので照れはないが、かなり痛いのは確かだ。
「急がなくて大丈夫ですから」
イナトは全身ベタベタになっているはずなのに、優しく私に声をかけてくれる。こう言う時くらい怒ればいいのに……。
そんなことより、まず頭に乗った何かを片付けないとと頭を触ると、ぬるりとした感触に悲鳴が出そうになった。
「イナト、私の頭に何が乗ってる……?」
「頭ですか?」
イナトは私の頭を触りそのぬるりとした物を引き剥がす。
「スライムですね」
「やっぱり……」
イナトがスライムを投げ捨てようとしたところで、スライムは暴れ、また私の頭に取りついた。
「わ、わー! ぬるぬるして気持ち悪いー!」
「あ、暴れないでください。落ち着いて!」
そんなこんなで暴れていると、イナトと私の立場が逆転。何がどうしてこうなったのかはわからない。
スライムの核をイナトは小さなナイフで壊し、息を吐いた。
お色気たっぷりなんて言ったらイナトに怒られそうだが、濡れた髪が肌にひっついていて、少し赤い顔のせいもありちょっとアレな感じなのだ。
「お、押し倒されたらこんな感じ、なんだね?」
訳のわからない話を投げかけてしまい私は口を閉じた。自分で言ったにも関わらず恥ずかしくなってきた。言った後悔は引っ込まない。言わない後悔を心がけたいと今はとても思う。
「あまり煽らないでいただけるとありがたいのですが……」
髪をかきあげる仕草をするイナトに思わず、絶対狙ってやってるよねそれ! と口から出そうになった。
だが、口は災いの元。先程学んだばかりだ。
「っ!」
イナトは背後から襲われたのか、いきなり私と距離が縮まる。息が顔にかかるほどの近さで、しっかりと目が合ってしまいかなり気まずい。
目を逸らしイナトは顔を赤らめ申し訳なさそうな表情をする。
「すみません。恐らくスライムです」
イナトの上で飛び跳ねているのかガンガンと鎧が響いている。反撃したいのは山々だろうが、私のせいでイナトは四つん這いになっており動くことは叶わない。
反動があるたびにイナトのちょっとアレな声が漏れてきて、私は冷静に突破口を見つけられる気がしない。
だが、私の招いた不測の事態。私がなんとかしなければイナトと私、どちらも羞恥心で自爆しそうだ。
私も大概イナトばかり見てしまっているが、イナトもスライムのことよりも私と顔が近いことにばかり気を取られている。
「イナト、もうちょっと私の方に体、密着させられる?」
「なっ!? 何を言っているんですか! 僕は鎧を着てはいますがこれ以上近くなんて……」
はしたない。と言われるのだろうと黙って聞いていると、イナトはとんでもなく驚くような発言をした。
「このままではリン様にキスしてしまうでしょう!?」
「……え?」
悲鳴にも似たイナトの声は、洞窟中に響いたのではないだろうか。