01 奈落
「深淵を長く見つめるとき、深淵もまたあなたを見つめる...」
“And when you gaze long into an abyss, the abyss also gazes into you.”
“He who fights with monsters should look to it that he himself does not become a monster. And when you gaze long into an abyss, the abyss also gazes into you.” ─ Nietzsche
「怪物と戦う者は、彼自身が怪物にならないように目を向けるべきである。 そして、あなたが深淵を長く見つめるとき、深淵もまたあなたを見つめるのである。」
真っ暗闇の中、ニーチェの詩が脳裏をよぎった。
暗闇は怖くなかったが、奈落の怪物が彼を震え上がらせた...。
彼は目を開けた。
一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかった。
自分の名前が何なのかもわからなかった...。
片手を頭に、もう片方の手を地面に置き、よろめきながら立ち上がった。
突然のめまいでバランスを崩した。
前方に倒れ込みながら、彼は反射的に何かにつかまろうとした。
右手の人差し指に焼けつくような鋭い痛みが走り、彼は悲鳴を上げそうになった。
反射的に左手で人差し指を握り、息を吸い込み、痛みがおさまるのを待った。
あれは何だったのだろう?
暗闇の中、彼は今指をこすったものが何だったのか、恐る恐る考えてみた。
冷たい、硬い......鎧のような何か......」。
指の痛みと頭のめまいが重なり、吐きそうになった。
しかし、少なくとも周囲の空間は何となくわかった。 彼は自分が洞窟の中にいることに気づいた。 そして洞窟の壁は手の届くところにあった。
そこで彼は慎重に手を伸ばし、壁に体を固定した。 なぜ自分がこの見知らぬ場所にいるのかを考えようとした。 しかし、頭の中は真っ白だった。 そこで彼は深呼吸をした。
熱く湿った空気の悪臭が鼻孔に押し寄せ、彼は吐きそうになった。 何度か乾いた息を吐いた後、傷の程度を確認するために傷ついた指を目の前に差し出した。
極度の暗闇のため、怪我の程度を見ることはできなかった。 しかし、指のズキズキする痛みと腫れと出血から、爪が割れていないことはわかった。
でも......出血と腫れのせいで、おそらく剣を強く握ることはできないだろう......」。
ちょっと待て、なぜ剣を強く持つ必要があるんだ?
彼は驚いて自問した。
鎧や他の武器はどうするんだ?
この時、彼は武器も鎧も身に着けていないことに気づいた。 ゲーム会社から支給された記念Tシャツとスウェットパンツ以外は...。
ゲーム会社?「参加者は、いつ現れるかわからないモンスターや敵に対処するため、一刻も早く武器を見つけなければならない......シミュレーターはめまいと一時的な記憶喪失を引き起こす......」。
この言葉が突然頭に浮かんだ。そうだ...突然の閃きで彼は考えた...。
彼はコンピューターゲームの中にいた...
でも...
無意識のうちに、彼は手を伸ばし、先ほど指を怪我した壁に触れた...。
見る限り、その壁は異常に滑らかで冷たい。
壁には40センチ四方ほどの菱形のタイルが不規則に貼られていた。 タイルとタイルの間には高さの違う隙間があり、その鋭い隙間の縁に指が擦れて怪我をした。
バーチャルなコンピューターゲームだった!
でも、どうしてこんなにリアルに痛みを感じるのだろう?
彼は一息ついて、慎重に指に触れた。
指の痛みと灼熱感は、まるで本物の傷のようだった。
小さな傷でこんなに痛むなら、致命的な大きな傷はどうだろう?
このゲームでは痛みで死ぬことはないのだろうか?
彼は、このリアルすぎるゲームの致命傷について心配し始めた。
しかも、どうして武器を身につけていないのだろう? 防具はどこにいったのだろう?
彼は左手を伸ばし、手のひらを上に向けた。
ゲームの操作画面を呼び出すときのお決まりのジェスチャーだ。
でもまだ暗い...。
もう一度やってみた。
目の前に現れるはずのゲームの操作ページはない。
突然、だまされたような気がした。
どうしたらいいんだ?
彼はパニックになりながら自問した。
明らかにゲームがおかしい...。
もしかして...バーチャルゲームの中ではないのか...?
彼は現実の世界にいるのではないか?
無限に広がる暗闇が、彼に悪夢のような非現実感を与えた。
この感覚を取り除くため、彼は壁につかまり、トランス状態で歩を進めた。 数歩歩くと、視界の先に赤い炎のモヤが現れた。
あれが出口か?
彼は自信なさげに自問した。
彼の手に触れた壁がわずかに振動した。
まるで生きているかのように...。
空気の動きと反射音から、彼は巨大な地下通路にいることがわかった。
あるいは...巨大な洞窟?
彼は目を閉じ、ゲーム会社のことを思い出した。 白いオーバーオールを着た人々が彼を取り囲んでいる...。
「これは完全にリアルな現実を再現したゲームなので、事故を避けるため、何らかの理由でプレイヤーがゲームから飛び出したくなった場合は、首の後ろに装着されたチップの緊急ボタンを押して強制的にゲームから退出させることができます。」
スクリーンに映し出されたエンジニアが説明した。
スクリーンの反対側では、スタッフがセンサー電極のついたワイヤーを慎重に体に取り付け、心拍、血圧、呼吸などの生理現象をモニターしている。 コンピューター・エンジニアたちは、ゲーム機のさまざまな設定の調整に追われている。
「このゲームの最初の公開テストでは...参加者全員が...」
ゲーム会社の画面が消えた。
彼は目を開け、首の後ろに手を伸ばし、チップの接着剤の硬い表面に触れた。
回...2回...押した。
何もない。
何が起こったのだろう?
記憶の断片を探しながら、彼は振動する壁につかまり、ゆっくりとよろめきながら火のある方向へ歩いた。
歩きながら、何度か深呼吸をした。 このとき、彼の思考は少し明瞭になった。
しかし、規則的な低い空気の流れと、通路に響く鈍い太鼓の音は、彼を非常に不安にさせる警告信号のようだった。
どんな太鼓の音なんだ?
風車のような規則的な気流の音は何だったのか......?
気づいたときには遅かった。
通路の底には、終わりの見えない巨大な洞窟があった。
赤い炎のモヤはマグマの湖で、絶えず熱を放っていた。
しかし最悪だったのは、彼がつかまっていた壁が巨大なニシキヘビの体だったことだ......。
彼が叫ぶ間もなく、車ほどの大きさの蛇の頭がマグマ湖の岸辺から立ち上がった。
マグマの赤い光の下で、バスケットボールよりも大きな蛇の目がきらきらと光り、彼を見下ろした。
一瞬にして彼は怖気づき、無数の考えが頭をよぎった。
ニシキヘビが口を大きく開けて突進してきたとき、彼は反射的に振り返り、必死に走った。
命からがら逃げるうちに、マグマだまりの鍾乳石とタケノコの森に転落した。
タケノコが邪魔で、ニシキヘビはタケノコを折ってから彼に近づいた。
しかし、ニシキヘビは非常に強力で、タケノコを何事もなかったかのように空中に打ち砕いただけでなく、二匹の距離をどんどん縮めていった。
ニシキヘビの悪臭を放つ息を感じながら、気が狂いそうになるまで走り続けた。
この瞬間、ほんの数秒のうちに他に逃げる方法を思いつかなければ、自分がニシキヘビの餌になってしまうことがわかった。
しかし、どこに逃げればいいのだろう?
目の前の竹林は終わりに近づいていた。
マグマだ。
溶岩の熱でニシキヘビを止められるかもしれない。 でも、自分も溶岩に焼かれてしまうかもしれない...。
いや、まだチャンスはある。
パニックの中、彼は溶岩湖に浮かぶ島を垣間見た。
島の丘の上に、何か光るものがあった。
それが何なのかはわからなかったが、彼の直感はそれがゲームを破る鍵だと告げていた。
とにかく、それが唯一のチャンスだった。
彼は心の中で叫び、振り返り、溶岩湖に向かって走った。
ニシキヘビは一瞬固まり、2秒ほど時間をおいてから、さらに速いスピードで追いかけてきた。
途中、ニシキヘビの巨体は通り過ぎるタケノコを砕き続け、四方八方に飛ばした。
このタケノコのおかげで、蛇は全速力で進むことができなかった。
しかし、ニシキヘビがそのエリアから出るのにそう時間はかからず、ニシキヘビはもっと速いスピードで彼に追いつくことができた。
彼の唯一のチャンスは、アナコンダより先に湖にたどり着き、島へ逃げようとすることだった。
彼は溶岩の熱でニシキヘビを止められることを願いながら、命からがら走った。
しかし、どうやって溶岩湖を渡って島まで行くのだろう?
次の一手を考える間もなく、彼は湖の端にたどり着いた。
マグマ湖には岩が露出しており、それを踏み台にして湖を渡ることができる。
間一髪のところで、彼は何も考えずに次々と岩を飛び越えた。
島はどんどん近づいてきた。
しかし、8つ目の岩に到達したとき、彼は問題があることに気づいた。
あと4つの岩を飛び越えれば島に着くが、9つ目の岩は遠すぎる。
逡巡していると、ニシキヘビが湖を渡り始めた。
ニシキヘビは溶岩の熱をまったく恐れていないらしい。
これはいったいどんな怪物なんだ?
彼は心の中で叫んだ。
蛇に食われるくらいなら、マグマに焼かれたほうがマシだ。
幸いなことに、8つ目の岩はそれほど小さくはなかった。 しかし、たとえ飛び越えたとしても、どうなるだろうか? ニシキヘビに食べられてしまう......。
島の丘の上できらめく何かが彼を呼んでいるようだった...。
彼は深呼吸をし、岩の端まで後ずさりすると、全力で突進し始めた...。
ニシキヘビが彼を飲み込もうとした瞬間、彼はそれを飛び越えた。
その後、どうやって岩を飛び越えたのか、正直なところよくわからない。 彼が知っていたのは、島に足をつけるとすぐに、丘の頂上に到達しようと必死に前へ走ったということだけだった。
その途中、落ちてくる頭蓋骨を踏んで転びそうになった。
髑髏?
そうです!
丘全体が髑髏だらけだった...。
ドクロがどこから来たのか考える余裕も、ニシキヘビが追いついたかどうか振り返る余裕もなかった。
丘の頂上まであと数歩というところで、彼は足を滑らせ、髑髏の山に倒れこんだ。 痛みを無視し、立ち上がろうともがいた。
その瞬間、ニシキヘビの黒い姿が、まるで幽霊のように、彼の体を独占した。
一瞬にして。 限りない恐怖が彼の感情のすべてを飲み込んだ。
ニシキヘビがすでに自分の背後と頭上にいることを知っていたからだ。
ニシキヘビが彼を食べるのに1秒とかからないだろう。
ニシキヘビが目を閉じ、人生最後の瞬間に備えようとしたそのとき......。
なぜかニシキヘビはすぐに襲ってこなかった。
彼はさらに1、2秒待ったが、それでもニシキヘビは襲ってこなかった。
彼は戻って何が起こっているのか確かめたい衝動に駆られたが、ニシキヘビはネズミを捕まえるときに獲物を弄んでから殺す猫のようなものなのかもしれないと思い当たった。
彼は目を見開き、丘の上にある光り輝く物体が、頭蓋骨の山に刺さっている剣であることに気づいた。 そして、その剣は彼から2、3歩しか離れていなかった。
ニシキヘビは最後の攻撃を仕掛ける前に、彼が剣を抜くのを待っていたのだろうか?
ニシキヘビがそんなことをするとは思わなかった。
剣が罠でなければ...。
しかし、もう後戻りはできない。
剣はニシキヘビを殺してしまったのか。 それとも恐ろしい罠だったのか...。
彼は剣を抜き、最後のチャンスをものにするしかなかった。
深呼吸をして、剣に駆け寄った。
手を伸ばして柄を握った瞬間、彼は後悔した。
血に飢えた殺意の波が彼の全身の細胞に押し寄せた......。
一瞬、宇宙の始まり以来、血なまぐさい殺人のすべてを垣間見たような気がした...。
最初の生命が誕生したときから存在する弱者を殺し、食い物にする...。
何度も何度も殺し、死ぬ...。
皮膚がひび割れ...骨が折れ...血が吹き出す...
死にゆく息...
強烈な衝撃が五感を襲う...
それは彼の精神と意志を蝕み...
視界が深紅から無限の闇に変わるまで...
ニシキヘビは彼が剣を握っているのを見て凍りつき、数メートル後退して頭を高く上げて彼の反応を見守った。
ニシキヘビの姿は見えなかったが、冷ややかな嘲笑を感じた。
彼はようやく、ニシキヘビに食われるよりもひどい死をうっかり選んでしまったことに気づいた。
彼が手にした剣は普通の剣ではなく、恐ろしい魔性の剣だった...。
人間の魂を引き裂き、噛み砕く魔性の剣だ。
出してくれ...
激しく、血を吐くような声がした。
生命力が衰え、彼の意識は漂った。
ニシキヘビの声か? それとも剣の声か?
現実と幻想の区別がつかなくなっていた。
まるで意識が巨大な肉挽き機に入れられ、無数に切り刻まれたかのように......。
出してくれ
咆哮はさらに大きくなり、彼はそれが外からではなく、内から来るものだと突然気づいた!不思議なことに、ニシキヘビはその声を聞いたかのように、さらに頭を高く上げ、その巨大な目は彼の痛々しく歪んだ体を怪訝そうに見つめていた。
魔法剣もまた、彼の内なる声を聞いたようで、彼の中の奇妙な力に対抗しようと、さらに強力な魔法を出力し始めた......。
二つの力が激しくぶつかり合い、彼は今にも爆発しそうだった。
魔剣の力と彼の奥底の力が絶えずぶつかり合い、彼の意識はほとんど食い尽くされ、薄い封印の層で隔てられていた...。
トランス状態の中、彼の脳裏には無数のイメージが浮かび上がった...。
死ぬ間際になると、今までの人生で経験した映像が頭の中に現れるという。
俺は死ぬのか? でも、俺が見ているものは、俺が経験したものとは違うような? あれは何だろう? それとも長い間忘れていた記憶なのだろうか?
⋯⋯ 空から舞い落ちる雪の中、パイソンのように太い鎖が彼の裸の上半身をきつく縛っていた。
11人の勇敢な竜騎士が鎖を引っ張り、彼の動きを制御しようとしていた。 11人・・・13人いたが、2人が殺された。 人の血まみれの死体が東と南の地面に横たわり、ねじれた変形した鎧の裂け目からまだ血が流れ出ていた。
脆弱で小さな人間!
お前たちは陰謀と力だけだ...。
彼は自分の中に、宇宙を揺るがす力を感じていた。 彼がその力を発揮すれば、人類最高の残りの11人の竜騎士は蟻のように圧殺されることを知っていた。 しかし、彼の心には喜びはなかった...深い悲しみだけがあった。
そして...雪と冷たい空気の中、彼は彼女の到着を感じた。
春に散る桜のように軽やかな足取りで、彼女は彼のもとにやってきた...彼女の銀の短剣は、逃れられない運命の足かせのようにきらめきながら...。
それは稲妻のようだった...夢のようだった...
彼は泣き叫び、この封印の解かれた奔放な幻影から逃れようとした...。
しかし、イメージは万華鏡のように彼の頭の中で渦巻き、すべてが爆発した...。
彼は意識を失う前に見た最後のものだけを覚えていた...。
チベット僧の制服を着た白人の青年が、金剛杵と臼を持ち、秘伝のマントラを唱えていた。
彼はその僧侶の名前を思い出せなかった。
しかし自分の名前は覚えていた。
彼の名はデミアン・リム・・・。
その瞬間、ニシキヘビが口を開け、彼を飲み込んだ。
最も深い黒いカーテンのような闇が、すべての光を遮った...そして希望も...。
果てしない闇のような夜空から、ビロードのような雪が静かに降ってきた...。
初めまして、異羽と申します。
もしよかったらご感想をお聞かせいただけると嬉しいです。