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アルベドミミック  作者: 蟻酸
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悪神の刻印

 粘着質な泥のような、指一つ動かすのでさえ重く感じるほどの海を漂っている。

 光は無く、一面が黒に染まった世界で無力なまま流されていく。


 これは夢だろうか。

 夜空を絞って溶かしてスープにしたような空間の中では、頭がぼんやりしてうまく働かない。


 先ほどまでひどく苦しかった記憶はある。だが、その残滓はもう身体のどこにも残っていなかった。

 僕は寝起きのような気分で微睡んだまま拘泥に囚われていく。





 ふと、声が聞こえた。




『待っていたんだ――』


 頭の中に響くような不思議な音。



『この瞬間しかなかった――』


 よくわからない。変な夢だ。腕が届く距離ですら暗くて不明瞭な世界の中で、得体のしれない声が何かを伝えようとしている。


 あなたは?――問いを口にしようとして、開かないことに気が付いた。



『押し付けてしまって、ごめんなさい。託してしまってごめんなさい。傷つけてしまってごめんなさい――』


 一方的な謝罪が次々と滝のように降り注ぐ。悲痛な懺悔が何度も何度も。



『どうか、調和を壊して』


 意味がわからない。疑問が膨れ上がるがそれを口にできない。

 ぼんやりした意識とそれがごちゃごちゃに混ざって気持ち悪くなっていく。



『『あなたは、その為にあるのだから――どうか、調和を壊して。神を……』』


 声はやがて四方八方から合唱するかのように反響していく。

 最後の方はもはやうまく聞こえはしない。


 誰の元ともわからないの重なりが大きくなるにつれて、目の前に小さな光が生じた。



『『『神を』』』


 その光は徐々に輝きを増し、直視できない眩しさを放ち始めた。

 だが、この空間では、開いた瞼も閉じられなかった。


 その輝きは瞳を灼く。

 眩暈がして頭の中がぐちゃぐちゃになって、それでも視界は光に奪われていく。


 やがて、暗黒の海は白い輝きに塗りつぶされ、圧倒的な光量が網膜に刻まれる。



『『『神を、信じないで――』』』


 その言葉を最後に、再び世界は闇を取り戻し、同時に僕はまた、意識も失ってしまった。










「おい、大丈夫か! メリック!」


「こんな反応は今まで……いや、まさかそんな……」



 誰かが身体を揺さぶっている。それに耳元で大きな声を……

 あれ、僕は何で起こされているんだ……? たしか、そうだ。


「ん、うぅ、ランディ……? あれ、再誕式は……」


 閉ざされた瞼をゆっくり開くと、僕を覗き込むようにランディやほかの生徒たち、そして司祭の方が集まってきていた。


「やはり、やはりそうじゃ……この者は……」


「司祭様?」


 大げさなほど驚愕の表情を浮かべた司祭が、僕を指さしてわなわなと震えていた。

 

 ランディも周囲の生徒たちも心配そうに僕と司祭様を見守っていた。

 

 いったい何が起きているんだ。

 再誕式で壇上の球に触れてから、信じられないほどの苦しさが襲ってきたのは覚えている。けれどそこから先は何も……。たぶん気絶してしまったのだろう。


 でも、裁定ってそんなに苦痛を伴うものだったのだろうか。

 みんな平然としていたのに。



「この者は……悪だ、悪神の加護が刻まれておる! 見よ! こやつの瞳に刻まれた刻印を!」


 ……は? 悪? いったい何を言って。


「……っ! マジだ……。こいつ、禍々しい赤色してやがる!」


「ラ、ランディ? それに、悪ってどういうことですか……」


「うるせぇこの異端者め!」


「ぐぁっ!」


 鈍い衝撃が頬を貫いた。

 突如雰囲気を変えたランディは、まるでモンスターを見るかのような目で僕を射抜き、殴りかかってきたのだった。


 顔を殴られた僕は、冗談のように吹き飛び神殿の壁にまで転がっていった。


「テメェ、この人類の裏切り者が! 俺の得た「聖剣王」の加護で今切り刻めないのが悔やまれる……!」


「う、うぅ……、何の、ことですか……それにその凄まじい力は、それが……加護?」


 口の中が盛大に切れ血を吐き出す。痛む頬を押さえて元居た場所を見やれば、誰もが冷たい目で僕を睨んでいた。


 壇上に集まった生徒も、待機していた生徒や教師も、ランディとその取り巻きのゾスとラークも、司祭も、百を超える敵意が僕に対して降り注ぐ。


 容赦ない敵意に晒され冷汗が出てくる。

 ふと、近くの窓に目をうつすと、そこには反射する僕の顔があった。

 その左側の瞳の中にはたしかに赤い模様が浮かび上がっていた。


「こ、これが悪神の加護……? はぁはぁ……片目に刻印が出たんですか、でも、僕は何もしていないですよ!」


「黙れ悪徒め! その存在自体が許されぬ禁忌なのだ! 悪神の手先が再誕したならば、すぐさまに摘まねばならぬ!」


「そうだ! こんなやつ捕らえてくれ!」


「裁きをうけろ!」「死ね!」「死ね!」「さっさと死ね!」



 わけがわからない。司祭の言葉を皮切りにして、次々と罵声が飛び交う。その全てが僕に向けられたものだ。

 どんどん過激さは熱を帯びてゆき、ついには誰かの靴が投げられ僕の頭に当たった。


 ここにいる誰もが人が変わったかのように豹変していた。

 初めてここまで一身に受ける悪意が、恐怖として全身を駆け巡った。


 やけに心臓の音が大きい。



「なんで……」


 震える足に力をいれその場から逃げ出した。


「なんで、なんで」


 誰かのそばを通り過ぎる度に死ねと言われた。


「なんで! どうして!」


 飛んできた筆記具が頬を掠め、浅く傷を作った。

 ここに石とか落ちてなくて良かったと、まるで人ごとのような感想が浮かんで消えた。




「そこまでだ、大罪人メリック・ローラー」


 やけに長く感じた神殿の出口まであと少しというところで、荘厳な白銀の鎧を纏った集団が道を封鎖していた。


 アルセード王国騎士団。

 僕たちの生まれ育ったアルセード王国の剣にして憧れの象徴、あの天才な兄がいる場所だ。


 その憧れが、その切っ先が、僕を断罪するようだ。



「通報があった。如何なる問答も無用だ。その身に悪神の刻印を宿した罪は重い。ただちに捕縛する。抵抗するなよ」


「そ、そんな……僕は何もするつもりはないです! いやだ! こんなの勝手に授かっただけなのに! どうしてこんなことに!」


 眼前には僕を捕らえようとする騎士団が迫り、背後では僕を罵倒する大合唱。



「黙れ! 問答無用と言ったはずだ! やれ!」


「そんな、助けてください! 何かの間違いです、うっ」



 複数の騎士が捕縛魔法を唱え、光の拘束具が一瞬で僕の身体を縛り付けた。


 幾重にも光が巻き付き、身動き一つ取れなくなる。








「牢に拘留する! 連れていけ!」


 焦り、困惑、怒り、苦しさ、ぐちゃぐちゃになったマーブル状の感情が溢れ出す。

 絶望に苛まれながら、左目に宿った赤は静かに揺れていた。


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