午時葵4
途方に暮れた俺はそれから病院内を移動した。
これからどうしよう、そんなことを考えながら俺は病院の外にある屋根のついたベンチに座っている。
病院から帰る家族を車で迎えにくる家族などもいるので、そういった人達向けのベンチだ。
たしか御守りを使えば元の時代に戻れるんだったか?
あれ?
そうだ思い出した。白瀬さんから渡されたリュックがあった。
よく考えたら、白瀬さんは俺をこんな目に合わせるつもりで、あの鳥居を潜らせたのだ。 何かしら入っていてもおかしくはない。
俺は隣の席に置いたリュックを開けた。
そこに入っていたものは、手紙とお札だった。
手紙の内容はこうだ。
「阿部和久さんへ
あなたにはしばらくそこに居ていただきます。というのも、やっていただかないといけないことがありますのでそれが終わったら、元いた神社の辺りか、川土手に辺りに戻ってくることができるはずです」
内容はそれだけだった。
「やっていただかないといけないことって何だよ。重要なことが書かれてねーじゃねーか」
周りには誰もいないと思っていた俺は独り言のように言ってしまった。
結局、リュックを開けて中身に白瀬さんから、これから何をしたらいいのか書かれた指示の書かれた書類でもあるんじゃないかと思っていたのだが、そんなものは入ってねぇ。
やばい、さらに途方に暮れてしまった。
そうしているうちに夕方、日も暮れ始めてきた。
声をかけられたのはそんな時だった。
「隣、座ってもよろしいですか?」
「どうぞお座りください。大丈夫ですか」
女性が話しかけてきた。一眼見てわかる。妊婦さんだ。俺は考えるまでもなく、どうぞお座りくださいと少し気を遣って答えた。
俺はベンチに置いているリュックを膝の上に置き、妊婦さんの邪魔にならないようにした。
大事そうにお腹を抱える女性。
「ありがとうございます」
と、丁寧にお礼を言われた。
俺もいつかは恋人ができ、こうやって女性と結婚して、子を授かり、父親になるのかと思いながら女性を眺めていた。
お腹の大きな女性、妊婦用の服なのだろう、マタニティウェアだったか、そんな感じの名前だったような気がする。
ゆったりとしたデザインの服はおしゃれさと、お腹の中にいる赤ちゃんに負担のかからないよう考慮されているのだろう。
「どうかなさいました?」
見られていることに女性に気づいたのか話しかけられる。というより気づかれて当然だ。あれだけ眺めていたのだから。
「いえ、元気な子が産まれるといいなぁと思って、それに、俺もいつかは父親になるんだなぁと思いまして」
「ありがとう。あなたもいい父親になれるといいわね」
そう母親になる女性特有の色気を感じるような微笑みで言われた。
こんな女性を射止めた男性が少し羨ましい。そんなことを少しだけ思ってしまった。
「いえ、いい父親なれるような自信はあんまりないです。はああ」
「そうかしら、席を開けてくれるような男性がいい父親になれないとは思えないけど」
「いえ、当然のことをしただけです」
褒められて少し照れながら答えた。ただの世間話だし、照れる必要性も喜ぶ必要性もないのだけれど。嬉しいものは嬉しい。
「ところでお名前は決まっているんですか?」
「まだ決まってないんです。夫と話してるんですけどなかなか決まらなくて、いろいろ候補はあるんですけど、どれにしようか夫婦で迷ってるんです。ちなみにあなたならどんな名前にします?」
自分の子供の名前を決められない。俺も結婚して親になるとそうなるのかもしれない。
「そうだなぁ、僕なら葵とかにするかもしれません」
何気なく言ってしまった。
しかも自分の恋人の名前を言ってしまうだなんて、恥ずかしい。
「葵って花の名前の葵のことですか?」
あ、聞き返された。少しばかりむずがゆい。
「そうです。花の名前の葵です」
「何で葵なの?」
「葵の花言葉にはいろいろあるみたいで、高貴とか豊かな実りとか神聖とか、そういう花言葉を持ってるみたいなんです。それで品のある女性に育ってほしいって願いがこめられることもあるみたいです」
どこかの俺の血を美味しく啜っている誰かから聞いた話だ。
「女の子か男の子かも知らないのに、余計なこと言っちゃいましたね」
人の子の名前のアドバイスなんて、余計なこん、」とをしてしまった気分だ。
「実は女の子なんですよ。葵っていう名前、参考にさせていただきます。あ、迎えが来たみたいです」
車が一台、入り口から入ってこっちに向かってきた。女性の旦那さんだろう。
女性は立ち上がり、車に乗り込む。乗り込む直前に会釈されたので俺も会釈する。
旦那さんの顔は窓ガラスと光の加減で反射してよく見えない。
女性が車の扉を閉めると車は走り去って行った。
無事に産まれるといいなぁと思いつつ見送った。
さて、この後どうするか。問題は俺の方だ。
病院ももう患者さんは皆んな帰っている時間帯だろう。
今夜の寝床にさえ困る状況になるとは思いもしなかった。
大雨というわけでもなく、小雨というわけでもない、これは長く降る。
寝る場所を探さなければならない。
俺が生まれる一年前ということは、この時代の自宅で寝ようと思っても、自宅に行って、親に会ったとしても「お前誰?」という状態になるのは間違いない。
流石に病院の敷地内にあるこのベンチで寝るわけにはいかない。
川土手の橋の下にでも行くか。
「先ほどからこちらにいますけど、どうかなさいましたか?」
そう声をかけられたのはそんなことを考えていた時だった。
「えっと、あなたは売店の場所を教えてくれた看護師さんの」
「辻です。先ほどからこちらにいますけど、迎えの方でも来られるんでしょうか?」
俺は辻さんから顔を逸らして前を見る。
「迎えは、まぁ来るので、、、ちょっと時間がかかってるみたいです」
来るはずがない迎えが来ると嘘をついてその場をやり過ごす。
「迎え、来ないんですね?」
「えっ?」
驚いて辻さんの顔を見る。
辻さんはベンチについた屋根の中に入ってきて
迎えが来ない、なんで気付いたんだ。
「なんでわかったんですか?」
「やっぱり来ないんですね? 売店に行ったのに傘も買っていないですし、ずっとここにいるのに迎えの方も来ていらっしゃらないじゃないですか。まさか、帰る家がなくてお金もないとかそんなことはないですよね?」
なんでわかるんだ?
当てずっぽうで言ってるのか?
鎌をかけられてるのか?
それともただ推理しただけか?
ただの推理にしても全部当たってる。
超能力でも持ってるのか?
「いえそんなことは、、、」
「しばらく何も言わずにそう答えるってことは当たってるってことですね」
「当たってます」
実際当たっているんだ、そう答えるしかない。何でわかるんだ。
「何でわかったんですか」
「今までいろんな患者さんを見てきたので予想してみたんです。当たってましたか?」
人生経験というやつか、人と接する回数の多い人は人をみる目が養われるのだろうか。
ここまで当てられたら、流石にこれ以上誤魔化そうとは思えない。
「実はそうなんです。まぁ詳しいことは説明しづらいんですが、今夜寝る場所には困っています」
「そうなんですか、じゃあ今夜だけでも私の家に泊まっていきますか?」
「いや、そんな初めて会った方にそんなご迷惑をおかけするだなんて」
いきなり泊まりに来ないかと言われると流石に戸惑う。
でも、今の俺に他に選択肢もない、ここで断ったら今夜の寝床に困るのは目に見えてる。
迷っている俺を看護師さんは横からじっと眺めていたが、座っている俺の目の前に移動して、仁王立ちで言った。
「つまり初めて出会った人に迷惑をかけるわけには行かないということですか。なぜ、あなたが寝る間場所に困っているのか詳しい事情は知らないのですが、流石に見過ごすわけにもいきません。私の家に泊まりなさい。その代わり、宿泊料として、私のお願いを聞いてください」
「宿泊料としてお願いを聞くですか。お願いって何ですか?」
「それは今は言えません。」
「それに僕にできることなんて大したことありませんよ」
「それは大丈夫です。あなたにできることですから」
そう言われて、俺は看護師さんの家に泊まることに決めた。