終話④ 『花咲胡桃』
どうやったら恭太を苦しめられるだろうか。いつしか胡桃は、そんなことばかりを考えるようになっていた。
『俺と付き合ってほしい』
メールで送られた彼の告白文は懐かしい。面と向かって言ってほしさはあったが、別に恭太のことを嫌いでなかった胡桃は、確かな喜びを抱いたのを覚えている。
その時はまさかお互いを貶め合う最悪な関係になるとは思ってもいなかっただろう。理由は全面的に胡桃にあるのだが、付き合っていた頃は普通に出かけたり一緒に勉強したり、浮気を知られるその瞬間まで、胡桃たちはそれなりの関係を築けていた。
『どうして……こうなっちゃったのかしら』
遠のく意識の中、胡桃は思う。どこで道を間違えたのか。何が原因で腹から血が流れ、救急隊員に囲まれ、死の淵に立たされているのか。
無論、全て自分のせいである。
恭太を裏切ったから。自分が欲に負けて礼二と関係を持ったから。浮気をしたから。
礼二は自殺をし、恭太にまんまと嵌められて自身までもが刺されてしまったのだ。
『あぁ……死ぬんだ』
人は死の直前に走馬灯を見ると言うが、それなら胡桃は死なないことになる。ただぼんやりと、仄かな光が自身を照らし――気づけば病院のベットで寝ていた。
決して生き延びたわけではない。ほとんど死は確定した状態で、それでも本能はその声に反応していた。
「胡桃っ……! 胡桃!!」
娘の名を叫ぶ、母の声。目は開けられないが、その声ははっきりと胡桃の耳に届いていた。
『お母……さん』
起き上がって声を出したい。私は大丈夫だよと、泣き喚く母親を抱きしめたい。
それでも頭で浮かんだ言葉が口から出ることはない。体は言うことを聞かなかった。
『死にたく……ない』
全てやり直したい。もう多くは望まない。ただ、母と、家族と一緒に、何食わぬ日常を過ごせればそれでいい。
死の淵に立たされる胡桃の理想は限りなく低いものであったが、それすら叶うことはなかった。
時間が経つにつれ声が遠のく。母の声、家族の声を二度と聞けない。皆の顔をもう見ることができない。――嫌だ。嫌だ。
胡桃が最期に思ったのは、母への想いでも、家族への感謝でも、死への恐怖でもなかった。
『浮気なんて……しなきゃよかった』
自身の誤ちへの、後悔だった。