42話 『心の怪我』
この世に存在する怪我の中で、最も治り辛いものはと問われれば間違いなく心の怪我であろう。
心は一度壊れれば修復に時間を要する。放っておいて完治するなんてまずないし、かと言って明確な治療法があるわけでもない。各々見合った方法で心の傷を塞ぐ。
恭太にとってそれが復讐だった。
胡桃に浮気をされて空いた心の穴を、復讐して彼女を苦しめることで満たす。胡桃への膨大な想いが、そのまま怒りとして変換されたのだ。
だから止まれないし、止まらない。胡桃が心の底から本気で反省し土下座しながら謝罪でもしない限り、恭太の怒りが収まることはない。
ましてや胡桃に挑発されたとなれば、エンジンの勢いは元より増しているに違いない。すでに超えてはいけない一線に爪先がかかっていた。
「……もう少しか」
恭太は部屋に掛かったカレンダーを見て呟いた。最後に噂を撒き散らしてから数週間。もうじき礼二に限界が来るだろうと恭太は見ていた。
礼二は胡桃とは違う。礼二は胡桃のように拠り所があるわけでなく、ただ耐え続けるしかない日々を送っているのだ。
正気でいられるはずがない。学校を辞めるか、胡桃と別れるか、あるいは……
いずれにせよ、胡桃と礼二の関係は破壊することができる。礼二が強靭なメンタルを持っていて動じないとなれば再び追い詰めるまで。今度こそ復讐が終わるだろうと、恭太は確信していた。
……結論から述べると、恭太の思惑通り礼二は胡桃の元を去った。二人は別れたのだ。けれどそれは最悪な形で。全て終わったときにはもう何もかもが手遅れなのだった。
× × ×
誰も寄ってこない。顔を見ると逃げるように離れて行く。皆が嫌な顔をする。話しかけてくれない。笑われる。
親友も、クラスメイトも、教師も、他学年の生徒も。話したことのない他クラスの奴も、"礼二と仲がいい"という敬称が欲しいだけでつるんでくる大して好きでもない男友達も、目が合うだけで尻尾を振って近寄ってくる面倒な女子も。全員礼二を拒絶した。
どうすれば救われるのか。
皆に本気で謝る。無駄だ。胡桃と別れる。無駄だ。全部嘘だと訴える。無駄だ。虐めとして教師に対応してもらう無駄だ。
(…………そうだ)
これなら解決できる。我ながら名案が浮かんだと礼二は誇らしく思った。
生暖かい外気に晒され、礼二は学校の屋上からの景色を知った。案外遠くまで見えるものである。家の近くにあるマンションも、よく行くスーパーも。遮る柵を越えればより鮮明に見えた。
礼二は足を一歩前に出す。けれど地を踏むことはなかった。