24話 『花咲碧人』
美里亜を襲ったあの日以来、胡桃は何もしてこない。
もちろん何もされないに越したことはないのだが、恭太はかえって不安になる。もしかしたら、何か企んでいるのではと。美里亜との下校は続けていた。
家の前で手を振って別れる。結局この日も何もなかった。
恭太は周囲に警戒しながら帰路についていると、少し進んだあたりで背後から名を呼ばれた。
「恭太さん!」
声変わりのしきってない少年の声。振り返ると、見知りの姿がそこにいた。胡桃の弟の碧人だ。
「碧人……どうしたの?」
「恭太さん、姉ちゃんから聞きましたか!?」
恭太の姿を見て走ってきたのか、碧人は荒い息でそう尋ねた。
恭太と胡桃の交際は互いの家族が認知している。当然そこには碧人も含まれるため、二人も知り合いというわけだ。
「胡桃から?……何を?」
「…………聞いてないんですね」
碧人は悩みの籠った深いため息を吐いた。
「姉ちゃん……その」
「……どうした?」
碧人は葛藤していた。それを自分の口から言っていいのか、と。
けれど恭太が優しく聞き返すと、決心のついたように続けて言った。
「姉ちゃん、妊娠したみたいなんです」
「…………え?」
恭太は二段階の衝撃を受けた。
まずは胡桃が妊娠したという事実。そしてその相手は自分ではない――おそらく礼二なのだという予想。
それを弟の碧人が伝えにきた……つまりそれは、と色々な推測が頭を飛び交って頭が真っ白になった。
「いきなりこんなこと、すみません」
「……いや」
「姉ちゃん、言い辛いんだと思います。恭太さんに迷惑かけるんじゃないか、って。……だから、恭太さんの方からそれとなく聞いてみてくれませんか。お願いします!」
碧人は真っ直ぐ頭を下げた。
恭太はその様を見て、彼は何も知らないのだと思った。ただ姉のことを心配して、本当のことなど何一つ知らず、恭太に胡桃のことを助けてほしい、そればかりを願っているようだった。
「……ごめん」
けれど、当然恭太はこの要求を飲むことはできない。胡桃とは対立している現状に加え、そもそも宿った命は礼二とのものだ。
おそらく胡桃もそれを自覚している故、路頭に迷っているのだろう。誰を頼るべきなのか。追い込まれているに違いない。
それは好都合だと、恭太は人情なく心中に笑みを作った。碧人は血の気の引いた顔で恭太を見る。
「な、なんでですか! 助けてくれないんですか!? 姉ちゃん妊娠してるんですよ! 恭太さん責任とってくださいよ!」
「ごめん、気の毒だけど……俺は関係ないから」
「……えっ?」
「俺と胡桃、そういうことしたことないっていうか、そもそも……俺たちもう別れてるし」
「ど、どういうことですか」
恭太は全ては話さず、一部隠して碧人に事情を話した。
「俺と胡桃、ちょっと前に喧嘩しちゃってさ。勢いで別れちゃって」
「け、喧嘩? でも姉ちゃん一度もそんなこと……」
「浮気されてたんだよね、俺。だから……言い辛かったんだと思う。妊娠したのも、多分その相手とかな。ごめんね、力になれなくて」
「…………」
信じられない、言わずとも碧人の顔にはそう書かれていた。
恭太の口からにこやかに放たれた姉の卑劣な行いは全て事実。おっとりしながらも少し憎しみを含んだ言い方に碧人は察したのか、逃げるように恭太の前から立ち去った。
去り際に残した小さな会釈に、碧人の心中が鮮明に表れてる気がした。