section9
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ピンクのポンポンを持った手を腰に携え耳まで届くのではないかというほど口角を引っ張りあげた笑顔を浮かべる5人の”ピエロ”を見て、石神も負けじと笑みを浮かべた。
真っ白なノースリーブのレオタードは、胸元にやかましいほどにビラビラの襟がついており、腹部には、モケモケとした毛玉のような、大きな赤いボタンが2つ。
腰まわりにぐるりと付けられた、胸元の襟と同じデザインの、ビラビラとしたフリルスカートは、レオタードのVラインを隠すつもりは毛頭ないようだった。
そんなフリルスカートから丸出しになったVラインは、超が付くほどハイレグの仕様で、下着も身につけていないため、股間の割れ目とともに、お尻にもしっかりとレオタードが食い込んで見せていた。
そんなハイレグレオタードの効果か、ベージュのタイツに包まれた5人の脚は、いずれもいつもより長く見える。
ノースリーブの肩口から伸びる腕には、肘から先をピッタリと覆う、レオタードと同じ、光沢のある素材で作られた白いグローブが装着されていた。
そして、頭には、明らかにやりすぎなレベルの大きさの、ピンクのリボン。
この2つには特に、なんの意味もなかった。
ただただ無駄に騒々しいデザイン。
まさしくサーカスのピエロを絵に描いたような、”ダンス隊”の衣裳を着て、”サマープログラム生”たちは練習場に戻った石神を出迎えてくれた。
もっとも、彼女たちは、「衣裳を着たら、待機姿勢で待つように」と、あらかじめ入れておいた命令に服従しているだけだ。
石神が戻るタイミングは気まぐれだったため、彼女たちは数時間、こうして笑顔で立っている可能性もある。
石神は、直立する”サマープログラム生”たちの前をゆっくり横切りながら、一人ひとりの顔の前で手のひらを振ったり、デコピンをしたりしてみた。
誰一人として、それに反応を示すものはない。
ただマネキンのようにそこに立っているだけだ。
みな相変わらず、その満面の笑みとは対照的な、死んだ魚のような、生気のない目を空に漂わせていた。
よく見ると、彼女たちのメイクは少し変わっていた。
顔色はより真っ白く塗り潰され、真っ赤な唇には、キラキラとしたラメが塗られ、目を縁取るアイラインはよりくっきりと。眉毛は更に太く、長く書き足されている。
なにより、彼女たちの両の頬には、ポンポンと同じショッキングピンクの色味が足され、遠目に見てもそれがわかるほどだった。
しかし、それは、彼女たちの顔色や口紅と同じく、ちゃんとしたメイク用品で成されたものではなかった。
唇のラメは、工作用の金箔をベタベタと張り付けただけだし、頬の赤み、というよりもピンクは、スプレーで吹き掛けたものだ。
そのため、遠目に見れば唇は、まるで錦鯉のように赤や金色がギラギラしていたし、頬は発色が良く見えるわけでもなく、ただただ真っ白な顔にピンクが塗りたくられたような、滑稽な仕上がりになっていた。
それでも一向に構わない。”ピエロ”というテーマに落とし込んでしまえば、どんなに滑稽で無様な見た目でも、様になるというものだ。
それに、結果はどうあれ、”サマープログラム”をこうしてマーチングバンド部の一員として過ごすことを決めたのは、彼女たち自身だ。本来ならば”サマープログラム生”は決して着ることのない衣裳を着られて、彼女たちも喜んでいるはずだ。
そう思ったところで、列の一番端に立つ、”SPの5番”を見て、石神はほくそ笑んだ。
「ああ、お前は我が部に入りたくて入ったわけではなかったな。まぁ、そんなお前が、一番似合っているというのは、皮肉なものだな」
レオタードの真っ白い生地によって強調された、”SPの5番”、愛華の胸をゆっくりと撫でながら、石神は呟いた。
そんな石神の声にも、胸をいやらしく撫で回されても、愛華は満面の笑みのまま、直立していた。
頻繁に、しかも長期間の支配を受けたことで、愛華含め””サマープログラム生”たちは、ナノマシンにより操作されている間は、完全に意識を失うようになっていた。
これは、ナノマシンの支配の力の影響もあるが、最終的には彼女たち自身が自発的に行った行為だ。
ナノマシンの支配に抵抗することで、本人の精神や意識にダメージが残ることを悟った彼女たちの本能は、ナノマシンの支配が発動するとき、意識や自我、感覚、記憶など全ての精神をシャットダウンし、ナノマシンに体を明け渡す。
「抵抗しませんから、命だけは」と命乞いをしているというわけだ。
そうすることで、ナノマシンがオフになったとき、本人たちの意識や精神は、ノーダメージのまま体に返却される。
そのかわり、この状態に入れば、ナノマシンが操作する間、本人の望まない行動でさえ、意のままに操り行わせることが出来るようになる。
石神はこれを”フェーズ1”の完了、と呼んでいた。
無論、正規メンバーたちは全員、この”フェーズ1の完了”をとっくの昔に終えている。
「よし」
石神は、誰にともなく呟くと、スマホを取り出して操作した。
「せっかく衣裳を着ているわけだし、今日は特別に、本番の晴れ舞台を体験させてやろう」
スマホでナノマシンを操作すると、指揮者がやって来た。
石神の操作で、指揮者はホイッスルを口に咥えた。たちまち、ディ○ドコントローラが起動し、指揮者の眼球はクルリと裏返り、ホイッスルに操作される状態になる。
ピィーーッ!
指揮者が右手をピンと挙げ、ホイッスルを吹くと、”サマープログラム生”たちの眼球が、グルリと一周回った。
それまで微動だにしていなかった“サマープログラム生”たちは、一斉に動きだした。
「みなさ〜ん!こんにち、ハァ〜♪」
真ん中に立つ、”SPの4番”、蘭が、誰もいない壁に向かって、ピンクのポンポンを振って滑稽なイントネーションで挨拶をする。
「こんにち、ハァ〜♪」
それに合わせ、愛華たち他の”サマープログラム生”も挨拶をする。
「本日、ハッ!わたくした、チッ!館花大学、マーチングバンド部、ノッ、パフォーマンス、ニッ、ヨウコソッ」
“サマープログラム生”たちは蘭の元に集まると、ポンポンを合わせて、大きな”☆”のマークを作った。
「イラッシャイマッ☆」
言うと、サッと元の隊形に戻るのだった。
「まず、ハッ!わたくしたち、ノッ、パレードッ!お楽しみ、いただ、ケッ!ましたでしょう、カッ!?」
“SPの1番”が言うと、”サマープログラム生”たちは、ポンポンを耳に当て、耳を澄ますポーズをする。
ここで、拍手が起こる想定だ。今どき流行らない、観客にレスポンスを要求するという、うっとおしいMCを、石神は人形たちに敢えてやらせていた。
わざとらしく、うんうん、と頷いてみせると、5体の人形たちはまた待機姿勢に戻る。
「アリガトウ、ゴザイマッ♪」
“SPの2番”が続ける。
「サァッ!今から、ワッ!ステージッ!パフォーマンス、デッ♪」
それを引き継ぎ、”SPの3番”が話し始める。
「ご覧のよう、ニッ!わたくしたち、モッ!ステージパフォーマンス用、ノッ!衣裳、ニッ!変・身・デッ☆」
“SPの3番”が言うと、人形たちはまた一斉にポーズを取った。
両手両足を広げる者、スカートをつまんでお辞儀する者、お尻を向けて、プリッと振る者。
愛華は、胸を突き出し、ポンポンを持った手で、乳房をボインボインと弾ませた。
レオタードを着るとわかる、彼女の”隠れ巨乳”を逆手に取ってやらせたポーズだった。
「ハハハ、さすがに、これはやりすぎか」
スマホを操作してポーズをやめさせると、石神は笑った。
ふざけているのも半分だったが、これはテストでもあった。それぞれが、ナノマシンに操られるまま、恥ずかしいポーズを堂々と取るところを見ると、”サマープログラム生”たちは”フェーズ1の完了”を終えたと見てもよさそうだ。
このMCは、本来は正規メンバーの”ダンス隊”が、ステージパフォーマンスの前は必ず行うものだった。
だが、台本はすでに決まっているため、”フェーズ1の完了”を終えた人形なら、練習などなくすぐにやらせることができた。
こんな風に、割り当てられた台詞を、噛むこともなく喋り、最後に蘭が、
「それで、ワッ!パフォーマンス、ノッ!準備、ガッ!整いますま、デッ!もう少々、オマチクダサッ♪」
客席を想定した壁に向かって、全員で一礼すると、人形たちは左右に”ハケ”ていった。
そして、一人の台詞が全く無かった愛華が中央に歩み出た。
石神は楽しそうに、スマホを操作する。
「さて、お前の花形だぞ。しっかりやってくれよ」
愛華は、壁スレスレで立ち止まると、笑顔のまま、一定のスピードで顔を左右に振り始めた。
まるで、扇風機の首振り機能のようだ。
そのまま、愛華は口を開いた。
「ただいま、パフォーマンスの、準備中です。どうぞ、お席にお掛けになって、お待ち下さい」
愛華は、先ほどまでの話し方とは打って変わって、まさしく機械の自動音声のような整った声で、首を一定のスピードで左右に動かしながら言う。
「パフォーマンスは、まもなく、始まります。どうか、お席をお立ちにならないよう、お願い申し上げます」
石神は、スマホを、ピッと操作した。
愛華の眼球が、グルリと一周回る。
「Attention. We are preparing for the performance. Please wait for a minutes. The performance will be started right now.Please keep sitting your seat.」
愛華は、今度は流暢な英語で話し始めた。
次に石神がスマホを操作し、愛華の眼球がグルリと回ると、
「注意。我们准备的演技。请等待坐在椅子」
愛華は今度は中国語で話し始めた。
これも、ネイティブ顔負けのレベルである。
無論、愛華は中国語はもちろん、英語もそこまでペラペラではない。
だが、ナノマシンの支配は、そんなもの関係しない。
愛華の体はしょせんは入れ物にすぎず、本体はその脳を操るナノマシンだ。
今の時代、スマホを操作すれば、いつでもネイティブな外国語の発音を再生することが出来るのが当たり前だ。
それが、愛華という器を動かして再生された。それだけの話である。
愛華は今は韓国語で同じように呼び掛け、次にアラビア語、と続いた。
「よしよし、OKだ。まぁ、本番ではお前たち MCを担当することはないだろうから、今日、体験できたのは貴重なことだ。衣裳の合わせも終わったことだし、制服に着替えて、練習に戻れ」
「ハァ〜♪かしこまりまし、タッ!」
“サマープログラム生”たちは、衣裳のまま、一斉に練習場を出ていった。
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家に帰り、メイクを落とし、シャワーを浴び、パジャマに着替えると、愛華はいそいそと明日の準備をした。
もう、こんな生活が何日も続いている。
早朝から、レオタードとタイツを着て出かけ、一日中マーチングの練習をし、深夜遅くに帰宅。すぐに準備をすると、また明日の練習に備えて睡眠を取る。
愛華は、すっかりマーチングに生活を乗っ取られてしまっていた。
スマホが鳴った。画面には、”みのり”と表示されている。
愛華は電話に出た。
「もしもし?みのり?」
『愛華?ごめん、夜中に』
「ううん。平気、どうしたの?」
みのりは、少し間を置いた。
『・・・ホントに愛華?』
みのりの問いかけに、愛華は笑う。
「決まってるじゃん。どうしたのよ」
『いや、なんか昨日と・・・』
「昨日?」
『いや、まぁいいわ、あのさ、今、愛華のアパートの前にいるんだけど、家行っていいかな?どうしても話したいことがあって。あっ、迷惑なら帰るよ?』
「えっ、来てるの?全然、入って!うれしい、久しぶりに会えるね」
『ホント、久しぶり。こんな夜中だけど、大丈夫?』
「うん。もちろん。カギ、開けとくね」
『じゃあ、あとで』
通話が切れ、しばらくスマホを触っていると、すぐにインターホンが鳴った。
画面に、エントランスに佇むみのりの姿が映し出された。
ちょうどそのとき、テーブルに置かれた愛華のスマホが、先ほど送信したメッセージの返信を受信した。
----みのりから電話がありました。家に来ます----
-------わかった。あとは私が判断する。人形になれ---------
愛華は、パジャマを履いた両足を、キュッと揃え、背筋を伸ばし、顔を上に上げた。
口角がニイッと弧を描き、愛華の眼球は、ゆっくりと裏返っていく。
愛華は、完全なる待機姿勢のまま、入室を許可するボタンを押す。
「いま、あける、ネッ♪」
エントランスの扉が開き、なにも知らないみのりが、吸い込まれるように静かなアパートに脚を踏み入れるのを、画面越しに見て、愛華は貼り付けたような笑顔で、そこに立ち尽くしていた。