section6
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「テ〜ン、ハッ↑」
「パレェッ、レッ↑」
「テ〜ン、ハッ↑」
「レディッ、セッ↑」
「ワッ、ツッ、スリッ、フォ〜↑」
耳をつんざくような、甲高い声が、自分のものだと気付いたとき、愛華は両腕を胸に添え、足を高々と上げて足踏みをしていた。
「よし、ストップ」
目の前から、男性の声とともに、パンパンと、手を無造作に叩く音がすると、愛華は足踏みをやめ、両足をピタリと揃え、両手を腰に添えた。
背骨がポキリと折れるのではないかというほどに背筋をピンと伸ばし、顔は天井が見えるほど上を向く。
耳まで届くのではないかというくらいに持ち上げられた口角は、何時間そうしていたのか、筋肉が痙攣してピクピクとしているが、それでも愛華は、貼り付けたような笑顔をやめることはない。
そして、そうした愛華の行動の全てが、愛華の意思の全く外で、ひとりでに行われていることを自覚したとき、愛華は自らの置かれている状況の異常性を思い出した。
(こ、ここは、どこ?アタシ、いったい・・・)
ひとたび自我を取り戻せば、自分が下着姿であること。しかも、度重なる激しい動きで、パンティはすっかりお尻に食い込み、ブラジャーはずり落ち、乳房が露になっていること。それでも、愛華は自分の意思では、指一本動かせないこと。様々な感覚が、実感として愛華の元に戻ってきた。
そして、記憶も。
(そうだ!アタシ、蘭を追いかけてマーチングバンド部に、そこで・・・)
記憶をたどりながら、完全に意識を取り戻した愛華の目の焦点が、徐々に揃っていく。
(蘭は、蘭はどこっ!?)
体の自由が効かないまま、愛華はせめて眼球だけでも動かし、親友の姿を探そうとする。
そして、目の前のスーツの男に、焦点が合うと、愛華はハッとした。
(あ、そうだ!アタシ、アタシ・・・っ!)
愛華は全てを思い出した。
その途端、激しい感情が、愛華の胸に込み上げてくる。
そしてそれは、ダイレクトに愛華の脳へと溢れ出した。
(マーチングの練習をしなくちゃぁっ!)
愛華はガクンと、ゼンマイ仕掛けの人形のように、上半身を直角に曲げてお辞儀した。
「顧問!ネガイシマー↑↑」
叫ぶようにそう言って、再びガクンと直立姿勢に戻った愛華の目は、再び焦点を失い、意思の無い、ガラス玉のようになっていた。
心なしか、その貼り付けたような笑みも、先ほどよりも大きく、より作り物のようになっているようだった。
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人間と、機械の差とはなんだろう。
よく、絵画や舞台を中心とする”芸術”は、決して機械は人間に勝てないと言われている。
反面、進歩しすぎた機械、及びコンピュータ技術は、いずれ、あるいは既に、人間を凌駕し、人間を駆逐するとも言われている。
人間が”芸術”を表現できるのも、機械が人間の駆逐を始めるとされる根拠も、根本はひとつ。”心の有無”だとされる。
心の表現を根源とする芸術は、心を持たない機械には到達しえない境地で、また、心のない機械は、自分たちが人間の能力を遥かに上回ったとき、下級である人間を淘汰すると。
だが、その人間の”不完全さ”は、無限の可能性を示し、機械の追随を許さないという意見もある。
だが、この理屈はそもそも正論なのだろうかと、石神は、目の前で直立する少女を見て思う。
下着姿で直立不動の姿勢のまま、数分間立ち尽くす少女は、まるで仮面のような笑みを讃えたまま、石神の前で微動だにしない。
突然、少女は弾けるように腰に添えた右手を動かし、敬礼する。
「サン!プン!デッ!」
甲高い声で訳のわからないことを叫んだタイミングで、石神は持っていたストップウォッチを止める。
3分0秒46。石神自身の反射神経の限界を抜きにしても、ほぼ3分きっかりだ。
約3分前に、「3分経ったら教えろ」という指示を与えてから、彼女は時計はもちろん、時間を計る、いかなる術も用いず、ほぼ正確に3分を計ってみせた。
正確な時間の計測。これは間違いなく、人間には出来ない芸当であり、そして、機械が既に、人間を凌駕したとされる分野のひとつだろう。
だとすれば、目の前に立つ"愛華"は、人間か、機械か?
石神は、にやりとほくそ笑む。
「お前は、旨いカップ麺を作るのに向いているな」
石神の、褒め言葉とも、皮肉とも取れる言葉を受け、少女は即座に、笑顔をさらに大きくした。
「ハアッ↑アリガトウゴザイ、マッ!」
少女は、敬礼していた手を腰に戻すと、またガクンと直角にお辞儀した。
皮肉だろうが、褒めだろうが、罵倒だろうが関係ない。今の彼女には、自分に対する石神の言葉は、全て感謝に値する。
石神が今しがた、そういう風に教育したのだから。
そう。”教育”だ。これこそが、人間と機械の大きな差だと言われている。
コンピュータで行動、その指示、それを起こす発動を書き込めば、即座に実行できる機械と、年月をかけ、なんどもトライアンドエラーを繰り返してなお不十分なほど、学びに時間がかかる人間。この差によって、人間には一生かかっても出来ないこと(例えば正確に3分計るなど)が、機械には一瞬で可能になるところまで、技術は進歩した。
と、言われている。
ところが、この目の前の少女は、この数十分の教育によって、すっかりと石神の思うままに動くようになった。
マンツーマン教育のため、自分で指示を出し、自分で従う。という、特殊な練習にはなったが、これはこれで、より「マーチングバンド部のメンバー」としての教育には一役買っていたと、石神は感じた。
足をピタリと揃え、ダンス隊である彼女の場合は手を腰に添え、背筋をピンと伸ばした”直立不動”。
両手を股間でクロスし、目線を落とし、抵抗の意思が無いことと、服従の意思を示す”待機姿勢”
直立不動のまま、これもダンス隊である彼女の場合は、両腕を胸の前でクロスし、あるいは両腕をピンと横に伸ばし、ポンポンを持って踊っている姿を想定した”演技準備”。
などのマーチングの基本姿勢から、基本的な動きはもちろん、舘花大学マーチングバンド部の特徴的な振る舞いに至るまで、一度教えるだけで、彼女は完全に身につけた。
また、彼女をマーチングバンド部のメンバーとして完全に支配するために仕込んだ発動も、概ね上手くいった。
練習の最中、彼女は何度も意識を取り戻し、状況を理解し、そして困惑した。
おそらく、生来、意思の強い少女なのだろう。それは、自我を取り戻したときにしっかりと目に宿す、強い光を見ても分かった。
最初は、諸悪の根源である石神に対して、目だけで威圧しようとしてきた。
だが、その試みもむなしく、彼女には、マーチングバンド部のメンバー全員が支配されている発動条件である、”顧問である石神の目を見る”というのが、既に浸透していた。
そのため、意識を取り戻した直後には、またマーチングバンド部のメンバーとして支配され、嬉々として練習に取り組む。というのを、彼女はこの数十分で何度も繰り返していた。
そうするうち、彼女が自我を取り戻すまでの時間の間隔は徐々に長くなり、逆に、意識が戻った彼女がまだ支配されるまでの間隔はかなり短くなっていた。
この調子でいけば、マーチング練習場で延々とパレードしている先輩たちの仲間入りが出来るのも、時間の問題だろう。
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石神は、最後の仕上げに取りかかることにした。
「下着を脱いで裸になれ」
石神の指示に、少女はピクンと反応する。
練習の合間、石神は何度もこの指示を与えた。少女は、最初は従って、笑顔のまま下着に手をかけるのだが、本能的な抵抗からか、脱ぐ前にフリーズしてしまうのだ。
もちろん、彼女らくらいの年頃の女性にとって、男性の前で裸になるなんて、余程の勇気がいることだろう。しかし、支配者の命令とあれば、それさえも簡単にやってのけてしまうほど、支配に服従するようになれば、彼女たちは人間の欠点であり魅力である”不完全”を克服し、機械を再び凌駕するようになるのだ。
これは、いわば彼女たちが人間という存在を超越するための”最終試験”だ。
現に、彼女の親友である、名前はとっくに失念したが、今は”SPの4番”として、下着姿でパレードしている少女は、割と素直で従いやすい性格らしく、サマープログラム生の中では一番早く裸になってみせた。
「ハアッ↑かしこまりまし、タッ」
少女は笑顔のまま、パンティに手をかける。
そこで、少女の腕はピタっと止まる。
やはりまだ抵抗するか。石神がそう思ったそのとき、
少女は屈んだまま、石神の方を見上げ、ニイッと口角を上げると、一気にサッとパンティをおろした。
おおっ、石神が思わず声を上げると、少女は性器を堂々と露にしたまま、再び直立すると、ブラジャーの方は何の抵抗もなくすぐに外し、白い一対の乳房が顔を出した。
「素晴らしい。それでこそ、我が部のメンバーだ」
石神が言うと、褒められた嬉しさか、それとも、抵抗していた最後の命令に服従してしまったことでタガが外れたか、もはや形にならないほどクシャクシャの笑みで、少女は直立不動の姿勢を取った。
「ハァァッ↑↑アリガトウ、ゴザイマァァッ!!」
腹の底から響きわたる、少女の返事に耳を塞ぎながら、石神は少女に、今一度、マーチングの基本を練習するよう命令した。
本来なら、このまま放置していれば、あとは勝手に仕上がってくれるのだが、目の前の少女の滑稽さに目を奪われた石神は、そのまま全裸でマーチングの練習をする少女を見守っていた。
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重い体を引きずるようにして、ようやくアパートの自室に戻った愛華は、誰もいない家に「ただいま」を言う気力もなく、玄関先でへたり込んでしまった。
(うう、体、おも・・・アタシ、いったい今日、なにしてたんだっけ・・・?)
重い体と思考を必死に動かし、愛華は洗面所に行きながら、記憶をたどった。
蘭と一緒に大学に行ったと思うのだが、その理由が思い出せない。
ふと気が付くと、とっぷりと日が暮れた大学の正門を出ていくところだった。
蘭にも、あれから連絡がつかない。
なんど電話しても、留守電なのだ。
普段はそんなことないのに。
(やっぱり、なんか、変、だよね・・・)
そう思いながら、洗面所の鏡を覗き込むと、愛華はギョッとした。
(え!アタシ、今日、こんなヤバいメイクと髪型してたっけ・・・?)
鏡に写る愛華の顔面は、京都の舞妓さんを思わせるほど真っ白で、その上に赤い口紅を引き、真っ黒なマスカラに、真っ黒なライナーで目を大きく縁取り、これまた黒いブローで、しっかりと太い眉が、真っ白な肌の上に映えていた。
その上に貼り付くようにピッタリと撫で付けられたお団子髪は、キツいくらいに強く結わえられ、引っ張られた髪が艶やかに光るほどだった。
その違和感たっぷりな自分の顔を見つめるうち、愛華の両面から光が失われる。
(そうだ、あたし、じぶんで、めいくと、かみがた、やったじゃん・・・)
頭の中で、うわ言のように言うと、愛華の脳裏に、また別の声がこだましてくる。
(それでいい。それがお前たちの化粧顔だ。お前たちは、美しさよりも面白さを追究するんだ)
愛華は無意識に、鏡に向かって、ニイと、だらしなく 微笑んだ。
「あたしたち、ふぇいす、おもしろさ、ついきゅう・・・」
そう呟きながら、愛華は服を脱ぎ、下着になった。
下着を脱ぎ、シャワーを浴びて、濃いメイクを落としている途中で、愛華はやっと我にかえった。
「いたっ」
ヒリヒリとした痛みを感じ、愛華は体を見下ろすと、またもやギョッとした。
愛華の腰、太もも、胸、いたるところに、赤いアザが出来ていた。
しかもそのアザは・・・。
(て、手形・・・?)
愛華の体には、赤い手形がビッシリと付いていた。
完全にホラーな自分の状態に、愛華が戦慄していると、
(その手形は、お前の努力の結晶だ)
愛華の脳裏にまた声が響くと同時に、愛華の目は焦点を失い、愛華の心からは一切の恐怖心は消えていた。
(先輩たちも、たくさんの手形を体に作って、最高の演技を作り上げてきた。お前も、たくさん手形を作って、どんどん上達しなさい)
(どりょく、けっしょう)
愛華はまた、頭の中でぼんやりと言葉を復唱する。
(てがた、たくさん、からだ、つくる!)
スパァン!
風呂場に乾いた音が鳴り響くと、愛華は直立し、お尻の肉を平手で打ち付けていた。
お尻には、愛華の体にあるのと全く同じ、新しい手形が出来ていた。
そんなことを繰り返しながら、ようやく髪も乾かし終え、愛華が寝る支度を始める頃には、午前3時を回っていた。
突然、愛華のスマホが鳴った。
画面に「蘭」と表示されているのを見るなり、愛華は飛び上がるようにスマホを持ち、電話に出た。
「もしもし!蘭!?今日、どうなったの?あれから、アタシもなんだか変な・・・」
「”SPの5番”!ハヨウゴザイマッ!」
まくしたてるように言っていた愛華だが、電話の向こうから、蘭のすっとんきょうな声で、”SPの5番”という発動条件が言われたとたん、愛華は水を打ったように沈黙した。
その目は完全に光を失い、今まで蘭に言葉を伝えていた口は、そのまま、あんぐりと開けられたまま固まっている。
「練習、ノッ!連絡事項、デッ!全体練習、ノッ!マエノッ!5時か、ラッ!サマープログラム生、だけデッ!練習、ヲッ!ハジメ、マッ!」
独特な言い方で、蘭はどんどん連絡事項を伝えていく。
「制服!髪型!化粧顔ノッ!三点、ヲッ!完璧にし、テッ!最下級生、ハッ!1時間前、ニッ!練習、ノッ!準備、ヲッ!整え、テッ、待機ッ!理解した、ラッ!0.5秒、デッ、返事ッ!」
「ハァッ↑かしこまりまし、タァッ!」
愛華が間髪入れずに返事をした時には、電話は一方的に切れていた。
蘭の言っていた最下級生とは、もちろん愛華のことだ。
練習開始の一時間前、つまり、午前4時には、練習の準備を整えなければならない。
大学の近くでの一人暮らしとはいえ、愛華の家から大学までは、徒歩で数十分かかる。
バイトでも、明らかに理不尽な指示があれば遠慮なく抗議する質の愛華だが、今回は無言で立ち上がった。
虚ろな目に、一切の感情の無い無表情のまま、ゼンマイ仕掛けのようにキビキビと、パジャマと下着を脱ぎ捨て、裸になった。
今日作られたばかりの、マーチングバンド部員、”SPの5番”の人格に、完全に支配されているのだ。
“SPの5番”は、マーチングバンド部の最下級生。全ての命令に忠実に従わなければならない。
愛華は、バッグから化粧ポーチを取り出すと、その中に入っている、お気に入りのブランドのコスメを、次々と取り出しては床に投げ捨てた。
ファンデーション、アイシャドウ、ラメ。高級なコスメ用品たちが床に転がり、場合によってはケースが砕けたり中身が飛び散ったりするのも構わず、そのポーチの奥に隠されるように入っていた、そんなコスメとは似ても似つかない、
およそ”化粧品”とは呼べない、いくつかのチューブとハケと筆を取り出すと、また、床に散乱した愛用の化粧品たちを次々と踏みつけながら、愛華は洗面所へ向かった。
綺麗に洗って乾かし、クシでとかしたばかりの髪を、またきつく結わえてお団子にすると、愛華は大きな、幅の広いハケに、白いチューブの中身を溶かし、それをためらいなく塗りたくっていった。
マーチングは体力勝負。特に、夏場の演技は大量に汗をかくため、普通のメイクなどすぐに落ちてしまい、不様な見た目になる。その点、このような”油絵の具”のようなもので顔を厚く、濃く塗れば、ちょっとやそっとでは落ちないのだ。
(顧問、すごい、ぜんぶ、そのとおり!)
(わたし、ばか、なにも、できない、だから、したがう、したがう、したがう)
植え付けられた暗示を無意識に繰り返しながら、愛華の顔は見る見るうちに真っ白に塗りつぶされていく。
次は、細い筆の先に黒い塗料を溶かすと、愛華はそれでまつ毛を上塗りし、目の周りを縁取り、眉を上からなぞった。
次に、赤い塗料を溶かした筆で、唇を塗っていく。
いかにも人工的な、真っ赤で分厚い唇が、真っ白な顔の上に乗っかっている様は、さながら福笑いのようだった。
仕上げとばかりに、さらに福笑いよろしく、ピンクの塗料で頬を色付けてやれば、なんともヘンテコなメイクが完成した。
真っ白顔に裸という出で立ちのまま、愛華はバッグから、ベージュのタイツとレオタードを取り出し、裸の上から身につけ始めた。
光沢のあるベージュのタイツに、蛍光色の水色の長袖レオタードの胸元には、大きなゼッケンに、まるで小学生が書いたような字で、大きく”SP-5”と書かれていた。
催眠状態の愛華が、操られるままに書いたものなので、字の汚さは仕方がない。
レオタード姿で、愛華はキョロキョロと周りを見渡すと、先日、蘭たちと買い物に行った時に買った、これまた有名ブランドの新作の、白いワンピースが目に入った。
愛華はその包装を、ビリビリと乱暴に破ると、ボタンもファスナーも外さずに、無理矢理レオタードの上からはいた。
ボタンがブチブチと飛び散りながら、愛華の体はワンピースに収まった。
悠長に着替えをしている時間はない。制服の上から、脱ぎ捨てやすいワンピースを着て大学に行くことしか、今の愛華の頭には無かった。
もちろん、そのワンピースがどこのブランドか、など、マーチングバンド部にその身を捧げる愛華にはどうでも良いことなのだ。
愛華は小さなハンドバッグに、もらったばかりの、マーチング用の黒いシューズだけを入れると、靴もはかず、戸締まりもせず、スタスタと家を出ていった。