section2
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蘭は、白いブラジャーに、セットのショーツという出で立ちで、顧問の男性の方を向いて、他のサマープログラム生たちと同じように、直立の姿勢を取っていた。
顧問の男性は、そんな蘭の、透明感のある素肌を、手の平で舐めるように触る。
「やはり、私の思った通り、お前は我がバンドの奏でるサウンドを表現するに相応しい”カラダ”だ」
男性は嬉しそうに言いながら、蘭の肩、腕、そしてブラジャーの上部から露になった、胸の谷間へと手を伸ばす。
だが、そのような状況にあっても、蘭は全く反応を示さず、男性のされるがままに触れられている。
そうして、男性の手は、やがて蘭のブラジャーそのものへと・・・
バン!
と、大きな音を立てて、愛華は勢いよくドアを開けた。
「ちょっと!何してるんですか!」
愛華の侵入にも、その剣幕にも、全く意に介せず、男性はスルリと蘭から離れた。
愛華は蘭の方に駆け寄る。
「蘭!なんで下着なの?すぐに服を着て」
愛華が蘭に呼び掛けるが、蘭は直立したまま、まるでマネキンのように動かない。
「ねぇ、蘭てば!アタシの声、聞こえないの?お願いだから、洋服着てよぉ」
それでも反応しない蘭に、困惑する愛華の姿を見届け、顧問の男性はほくそ笑んだ。
「なぜ、お前が下着姿でいるのか、彼女に説明してあげなさい」
男性が言うと、それまで愛華が何を言っても動かなかった蘭が、突然ピンと背筋を伸ばして反応した。
「ハァ〜↑↑」
蘭は、口を大きく開けて、甲高い声で返事をした。鼓膜が破れるのではないかと思うほどの声量だった。
「ワタクシ、ハッ!本日、制服を忘れたため、カラダのラインが、見えやすくなるよう、本日は、下着で練習させて頂き、マッ!」
すっとんきょうな声で宣言する蘭に、愛華はまた駆け寄る。
「練習って、そんな格好で?そんなのダメよ!それに、辞めるんじゃなかったの?」
愛華は蘭にそう訴えるが、蘭はまた無表情のまま、反応しない。
「残念だが、彼女にはもう、君の声は聞こえていまい」
愛華の呼び掛けを遮るように、顧問の男性が言うのが聞こえ、愛華は振り返った。
ニヤリと笑みを浮かべながら、それでも鋭い視線をこちらに向けている。
「厳密に言うと、私の言葉も、そして、自分が何を言っているのかも、彼女は理解できない。ただ、”コントロール”されるままに動いているだけだ」
淡々と、信じられないことを説明する男性に、愛華は憎々しげな視線を送る。
「蘭になにをしたんですか、彼女をどうするつもりっ!」
愛華が強い口調で言っても、男性は歯牙にもかけていない。
「どうって、ここが何の建物か、分からないわけではないだろう?これからマーチングの練習を始めるところだ」
男性がしれっと言うと、愛華はいよいよ腹が立ってきた。
「マーチングの練習なんか、こんな格好でさせられるわけないでしょ?」
愛華が言うと、逆に男性は”意味がわからない”とでも言うように眉をひそめた。
「なぜだね、我が部の規則に則った、適切な処置だぞ?”部則第20章”」
男性が言うと、蘭はピクン、と体を弾ませた。
「”部則、第、20章”ッ!」
蘭は口をパクパクさせ、甲高い声で言い始めた。
「部の練習に、ワッ!定められ、タッ!髪型!および、制服、デッ!臨むこと!」
奇妙なアクセントを加えた喋り方で、蘭は大きな声で続ける。
「これらを、忘れた者、ハッ!緊急措置とし、テッ!髪型!は、墨汁で染め、テッ!下着、デッ!練習に参加することとす、ルッ!」
一通り言い終えると、蘭はまた口をつぐんで沈黙した。
「そんな、ひどい・・・」
愛華は絶句した、何が起きたか分からないが、蘭は顧問の男性と、マーチングバンド部の部則とやらに従わせられているらしい。
「さて」
と、顧問の男性は切り替えるように言った。
「もちろん、我が部は君のことも歓迎しようと思う」
「・・・は?」
顧問の男性の言葉を、蘭はすぐには理解できなかった。
「実は、この建物にはいたるところにセンサーと小型カメラが仕込んであってね。反応すればすぐに姿を見れるようになっている。見るからに仰々しい、それとわかる防犯カメラがあっては、訪問客に失礼だろう。君のエントランスでの、部員とのやり取りは全て見させてもらったよ、そして」
男性は、愛華の頭から脚までを舐めるように見回した。
「君もまた、我がバンドの”音の表現者”として、中々良い素質を持っている」
気がつけば、男性の視線が、タンクトップを着た愛華の胸に注がれていることで、愛華は男性の言っている意味が理解できた。
思わず腕で胸を隠し、愛華は男性に、鋭い視線を向けた。
男性はお構いなしに続ける。
「ちょうど、サマープログラム生の基礎練習を始めるところだ。参加するといい。今回は、特別に認めよう」
愛華は目を剥く。
「わ、私が、マーチングの練習に?」
「歓迎する、と言っただろう?ほら、並びたまえ」
男性はそう言うと、ジャケットから細長い棒を取り出した。一見すると、指揮棒のようだが、なにかおぞましい雰囲気を、愛華は感じた。
だが、そんな愛華の印象など関係なく、男性が指揮棒を一振りすると、下着姿の蘭は、素早く動き出し、レオタード姿のサマープログラム生たちの横に並んだ。
男性は愛華の方に目を向けた。
「どうした?早くお友達の横に並ばないか」
どうやら、男性は本当に、愛華に練習に参加させるつもりらしい。
「じょ、冗談じゃないわ!」
愛華は首を振る。やはり、蘭の言った通り、この部活は普通ではないらしい。
「やっぱり、誰か人を呼んで・・・」
言いながら、ドアの方に歩きだそうとした愛華だが、その動きも声も、途中でピタリと止まってしまった。
見ると、男性が指揮棒を愛華の方に向けていた。指揮棒の先端が愛華に向けられた途端、愛華は言葉を発することも、体を動かすことも出来なくなった。
(な、なに、これ・・・)
「さぁ、早く整列しなさい」
男性が命令し、指揮棒を蘭の隣に向けた。
(何が起てるの?)
問答する愛華の頭の中に、別の思考が流れ込んできた。
(せいれつします!)
すると、愛華の体はクルリと向きを変え、蘭の隣へと歩き出した。
(えっ、えっ、体が勝手に動く!な、なんなのこれ!)
「止まれ」
男性が再び指揮棒を向け、命令した。
(とまります!)
また、愛華の頭の中に声が響いてきた。すると、愛華の体は、まるでスイッチを切ったかのようにピタリと止まった。
「私の号令に従うときは、返事してからだ。さあ、”整列しろ”」
(れすぽんす、します!)
(せいれつします!)
二つの声が頭に響くと、また愛華の体はひとりでに動いた。
「は、はい・・・」
弱々しく返事をすると、愛華は下着姿で直立する蘭の右隣に並んだ。
男性は首を振る。
「『はい』、は凡人がする、建前の返事だ。我が部では、演奏、演技に通ずる、立派な返事がある。そうだな。この一週間でどれだけ成長したか、先輩たちに見せてもらおうか」
そう言って男性は、指揮棒を蘭に向けた。
その瞬間、蘭は目と口を大きく開き、顔を天井の方に向けた。
「ハァ〜↑」
耳をつんざくような高い声で返事をしたあと、蘭はまた口を閉じて沈黙した。
男性は満足そうに頷く。
「一週間にしては上出来だ。こちらはどうかな?」
男性は、蘭の左隣の、レオタード姿の女学生に指揮棒を向けた。
同じように、女学生は目を口を開いた。
「ハァ〜↑↑」
蘭よりもさらに伸びやかな、高い声が響く。
男性は順にサマープログラム生たちに返事をさせて行った。
サマープログラム生たちの返事が耳に響くたび、愛華は胸に、なにか熱いものが込み上げてくるのを感じた。
「さあ、お手本は十分だろう、もう一度やってみろ」
男性はもう一度、指揮棒を愛華の方に向ける。
愛華の体がピクンと反応する。そして愛華は、間違いなく、自分の心が弾んでいるのを感じた。
「は、はぁ〜」
愛華は、蘭たちと同じように返事をする。
だが、男性は首を振る。なぜだか愛華は寂しくなったり
「それでは”パフォーマンス”になっていない。マーチングとは、ただ楽器を演奏して歩くだけではない。お前たち自身が楽器となり、メロディを奏でなければならんのだ。基本である返事は、その延長だ。もう一度」
男性は指揮棒を振る。
「ハァ〜」
愛華は先程より高い声で返事をする。
「もっと腹から声を出して!」
(はらから、こえ・・・)
男性は、愛華に返事を続けさせながら、命令を出し続ける。
「もっと目も大きく開く!目から声を出しているように!」
(めから、こえ)
「ハァ〜」
「もっと顔を上に向けて、空に声を響かせろ!」
(かお、うえ、そら、さうんど!)
「ハァ〜〜」
愛華は、いつの間にか、男性の命令に必死に従うようになっていた。
「頭をからっぽにしろ、命令に従うことに集中するんだ」
(あたま、からっぽ、こまんど、しゅうちゅう!)
「ハァ〜〜!」
「大きいだけ、高いだけではダメだ。私の命令に服従する気持ちを声にするんだ」
(こまんど、ふくじゅう、きもち、さうんど!)
「ハァ〜〜〜!」
(こまんど、ふくじゅう!)
「ハァ〜〜〜〜!」
(きもち、さうんど!)
「ハァ〜〜〜〜〜!」
男性が指揮棒を下ろすと、愛華はそれまで大きく開いていた口を一気に閉じ、同時に微動だにしなくなった。
見開いた目はまっすぐに天井に向けられ、蘭や他のサマープログラム生たちと同じように、脚をぴったりと揃え、直立している。
「これで、”入隊”は完了だ」
男性は頷く。
愛華はやはり微動だにしない。
「改めて、歓迎しよう。サマープログラムの、新しい隊員よ」
男性が言うと、愛華はまた目と口を開いていく。
(あ、いや・・・だれ、か・・・)
わずかに愛華の自我が叫びをあげるが、
「ハァ〜↑アリガトウゴザイマッ!!」
自らの甲高い返事が脳内に響くと、愛華の意識は押し流されて消滅した。