表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/9

section1

♭♭♭

「えっ、(らん)、部活入るの?」

愛華(あいか)は目を剥いて驚いた。


館花(タチバナ)大学に入学して、愛華たちは最初の夏期休暇を迎えようとしていた。


試験も終わり、愛華、蘭、みのりの親友三人は、カフェテラスに集まり、旅行だなんだの計画を立てている最中、蘭が「部活に入る」と言い出したのだ。


「うん、ほら、館花大学(ウチ)って、”サマープログラム”ってあるじゃない?」

蘭は遠慮がちに話し始めた。


“サマープログラム”とは、夏期休暇の間限定で、特定のサークルや部活の活動に参加するという、珍しい企画だった。


少なくとも愛華は、他の大学にそんな企画があることは聞いたことがなかった。


というのも、夏期休暇だけ部活に参加することの意義は、この館花大学が部活やサークル、ボランティア活動がとても(さか)んで、なおかつ各方面でその実績や貢献度が広く認められていることにあった。


部活やサークルやボランティアで優秀な成績、または意義ある活動に参加していた実績は、就職活動の際にとても有利になる。


そのため、就活で使える実績を残すために、この”サマープログラム”を利用する学生が多いのだ。


とはいえ、状況問わず誰でも参加できる、という都合のよい企画でもない。ちゃんと活動する部活に途中参加するわけだから、高校までの間で類似する部活の経験がある、もしくは途中参加しても最後までやりぬく情熱がある、などで、大学側からの容認がなければ、その部活やサークルには参加できないようになっていた。


「それで、蘭はどの部活に参加するの?」

みのりが聞いた。もっともだった。体育会系にはとても見えない、清楚なイメージの蘭が、そんなゴリゴリの部活の経験があるとは思えなかった。


すると蘭は、また遠慮がちに口を開いた。

「・・・マーチングバンド部」

「えええっ!?」

愛華とみのりは同時に声をあげた。


「蘭、マーチングやってたの?」

愛華が聞くと、蘭は、ぶんぶんと首を振った。


「中学、高校と吹奏楽部だったの。調べたら、楽器が吹ければ参加できるって」

「でも、マーチングバンド部ってすごい活動してるんでしょ?特に夏は色んなイベントや大会に出てるって聞いたよ」

みのりが言うと、愛華は、あっ、と息をのんだ。


「それじゃ、旅行いけないじゃん!」

愛華が言うと、蘭は申し訳なさそうに顔をしかめた。

「本当にごめん!でも、どうしても一度、マーチングがやってみたくって」


聞けば、高校時代、蘭はマーチングがやりたくて吹奏楽部に入ったそうなのだが、タイミング悪く、蘭が入学した代で、彼女の学校の吹奏楽部はコンクールに力を入れ始め、マーチングはやらなくなってしまったのだそうだ。


「短期留学や、インターンのことを考えると、マーチングに打ち込めるのは1回生のサマープログラムしかないの。だから、今回はお願いっ」

懇願するように手を合わせる蘭を見て、愛華は、ふぅ、と息を吐いた。


「そっかぁ、そこまでやりたいんなら、仕方ないね。みんなとの旅行は、冬まで我慢するよ」

と、愛華は苦笑いした。

蘭はしばらく、本当にごめんね、と謝っていたが、愛華とみのりは、全然そんなことは気にしなくていい、と言い聞かせた。


♭♭♭

夏期休暇が始まって一週間というある日の夜中、愛華のスマホが鳴った。


蘭からの着信だった。


普段、DMでメッセージのやり取りはよくやるものの、蘭と電話で話すことはほとんどなかった。そのせいか、一抹の胸騒ぎが、愛華の心をざわつかせた。


「もしもし?」

愛華は着信に応えた。

『もしもし?愛ちゃん?ごめんね、こんな夜中に』

蘭の声色は、若干沈んでいるようにも感じられた。


「ううん、全然大丈夫。どしたの?毎日、マーチング忙しい?」

夏期休暇に入る前に、愛華は蘭に、夏期休暇中のマーチングバンド部のスケジュールを見せてもらった。


そこには、ほぼ毎日、朝から夜までみっちりと練習が組まれていた。

特に、サマープログラムで参加する学生には、特別練習と称した別メニューも用意されており、ほとんど休む暇も無いようだった。


夏期休暇の最後に控えるイベントの本番に、サマープログラム生も出演するため、それなりのレベルまで急ピッチで仕上げる必要があるからだ。


「蘭、これ、大丈夫?」

愛華が心配して聞くと、蘭は少し不安げな顔で、

「うん。やるって、決めたから、と、言っていた」


『うん、実はね、そのマーチングバンド部のことなんだけど・・・』

蘭が弱々しく切り出した。愛華にはその先の言葉が読めるような気がした。


『ちょっと、やっぱり辞めようかと思ってて』

愛華の予想通りだった。やはり、一日中の練習には耐えきれなかったのだろう。


「そっかぁ、やっぱり大変なんだね。でもさ、蘭、マーチングやってみたかったんでしょ?まだ1週間くらいじゃ、ちゃんとはマーチングできてないんじゃない?」


『うん、まぁ・・・』

蘭は歯切れの悪い返事をする。

「だったら、もう少し頑張ってみたら?本格的にやりだしたら、楽しくなるかもしれないよ!」

愛華は蘭を励ましたくて言ったつもりだった。


しかし、

『ち、違うの!!』

受話器の向こうからは、蘭がめったに出さない、叫ぶような声が返ってきた。

「ら、蘭?」


『練習が辛いとかで辞めたいんじゃないの!その、上手くは言えないんだけど、このまま続けてたらダメな気がするの!』

蘭の声は切実だった。電話越しでも、彼女が泣いているのがわかる。


「わ、わかったよ、何があったか知らないけど、そういうことなら辞めていいと思う」

愛華はそう言うしかなかった。


少しして、蘭は落ち着きを取り戻して言った。

『ごめんね、取り乱したりして。それで、とっても勝手なお願いなんだけど、明日、一緒に大学に来てくれないかなぁ?』


「あ、アタシが?まぁ、別に何も予定ないからいいけど」

『ゴメンね、詳しくは明日、全部終わったら話すから。私がサマープログラムを辞退する話をしている間、待っててほしいの。それで、』

蘭が続けた言葉は、愛華には理解できないものだった。


『もしも私が戻ってこなかったら、誰か、人を呼んで来てほしい』


♭♭♭

その日のマーチングバンド部の練習は午前9時からだったが、蘭たち、サマープログラム生は8時から特別練習があるということだった。


そこで、蘭は顧問に、サマープログラムを辞退する話しを持ち出すつもりらしい。

カフェテリアで蘭を待ち、もしも、30分経って戻ってこなかったら、”様子がおかしい”と、他の先生に伝える。という約束を交わし、蘭は練習場所である、専用の練習室へと向かった。


「しっかし、8時から一日中練習なんて、噂には聞いてたけど、すごい部活ねえ。アタシにゃ無理だわ」

そう独り言を呟くと、愛華は久しぶりに早起きしたせいで、口から溢れだす欠伸(あくび)を押さえ込むためコーヒーでも飲もうと、まだ人影の見えないカフェテリアに入っていった。


♭♭♭

練習室に入ると、既に数人の女の子たちが到着していた。

蘭と同じく、このサマープログラムでマーチングバンド部に参加する女の子たちだ。


蘭と同じ1回生が多かったが、2回生、3回生の学生もいた。


皆、女子大生らしく、オシャレでかわいい洋服を着ているし、思い思いのメイクを施している。


だが、一つ異様なのは、その髪型だった。


これだけオシャレにしているにも関わらず、全員髪の色は真っ黒。そして前髪もビッシリとアップにし、ひっつめて後頭部で綺麗なお団子髪に結わえていた。


普通なら、就活生でもやらないような髪型に驚くところだが、逆に、普通の三つ編みで来た蘭を見て、女の子たちはギョッとした。


「髪型、言い付け通りに出来てないよ?」

一人の女の子が心配そうに指摘してきた。

蘭は、うん、と曖昧に頷き、

「実は、今から先生と話して、辞退しようかと思ってて」

と言った。


女の子たちは少し驚いた様子を見せたが、

「まぁ、そりゃあ、そうだよねぇ」

と苦笑した。


「あたしも、また楽器がやってみたくて入ったけど、実際入ってみたら、新入りは楽器は持てないって言うんだから」

一人の女の子が言うと、他の女の子も、うんうん、と頷いて見せた。


「それに、この髪型で指定なのも、ちょっとどうなの、って」

「百歩譲って、髪型はまだいいとしても、この、ねぇ・・・」

そう言って女の子たちは自分の体を気にするような素振りを見せた。

口々に言い合う女の子たちを見て、蘭はホッとした。


正直、昨日までの彼女たちの様子を見ていると、少し恐怖を覚えるほどだったからだ。


実は、蘭がこのサマープログラムを辞退しようと思ったきっかけは、彼女たち、そしてマーチングバンド部全体の様子にあった。


というのも・・・


ガチャン、とドアが開き、一人の男性が入ってきた。

やや壮年で、フサフサとした髪には少し白いところが目立つ。


メガネの奥には、なにか怪しい光を宿した、厳格な目が光っている。


その瞬間だった。


ダダダっ!と女の子たちは素早く動きだし、男性の前に一列に並んだ。

いけない、と思い、蘭も慌てて彼女たちの横に並ぶ。

「オハヨウゴザイマッ!オネガイシマッ!」

女の子たちは甲高い声で叫ぶように言うと、ぶんぶんと上半身を曲げて、何度もお辞儀した。


蘭も同じように動くが、元々控えめな彼女には、とても真似できず、ワンテンポ遅れて弱々しい挨拶になった。


男性は蘭を鋭い目で見ると、

「”髪型(ヘッド)”が出来てないぞ」

と静かに言った。


「”髪型(ヘッド)”と”制服(ユニフォーム)”を正しく着て、”直立姿勢(テンハット)”で待機。これが集合の基本のはずだが?」

男性は他の女の子たちもグルリと見回しながら言った。


女の子たちは、また一段と姿勢を正した。

「ハァ〜↑スミマセッ!不要な会話をしていまし、タァ↑」

女の子の一人が言うと、男性は(いぶか)しげに目を細めた。

「不要な会話?」

その目が、蘭の方に向けられ、蘭は、心臓が、きゅぅ、と締め付けられるような、嫌な感覚に(おちい)った。


まぁいい、と男性は続けた。

「すぐに制服(ユニフォーム)になりなさい」

男性が言うと、女の子たちは、また更に背筋を伸ばす。もはや、その顔は男性に向けられておらず、天井を仰いでいた。

「ハァ〜↑かしこまりまし、タァ↑」


さっきから、歌うような、不自然な喋り方で返事をすると、女の子たちは素早く着ている服を男性の目の前で脱ぎ始めた。


洋服を脱ぎ捨てたしたから現れたのは、さらに異様な光景だった。

女の子たちは、洋服の下に、お揃いの、長袖のレオタードを着ていた。


色は、蛍光色の水色で、見ているだけで目がチカチカした。


レオタードのVラインからは、光沢のある、ベージュのタイツに包まれたピカピカの脚が延びており、数十年前のエアロビクスの時代のような、お世辞にも先程までの彼女たちのように、オシャレとは言えない姿だった。


さらにその制服(ユニフォーム)のダサさを強調しているのは、胸元に縫い付けられた、大きなゼッケンだった。


本来、ゼッケンの名前が書かれている部分には、マジックで大きく、”サマープログラム”を表す”SP”という文字と、その横に、”1”や”2”などそれぞれ違った数字が書かれている。


これが、このマーチングバンドの制服(ユニフォーム)だった。


♭♭♭

“サマープログラム”の初日、蘭たちはこの男性から、このレオタードとタイツを渡され、着替えるように言われた。


身体によるパフォーマンスを見せるため、体のラインがよく見えるレオタード姿で練習するのが、このマーチングバンドの決まりということだった。


また、客席から見た統一感を重視するため、髪は黒く染め、前髪も完全にアップにしたお団子髪にするように言われた。


大学生にもなって、人生で着たこともないレオタード、しかもこんなダサいものを着るなんて、最初は信じられないでいた蘭たちであったが、顧問の男性の、えも知れぬ威圧感と、マーチングがやりたいという気持ちに負け、蘭たちはレオタードに着替えた。


そこから練習が始まると、最初は楽器を持たず、マーチングの基礎らしい、姿勢や歩き方の練習が延々と続いた。


サマープログラム生たちは、他の部員たちとの遅れを可能な限り取り戻すため、部活開始時間の一時間前から練習し、部員たちと合流してまた練習。全体練習を終えると、居残りをしてまた練習。といった日々が始まった。


そうするうち、変化はすぐに表れた。

蘭たちは、返事や喋り方などを、前述のような変わったもので行うように強要された。


なぜ、こんな不気味な発声をしなくてはいけないのか、そう思っていた蘭だったが、他の女の子たちは、次第に言い付け通り、練習中はすっとんきょうな発声をするようになっていった。


さらに、普段から練習を重ねている部員たちは、それとは比にならないくらい高い声、歌うような喋り方、そして背筋を伸ばしすぎて上を向いた顔など、色々な点でレベルが違っていたが、サマープログラム生たちも、すぐに遜色ないくらいの(たたず)まいになっていった。


そんな彼女たちの様子に恐怖を覚えた蘭は、「ここにいてはいけない」と、直感的に考え、マーチングバンド部を辞退する決意を決めたのだった。


♭♭♭

「それで?私からの号令(コマンド)を受けても動かない君は、どういうつもりなんだね?」

顧問の男性が、相変わらず刺すような眼差しを蘭に向けながら言った。

「まぁ、彼女らの言う”不要な会話”の首謀者が君だということは、この状況を見れば明らかなわけだが、そうだな?」

顧問の「そうだな?」は、蘭ではなく、他のサマープログラム生に対して向けられたものだった。その証拠に、


「ハァ〜↑その通り、デッ!」

と、ゼッケンに”SP1”と書かれた女の子が答えた。

男性の指示や質問に答えるのは、もっぱら彼女の役目だった。


その様子と、ゼッケンの番号から察するに、この数字は何らかの序列なのだろうと、蘭は思った。

ちなみに、蘭の数字は8人の中で最も低い”SP8”だった。


「自らがだらしない行動を取るのは一向に構わないが、他の”ちゃんとしてる者達”まで巻き込まないで貰いたい」

顧問の辛辣な言葉が、蘭の胸に刺さった。


それで、と、顧問は続ける。

「なぜ髪型(ヘッド)制服(ユニフォーム)を守っていののか、聞かせてもらおうか」

顧問に唐突に発音権を与えられ、蘭は一瞬戸惑ったが、


「あの、実は、サマープログラムを辞退させて頂きたいと考えています」

蘭が精一杯ハキハキとした声で言うと、顧問は、ほう、と眉を上げた。


「と、すると、君は規則も守らずこの場にいるばかりか、せっかく始めたプログラムを、たったの一週間程度で降りるという腑抜け具合をも、ここに宣言するつもりかね」

顧問のあまりにもひどい言い様に、蘭は泣きたくなる。だが、ここで引き下がるわけにはいかないのだ。


「ご迷惑をおかけしてすみません。ですが、考えた末の結果で・・・」

「君が思慮深いとは到底思えんが、その頭で考えた末の結果が、私をがっかりさせることだというわけか」

被せ気味にさらに酷いことを言う顧問に心が折れかける蘭は、ついに口をつぐんでしまう。


「では、少なくとも君よりはるかに思慮深いであろう私が、さらに慈悲深いことに、散々と身勝手な行動を取る君に、『もう少し続けてみてはどうか』と、説得させてもらおうか。どうだね」


心もプライドもズタズタに引き裂かれた蘭だったが、やはり決意を揺らがせるわけにはいかない。

涙ぐみながらも、蘭は必死に言葉をつなぐ。


「ぐっ、うっ、す、すみません。や、辞めさせて、ください・・・」

蘭がしゃくりあげながらも、やっと言うと、顧問は、ふぅ、と、深いため息をついた。


「そうかね。私は君にとってこのプログラムがプラスになると確信しているから、こう言っているのに、やはり君は理解力が足りないようだ」

呆れたように言う顧問の言葉が、蘭の傷ついた心に、さらに追い討ちをかける。


だが、このやり取りも、もうすぐ終わりだ。早くこの奇妙な部から離れたい。蘭の気持ちは、その一つに限られていた。


「しかし、君の”カラダ”だけは、私のイメージするものに最適だ」

顧問の次なる言葉は、蘭にとって意表を突くものだった。


「えっ」

「初日に説明したと思うが、君たちサマープログラム生には、このマーチングバンド部で踊りや動作による表現を担当してもらう。その方が、楽器の熟練度に関係なく、我がバンドに適応しやすいからだ。そして、君のその”カラダ”は、私がイメージする音楽の表現に、とても相応しいということだよ」


蘭は、顧問の説明の意図がわからなかった。

褒められている?私の”カラダ”が?


顧問が蘭に向ける表情は、心なしか好意的なものになったように思えた。だが、蘭はそれ以上に、なにか良からぬ雰囲気を感じていた。


はやく、ここを去らなければ。


本能的というか、場の空気でそのように感じた蘭は、会話のキリのいいところを待つこともなく立ち去ろうとした。


顧問は蘭の様子を察したのか、

「どうしても辞退する気かね」

と、どこか寂しげな声で言った。


蘭は、もう謝ることも説明することもする気になれなかった。とにかくここを出たい。その一身で、顧問の言葉に対して無言で頷くのみだった。


顧問はまた、ため息をつくと、

「そうか、それでは仕方がないね」

と静かに言った。


ようやく、解放してくれる気になったらしい。蘭は安堵し、練習室から立ち去ろうと、身を(ひるがえ)した。


「待ちたまえ」

背後から呼び止める声に、蘭が思わず振り返ると、驚くほど近くに、顧問の顔があった。


♭♭♭

大学のカフェの品揃えは思いのほか悪く、仕方なく注文した、慣れないアメリカンを飲み干して、愛華が時計を見上げると、約束の30分を過ぎていた。


蘭が出てくる様子はない。


スマホでメッセージを見るが、しばらく前に送った、『カフェで待ってるよ♪』というメッセージにも、既読さえ付いていなかった。


顧問とのやり取りが難航しているのだろうか。


サマープログラムを一週間で辞退する、というのが、どのようなものなのか分からないが、サマープログラムを受けるために、色々な部署が動いているのだ。確かに無責任な行動ではあるかもしれない。


だが、だからといって、やりたくないものを、一夏無理やりやらせるというのも、なんだか違う気がするし・・・。


---30分経って、私が戻ってこなかったら、人を呼んでほしい----


愛華には、蘭のこの言葉がなにか引っ掛かっていた。


人を呼ぶ、というのは、つまり、”助けを呼ぶ”ということだ。


たかだかサマープログラムを辞退するだけで、そんな大層なことになるだろうか。


もしかしたら蘭は、それ以上に恐ろしい事態になることを予期しているのかもしれない。


そう考えると、愛華は急に不安になってきた。

愛華は、とりあえず蘭のスマホに電話をかけてみた。


1分ほど鳴らすが、反応はない。


(どうしよう、本当に誰かに知らせる?でも、なんて?)

“友達がサマープログラムを辞退しようと話をしに行って、まだ戻ってこないんです”なんて言ったところで、誰が駆けつけてくれるだろうか。


愛華は少し考えた末、テーブルから立ち上がった。

「まずは、自分で様子を見に行こう」

愛華はマーチングバンド部の練習室がある建物に向かった。


マーチングバンド部は長年にわたる優秀な功績を認められ、大学内に、練習室と部員室、そして顧問室などが揃えられた、専用の建物が設けられていた。


エントランスには誰でも入ることができ、練習室もそこから見学することができたが、その奥の部員室、顧問室には、関係者以外は入ることが出来なかった。


そもそも、早朝に部外者が入ってきた時点で怪しまれるかもしれないと思い周りを見渡すが、特に防犯カメラのようなものも見当たらないし、ここまでは誰でも入ることが出来るというのは、少し無用心な気もした。


(多分、蘭たちがいるとしたら、この奥だよね)

ガラスのショーケースにズラリと賞状やトロフィーが飾られたエントランスから、部員室につながる廊下へは、カードキーがないと入ることができない。


愛華がエントランスをウロウロしていると、玄関のドアがガチャリと開く音がした。


振り返ると、ピンクのワンピースを着た女学生が、エントランスに入ってきた。おそらくマーチングバンド部の部員だ。


女学生はフワリとしたワンピースを揺らし、愛華の近くまでやって来た。近くで見ると、とても可愛らしい顔立ちをしているが、その顔に似合わない、青いアイシャドウや、真っ赤で艶のある口紅を引いた唇、そして、きつくお団子に結わえられた真っ黒な髪が、かなり違和感を感じさせた。


愛華がそんな印象を抱いているとは知らず、部員の女学生は愛華に近づくと、ワンピースのスカートから覗く、これまたその服装には似つかわしくない、光沢のある濃いベージュのタイツに包まれた脚をピタリと揃え、直立した。


そして、真っ赤な唇の両端をニィ、と持ち上げると、

「こんにち、ハァ〜↑」

と、まるでソプラノ歌手のような声で挨拶をした。


「え、あ、はぁ」

あっけに取られる愛華をよそに、女学生は奥の扉に向かうと、カバンからカードキーを取り出して、センサーにかざした。


ピピッ、と音がすると、ガラスの扉はガチャンと音を立てて開いた。


女学生が扉を通ると、ドアはまた、ガチャンと閉まった。


それを皮切りに、続々と部員の女学生たちがエントランスへ入ってきた。

どの女学生たちも、濃いめの化粧をし、真っ黒な髪をきつくお団子に結わえ、それぞれオシャレな洋服から、ベージュのタイツを覗かせていた。


なにより異様だったのは、誰もが愛華の横を通るときに、ピシャリと直立し、

「こんにち、ハァ〜↑」

と挨拶するのだった。


一通り、女学生たちが通り過ぎ、またエントランスに静寂が戻ると、愛華の胸には言い知れぬ不安が生まれていた。


部員たちのあの異様な雰囲気、そして、蘭の言葉。


「や、やっぱり、誰かを呼んで・・・」

そう思い、愛華が立ち去ろうとしたそのとき、


ガチャン、


と、音が鳴った。

「え・・・?」

愛華が振り返ると、やはり、カードキーをかざしていないのに、奥への扉が開かれていた。


愛華はしばらく考えると、意を決したように、そのドアを通り抜けた。


♭♭♭

ドアの奥の廊下はほとんど一本道で、迷ったりすることはなかった。


歩いている感じから察するに、この建物は広い正方形の練習場があり、その外周をぐるりと囲うようにして、それぞれの部屋につながっているらしかった。


途中、扉の窓から明かりが漏れる部屋の前を通りかかり、愛華は窓から中を覗いてみた。


視界は限られているが、たくさんのロッカーと、人影が見える。どうやら部員室のようだ。先程、愛華の前を通っていった部員たちは、ここで着替えているらしい。


部員たちは着ている服を脱ぎ捨てると、その下には、全員が水色の長袖のレオタードを着ていた。脚はツヤツヤとしたベージュのタイツに包まれており、みんなの服装にそぐわない違和感は、みんな、私服の下にこのレオタードとタイツを着ていたせいだった。


(え、なに?マーチングって、こんな格好で練習するものなの?)

愛華のマーチングのイメージといえば、軍服を模したような、格好いい衣装を着て行進するものだった。もちろん、普段の練習でもそれを着ているとは思えないが、それでも、蛍光色の水色レオタード姿の集団が、楽器を持ってパレードの練習をしているというのも、想像しがたい光景だった。


(もしかして、蘭も・・・?)

そんな想像を進めているうち、部員の一人がこちらを振り返ったので、慌てて愛華は身を隠し、先に進んだ。


(とにかく、蘭を見つけなきゃ)

蘭に送ったメッセージは、まだ既読にはなっていない。蘭は、スマホを使える状況であれば、なるべくすぐに連絡してくる子だ。既読さえもつかないということは、未だ、このマーチングバンド部の練習場で、”スマホが使えない状況”にあるということだ。


それが意味するところは、単に先生との話し合いが長引いているか、あるいは・・・。


いやな想像をかき消し、愛華は先へ進む。


しばらく行くと、”練習室”と書かれた部屋が並んでいるエリアに出た。メインの練習場とは別に、個別で練習などを行う部屋だろう。


そのうちの一室に、やはり扉の窓から光が漏れているのを見つけた愛華は、先程と同じように、窓から中を覗きこんだ。


中には、想像通り、数人の女学生がいた。


やはり、みな水色のレオタードに、ベージュのタイツ、そして、黒い髪をお団子に結わえていた。


その誰もが、無表情のまま、口を真一文字に結んで、まるで針金のように直立している。


その前には、白髪の目立つ短髪の、よれよれのスーツ姿ね壮年男性がいた。多分、マーチングバンド部の顧問だろうと、愛華は思った。


その男性が、なにやら嬉しそうに見つめる先に立っている人物を見て、愛華は驚愕した。


それは、洋服を脱ぎ捨て、下着姿になった蘭だった


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ