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銀色の北十字 壱  作者: たき
8/10

(8)

 いつの間にか眠っていたらしい。痛みに耐える息切れ交じりの声にはっと顔を上げた天鵝は、汗まみれの摩羯を見て慌てて痛みどめを飲ませた。

 夜が明けても、薬が切れれば摩羯の苦しみは再発するのだ。天鵝は泣きそうになりながら、摩羯の上衣を脱がせて、汗をふいてやった。

 そこへ畢子が入室してきた。夜中に摩羯の汗をふいた大量の布が寝台のそばに山積みされているのを見て、沈鬱な表情を浮かべながら、畢子は円卓に天鵝の朝食を置いた。

「姫様、どうぞ召し上がってください。お疲れでしょう」

「……この状態はいつまで続くんだろうな」

「意識は今日あたり戻るかもしれまんが、体内に回った毒が消えるまで痛みはおさまらないそうで、短くても三日はかかると爺様は言っていました」

「そんなにか」

 驚く天鵝に、畢子はうなずいた。

「痛みが長いうえにかなり体力を削られますから、耐えられずに命を落とす者もいますが、団長はお強いので、きっと大丈夫です」

 塗り薬をつけますね、と言って、畢子が摩羯の包帯を取っていく。まだ患部の周辺に黒い斑点がまがまがしく散っていたが、薬がきいているのか、昨日から広がってはいないようだ。

「先ほど宰相から御使者が見えまして、団長の容態が落ち着くまで視察は延期してよいとの伝言を承りました」

「叔父上は私がここにいるのをご存じなのか」

「昨夜、天蝎様が陛下と宰相に報告に行かれましたので」

 天鵝はうつむいた。本当であれば、摩羯の看病よりも視察を優先しなければならないはずだ。

 猟戸は自分の気持ちに気づいていて休みを与えてくれたのか。そんなに自分はわかりやすいほど摩羯を追っていたのだろうか。

「私は人に甘えすぎだな。摩羯がけがをしたのは私のせいなのに」

 摩羯のそばにいることを許してくれた猟戸に感謝してしまうあたり、自分はまだまだ未熟だ。

「あの矢は団長を狙ったんだと思います」

 摩羯の傷口にたっぷりと薬を塗っていた畢子が、眉間にしわを寄せながら告げた。

「なぜ摩羯が狙われるんだ」

「姫様は、手配中の男がいることをご存じですか?」

「摩羯とよく似た男か? 私も一度会ったことがある」

 あの男には近づくなと摩羯に忠告されたと話すと、人のよさそうな畢子の顔が不快な色に染まった。

「あの男は、団長に嫌がらせをしたくて騒ぎを起こしているんです。団長の評判を落とそうとして……あの矢も、きっとあの男の仕業です」

 確証がないのに断言することは、衛士としてはほめられる言動ではない。すでに青冠薬師の資格をもつほどに賢い畢子ならわかりそうなものだが、その畢子が暴言を吐くとは。

「いったい何者なんだ?」

「団長の弟です。人馬は後妻の子だそうですが、あの男は団長と母親が同じだとか」

 天鵝は目をみはった。

 星座ケフェウスで出会った顔が脳裏で摩羯と重なる。

(摩羯の……弟……!?)

「しかし人馬は、彼は兄弟ではないと……自分の兄は摩羯一人だと」

「認めたくないんだと思います。私も人馬なら同じことを言います。家族を殺し、団長の左目を奪って逃げた男を、許すことはできません」

 動揺する心にさらなる衝撃を受け、天鵝は言葉を失った。

「……それは、いつのことだ?」

 摩羯が牛宿だったとして、自分が出会ったときの摩羯の両眼は緑色だった。

「八年ほど前だと聞いています。あの男は盗賊たちと一緒に屋敷に押し入り、団長たちのご両親と弟と妹を殺害し、金目のものを持ち去ったそうです。人馬は団長に守られて助かりましたが、その際にあの男が団長の左目をえぐり取って行ったのだと……本当は団長が大事にされていたものを手に入れたかったようですが、それが叶わなかった腹いせに」

 摩羯が大事にしていたもの――。

「なぜ、あの男はそんなことを……」

「私も人馬から話を聞いたんですが、あの男は幼い頃は病弱で、よく寝込んでいたそうです。思うように動けないせいか、ご両親ですら手を焼くほどの癇癪もちだったのが、団長がそばにいるときだけは機嫌がよかったので、自然と団長があの男の世話をするようになったみたいです」

 やがて赤冠薬師だった祖父の手でよく効く薬が作られ、彼も元気になった。しかし活動できるようになっても、摩羯が人馬たち下の兄弟をかわいがったり、自分を置いて出かけたりするとひどく腹を立てていたらしい。

「何かをもらっても、兄弟みんなで分け合うのを嫌がったそうです。そもそも人馬たちを兄弟だと思っていなかったようですが。絶対に団長と同じものでなければならなくて、団長のものを二等分することを望んで……だから、人馬たちがうっかり団長からもらおうものなら、怒り狂って暴力を振るっていたとか」

 特に昔から物おじせず人懐っこかった人馬は、当然摩羯にもくっついて歩くことが多かったので、あの男の標的にされていたのだと、畢子は嫌悪感も露わにしている。しかし天鵝はもはや畢子の文句を聞いていなかった。

 やっとわかった。摩羯が自分にそっけなくしていた理由が。

 あの男は、摩羯が天鵝から耳飾りをもらったことを知ったのだ。

 耳飾りは天鵝と摩羯が分け合うもので、あの男は絶対に得ることができない。しかも、捨てようにも触ることさえできないのだ。その怒りが摩羯と家族に向いた――。

(私が、摩羯の家族を……)

 自分の行為が、摩羯の家族を死に追いやったのだ。

「姫様? お顔の色が悪いようですが、大丈夫ですか?」

 心配そうに尋ねてきた畢子に、天鵝は返事ができなかった。

(私は何ということを……)

 震えが生じてきて、天鵝は自分を抱きしめた。

 再会してから、今までどんな思いで摩羯がそばにいたか。

 自分たちに悲劇をもたらした皇女の護衛など、誰が進んでやりたがるものか。それなのに自分は、摩羯の態度が冷たいことに傷つき、苛立っていた。

 近くにいてほしいと、求めてしまった。

「……すまない、畢子。私は自分の星宮に帰る。摩羯の世話を頼む」

「承知いたしました。団長のことはお気になさらず、お休みください」

 馬車の手配をしますと言って、畢子が出ていく。天鵝は力なく摩羯の脇に腰を落とした。

「……だからお前は、名乗り出ようとしなかったのか」

 摩羯の枕元に置いていた首飾りに触れ、天鵝は唇をかんだ。

 信頼の証どころか、恨みの元凶となった耳飾りを彼は返そうとしたのに、自分は拒んだのだ。牛宿に持っていてほしくて。一緒にあの苦しみを耐え抜いた少年に――心身ともに支えてくれた彼との絆を断ち切りたくなくて。

 でも、摩羯は違った。もう自分との関係などなかったことにしたかったのだ。

 牛宿のことを忘れろと言ったのは、遠回しの拒絶だ。

 天鵝は目を閉じた。

 泣いてはいけない。泣きたかったのは摩羯のほうだ。

 そして天鵝は首飾りをにぎりしめ、立ち上がった。

 解放してやらなければ。

 これ以上、自分の存在が摩羯に重くのしかからないよう。

 きっと内心でののしり続けただろう皇女の守をしなくてすむよう。

 自分から、離れるべきだ――。



 畢子に十分なほどの護衛をつけられて天鵝宮に帰った天鵝は、着替えるとすぐ宰相府へ出発した。

 衛士は今、行方不明事件の進展により、各団がそれぞれの任を負って走り回っている。地使も団長の摩羯が倒れているため、代わりに室女が指揮をとっているはずだ。だから天鵝はいつも宰相府へ行くときに馬車に付き添う四名の護衛を連れて星宮を出た。

 少しでも早く、摩羯との関係を断たなければ。

 自分のせいで摩羯によけいな負担がかからないよう、今回の事件の担当をはずれたいと、猟戸に申し出るつもりだった。

 最初の頃、摩羯がそう自分に進言してきたとき、素直に従っていればよかったのだ。そうすれば、摩羯がけがをすることはなかったのに。

 摩羯に近づいてはいけない。もう、摩羯から何かを奪ってはいけない。

 二度と言葉をかわせなくても、元気でいてくれればそれでいい。

 自分の思いを、押しつけるわけには――。

 そのとき、馬車を囲んでいた護衛が悲鳴をあげた。続いて応戦する剣の響きがして、馬車の扉が乱暴にこじ開けられた。

 顔をのぞかせた相手に、天鵝は息をのんだ。

「また会いましたね、姫様」

 緑色の双眸を細め、男はぞっとするほどの冷笑を口の端に浮かべた。

「お前は……!!」

「あなたに会いたがっている者がいるんです。一緒に来てもらいますよ」

 腕をつかまれ、天鵝はもがいた。

「放せ! 私はもう摩羯とは会わない。耳飾りも返してもらった。だからもう摩羯を傷つけるな!」

 引きずられて馬車を下ろされる。よろけて馬車に体をぶつけ、天鵝はうめいた。しかし男はかまわず天鵝を後ろ手に縛り上げた。

 そこへ騎乗した二人の若者が迫ってきた。馬車を襲った賊を切り捨てながら天鵝のほうへ寄ろうとするが、天鵝一人をさらうにしては多すぎる数の賊に阻まれてなかなか進めない。

「やはり闇使をつけていたか」

 男が舌で唇を湿らせる。そして男は天鵝を見下ろした。

「あなたがずっと恋焦がれていた牛宿も闇使なんだよ、姫様」

 素性を明かさず、星帝や宰相の命を受けて裏で動く組織だと教えられ、天鵝は呆然とした。そんな集団があることなど知らなかった。摩羯が――牛宿が闇使だったということも。

 ついに一人が賊の剣に貫かれ、その体にボッと火があがった。

「やめろ! 私にかまうな。逃げてくれ!」

 天鵝の必死の叫びもむなしく、続けてもう一人も背後から槍の一突きをくらい、またもや一瞬炎があがる。そのそばでは、最初に馬車を護衛していた四名も倒れ伏し、血を流していた。

「やめてくれ……どうして……どうしてこんなひどいことを……」

 涙で視界がゆがむ。嗚咽を漏らす天鵝を強引に引っ張り起こし、男が言った。

「あなたが絶望の中で死んでいくのを見たいからだ。そして、そんなあなたを前にして、助けられずに嘆くあの人を見たい」

「お前は摩羯の弟だろう? なぜそこまで摩羯を苦しめる?」

「ぞくぞくするんだよ。あの人が大事にしているものを奪うと気持ちがいい。僕の魂が震えるんだ」

 天鵝は唖然とした。この男は狂っている。

「僕の左目は、あなたの耳飾りに焼かれたんだよ。粉々にしてやろうと取ったら、異常に熱い光を放って……だから、あの人の左目をもらった。この目はあの人のものだ」

 自分たちは昔から何でも分け合ってきたんだと、男が自分の左目を指さす。

「僕がさわれないものをあの人に渡したあなたのことは、絶対に許さない。それをこっそり隠して大切にしていたあの人も」

 耳飾りはつかめなくても、天鵝の肉体には触れることができるんだと、男は笑った。

「あの人は必ずあなたを助けに来る。あの人の目の前で、あなたをなぶり殺してやる」 

 抗議の声はあげられなかった。薬をかがされて意識を失った天鵝は、摩羯によく似た男に荒々しく抱きかかえられ、星座キグヌスから運び出された。


 

 徐々に体内で暴れ出した痛みに、摩羯は目を覚ました。

 苦しさに大きく息を吸おうとして、さらに体を圧迫するほどのうずきに見舞われる。

「団長、お気づきですか?」

 うめき声をあげた摩羯は、自分の顔をのぞき込んできた畢子を薄目にとらえた。

「……ここ、は」

「副団長の星宮です。大図書館前で矢を受けたことは覚えておられますか? あの矢にヒカリススマダラの毒が使われていたんです」

 天の川に生息する毒蛇の名を聞いて、摩羯は舌打ちした。ずいぶんとやっかいな毒を用意してくれたものだ。

 おそらく奴の仕業だろう。

「……姫様は無事か?」

「はい。今朝まで団長に付き添っていらっしゃったんですが、お帰りになりました」

「そうか」

 こんなものが天鵝に当たらなくてよかった。ほっとした摩羯は呼吸をさまたげる痛みに胸をかきむしりかけ、かたまった。

「そろそろ夜の薬の時間です。包帯を取りますね」

 畢子が塗り薬を寝台脇の円卓に置いて、摩羯をかえりみる。

「……畢子、私の首飾りを知らないか?」

 猟戸に箱ごと押し戻されてから、ずっと身に着けていた首飾りがなくなっていることに、摩羯はうろたえた。

 なくした? まさかどこかに落としてしまったのか。

「首飾り、ですか? そういえば姫様がお帰りの際、それらしきものをにぎっておられたような気が……」

 目を見開き、そして摩羯は「ああ」と小さくため息を漏らした。

 それなら天鵝は気づいたのだろう。あの首飾りの中に、耳飾りが入っていることを発見したのだ。

 ずっと、本当に長い間天鵝が探し、待ち続けた牛宿が摩羯であることを知って、怒ったのだろうか。いつまでも知らないふりをされていたことを悲しんだのか。

 返さなければと思っていた耳飾りを天鵝自身が持っていったことを喜ぶべきなのに、妙な寂しさを摩羯は覚えた。

 毎日胸に触れていた首飾りは天鵝の分身だった。あの中に隠していた耳飾りが、摩羯の心を良くも悪くも熱くしていたのだ。

 ばれてしまった以上、一度天鵝にきちんと説明しなければならないだろう。

 ただ、もし天鵝が話題にしなければ、自分から言うことはないのかもしれない。

 二人の過去のつながりを、天鵝がなかったことにしたいのであれば――。

 畢子が包帯の下に添えていた白い布をはがす。傷口と、その周辺に毒々しく広がる黒いしみを見て摩羯が顔をしかめたとき、駆けてくる足音が室内に飛び込んできた。

「畢子、ここに姫様は――兄さん、気がついたんだねっ」

 安堵の笑みを浮かべた人馬はさっとあたりを見回すと、表情をくもらせた。そのまま黙って去ろうとした人馬を摩羯は呼びとめた。

「姫様がどうかされたのか」

「あ、いや……」

 視線をそらす人馬の態度に嫌な予感がして、摩羯は体をゆっくりと起こした。たちまち疼痛が傷口を中心に広がっていく。

「団長、まだ動かれてはいけませんっ」

「そうだよ、兄さんはちゃんと寝てなきゃ」

「人馬、何があった?」

 汗が体全体からにじみあがってくる。肩で息をしながら摩羯がにらみつけると、やがてあきらめたように人馬が嘆息し、天鵝の所在がわからないことを伝えた。

「ここを発たれた後で一度御自身の星宮へ戻られて、それから宰相府へ向かわれたみたいなんだけど、宰相府へ入られた形跡がないんだ」

「……まさか、またお一人でどこかへ?」

「いや、いつも宰相府へ出仕されるときに使う馬車に乗られたそうだし、護衛の従者もきちんと伴われて星宮を出られたと聞いてる。だから、もしかしたら何か忘れ物にでも気がついて、ここへ立ち寄られたんじゃないかと思って来てみたんだけど」 

 茶褐色の髪をかきながら人馬がうつむいたとき、星宮内で大きな悲鳴が響いた。

「俺が見てくるよ」

 動こうとして顔をゆがめた摩羯を畢子が抑えている間に、人馬がさっと部屋を出ていく。摩羯ものろのろと上衣を着て、寝台を下りた。

「団長、無理をなさらないでください」

「大丈夫だ」

「せめて薬を」

 そこへ人馬が帰ってきた。常ならば陽気な微笑をたたえている顔容が青ざめている。

「食料を運んできた馬車の中に、男の首があった」

 他の袋に混ざっていた大きな袋から異臭がしたので、下働きの男が開けてみたところ、中から切断された首が四つ転がり落ちてきたことによる騒ぎだったらしい。

 荷物を持ち込んだのは室女宮の使用人で、普段どおりなじみの店から仕入れた食料を馬車に積んで戻ってきたのだが、首の入っていた袋には見覚えがないという。

 その男も驚いて腰を抜かしているから、本当に知らなかったようだと言う人馬は、摩羯と視線をあわせないままきびすを返した。

「俺は団長に報告してくる」

「待て、人馬」

 何か隠していると感じて摩羯が声をかけたが、人馬はふり向かなかった。去っていく弟を見送り、摩羯は枕元の剣をつかんで腰にさした。

「団長、お待ちくださいっ」

 畢子の制止も聞かず、摩羯は歩きだした。体の痛みで耳までが熱く、息苦しい。それでも何とか姿勢を正して廊下を進み、大勢の人だかりを見つけた。使用人たちが摩羯の存在に気づいて道を開けていく。そして問題の袋の中をのぞいた摩羯は、歯がみした。

 はずれてほしかった予想が、当たった。

 四つの生首は、緑色の袖なし服にくるまれていたのだ。

 緑は宰相府の色。

 天鵝宮から付き従っていたはずの、四人の護衛のものだった。

 


 摩羯の白馬は、室女宮に来てとどまっていた。歩くのさえようようの状態だったため、馬にまたがるのは大変だったが、主が乗りやすいよう微動だにしなかった白馬に、摩羯は礼を言って背をなでた。

 摩羯が愛馬の脇腹を蹴って駆けはじめると、畢子も自分の馬に騎乗して追ってきた。いつでも治療ができるよう、摩羯の薬を持ってきてくれたのだ。

 振動が痛みを助長し、吐き気をもよおした。摩羯は何度も生唾を飲み込んでこらえながら、宰相府を目指した。猟戸に協力を求めるつもりだったのだ。しかし、途中で双子率いる風使団に出会った。衛府が襲撃を受けたという連絡が入ったのだという。

 やむなく摩羯は双子たちと星座ペルセウスへと馬の鼻先を変えた。並走しながら摩羯は、先日行方不明になった十六歳の少年が星座ラケルタに運び込まれたという話を双子から聞いた。

「ラケルタは、たしか星司がまだ決まっていなかったな」

 わが子かわいさに帝位継承の流れをねじ曲げようとした女のおこないが、貴い二人をこの世から消してしまった。八年前に天鵝が行方不明になったのも、この大きな事件に端を発していると言っていい。

「天蝎たちの調査で、乗合馬車が出入りする屋敷が見つかったんだ。どうやら偽装していたらしい」

 そこは娘と二人暮らしをしている老人の家であったが、六年前に孫を病気で亡くしているとわかった。生きていれば今年十六歳になる女の子だったと。

「宰相府で確認したところ、六年前に死亡届が出されていたんだが、先ほど星座ケンタウルスで墓をあばいてみたら、棺の中は空だった」

 今の時期、星座ケンタウルスは幻花の花粉が飛んでいるので、短時間で墓を探すために風使団を総動員する必要があったのだ。

 老人の名に摩羯は眉をそめた。

「佑角はたしか、宰相府官吏だろう」

 しかも自分の記憶が正しければ、戸籍管理長だったはずだ。

「ああ、おそらくそこから十六歳の子を拾い上げていたんだろう。どうりで範囲が星界中だったわけだ」

 それはこれから追及すると答える双子に、摩羯は尋ねた。

「姫様の行方はまだつかめないのか」

 先ほど室女宮に、天鵝宮の従者四人の首が天鵝の衣と一緒に届けられたことを摩羯が告げると、双子の表情がけわしくなった。

「お前が室女宮で療養していると知って送られてきたのか」

「おそらくは」

「まさか、衛府襲撃もあの男のしわざか?」

 複数の事件が同時に起きた場合、衛士たちは散る。そのぶん、どうしてもどこかが手薄になる。

「お前を引きずり出すのが目的じゃないのか」

 双子の一瞥に、摩羯は唇をかんだ。それなら、自分が探し当てるまで天鵝は生きているはずだ。もしあの男が仕組んだのであれば、自分の目の前で天鵝をいたぶり殺すことを選ぶに違いないのだから。

 やがて星座ペルセウスが見えてきた。遠目にもわかるほど、灰色の煙が空高く立ち昇っている。

 星座門を入ったところで、摩羯はしびれるような激痛が腿に走ってうめいた。毒が全身にめぐりはじめているのだ。

 そのとき、かすかにこげた臭いが鼻をついた。

 馬の速度をゆるめた摩羯を双子がかえりみる。

「先に行ってくれ」

「摩羯、無理するんじゃないぞ」

 言い置いて双子が駆け去っていく。摩羯は白馬をとめて風使団を見送ってから、周囲を見回した。ある方向に視線を定めて馬を歩かせる摩羯に、畢子もついてくる。

「団長――」

 木々のすきまで枝からぶら下がっている二つのものに、畢子が目をみはる。

 よろめきながら馬を下り、つるされた二体の男性の遺体に近づいて見上げた摩羯は、一人の男の手首にくくりつけられている匂い袋を認めた。

 そっと袋をはずすと、中でカサリと音がした。袋の口を開け、入っていた小さな紙を取り出して読む。

「……畢子、お前はこのまま衛府に向かい、今から言う場所に一小隊を連れて来てくれ。私は先に行く」

「団長、しかし――」

「急げ。姫様の御命がかかっている」

 有無を言わさぬ摩羯の口調に、畢子が姿勢を正す。

「承知いたしました。団長、これをお持ちください」

 畢子が自分の背負っていた荷を摩羯に差し出し、衛府へ馬を走らせていく。摩羯一人になったところで、少し離れたところでじっとしていた人影がかすかに動いた。

 室女宮を出るときから、畢子に気づかれない程度の距離をあけて自分たちを追跡していた相手が、低くつぶやく声で摩羯に話しかけてきた。

 この二人は、天鵝を守るためにつけられていた闇使であると。

 摩羯はめくらましの匂い袋をにぎりしめ、命を落とした二名の男に短い黙祷を捧げた。

「私につくように命じられているのなら、手を貸してほしい」

 天鵝のいる場所にはおそらくあちら側の見張りがいるだろうが、今の自分一人では突破できないかもしれない。そう頼んだ摩羯に、フードを深くかぶった相手が行き先を問うた。

 ラケルタだと摩羯が答えると、かすかに息をのむ気配が伝わってきた。しかし摩羯はその点を指摘することはせず、自分の白馬のもとへ戻った。


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