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銀色の北十字 壱  作者: たき
6/10

(6)

 にこにこ。

 にこにこ。

 作業を行う自分をずっと見つめている目の前の人物に、やがて天鵝はため息をついて帳簿を卓上に戻した。

「ずいぶん機嫌がいいな、人馬」

「それはもう、姫様のお越しを待ちわびていましたから。査察はいかがですか?」

「問題ない。よく管理されている」

 今日最後に到着した星座サギッタリウスでは、星司の人馬は星宮ではなく星座門で天鵝を出迎えた。

 あまりにも楽しみだったのでここまで迎えに来てしまいましたと笑顔で言われ、天鵝も噴き出した。人馬のほうが年上なのに、まるで弟のようだ。

「星司になって三年だったか。よくここまで立て直したな」

 星座サギッタリウスはもともと商業で栄えていたが、先代の星司が利権に走りすぎ、気づけば賄賂の横行で治安が悪化し、犯罪者の巣窟となっていた。

 視察に訪れた宰相府官吏も買収されていたため、宰相府の対応も遅れてしまったが、今の星司に代わってから復興がめざましく、一時は星座を離れていた商人たちも徐々に戻ってきているらしい。

「兄さんのおかげです。だいぶ助けてもらって、どうにかつぶさずにすみました」

「謙遜だな。お前が優秀でなければ、摩羯の助言もただの雑音でしかない」

 紺青色の瞳に喜色が走った。

「姫様も、お噂どおりの方です。どうでしょう、衛士統帥になられませんか?」

 諸手をあげて歓迎しますよ、と熱心な口調で勧誘され、天鵝は苦笑した。

「難しい話だな。そもそもお前の兄は、私が衛士統帥に就くことをよく思わないだろう」

「兄さんは心配症ですからね」

「室女にも似たようなことを言われたが……正直、私は摩羯に好かれているという自信がもてないんだ」

「兄さんがまた何かきっついことを口にしましたか」

 まったく、素直じゃないなあと、人馬が苦い表情で頭をかく。

「私はどうすればいいんだろうな。どう動いても、何をやっても、摩羯は不満のようだ」

「姫様は、兄さんのことがお好きなんですね」

 えっ、と天鵝は人馬を見返した。

「絶対、俺にしたほうがいいですよ。兄さんはあれこれ考えすぎるから、一緒にいると気疲れしますよ、きっと」

 天鵝がそばに立つ室女に視線を投げると、室女は肩をすくめた。

「そうだな。でも、私は摩羯の話を聞くのは楽しい。摩羯と話していると、まだまだ知らないことがたくさんあると気づかされる。勉強になるんだ」

 茶や薬草、薬、そして星座の運営など、話題がつきない。たまに意見の相違もあるが、摩羯は天鵝の意見を否定しない。そして会話の後は思考が深まった満足感を与えてくれる。

 だから、ここ最近ずっと寂しかった。摩羯の同行を禁じたのは自分なのに、言葉をかわせないのが物足りない。

 雑談のときは決して子ども扱いしないのに、身の安全が絡んだとたん、摩羯は冷たく自分を押しやるのだ。

 皇女だから? 行動の妨げになるから?

 衛士の任務が気楽に務まるとは思っていない。衛士統帥は、ただ椅子に座ってふんぞり返っているだけでいいとは考えていない。

 自分には向いていないのか。

 衛士統帥には、やはり天狼がなるべきなのか。

 宰相府の仕事をすればするほど熱意が薄れていく今の自分に、天鵝はとまどっていた。

 それもこれも全部、摩羯のせいだった。

 摩羯が気になって仕方がないのだ。

「あー……なんだ、俺が入る隙間はないじゃないですか」

 人馬がにやりとし、足を組んだ。

「ま、そういうことなら、俺は応援しますよ。俺にとっては自慢の兄ですし、姫様とくっついてくれるなら――」

「待て待て、勝手に話を進めるなっ」

 天鵝は慌ててとめた。かあっと耳まで熱くなる。

 今この場に摩羯がいなくてよかった。いたら絶対に空気が凍っていたはずだ。

 人馬の紺青色の双眸がおもしろそうに細められる。それを見て、天鵝は尋ねた。

「摩羯の目は、生まれつきなのか?」

 とたん、人馬の顔色が変わった。一度迷うようにぐるっと動いた瞳を天鵝に向け、人馬は「いいえ」と答えた。

「身内の恥をさらすことになるので申し上げにくいんですが。ちょっともめごとがありまして、そのときに左目を失ったんです。祖父が赤冠薬師で、すぐ調達できる目をはめたため、あのようになりました」

 ということは、右目は本人のものなのか。

 では、摩羯の双眸はもともと緑色だった――?

「兄弟は二人だけか? お前たちに……摩羯によく似た者を知っているんだが」

 鼓動が速まる。とても大事な答えが、この先にある気がした。

「姫様がおっしゃっているのは、例の手配中の男のことですか」

 問い返す人馬の声が一段低くなった。

「あれは兄弟ではありません。俺の兄は、摩羯一人です」

 恐ろしく冷えた笑みを口の端に乗せる人馬に、背筋が寒くなった。

 室女も唇をかんでいる。

 衛士にとって、あの男の話題は禁忌なのか。

「では……牛宿の名を聞いたことはないか?」

 沈黙が落ちた。しばらく天鵝を凝視したまま動かなかった人馬が、ふっと息を吐きだした。

「本当に、姫様は一途でいらっしゃる」

 その態度で確信がもてた。

「お前は牛宿を知っているんだな?」

 身を乗り出して問う天鵝に、人馬はうなずいた。

「はい。ですが、『牛宿』は存在しません」

「どう……いう意味だ?」

 言葉を失う天鵝に、人馬は頭を下げた。

「申し訳ありません。俺の口からは語れません。本当は、俺も知ってはいけない立場だったんです」

「牛宿は死んだのか?」

「姫様」

 矢継ぎ早に質問しかけた天鵝を人馬が見据える。有無を言わさぬ抑止力を感じ、天鵝も追及をとめた。

「どうしてもお知りになりたいのでしたら、今しばらくお待ちください。時がたてば、いずれ機会が訪れるはずです」

 結局、それ以上の情報は得られなかった。心残りはあるが、天鵝は人馬の星宮を出ることにした。

 出発の準備が整ったとの声を受け、天鵝が自分の馬へと爪先を向ける。いざ乗ろうとしたところで、背後から人馬の手がのびてきて、天鵝の肩に触れた。

「兄さんを責めないでやってください。でももし兄さんを締め上げたいということであれば、協力いたします」

 ささやきに目をみはる。ふり返った天鵝に、人馬がいつもの人懐っこい笑みを浮かべた。

 片づけがあるからと、人馬は星宮から天鵝たちを見送った。

 荷馬車が空っぽの音を響かせてついてくる中、天鵝は馬の背に揺られながら、人馬との会話を反芻した。

 やはり、鍵は摩羯だ。もしかしたら、扉も。

(お前は何者なんだ……)

 なぜ、自分を遠ざけようとするのか。

 知りたい。摩羯の本心を。

 明日にでも会いにいってみよう。そしてきちんと向き合って、尋ねよう。

(摩羯が牛宿なら……)

 嬉しい。

 あの男ではなく、摩羯であってほしいと自分が願っていることに、天鵝は気づいた。 

 

 

 翌日の視察も平穏無事に終わった。宰相府へ戻りながら摩羯の居場所を室女に尋ねると、大図書館で調べ物をしているはずだと教えてくれた。

 血液の病について書籍をあたっているのだ。

 そのまま室女たちを護衛として大図書館まで連れて行くのは気が引けたので、天鵝は宰相府で室女たちと別れてから、一人で星座ウルサ・マヨールへ向かった。

 大図書館の前の厩舎には、赤馬にまじり、白馬が二頭いた。まだいるようだ。天鵝は緊張しながら、大図書館に入った。

 歴史や思想、動物や植物の本がおさめられた各部屋を過ぎていく。宰相府官吏であることを示す緑色の衣の下に股の分かれた服を着ている天鵝を、物珍しそうないくつかの視線が追ってくる。

 そして奥のほうにある医学書の部屋をのぞいた天鵝は、ある棚の前に摩羯の後ろ姿を見つけた。そばにいる地使団員に何か指示を出している。人馬と自分の間くらいの年頃の若者はうなずき、卓上に積まれていた本をかかえて離れていった。

 ふうと息をついた摩羯が、気配に気づいたかのようにふり返り、目をみはった。

「姫様」

 思ったより早く見とがめられた天鵝は、大股で近づいてくる摩羯に、つい一歩後ずさった。

「なぜこちらへ?」

「あ、その……お前に会いたくて」

 あせるあまりぽろりと出てしまった本音に、しまったと口をふさぐ。

「いや、あの、だからその、お、お前に聞きたいことがあって」

 勤務中の相手に何を言っているのか。

 絶対にあきれられた。軽蔑されたかもしれない。

 しどろもどろになりながら天鵝が上目遣いに見ると、摩羯はあんぐりと口を開けていた。

 そして――――照れた。

 視線を斜め下にそらし、頬に朱の走った摩羯に、天鵝も呼吸を忘れた。

 異常な速さで脈打つ胸に手をあてる。

 何か言わなければと思えば思うほど、言葉が出てこない。

 そのとき、摩羯の背後から地使の若者が声をかけてきた。

「団長、片付けが終わりました……あ、姫様」

 ビクッと二人そろって肩をはね上げる。きょとんとした顔の若者を摩羯がかえりみた。

「ご苦労だった、畢子(ひっし)

「作業は終わったのか」

 摩羯がいつもの冷静な表情に戻るのにあわせ、天鵝も気持ちを切り替えた。

「はい、可能性のあるいくつかの病をまとめ終わりました。明日報告する予定でしたが、ご覧になりますか?」

 摩羯が何枚かの紙を天鵝に渡した。きれいな文字で書かれた資料にはたくさんの病名と特徴が並んでいたが、ところどころに印がついていた。

「中でも同い年の血液を使うことが重要とされているものがこれらです」

 摩羯が天鵝の手元を覗き込み、印のある病気を指さしていく。一つ一つをざっと読んだ天鵝は、ある病名でぎょっとした。

「血を吸うのか?」

 思わず摩羯を見やる。摩羯は眉間にしわを寄せてうなずいた。

「はい。これだけは、罹患した本人は床に臥すことなく、自分から目当ての者に近づけます」

 それは喰血(しょっけつ)病というものだった。血が日毎に薄まっていき、やがて死に至るという原因不明の病気で、完治は今のところ不可能とされているが、同い年の者の血を使えば延命できるらしい。特徴として、罹患した者が直接かみついて血を摂取するという奇異な行動をとることが挙げられていた。

「肩口にえぐられた跡があるのが引っかかっていたのですが、もしこの病であれば、かみ傷を隠すために切り取ったのではないかと思われます」

 天鵝は考え込んだ。その行為を想像するだけで吐き気がこみ上げてきそうだが、十分にあり得る。

「珍しいものなのか?」

「かなり事例の少ない病です。そのため、赤冠薬師が読む書物の中でも、たった一冊に参考として記載されていただけでした」

「よく見つけたな」

 天鵝が感心すると、摩羯が畢子の肩をたたいた。

「畢子の手柄です。この者はすでに青冠薬師の資格をもっておりまして、赤冠薬師の試験を受けるために勉強中でしたので、手伝いとして連れてきたのですが、数日前に読んだ書物の中にあったと意見してくれました」

 私も受験のときに目を通したことがある本でしたが、すっかり忘れておりました、と自嘲の笑みを漏らしつつも、誇らしげに団員を紹介する摩羯に、畢子も嬉しそうにしている。

 配下の功績を配下のものとしてきちんと申告する――当たり前のことができない者は意外と多い。

 知識量の多さにあぐらをかいて、目下からの提案を馬鹿にしたり怒ったりする者もいる。

 立場に関係なく摩羯が素直に指摘を受け入れるから、畢子もためらわず進言できるのだろう。

 地使団の風通しのよさが好ましくて、天鵝もつられて頬をゆるめた。

 そのとき、宰相府の鐘の音がかすかに伝わってきた。一日の仕事が終わったのだ。

「これから星宮へお帰りですか? お送りいたします」

 納得のいく調査ができて機嫌がいいのか、天鵝が同行を断ったことなど最初からなかったかのように摩羯が隣を歩く。畢子は遠慮して少し後ろをついてきた。

「ところで、何か尋ねたいことあるとおっしゃっていませんでしたか?」

 久しぶりに話ができたことで胸が高鳴っていた天鵝は、問われて言いよどんだ。

「……いや、また今度でいい」

 せっかくの穏やかな雰囲気をぶち壊すのはもったいない。そう思って質問を先延ばしにすることを決めたのに、結局大図書館を出たところで摩羯の目がつり上がることになった。

「――姫様」

 嫌味たらしいほどに大きなため息をつく摩羯に、天鵝は必死に弁解した。

「室女たちはちゃんと宰相府まで送ってくれたぞ。ここへ来ようとしたのは私の勝手だから、室女たちの任務からははずれるだろう」

「急な思い付きでなく、最初からこちらへお越しになるおつもりでしたなら、むしろ室女たちをそのままお連れください。もし姫様の御身に何かあれば、室女たちの責任になります」

「しかし、私の個人的な用事に付き合わせるわけには……」

「私用であろうと公用であろうと、単身でお出かけになるのはお控えくださいと申し上げているのです。ここは先日、姫様と同い年の娘が訪れた後に行方知れずになった場所です。姫様も報告書をご覧になったはずですが」

 天鵝の黒馬を引き出してきた畢子は、天鵝を叱りつける摩羯の勢いに、手綱をにぎったままかたまっている。

「記憶にないとおっしゃるのであれば――」

「読んだ! もちろん一字一句読み込んでいる。仕事はちゃんとしているぞ」

 適当に流し読みするような人間には任せられないと切り捨てられる前に宣言する。

「いばって言うことではありません」

 首をすくめて叱責に耐えていた天鵝は、あれ、と顔を上げた。

「だいたい、姫様は……」文句はまだ続いている。

 眉間のしわをどんどん深くする摩羯は、気づいていないようだ。いつもがちがちに丁寧だった口調が微妙に砕けていることに。

「……何ですか?」

 ぽかんとしている天鵝に、ようやく摩羯がいぶかしげな表情を浮かべた。それがおかしくて、天鵝は笑った。

「姫様、笑いごとではありません」

「すまない。今わかったんだ」

「だから、何がですか?」

 笑いすぎてこぼれた涙をぬぐう天鵝に、摩羯がむっとした顔をする。

「お前が私に厳しいのは、私を嫌いだからではなく、心配しているからだと」

 とたん、摩羯は自分の今の態度が高位の者に対するものでなかったと思い出したらしい。失敗した、という苦々しさを前面に出しながら、うつむきがちに前髪をかきあげる。

「……申し訳」

 謝罪は最後まで声にならなかった。突然摩羯が天鵝を抱き寄せて体を反転した。

 自分を抱きしめる摩羯の肩を、背後から矢が貫通しているのを、天鵝は見た。

「団長!」

 手綱を放して畢子が駆けてくる。天鵝を抱きしめたままずるずると座り込みながら、摩羯は命じた。

「畢子、追え!」

「はい!」

 畢子が走る。摩羯はついに地面に片手をついた。

「摩羯!」

 今にも倒れそうだというのに、摩羯は天鵝に体重をかけてこない。次の矢を警戒して天鵝をかばいながら、うめき声すら飲み込んでいた。

「姫様、おけがは?」

「ない。だがお前が……」

「だ……丈夫、です」

 大丈夫なわけがない。すでに全身から汗が噴き出しているのが伝わってきているのに。

 助けを呼ばなければ。摩羯の供をしていた畢子は今、矢を射た者を追跡している。

「摩羯、立てるか?」

 肩を貸してどうにか起き上がろうとするが、摩羯は返事をしない。すでに意識がなくなりかけている。

 たった一本の矢を受けただけにしては、様子がおかしい。

 そのとき、靴音が近づいてきた。

「無理に動かしてはいけません。そこへ寝かせてください」

 仰ぎ見た天鵝の前に、つややかな長い黒髪を巻き上げた女性がやって来る。濡れた真っ赤な唇に嫣然とした笑みを浮かべ、女性は黒い双眸で天鵝の顔をのぞき込んだ。

 灰色の衣――薬師なのか。

「わたくしは烏鴉(うあ)と申します、姫様。赤冠薬師にございます」

 烏鴉はまず貫かれた矢を折り、前後から引き抜いた。意外と力があるようだ。

 痛みに顔をしかめる摩羯を二人で横たえ、天鵝が膝枕をしてやる。摩羯の上衣をはだけさせた烏鴉の手がとまった。

「やはり、毒矢のようですね。しかも、かなりやっかいな毒……」

 血の粒がわく傷口は黒ずんでいた。

「急いで治療しなければなりません。わたくしの星宮へお連れしましょう」

 烏鴉は星座コルヴスの星司だという。厩舎の馬番に呼びかけて馬車を用意させる烏鴉の声を聞きながら、天鵝は膝上の摩羯の頭を抱きしめた。

 ほんの少し前まで自分を説教していたとは思えないほど、かたく目を閉じ、荒い呼吸を繰り返す摩羯に、天鵝は唇をかんだ。


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