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銀色の北十字 壱  作者: たき
5/10

(5)

 休息の七日間も重なったおかげで、気力体力ともにすっかり全快した天鵝は、さっそく視察を再開させた。

 天鵝の厳しい監査はすでに星司たちの間で噂になっているらしく、どの星座の星司も表向きは天鵝をあなどるような態度は見せなかった。むしろ後で容赦なく掘り起こされるよりはと、自ら違反行為を正直に打ち明けて減刑を懇願する者も現れるようになった。

「今日は早かったですね」

 視察した三つの星座に珍しく問題がなかったため、今日は宰相府の鐘が鳴る前に帰れそうだ。最後の星座を出たところで、摩羯が馬を寄せてきてそう言った。

「そうだな……摩羯、これから衛士の官府を訪ねてもよいだろうか?」

「……どうぞ。衛士一同、歓迎いたします」

 突然の要望に驚いているのか、言葉のわりに喜んでいる響きはないが、少なくとも拒まれなかったことに天鵝はほっとした。そして配下を衛府に先駆けさせる摩羯を横目に、天鵝も荷馬車を操る従者に、先に宰相府へ戻るよう指示した。

 初代衛士統帥、英仙皇子(えいせんのみこ)が星司として統治していた星座ペルセウスは、代々の衛士統帥が星司を兼務している。現在は衛士統帥が空位のため、宰相が星司を代行していた。

 入り口の星座門をくぐると、まず他の星座の三倍はある大通りが広がっていた。衛府があるせいか武具屋や鍛冶屋、飲食店が多いのが特徴で、立ち並ぶ家々も、衛士に入団して移り住んできた者が借りたり買い取ったりしているという。またここの大通りは衛士がよく利用するために馬が優先で、歩く人たちは道の端のほうを通っていた。

 他の星座とは異なる雰囲気に関心がわいたのか、天鵝はよそ見をしながら馬を進め、間で摩羯に町の説明を求めた。そうしてアルゴル市に入った天鵝は、やがて見えてきた灰色の堅固な壁に、感嘆の息をついた。

「すごいな。傷んでいるところが一つもなさそうだ」

「罪人を収容する監獄もありますので、修繕には特に力を入れているのです」

 高い壁に囲まれた衛士の官府の出入り口は一つだけである。その大扉の前には太い落とし格子があるが、今は上にあげられている。

「お疲れ様です」

 先に伝令を受けていた門番二人が、槍をさっと立てて姿勢を正した。

「団長は全員そろっているか?」

「はい、中央棟前でお待ちです」

 摩羯はうなずくと一番に門をくぐった。続けて天鵝が入り、衛士十五人が続く。今日はすでに四隊とも衛府に戻っていたようで、赤、青、黄、白緑色の胴着を身につけた衛士たちが道の両脇に整列し、緊張した面持ちで直立していた。

「かえって悪かっただろうか」

 仰々しい出迎えに天鵝がぼそりと言う。「失礼があってはいけませんので」と摩羯は答え、敷地内の中心に位置する二階建ての四角い建物――中央棟へと導いた。

 三人の団長は石畳に出て天鵝の到着を待っていた。そして天鵝の姿を認めると、そろってその場に片膝をついた。

「ようこそおいでくださいました、姫様」

「ご覧のとおりむさくるしいところですが、なにとぞご容赦を」

 摩羯たちが先に馬を下り、最後に天鵝も地に足をつける。そこへ一人の衛士が足早に寄って来て、「馬をお預かりいたします」と天鵝の黒馬の手綱を受け取った。

 顔を見て、天鵝は首をかしげた。誰かに似ているような気がしたのだ。

人馬(じんば)と申します、姫様。地使団長摩羯の弟です。どうぞ、お見知りおきください」

 にこにこと愛想のよい笑みをたたえて挨拶してきた青年を、天鵝はまじまじと見つめた。

 茶褐色の髪に紺青色の双眸の人馬は、赤い胴着を身に着けている。兄弟だからといって同じ団に所属するわけではないのだ。

 摩羯が笑うとこのような感じになるのだろうかとぼんやり考えていると、人馬がずいと顔を近づけてきた。

「姫様の御目は、本当に吸い込まれそうですねえ。いやあ、いつお会いできるかと、本当に楽しみにしていたんですよ」

 摩羯の片目と同じ紺青色の瞳がきらきらと輝いている。間近で微笑む人馬に天鵝がたじろいで一歩下がったとき、摩羯が割り込んだ。

「人馬、無駄口が過ぎるぞ」

「はいはい。兄さんは独占欲が強いんだから。姫様はみんなの姫様ですよねえ? 後でぜひ火使団の詰め所にお越しくださいね。兄さんには負けますが、おいしいお茶と菓子を用意して待っていま……」

 人馬の勧誘が終わる前に、その頭を背後からスパーンとはたく者がいた。同じ赤い胴着を着た、すらりとした体形の女性だ。

「だからお前には任せたくなかったんだ。室女、代わってくれ。この馬鹿は私がしばいておく。姫様、大変失礼をいたしました」

 人ごみの中から現れた室女に手綱を預け、女性衛士が人馬の首根っこをひっ捕まえてずるずる引きずっていく。おとなしく連行されながら、それでも笑顔で天鵝に手を振る人馬に、摩羯がため息をついた。

「申し訳ありません、姫様。後で私からも厳重注意をいたします。まずは中へどうぞ」

 摩羯の勧めで、天鵝は団長四人とともに中央棟に入った。

 扉を開けてすぐにある広場には、大きな白い石像がそびえていた。短髪だが巻き毛の像は目が勇ましく、唇もきりりと引き結ばれている。右手ははるか彼方を指すように前へのび、左手は腰にはいた剣の柄に添えられている。初代衛士統帥、英仙皇子の像だと摩羯は告げた。

 広場の両端に二階へと続く階段があるが、二階の部屋はほとんどが仮眠室のため、摩羯たちは一階を案内した。合議室や書庫などが連なり、一番奥に団長の共同執務室と衛士統帥の執務室がある。

 中央棟の壁は補修の跡がわからないほど丁寧に塗られていて、床も鏡代わりになりそうなくらい磨かれていた。衛士たちがもちまわりで毎日掃除をしているのだという。

 先に共同執務室に入った天鵝は、窓際に書類の山積みされた四つの大机が並んでいるのを見た。部屋の隅には、時折四人が打ち合わせをしているのだろう長机と長椅子が置かれている。壁際には背の高い本棚があり、古いものから新しいものまでがぎっしりとおさまっていた。

 隣の衛士統帥執務室は団長共同執務室とつながっていて、扉を開けると、窓上にずらりと飾られた肖像画がまっさきに目についた。

「歴代の衛士統帥です」

 摩羯が説明する。天鵝は一番右側にある猟戸皇子の肖像画をあおいだ。

「叔父上、若いな」

「女性団員のあこがれの的でした。もちろん、我々にとってもですが」

 昔をなつかしむように、天蝎が濃い青緑色の瞳を細める。

 天鵝は衛士統帥の大机にそっと触れた。もうかなり古いが、材質がよいのかまだしっかりとしている。

「ここで仕事をされていたのか、叔父上は」

 若い頃の猟戸が座っている姿を思い浮かべた天鵝は、あらためて肖像画に目を向けた。

「皇女で衛士統帥になった者はいないのか」

「残念ながら。姫様は衛士の務めに興味をおもちですか?」

 獅子の問いに「そうだな……」とぼんやり答える。興味があるかないかと言えば、あるのだろう。だからここへ来る気になったのだ。

 もっとも、自分は宰相府官吏として、姉が宰相になったとき補佐するという目標がある。それに衛士統帥には天狼が就く予定だと兄や姉から聞いているので、自分がこの部屋の椅子に座ることはまずないだろう。

「宰相府と雰囲気が全然違うからな。それがおもしろいと思う」

 書棚の本をざっと眺めた天鵝がふり向くと、自分の背中を見つめていたらしい摩羯と目があった。

 天鵝が声をかける前に、摩羯は顔をそらし、「次は外をご案内いたしましょう」ときびすを返した。

 中央棟を出た四人の団長と天鵝は、練兵場に向かった。天鵝を出迎えた後は普段どおりの行動をするよう命じていたので、衛士たちは持ち場に戻ってはいたが、やけにきびきびと動いている。

「衛士はいつもこうなのか?」

 窓掃除までしている衛士たちを見て「だらけている者が一人もいないな」とほめる天鵝に、獅子がぶっと噴き出した。

「少しやりすぎだな」

 憮然とした面持ちで双子が枯草色の髪をかき、「まったくだ」と天蝎もこめかみを押さえる。そして通り過ぎる天鵝をぼうっとした目で追いかける衛士たちを二人がじろりとにらみつけると、皆慌てたさまで顔を伏せた。 

 練兵場では、今日は地使団が訓練していた。素振りをする者、打ち合う者とさまざまだが、休憩している者たちですら座り込まずに立っている。また少し離れた場所では、黄色く光る鎖を振り回している団員もいた。衛士の鎖は捕縛の他、さまざまな使い方ができるらしい。摩羯は数人の配下を指差し、誰が馬の扱いがうまいか、剣の腕がいいか、弓の名手かなどを紹介した。

「お前の特技は何なんだ?」

 天鵝に尋ねられ、摩羯はすまして答えた。

「茶を淹れることでしょうか」

「確かに」

天鵝はくすりと笑った。

「摩羯は何でもそつなくこなすので、これといって一つをあげることができないんですよ」と天蝎が教えると、獅子が「本当に嫌味な奴なんです、こいつは」と続けた。

 それから摩羯たちは天鵝を大会堂に連れていき、最後に敷地内の一番奥にある一階建ての建物へ案内した。

 そこはあきらかに他と空気が異なっていた。どこか重々しく暗い印象の建物には、ところどころにてのひらほどの大きさの差し込み窓がはめられているだけで、正面にあるたった一つの入り口は、四名の衛士が番をしていた。さらに建物を高い柵が囲い、柵の上部は鋭くとがっている。そして建物の周りを数匹の大きな犬がうろついていた。

「囚人を収容している監獄です」 

 聞けば、天鵝の視察で不正を暴かれた星司たちも数名入っているという。中がどれほどひんやりとしているかを想像し、天鵝は口角を下げた。簡単に人を押し込んでいい場所ではない。視察の調査も慎重にしなければとあらためて思った天鵝に、摩羯は監獄の横にある鍵のかけられていない犬舎を指差した。

「それから、あそこには『北辰(ほくしん)』がいます」

「北辰?」

 はじめて聞く言葉に天鵝は首を傾けた。

「犬です。本来は頭目の犬の名ですが、全体の名称でもあります。月界中に鼻がきくので、何かを探すときにはとても頼りになります」

「では行方不明者の捜索に使えるのではないか?」

 なぜ利用しないのかと不思議がる天鵝に、摩羯はかぶりを振った。

「北辰は衛士統帥の命令しかきかないのです」

 言い伝えによれば昔、初代星帝が遊行の際、純白に輝く美しい毛並みの大型犬を見つけ、当時衛士統帥だった英仙皇子に捕らえさせた。北辰と名づけられたその犬はしかし決して星帝になつかず、英仙皇子の声にのみ反応したため、星帝はついにあきらめて英仙皇子に下賜したのだという。以来、その血を受け継いだ代々の北辰も衛士には友好的であるが、絶対に命令には従わないのだ。

「現在衛士統帥は空位ですので、北辰を使うことはできません」

  頭目の北辰は、猟戸皇子が衛士統帥の座を退いてから犬舎の奥にこもり、今ではめったに出てくることはないという。

 天鵝は青紫色の瞳をすがめた。いったいどんな姿をしているのか。見たいという欲求がどんどんふくらむ中、天鵝は名残惜しさを覚えながら監獄を離れた。

 もう一度中央棟の共同執務室に戻ってから、天鵝は摩羯の淹れた茶を味わった。それは濃厚でありながらまろやかで、一度にたくさんは口にできないがまた飲んでみたいと思わせるものだった。いつも受け取る水筒の茶は冷えているが、熱い茶も違ううまさがあってよかった。

 共同執務室の一角にある小さな厨房をのぞくと、摩羯のものだろうたくさんの茶葉が瓶におさめられて並んでいた。知らない名前の茶ばかりで、これらすべてを把握している摩羯に天鵝は驚愕した。

 しばらく談笑していたところで、宰相府の鐘が鳴った。勤務時間の終了である。宰相府へはいつも視察に同行している摩羯たち地使団員が付き従うことにし、天鵝は帰りも整列した衛士たちに見送られて衛府を発った。

「今日は突然すまなかった」

 宰相府の石畳に到着して馬を下りた天鵝は、同じく馬を下りた摩羯たちに礼を言った。

「こちらこそ、わざわざお立ち寄りいただき光栄にございます。衛士一同を代表して御礼申し上げます」

 深々と頭を垂れた摩羯は、そこで他の衛士を一度下がらせた。二人きりになったところで、天鵝を真顔で見つめる。

「姫様にお願いがございます。今回の事件、別の者に担当を替わられたほうがよいと存じます」

「なぜだ? 私と同い年の者が狙われている可能性が高いからか」

「団長四人の総意です。万が一、姫様の御身に何かあれば――」

「私はもう、昔ほど非力ではない。黙ってさらわれるようなまねはしない」

 なおも言い募ろうとした天鵝を、摩羯が制した。

「皆が気を使うのです」

 はっと、天鵝は目をみはった。

「現状ではどうしても、姫様の警護が第一になります。視察の護衛は誠心誠意務めさせていただきますが、事件の調査は……」

 天鵝はこぶしをにぎりしめた。

「私が関わると気が散るからだめだと言いたいのか。子供の守をする余裕はないと」

「……申し訳ありません」

 否定しない摩羯に対して、怒りが増してきた。

 ならばなぜ衛府の見学を許したのかと責めかけ、天鵝は口をつぐんだ。

 衛府をのぞいてみたいと言ったのは自分だ。摩羯はそれに従っただけ。

 あるいは、これを最後としたかったのか。

「私は、遊び半分で衛府を見たかったわけではない」

 あれほど大げさな出迎えも必要なかったし、そうされて当然とも嬉しいとも思っていない。

「お前は……」

 言葉に出すのが怖い。それでも、確かめずにいられなかった。

「お前はそんなに、私の存在がうとましいのか」

 返事はない。視線を地に落としたまま黙っている摩羯から、天鵝は顔をそらした。

「視察には同行しなくていい。室女を寄越してくれ」

「……御意」

 摩羯が一礼し、身をひるがえす。見送ることも、立ち去ることもできず、天鵝はその場にたたずんだ。体が動かなかった。

 涙をこらえるせいで、頬が震える。それでもどうしても我慢しきれなかった一粒が、足元にぽたりと落ちた。



 それから二日間、摩羯は天鵝の命令どおり、視察に姿を見せなかった。自分が来るなと言った手前、様子を聞くに聞けず、天鵝は悶々としながら視察をすませた。そして次の日、行方不明事件の捜査に進展があったと、衛士団長四人が報告に訪れた。

 宰相府内の小会議室で机を囲み、天蝎がまず説明した。

「昨日、半年前に行方知れずとなっていた子供の遺体が、星座ドラコーで発見されました」

 場所はすでに廃屋となった家の井戸の底からで、たまたま探検遊びをしていた近所の子供たちが見つけたという。

 子供は星座コルヴスの生まれで、ドラコーとは何の接点もなかった。また死体はほとんど腐っていたものの、額から星魂が掘られた形跡があった。それだけなら星魂を奪うのが目的だったのだろうと予測が立つが、もう一つ特徴があった。肩にえぐられた傷跡があり、体内の血がすべて抜き取られていたのだ。

「星魂だけが目当てではないのか?」

 眉間にしわを寄せる天鵝に、双子が続けた。

「意図的に血を抜いたのであれば、それを狙っての犯行と思われます。肩口の欠損が引っかかりますが、どちらにしても、星魂の癒しの力だけでは治らぬほどのけがか重病かと。そうなると、治療には薬師が必要ですから、今よりはしぼられます」

 これまでの衛士の調査で、行方不明になった子供たちはいずれも健康であることがわかっていた。

 誘拐と仮定した場合、その目的が謎だったのだが、今回見つかった子供の遺体が、解決の糸口となりそうだ。そこで、今年十六歳になる子供で病にかかっている者、その治療にたずさわっている薬師について捜査の手をのばすことになった。

「対象者には見張りをつけます。念のため、年齢以外に規則性がないか、もう一度調べてみます」

 双子の申し出に「そうしてくれ」と天鵝もうなずいた。

 快楽殺人か、何かを欲しての仕業か。行方不明者が何らかの形でまた発見されれば、方向性が定まるかもしれない。 

 そのとき、扉がたたかれて一人の風使団員が入室してきた。

「失礼します。また一体、子供らしき遺体が発見されました。今度は星座ヘルクレスです」

 四人の団長の表情がけわしくなった。

「誰のものだ? 状態は?」

「すでに白骨化していますので、素性の特定に時間がかかると思いますが、額と肩に傷があるそうです」

「さて、肩の傷はいったい何を意味しているんだろうな」

 獅子ががりがりと髪をかく。天蝎もこぶしをあごに添えたとき、摩羯が言った。

「私は医学書を確認いたします。血液の病を次回までにまとめておきます」

「ああ、任せる」

 天鵝は摩羯をちらりとも見ず、答えた。

「これから現場に行きます。後ほど報告にうかがいます」

 四人の団長がいっせいに腰を浮かす。一礼して出て行く団長たちを見送り、残された天鵝は椅子の背もたれに身を預け、ほっと息をついた。



「お前、姫様に何かしたのか?」

 部屋を出て廊下を歩きながら、獅子が摩羯をふり返った。

「そうだな。摩羯のほうを極力見ないようにされていた」

「あきらかに不自然だったよな」

 天蝎と双子も気づいていたらしい。全員に追及され、摩羯は口の端を下げた。

「今回の担当を外れてほしいと直接お願いしたんだ。そのご意思はないようだが」

「いったいどんな頼み方をしたんだ。さては無理やり押し倒しでもして脅したか?」

 にやにやする獅子に、「お前じゃあるまいし」と摩羯の代わりに双子が突っ込む。

「意外とがんこでいらっしゃるからな、姫様は」

「何と言っても、八歳で単身、馬で姉君のお見舞いに行こうとなさった豪気な方だもんな」

 苦笑する天蝎に続けて、あのときは大騒ぎだったよなと獅子も笑う。

「笑いごとじゃない。あれほどの目にあいながら、あの方はまったく反省をしておられない。もし何かあれば、取り返しがつかない」

 眉間に深いしわを刻んで歩く摩羯を見ていた双子が、「なあ、摩羯」と呼びかけた。

「前から思っていたんだが、お前は姫様をどうしたいんだ?」

「どう、とは?」

「異常に心配しているわりに突き放そうとしているだろう。気になるなら、むしろそばで守ったほうが安心だし、安全じゃないか?」

 立場上、いつもいつも張りついているわけにはいかないが、武器をもたない宰相府官吏の中に置いておくよりは、いっそのこと衛士の囲いに放り込んでいたほうがいいんじゃないか、と言う双子に、摩羯はかぶりを振った。

「我々と行動をともになされば、あの男と出会う危険がある。現に先日、奴は姫様に近づいた」

「そこなんだよな。なんであいつがこんなに早く姫様に接触するんだ? お前が個人的に姫様と親しいならともかく、まだ仕事で絡んでいるだけだろう」

 獅子の追及に、摩羯は完全に口を閉ざした。

「だんまりかよ」

 獅子があきれたさまで鼻を鳴らす。

「……いつか、話す。とにかく今はだめだ。あいつを捕まえるまでは、姫様はこちらに関わらないほうがいい」

 苦しさを吐き出すようにして、摩羯が先に宰相府を出ていく。他三人は顔を見合わせ、肩をすくめて後を追った。



 翌日、天鵝が宰相府前で視察の準備をしていると、いつものように約束より少し早い時間に室女たちが現れた。

「姫様、どうぞ。団長より預かってまいりました」

 室女が水筒を天鵝に渡す。

 摩羯は視察に付き添わなくなっても、茶だけは毎回室女を通して持たせてくれた。本当は、腹が立ったのだから口をつけずに返せばよいのだが、天鵝はつい飲んでしまい、結局からになってしまうのだ。

 受け取った水筒の感触をしばし確かめてから、天鵝は自分の黒馬にくくりつけ、騎乗した。

 今日まわるのは、衛士水使団長の天蝎が支配する星座スコルピウスをはじめ、星座リブラ、星座サギッタリウスの三つだ。天蝎はもとより、他の二人も衛士であり、うち一人は摩羯の弟の人馬だ。三人とも事前調査では不正の影が見られなかったので、今日も早く終了できそうだった。

 最初の星座リブラに馬を進めていくと、きらきら光るものが上空に舞い上がっているのが遠目に見えた。共同墓地がある星座ケンタウルスに咲く幻花の花粉だと、天鵝は気づいた。

 毎年この時期になると、幻花はいっせいに花粉を飛ばす。見た目には美しいが、幻花の花粉はほんの少量吸い込むだけで夢心地になり、思考能力が低下してしまう。大量に摂取した場合、ひどい幻覚に悩まされて狂い死ぬこともあるのだ。

 過去に幻花をすべて引き抜くという案も出たが、かなり生命力の強い花らしく、少しでも根が残っていれば、翌年にはまたたくさんの花を咲かせ、種を飛ばす。だがなぜかケンタウルスにしか咲かず、体に害を及ぼすほどに花粉が舞うのも一定期間だけなので、結局宰相府は放置することに決めた。一般の星たちも幻花のことは心得ているようで、この時期ケンタウルスに近づくことはしない。

 八年前、自分がかどわかされたのも今頃だった。一日の中でほんの数刻だけ花粉の乱舞がやむ時間帯があり、その短い間に連れ込まれたのだ。

 天鵝はふと後ろを見やった。このところの視察で摩羯がそばにいないというのが、どうにも落ち着かなかった。寂しいような、ほっとしているような、自分でもよくわからない気持ちの揺らぎがある。

 摩羯と出会ってから、調子が狂いっぱなしだ。宰相府の仕事をしているときでさえ、時々ぼうっとしている自分に気づいて、もやついてしまう。

 近づきたい相手に拒絶されるのは、つらかった。それなら割り切って、ほどよい距離感を保てばいいのに、つい目で追ってしまう。

 ふうっと息を吐き出して、天鵝は摩羯の用意してくれた茶を口に含んだ。今日はほのかに辛味があるが後味がよく、頭の中がすっきりしてきた。

 そういえば、いつもその日の自分に一番あう茶を飲んでいる気がする。まるで自分のことが摩羯に見えているようだ。

「摩羯は……」

「団長がどうかなさいましたか?」

 うっかり口から漏れた天鵝のつぶやきに反応し、室女が馬を寄せてきた。

「ああ、いや。摩羯は、その、どんな男なんだ?」

 水筒をくくりなおしながら、無理やり質問をつくる。年頃の女性からもてるというのは前に聞いたが、衛士の目にはどう映っているのだろう。

「そうですね……茶を入れるのがお上手です」

 やはり一番はそれか、と天鵝は失笑した。

「団長ですから厳しい面はもちろんありますが、基本的には我々にできることは我々に任せ、口をはさむことはありません。下の者の意見も無視することがないので、いいものはどんどん吸い上げていきますし」

 おかげで地使団は議論好きな者が多いと評判らしい。風通しがいいのはよいことだと天鵝は思った。

「視野が広いわりに、興味があることには一直線のところもありますね。茶と薬師の資格がよい例です。それから姫様に対しても」

 びくりと肩を揺らす天鵝に、室女は緋色の瞳を弓なりにした。

「見ていればわかります。団長は姫様のことがお好きなようです」

「それは……ない、と思う」

 天鵝は目を伏せた。

「私が周りをうろうろするのが目障りなようだから」

 よく注意を受けるし、きついことも言われると、思わず弱音をこぼした天鵝に、室女は何か思い当たることがあるのか、納得顔で微笑した。

「姫様を心配なさっているのですよ。小言が多いのは、それだけ姫様に意識が向いているからです」

「嫌いだからではないのか?」

「あり得ません」

 室女は即答かつ断言した。

「まだ団長が小隊長でいらしたときのことですが」

 当時の地使団長の娘が摩羯に一目ぼれし、父の弁当を持ってくるという名目で毎日衛府に通い詰め、摩羯にすり寄っていたという。

 息子ばかり続いた後の遅くにできた娘ということで、地使団長は娘に甘く、また美人だったので、彼女のあからさまな行動に眉をひそめながらもはっきり苦言を呈する者はいなかった。また地使団長自身も、入団時からその才覚を認めて目をかけていた摩羯を、娘婿にと考えていたようだ。

 その頃にはすでに、摩羯が人にあわせて茶を淹れることは有名になっていて、何度となく団長共同執務室や詰め所に呼ばれては、娘のための茶を用意させられたらしい。

 団長と娘は着々と包囲網を狭めた。少なくとも、娘は自信があったのだ。摩羯にとって、自分との交際は決して悪い話ではないはずだと。

 誰もが、結婚を前提としたつきあいを二人がはじめるだろうと思っていた。

 あるとき、娘は摩羯に言った。今日はあなたの気持ちを教えてほしいと。

 そしてその日はじめて、それはそれはまずく冷え切った茶を、摩羯はにこりと笑って差し出したのだ。

「お嬢さんは二度と衛府にいらっしゃいませんでした。その後すぐ、どこかの見目よい青冠薬師と結婚されたと聞きました」 

 地使団長は非常にがっかりしていたが、摩羯を責めることはしなかったという。

「ですから、毎回きれいに飲み干せるほどの茶を団長が姫様のためにご用意するというのは、団長が姫様を大事に思われている何よりの証なのです」

「……私がその娘と同じことを言えば、一口飲んだだけで吐き出すようなものが届くかもしれないぞ」

「お嬢さんのときとは違います。姫様は団長に、ご自分用の茶を強要なさってはおられませんので。もし団長が姫様をお嫌いなら、水筒を準備することすらなさらないと思います」

 熱心に語る室女に、天鵝は頬がほてるのを感じた。

 信じてよいのだろうか。摩羯は自分をうとんじているのではないと。

 黙り込む天鵝に、室女が続けた。 

「実は私も、姫様にお尋ねしたいことがございます」

「何だ?」

「姫様は衛士統帥にお就きになるのですか?」

「いや、それは……まさか、衛士は皆そう思っているのか?」

「先日姫様が衛府においでになったので、私を含め皆、期待しているのですが」

「期待、か……」

 絶対に反対しそうな摩羯の背中が脳裏に浮かんだ。

 天鵝は唇を引き結ぶと、まっすぐに前を見つめ、馬を進めた。

 


 




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